キンクリ
ハヤシダノリカズ
キンクリ
「いてて」
聞く者などいないワンルームマンションの自室のベッドの上で、オレはうめき声を上げた。『大丈夫?』なんて気遣ってくれる存在が近くにいなくったって、人は痛みに声をあげるのだな、なんてどうでもいい事を思う。
今日の昼間、しこたま汗をかきながら、オレはいつもの道と知らない道をジョグ&ランしていた。気の向くままに駆け上がった丘の上の神社からの景色があまりにもキレイだったものだから、オレはその風景の空にダイブしてみたいと思ってしまって、坂というよりは崖であった神社の敷地の端から助走をつけて思いっきり跳んだんだ。そしたら、思いのほか跳べてしまって、そして、思いのほか踏み込み点と着地点の高低差が大きかった。スローモーションで流れて行く景色の中で『マジで? めっちゃ高いやん。こんなん、キレイな着地なんて無理やん。下はでっこぼこの土の斜面やし』と思いながらオレは落下していき、どうにか捻挫と骨折を免れる着地をして、でも、自由落下でついてしまった勢いはどうにもできずに木の根と草と石ころまみれの土の斜面を転がった。どう転がったのかはオレ自身には分からないが、おそらくは頭を守るような格好をしてゴロゴロと転がったんだろう。そして大きな岩にドンとぶつかって止まった。
身体中が痛いが、その岩にぶつけた左肩がとにかく痛い。そこそこの出血もあったし、骨でも折れていたら大変だ。明日、病院に行こうか。
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「よぉ、まだ痛むトコはあるか?」
朝起きて、左肩を鏡に映して見てみると、そこには嘆きとも叫びともとれる表情の小さな顔があった。その顔がオレに話しかけてきた。
「うぉっ!なんだ、なんだ、なんなんだ!」オレは思わず大きな声をあげる。
「なんだと聞かれても、ワシも返答に困るが……。どうやら、憑りついたという表現が丁度ええらしい。ま、よろしくな」
「は?なんだそれ!」
「ワシも長くフラフラと成仏出来ずに彷徨っとったが、こんな事は初めてなんや。説明なんて出来るか」
「れ、霊なん?幽霊?浮遊霊とかいうやつなん?」
「さあ。たぶん、そうなんやろ。ワシは今んトコ、『この浮遊霊め、除霊してやる!』なんて言われた事もないし、他の幽霊はなんかぼんやりしてたり、鬼みたいな形相をしていたりで、話が出来た事もないしな。ワシ自身がなんなのか、良く分かっておらん」
オレは左肩のソイツのその話が終わるのも待たずにキッチンへ行き、塩の瓶を取ってきて、再度狭いユニットバスに戻って鏡の中の左肩に塩を振りかけ、ゴシゴシと擦る。
「待て待て待て待て。自分、アレやな。人の話を聞かへん子やな。それに食卓塩て。アカン!アカンで!痛い痛い痛い!」
「お?効いてる?出ていけ!
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちぃな、兄ちゃん。塩はアカンて。そんな塩で成仏できるとはまるで思えへんけど、兄ちゃん、自分かて、目ぇに塩を擦りつけられたら痛いやろがい!そんなんしたらアカン!」
「塩がアカンのやったら、今度は酢や!酢!」
オレはもう一度キッチンに行って酢を持って来て左肩にドボドボとかけた。狭いユニットバスに
「酢ぅて。酢が除霊に効くとか聞いた事あんのか?ほんで、痛い痛い痛い!」
「痛いいうことは効いてんねやろ?ほら
「せやから、ちょっと待てって、兄ちゃん。ワシには眼球がないみたいやねんけど、目ぇに塩とか酢とかをねじ込まれてるって感じが痛いねん、しんどいねん。とりあえず、そういうの、やめてくれ。たぶん、それは痛いような気になるだけで、徐霊には効かへん感じや。無駄に痛い気がするだけやし、ちょっと、マジでやめてくれ」
左肩のその主張を聞いて、オレは塩や酢を刷り込むのを止めて、マジマジと鏡の中の自分の左肩を見てみた。なるほど、確かに眼球と呼べるものはそこにはなく、鼻も口も体内の奥へ繋がるような穴ではなさそうだ。昨日の傷は塞がっていて、その代わりに表れたこの顔は、
「オマエ、なんなんだよ。気持ち悪い。出てけよ。どうやったら出ていくんだよ。ほんで、良く見りゃ目も鼻も口もそれっぽいカタチをしているだけで表面はオレの身体の肌……皮膚やんけ。黒目はあらへんし、その目、開けてんのか?閉じてんのか?口元はさっきからウニョウニョと微妙に動いとるけど、どうやって声出してんねん」
