第5話 鉄道開業式と井上勝
明治五年九月十二日。
新橋~横浜間の鉄道開業記念式典の日。
この日は素晴らしい秋晴れの空が広がった。
勝は鉄道頭として、式典の企画・演出・進行・会場装飾まですべてを取り仕切った。
まだ二十八歳と若い勝は、イギリスの記念式典などを参考にして、かつ、足りない万国旗の替わりに提灯を吊るすなど工夫をして、開業式の飾りつけを賑やかにした。
この式典以降、提灯が飾られるようになったのは勝が提灯を吊るしたのが発端である。
鉄道開業式典は一度ではなく、二度行われた。
新橋と横浜、両方の駅で催されたのである。
式典当日、勝は身を清めて、新橋駅に入り、明治天皇を迎えた。
明治天皇は直衣姿で、四頭立ての馬車に乗り、新橋駅に入られた。
明治天皇の馬車の後ろには直垂姿の皇族や大臣が続き、参議や諸卿などもその後ろを歩き、かなり立派な行列となった。
式典の様子は当時出来たばかりの新聞の記者や民衆も見に来ていて、鉄道に乗る前のこの行列から既にすごい見物となった。
勝は鉄道頭として、明治天皇を駅に案内し、そして、お召列車の御料車に陪席した。
勝は明治天皇と共に御料車である三号車に乗ったのだが、その後ろの四号車から六号車は大隈重信、西郷隆盛、板垣退助、陸奥宗光、渋沢栄一など錚々たる顔ぶれが並び、七号車には徳川家、毛利家などの元有力大名や琉球の王子が乗車した。
実は明治天皇も仮開業中の鉄道に乗車している。
開業記念式典のちょうど二ヶ月前。
中国地方からの巡幸から帰られた時、急な悪天候に遭い、お召船を横浜港に入港され、そこから馬車で横浜駅に入り、品川まで仮開業中の鉄道に乗車したのだ。
そのため、式典当日は躊躇うことなく、鉄道にお乗りになった。
日比谷練兵場から百一発の祝砲が鳴り、品川沖に停泊中の軍艦から二十一発の祝砲が響き、お召列車は新橋駅を出発した。
そして、横浜駅到着後、午前十一時から横浜駅側で式典が催された。
鉄道開業式典の日は神奈川権令・大江卓の発案で、外国にならい、それぞれの家に日の丸の旗が掲げられた。
以後、国家的な祝い事の際には、家に日の丸の旗が掲げられるようになる。
勝は式典で漆塗りのお盆に載せた鉄道図一巻を献上し、明治天皇はこの横浜の式典で勅語を授けた。
この勅語で、鉄道事業を拡大すること、全国に鉄道を敷設することを望むという言葉が発せられ、鉄道事業は晴れて天皇陛下に認められたものと多くの人々の前で証明された。
鉄道開業の日は、鉄道にとっても勝にとっても、もっとも晴れやかな日であったことだろう。
横浜での式典を終えると、明治天皇は今度は横浜駅から新橋駅に行って、新橋駅で式典を行った。
式典が終わると、夜は浜離宮で祝宴という予定だった。
しかし、鉄道開業と式典準備に頑張ったせいか、勝は式典後に熱を出し、祝賀会には出られなかった。
それでも、明治天皇からは賞詞を賜り、勝の鉄道開業までの努力は大いに報われた。
「職掌は唯クロカネの道作に候」
そう周囲に語っていた勝は、その後の人生をすべて鉄道に捧げる。
関西の鉄道開業の陣頭指揮、東海道線の開通、機関車の国産化など勝の人生は日本の鉄道の歴史そのものである。
鉄道を愛した勝は、死後も鉄道を見守るように、東海道本線と東海道新幹線に挟まれた品川の地に今も眠っている。(終)
鉄道の父・井上勝 井上みなと @inoueminato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます