第4話 大久保利通の初乗車
大久保利通は西郷隆盛に並ぶ、薩摩の実力者である。
維新三傑は西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通と言われるが、木戸は長州の人であり、大久保、西郷は薩摩の二強という立場だった。
明治四年九月二十日。
後に『岩倉使節団』と呼ばれる洋行の予定が決まった大久保は、鉄道に乗るため馬車で横浜へ向かった。
今の時代から考えると、わざわざ鉄道を乗るためだけに出かけるというのは奇異に見えるかもしれないが、周到な大久保は洋行先で鉄道に乗る時に醜態を晒さぬよう、練習をしておこうと考えたのだろう。
大久保は高島屋に一泊し、翌日、外国人の営業する店などを見学して、横浜駅から鉄道に乗り込んだ。
「ふむ……」
物珍しそうに鉄道に乗り込んだ大久保は、鉄道が走り出すと、飛ぶような景色に目の色を変えた。
「これは……これは愉快だ!」
普段は表情の崩れない、冷静な大久保の口元から笑みがこぼれる。
駕籠や馬車とまったく違う鉄道のスピードと力強さが大久保の心を掴んだのだ。
横浜から川崎まで鉄道で三十分。
たった三十分の乗車で大久保の考えは百八十度変わった。
「鉄道が発展すれば、必ずや我が国が発展する」
大久保は鉄道初乗車後、鉄道を讃える鉄道推進派になった。
「百聞は一見に如かずとはまさにあのことだ」
普段は一行だけのこともある日記に、鉄道の初乗車が愉快だったことをわざわざ書き残すほど、大久保にとってインパクトのある体験だった。
驚いたのは薩摩派である。
これまで西郷・大久保の二人が共に鉄道に反対していたのに、いきなり大久保が鉄道推進派に回ってしまったのだ。
逆に勢いづいたのが、伊藤や大隈たちだった。
「すごいな、勝。鉄道に乗ったら、本当に大久保さんの意見が変わったよ!」
褒めそやす伊藤に勝は首を振った。
「俺の力じゃない。鉄道の力だ。鉄道に乗ってみれば、その価値も魅力もわかるんだ」
一枚岩だった薩摩派が割れ、鉄道推進派は勢いづいた。
遅れていた新橋~品川間の工事は、鉄道反対派が明け渡そうとしない兵部省の土地や薩摩藩邸を通らず、高輪海岸の沖に築堤を作ることで進められた。
反対をやめようとしない人々を見て、大隈重信がこう決めたのだ。
「それならば陸蒸気を海に通せばいい」
横浜側も築堤工事をしたのだから、東京側が出来ない道理はない。
しかし、東京側の築堤は、横浜側の二倍必要で、漁師への補償も必要となり、追加工事をするなど、ただでさえ遅れていた工事がさらに遅れた。
先に仮開業した品川~横浜間から遅れること四か月。
明治五年九月九日の開業式に間に合うよう、なんとか新橋~品川間も完成した。
しかし、九日は暴風雨となってしまったため、開業式は延期となり、九月十二日に式典が行われることとなった。
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