「そんなん知るか。ワシかて、気ぃ付いたらこうなっとったってだけやからな。それにこんなん初めての事やし。ワシの方が説明して
「マジかよ。なんやねん、オマエ。どないせえっちゅうねん」
今日のシフトは午後三時の仕込みからか。バイト先の居酒屋に休みの連絡を入れようかどうか迷う。肩が人目に触れるような服を着る訳じゃないし、問題がないと思えない事もないのだが……。
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本来は建物のガレージスペースであったであろう開口部の上部、モルタルで包まれた
除霊師 天地輪寧
ジョギング中に見かけたこの馬鹿馬鹿しい表札を、こんな風に見上げる日が来るとは思っていなかった。『表札で除霊師を堂々と名乗るもんなのか?こんな怪しさ満開のこんな家に、『除霊お願いしまーっす』って入って行くものなのか?』と思っていたオレは過去のオレだ。今のオレは『頼むから左肩のコレをなんとかして欲しい』という思いでここに立っている。
「なぁ、マジで、こんな見るからに怪しいトコに入るのかよ」と、左肩が呟く。
「うるさい、黙れ!」と、オレが小さな声で一喝すると、オレの傍を歩いていた若い女がビクッと身体を反応させて、オレの顔を怪訝な目で見ながら通り過ぎて行った。
「ピリピリしとんなぁ、兄ちゃん。ま、ここへ入るのは好きにしたらええけど、本物の除霊師じゃないのに請求額だけは超一流ってのがいそうな世界やしな。その辺は気ぃつけるんやで。……って、本物の除霊師ってなんやねん。そんなもんおるんか?」
「塩も酢ぅもアカンかったけど、色々と試さなしゃーないやんけ。色々と試していく中で気持ち良ぉなって、成仏って事になったら、オマエも嬉しい、オレも嬉しいってもんやろ。まぁ、ダメモトで行ってみるわ。まぁ、料金がどんなものなのかはコワイけど」
オレはその、元々はガレージだったであろう開口部に取り付けられたビニール製のボロボロのジャバラのカーテンを開けて中に一歩進む。薄暗いガレージ空間にはゴミやゴミではないものや、その中間くらいのものといった生活感を感じさせるものがゴチャッと積まれている。そのゴミの山の横に、勝手口といった素っ気ない扉があり、その扉の横にも【天地輪寧】と書かれた表札がある。
「すいませーん。除霊して欲しいんですけどー」
オレは、なんともマヌケで現実感の乏しい言葉を口にした。「なにやってんだ、オレ」と一言呟いて、扉の向こうから何の反応も聞こえてこない事を確認して、オレは今度は扉を大きめにノックしながら言った。
「すいませーん。除霊してくださーい!」と。
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「キミねぇ。こういう場所は、基本的に飛び込みでくるもんじゃないの。事前に電話かなにかで連絡をしてから、来てもらったり、私が赴いたりするものなの」
呆れとも怒りともつかない口調でそう言ってくるのは白装束に身を包んだ中年女性だ。オレの前に座っている。オレ達は仏間の畳の上に向かい合って座っている。
「はぁ。すみません」
この女がこう言うのも無理はない。オレが扉をノックして出て来た時の『はいはーい。今、行きまーす。ちょっと待ってねー』という声と、主婦然としていたこの女の恰好は現在の白装束とはかけ離れていて、除霊して欲しいとの旨を伝えたその時から二十分程待たされたその理由は、彼女の着替えとメイクアップとキャラづくりだったのだろうから。
「で?なんなの。除霊して欲しいって。どこの、誰の、何を除霊して欲しいって話な訳?」憮然とした態度で女……天地輪寧はオレに言う。
「えっと、分かりませんか?オレの……」正座した自分の膝をさすりながらオレが言いかけると、「分かっています。あなたの、その膝に憑いた悪霊を滅すればいいのでしょう?」と天地は言葉を遮って言ってきた。ダメだこの女、ホンモノからは程遠い。
オレは半ば呆れかえりながらも、『もしかしたら、除霊業界に流通している特殊な道具なりなんなりは、使用者がニセモノでも効果を発するとか、そういう事があるかも知れない』と考え、無理やりに一縷の望みを保とうとした。
「いえ。違います。肩です。左肩です」
「あ、あぁ。そう、そういうことね。左肩のその邪気が腕を伝ってその
