白の境に舞う金烏。

新巻へもん

真定国の調停者

「姉上」

「なんだ真真」

 怜悧な目をした背の高い女が背の低い女に返事をする。赤の他人が見れば、話しかけて来るなぶっ殺すぞという顔をしていた。

 しかし、この冷たい表情をしている嫦娥は、常にこんな顔なので特に悪意は無い。

 話しかけた真真も怯えることなく質問を再開する。

「私たち、これから調査に出かけるのですよね? 場合によっては戦いに巻き込まれるかもしれないのでしょう?」

「そうだ。それが我ら調停者の役目だ」

「ではなぜにこんな格好をしているのでしょう?」

 嫦娥、真真ともにかなり際どい格好をしていた。長い脚は網状のものが覆っているが荒い網目からは素肌が当然見えている。布地が胴の部分は隠しているものの必要最低限の部分でしかない。股の部分の角度は鋭角もいいところだった。そして胸の部分には白い綿状の飾りが膨らみを強調している。

 そして頭には兎の耳を模した飾りがあった。


 諸兄ならよくご存じのバニーガールスタイル。ちなみに筆者は実物は見たことが無いんですよ。

 それはさておき。


 三人のうら若き女性がそんな衣装で空中を闊歩していた。

 嫦娥はやや後ろに位置する三人目の飛燕を振り返る。

「説明していないのか?」

「仕方ないじゃないですか。緊急出動ってことでそんな暇も無かったし」

 嫦娥は首を振った。手元にいたのが見習い期間を終えたばかりの真真と諸事適当な飛燕しか居なかったのが悔やまれる。

「これが我ら調停者の正装だ」

「ふえええ。こんな破廉恥な格好でお姉さま方は普段から任務についているのですか?」

「金烏が動くべき時に動かぬ。非常事態だからな。念のため正装したのだ。少しも恥ずかしがることは無い」


 金烏は繁栄の象徴であり、金烏が領内に留まるときは五穀豊穣が約束されている。そのため、かつては金烏を巡って激しい戦いが行われた。

 共倒れで滅びそうになった反省から、今では世界の中心に位置する真定国の四周に広がる各国を一年ごとに巡ることになっている。

 三百年もの昔の大戦を止めたのが異世界から来た初代の調停者であった。異世界にあるガールズバーで働いているときに滑って転んでやってきたということは、この世界の人々は知らない。その初代の力を受けつぐ者が歴代の調停者として金烏の移動を監視することになっている。

 本来ならば秋麗国に移動しなければならないこの時期にまだ金烏は夏寧国に留まっていた。これは異常事態であり、このまま放置すれば再び世界規模の戦いが起こりかねない。憂慮した真定国王の命により嫦娥が出向くことになった。

 

「ちょっとどころか、かなり恥ずかしいんですが」

「気にするな。慣れればどうということは無い」

「無理ですう」

 真真は内またになって恥ずかしそうにする。

「私たちと一緒にいれば大丈夫よ。誰も真真なんて見ないから」

 豊満な体つきの嫦娥とほっそりと手足の長い飛燕は大人の女性としての魅力にあふれていた。その一方で真真はまだ背も低く言うなれば幼児体型である。

「なんか、それはそれで傷つきます」

 嫦娥は言い合いをする二人を制した。

 低い山の頂に真新しい社殿が建っているのが見えてくる。夏寧国が昨年に金烏を迎えるために建立したものだった。

 四隅に柱を立ててあるが、壁は三方にしかない。迎え入れる北東の方角は欠けていた。また残りの三方も壁の高さは屋根まで及んでおらず自由に行き来できるようになっている。

 金烏の仮宮だった。

 四年に一回新築しては翌年に除却する。そういう決まりごとになっているが今年はうっかり忘れたのか、暦の上で秋になってもまだ建ったままだった。

 金烏は社殿がある限り移動しようとはしない。

 嫦娥たちが近づくと現に社殿から金色の光が漏れているのが分かった。社殿の周りを全身赤づくめの者が百名ほどで囲んでいるのも確認する。

「どうやら過失ではなく故意のようだ。気を抜くなよ」

「はいっ」

「ふわーい」

 嫦娥は社殿の北西側に着地した。その左右を真真と飛燕が固める。

 赤づくめの者の中から一人が進み出た。鳥を模した面をつけている。

「これは調停者どの。夏寧国によくお出でくださいました」

「挨拶はいい。なぜ社殿を壊しておらぬ。盟約を破棄されるつもりか?」

「金烏さまはこの地が気に入られたご様子。我らはその意志を尊重しているにすぎませぬよ」

「ほう。そなた達は金烏の考えていることが分かるというのか?」

「心を込めてお仕えしていれば、その仕草などからある程度は推し量れます」

「この際、金烏の意向など関係ない。直ちに社殿を破壊せよ。今なら過ちということにしておいてやる」

「たった三人で我ら朱雀兵百を相手になさるというのか。しかも、身に寸鉄も帯びず、そのような肌も露わな格好で」

「分かっておらぬのはそなたの方だ」

 自信満々に見下され、部下に命令する。

「捕らえよ」

 手柄を焦ったのか、一番邪な気持ちが強かったのか、最初の男が嫦娥を抱きしめようとして失敗する。

 見えない壁に邪魔されているかのようにどうしても触れることができなかった。

「どけっ!」

 別の者が剣を抜きはらい斬りかかる。しかし、結果は同じだった。

 ありとあらゆる武器のみならず、仙術を使っての攻撃も通らない。

 それは嫦娥のみならず、真真や飛燕も同じだった。

「ふええ」

「あー、だる」

 息を切らして朱雀兵たちはその場に倒れ込んだ。

「ば、馬鹿なっ。一人で常人百人を倒すという我らが、なぜこんな小娘ごときに!」

 嫦娥は鼻で笑う。

「我ら調停者は戦士ではない。しかし、我々への攻撃はすべて無効化される。少なくとも人によるものはな」

 嫦娥は真真や飛燕を従えて、社殿の壁に近づいた。

 少しずつ離れて壁に右手を当てる。

「裂!」

 壁に無数の亀裂が走った。

「断!」

「破!」

 もうもうと煙をあげて社殿は崩れ落ちる。

 その中から金烏が迷惑そうにしながらも飛び立ち、北西の空へ向かって羽ばたいた。

「この責め、いずれ問わせていただく」

 言い捨てると嫦娥は地を蹴った。

「お姉さま、待ってぇ」

「ちょ、まだ働くの?」

 真真や飛燕が追いついてくるのを待ってから、嫦娥は金烏の姿を追う。

「お姉さま。やっぱり、この格好厳しいです」

 真真が泣き言をいった。

「何事も無かったのは、この正装のお陰なのだからな」

「え? そうなんですか?」

「嫦娥さま。その言い方じゃ誤解しますよ。正しくは嫦娥さまの力がこの衣装のお陰で私たちにも及んだってことですよね?」

「そうとも言う」

「それじゃあ、私ついて来る意味無かったんじゃ? お姉さま一人で十分だったでしょ?」

「何を言う。それでは私一人の姿が目に焼き付いてしまうではないか。汚らわしい」

 巻き添えにされただけということを知って嘆く真真に飛燕が投げやりに慰める。

「誰も寄ってこないよりはいいじゃない。あ、金烏が秋麗国に入りましたね」

 白虎を崇める秋麗国の国境には白い旗がへんぽんと翻っている。

「では戻ろうか。秋麗国の者達へこの姿を晒すことは無いだろう」

 相変わらず表情の乏しい嫦娥だったが、声には僅かに安堵の響きがあった。

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