と言う天地の目線は明らかにオレの右肩に向いている。アンタから見て左じゃない。オレ自身の左だ。オレはだんだんバカらしくなってきて、Tシャツの袖をまくって、左肩の人面瘡を天地に向けた。天地の目線がオレの右肩から左肩へ滑るように動く。
「あら、怪我をしたの?酷い傷ね。で、この傷に、良からぬモノが憑いている、と」
「えぇ、まぁ、そんなところです」
「おいおい、大丈夫か、この女、明らかにニセモンやろ。時間の無駄じゃね?」と、人面瘡が唐突に声をあげる。
「コラッ!シー!黙ってろ!」オレは左肩に向かって小さく声を荒げる。
「なんなの?急に乱暴に黙ってろだなんて。全く、失礼で変な子ね」天地は怪訝な表情でオレに言う。
「あれ?もしかして、聞こえてませんか?この左肩の人面瘡の声」そう、オレが言うと、天地は一瞬黙りこみ、すぐさま「あ、あぁ。じんめんそう……、その人面瘡が喋っているのね。どうやら私とは波長がズレてるみたいで声はちょっと聞き取りにくいけど、ふんふん、なるほど。ここに悪霊が取り憑いているのね?」と言いながら、オレに近づいてきてまじまじと左肩を眺め始めた。この天地という女は、やること全てが胡散臭い。
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「では、どうしましょう? その傷自体をキレイに治すのはお医者さんの仕事ですけど、そこに取り憑いている悪霊を祓うのは私の仕事です。祈祷で祓うのなら五万円、霊験あらたかな清めの水をお持ち帰り頂くなら五千円、今回は何もせずに、お帰り頂く場合は今やっている霊視と相談料で三千円となりますが……」
天地はオレを値踏みするような目で見ながら、料金体系を説明してきた。『三千円以上は置いて帰れ』と、そういうことか。
「じゃ、じゃあ、水をもらって帰ります」オレは心の中で涙を流しながらそう言った。今日もバイトを休んでいる場合じゃなくなった。左肩がこんな非常事態なのに。金銭的な非常事態は、霊的な非常事態を圧倒するのだな。
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所帯じみ感満載の除霊師の家から出ると、すぐに左肩の人面瘡が口を開いた。
「ほらな、だから言うたやろ? ニセモンに五千円も寄付しやがって。アホやな、兄ちゃん」
「うるさい!黙れ、キンクリ!」
「なんや、キンクリて」
「オマエの顔はキングクリムゾンのファーストアルバムのジャケットの絵に似てるんだよ!」
「それがどんな顔なのかワシは知らないけど、ソイツはオトコマエなんだろうな」
「知るか!ボケ!」
さて、バイトのシフト時間まであと四時間。どうしたものか。
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凹んでいてもしょうがない。今度は昨日のあの神社に行ってみよう。キンクリが憑りつく事になった左肩のケガをこしらえたあの神社だ。
「兄ちゃん、兄ちゃん、何処へ向かってんねんな」
「うるさいな。どこへ向かおうが、オレの勝手やろ」
「そんなすげない事言いなや。ワシらは同じ肉体を共有する同士やないか。手足の無いオレに、もう少し優しくしてもええんやない? オレには手足が無いからオレの行き先は兄ちゃん、あんたに一任してるようなもんやし」
「ほんま、うるさいな。さっき五千円で買った霊験あらたかな、このペットボトルに入った清めの水でオマエを洗い流すにふさわしい場所に向かってるに決まってるやろ!」
キンクリの声はどうやら他人には聞こえないのだと分かったから(そこんとこは、ポンコツ除霊師で良かった)、オレはひそひそ声でキンクリに返答する。
「ペットボトルの水なぁ、それ、スーパーとかで買ったら五十円くらいなんとちゃう? 百倍の値ぇかー。エグイ商売やな、あのババア」
「うぐっ」キンクリの的確な指摘にオレは言葉を無くす。そして、オレの居酒屋バイトの時給九百六十五円を思い出す。このただの水500
「せやけど、五万円の祈祷はもっての外やし、得るもんゼロで三千円置いて帰るのもけったくそ悪いもんな。水を買うという選択肢しか選べへんかったよな。分かる、分かるよ」オレの気持ちを察してか、キンクリが同情とも納得とも言えない声をオレにかける。
「どう考えても、この水を売る方が、あのババアは潤うねんけどな。くっそー、そう考えたら余計と腹が立ってきた!」
まるっぽテキトーな嘘バナシで三千円、原価五十円のミネラルウォーターで五千円。経済学的な見地だとどうなるのかは知らないが、あのババアは絶対にこのミネラルウォーターを昼下がりなんかにがぶ飲みしてるに違いない。ならば、この原価五十円は限りなくゼロに近い仕入れ値になる。くっそー、成果ゼロに対して三千円を払ういう選択をすべきだったか。安物買いの銭失い、という事になるんじゃないか、今回のオレの失態も。
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ガランガランと紅白の垂れ布の先の大きな鈴を鳴らす。二礼して二度
境内の隅の方には打ち捨てられたような、昔の看板ベンチがあった。書かれた文字も掠れて消えかかっているが、どうやら【木下薬局】と書いてあるようだ。この薬局が今も営業しているのかどうかは分かりようもないけど。オレはそこに座り、昨日ダイブした崖の方を見ながら、ペットボトルの蓋を開ける。そしてそのまま口に持って行こうとしたところを「オイオイオイオイ、飲むんかい!」とキンクリに言われてハッと動きを止める。
「あぁ、せやった。暑さと蝉の声のうるささで朦朧としとったわ」そう言いながら、オレはキンクリにペットボトルの中の水をかける。
「あーーー。きもっちええわぁ。夏にはそうやね。水浴びが一番。この清涼感が何とも言えへんわー、って、おいっ!だらだら水かけるだけかい!なんか、『悪霊退散!』的な言葉なり行動なりをせえへんのかい!」
「なんか、もう、どうでも良くなってきた。暑いし、うるさいし、この後バイトやし。あー、めんどくさいなぁ、もう」そう言って、オレは半分程残っているペットボトルの水を口に含む。
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「あのう、すみません。失礼ですが、なにかお困りごとですか?」ワシャワシャとうるさい蝉の声の中に、涼やかな女性の声がする。オレは両ひざの上に両肘を置いて首を落として地面にやっていた目を、声の方へと向けた。すると、そこには美しい女が巫女の衣装を纏って立っていた。手には竹ぼうき。おそらくは後方で一つにまとめた長い髪のおくれ毛が傾げた顔の横に垂直に垂れている。
「え、あぁ。はい……」オレは力のない声で応える。
「なんなんですか?その左肩」女は怪訝な表情でオレの左肩を凝視している。
『あ、マズい!この暑さで知らずに袖をまくっていたか?』とオレはキンクリが憑いている左肩にハッと目をやる、が、袖はまくられていなかった。座っているオレを立って見下ろすこの巫女の女からは、キンクリが見えているハズはない。それに気づいて、オレはゆっくりと巫女の女の顔に目線を上げる。
「え?なんで、分かるの?」
目を見開いて、脊髄反射的に考え無しにオレはそう言っていた。もしかしたら、声のトーンはいつもより一オクターブくらい高かったかも知れない。
『今日のみずがめ座は一日中発言がマヌケな感じになりがち。気を付けましょう』なんて事を朝の占いで言っていたっけ? いや、そんな事はなかったハズだ。
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「はぁ。そうなんですか。バカなんですね」
いつの間にかオレの横に座っていた巫女は、淡々とそう言った。キンクリが左肩に憑いた顛末や、そのキッカケとなった崖からのダイブをオレが話した後で、そう言った。
「そうなんだよ、バカなんだよ、コイツ。ひゃひゃひゃひゃ」キンクリも調子に乗って高笑いをキメる。どうやら、オレ以外の人間に自分の声が届くのが嬉しくてハイになっているようだ。
「でも、キンクリさん。そんな遠藤さんの生き様に惹かれて憑りついたんじゃないですか?」綺麗な巫女の涼やかな声で名を呼ばれるのはいい。とても、いい。フリーターとは言え、親切に声をかけてくれた美女に名乗るくらいの分別はあるオレでよかった。この美女な巫女は
「まー。それはそうなんだがよ。ワシは死んでからフラフラとしている間にな、生きている人間のオモロ度……、んんっ、いや、人生の幸福度みたいなものが色で見えるようになってな」
「今、オモロ度って
「へぇ、色で見えるんですか。それは興味深いですね。どんな人がどんな風に、どんな色を見せているんですか?」幸さんはキンクリに話を促す。
「まー、なんて言うんやろな。その人の輪郭をそのままに同心円が広がっていく感じの波のようなモノが見えるねん。ボワボワボワと。大抵のサラリーマンはそれの色が黒かったり灰色やったりするねん。で、そういうヤツらはなんかおもろくなさそうやねん、人生が。ほんで、楽しそうな奴はそのボワボワが明るい色やねん。オレンジとか黄色とか」
「オーラ、みたいなものでしょうか。面白いですね」
「ほんで、たまたま昨日見かけたこの兄ちゃんは、そのボワボワが虹色しててん。せやし、『なんや珍しい、めっちゃオモロそうなヤツやん。後をつけたろ』
「うわー。そうだったんですねー!」幸さんはキンクリの話を心の底から楽しそうに聞いている。
「へ、へぇ。そ、そうやったんやー」自分でも見本のような生返事だと思いながら、オレはキンクリの話に相槌を打つ。
「ちなみに、キンクリさんから私の周りのボワボワは何色に見えているんですか?」幸さんは興味津々といった体で聞いてくる。
「それがなぁ、ねえちゃん。コイツの身体に入り込んでから、それが全く見えへんようになったんや。さっきのインチキ除霊師の色は是非とも見たかったんやけどな」
「インチキ除霊師!なんですか、それ!」幸さんはキンクリの話に再び食いついてきた。オレは微妙な疎外感を覚えつつ、それと、バイトの時間を気にしながら話に割って入る。「っと、話は尽きない感じになっていますけども。オレはこの後、バイトがあるんですよ。で、幸さん。単刀直入に聞きますけど、幸さんはオレのこの肩からキンクリを引きはがす事ができたりするんですか?」
「んー」幸さんは右手の人差し指を唇に当てながら空を見上げて何かを考えるようなしぐさを見せた後に、「無理、ですね」と言った。
「マジかー。ムリなんかー」オレはまた、肩と首を落とす。
「えっとね、遠藤さんはどうやら、死にかけてたところをキンクリさんに救われているんですよね。キンクリさんの言う「オモロそう」はたぶん、「好き」とか「助けたい」みたいな思いに近くて。何がどうなってこうなったのかはよく分かりませんが、今、キンクリさんを無理やり引きはがしたら、遠藤さん、死んじゃうと思うんですよね」と、幸さんは爽やかに、オレの落とした肩と首に上から声を落としてくる。
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「また、お話聞かせてくださーい」手を振って見送ってくれる幸さんに軽く手を上げて、オレは鳥居の下に続く階段を駆け下りる。
「せわしないな。バイトがそんなに大事か?」
「そりゃあもう、大事も大事。今日は五千円という痛い出費があったからな」
「キレイな巫女さんと知り合いになれたんやから、五千円くらいケチケチすんな。あんな美人の巫女さんと出会いたい
「ま、そりゃそうかも知れへんけども。しがないフリーターのオレにはその五千円が現実やからな。五千円足りひんくて泣く泣く諦めたものがぎょうさんあるねん」
「あの除霊師のババアは五十円を五千円にしよったけども、兄ちゃん、あんたはその五千円を五百万どころやない価値に変えたんやで。ゆっくりしいな」
キンクリのその言葉を聞いて、オレは走るのをやめて歩きに移行する。
「あぁ。そもそもは、どうやら、オマエに命を救われてたっぽいもんな。ありがとな」
「わはは。そうそう、兄ちゃん。兄ちゃんはそれくらいに人生を楽しむ感じでいてくれないと困る。虹色バカの兄ちゃんじゃなきゃ、ワシが助けた甲斐が無いってもんよ」
「なんだよ、オーラ、見えなくなったくせに」
「アホやな、兄ちゃん。あの場でバカ正直に『幸さん、あなたのまわりのボワボワは桜色です。恋する直前の乙女の色です』とか
「え!なになに?幸さん、オレに気があるって事?」
「まー、それは追々な。まだその桜色がオマエ由来のものと確定した訳やないしな」
「マジかよ!やったー!すげぇよ、キンクリ!オマエ!……やるなぁ。ありがとな!」
オレはウキウキとした足取りでバイト先へ向かう。もう、多少の遅刻なんてどうでもいい。
「せやけど、もしも、オレが幸さんと仲良くなって、『さぁ、いざ、オトナの関係に!』ってなった時に、オマエがいるのはどうにもなぁ……。オマエ、その前にはちゃんと成仏しておけよな!」
「兄ちゃん、兄ちゃん、それはちょっと酷くないか」
オレとキンクリは二人して大きな笑い声をあげる。
すれ違った見ず知らずの女は怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
キンクリ ハヤシダノリカズ @norikyo
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