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@3sugi

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 駐馬場に馬を停め、斜め掛けの革袋を揺らし石畳の上を駆ける。正方形に限りなく近いそれは、少年の一足につき二マス半後ろへ下がっていく。いくつかの寄り道をした後、小高い丘の上にあるレンガ造りの施設までやってきた。珍しい鉄の扉に、これまた珍しく呼び出し用のベルがついている。二度鳴らし暫く待つと白衣を着た女性が現れた。少年は踵を鳴らし、背筋を伸ばす。

「王立郵便です。荷物を届けに来ました!」


 ― ― ―


「まさかアイチさんがいらっしゃるとは思いませんでしたよ。さすが王立研究所だ」

「そんな、大袈裟ですよ」とアイチは革袋を胸の前に抱きながら、新米研究者の後を追う。

「そんなことないですよ!」そういう職員の声は力強い。「今年の飛脚王選大会、私見に行ってたんですよ。最年少記録と最速記録更新おめでとうございます!」

 胸元には国王から授与されたバッジがあり、そっけなく礼を口にするアイチはそれを見せるように胸を張っていた。職員からの惜しみない賞賛に気分良く研究所を歩く。所長に手渡しするよういわれた封筒は、気の緩みで少しの皺が入っていた。

 所長室は建物の奥にあるようで、幾つもの曲がり角が過ぎ去った。だからその角を曲がる時も、アイチはまだ曲がるのかくらいの心持ちだった。角から顔を出したアイチの前に忽然と姿を現したのは、反射で顔を顰めるような醜悪な四輪の怪物だった。

「うわっ」とアイチは足をバタつかせて後退する。

「ああ、驚かせてすいません。死体なので動きませんよ」

職員がそういっても、アイチはそれがいつ動かないかと見つめてしまう。前後二つずつの車輪に、ヒトが四人は入れる内部、それを透過するガラス窓、そして前面と後面には二つのライトがある。その下には噛み合わせの悪い牙を顕にし、顎には四桁の数字が描かれた板が張り付けられていた。

「ビークルズを見るのは初めてですか?」

職員の問いにアイチは絞り出すように答えた。

「はい、普通見ませんよね」

アイチは死体とは反対の壁に背をつけながら歩く。

「まあ、研究所ですから」職員はアイチを置いて先へ進む。


 ― ― ―


 受け取った書類を次々と捲る所長を前に、アイチは部屋へ目を泳がせていた。所長の部屋にはビークルズの書籍、解剖図、はく製まで置かれている。それがいつ動き出さないかとアイチは膝を震わせていた。

 届けてすぐ帰るはずだったアイチを理由も言わず引き留めた所長は、トントンと資料を端に寄せると、面接官のようにアイチを見る。

「君はビークルズについてどこまで知っている?」

「昔は人の乗り物だったけど、百年くらい前に人を食べる生き物になったっていう、くらいです」

「それから各国はビークルズが入れないよう壁を築き、閉じこもった。乗り物を失った我々はビークルズに勝てない。各国は孤立した。世界の危機だな」

「そうですね」とアイチは生返事をした。

「幸い通信技術の発展によって国家間の技術や情報の共有は可能となった。そして先日カラスティラン共和国からビークルズの稼働を停止させる技術が確立したと連絡があった。しかしそれはカラスティランだけでは実現できず。それにはここにあるこれが必要だ」

 所長は何かを包んで円柱にまとめた紙袋を机に置いた。

「えと、それはまた重大な計画だ。ぜひ頑張って欲しいですね、世界のために」

「その通り、絶対に遂行せねばならない計画だ。だが乗り物がビークルズに食われれば新たなビークルズを生むだけだ。そこで最も速い者に配達を命ずることとなった」

「え、それってつまり……」

「飛脚王選大会最速記録保持者アイチ・セイル殿。最重要物品のカラスティラン共和国までの配達をお願いする。これは王命であることをご理解頂きたい」


 ― ― ―


 視界一杯に広がる砂岩の海をアイチは馬で駆けていた。思い浮かぶのは所長から聞かされた恐るべき命令だ。死の宣告ともとれるそれをアイチは飲むしかなかった。ただし王命であることはアイチにとって重要ではなかった。彼が人ひとりいない荒野を走ると決めたのは、偏に車椅子に乗る唯一の肉親のためだった。いつ再び謀反が起こるかは誰にも予想できず、車を作ることすら憚られる世の中で、例外とされているのが車椅子だ。障がいのあるアイチの妹にとって車椅子はいわば半身だ。だが世間は妹に優しくない。人喰いなどと謗られる日常をアイチは看過できなかった。国家間の移動が可能になれば妹を医療大国に連れて行けるかもしれない。ビークルズが消えれば要らぬ謗りを受ける事がなくなるかもしれない。親友に妹を預け、アイチは確固たる意志を持って外へと出発したのだった。

 しかし、そんな記憶も目の前の脅威の前では走馬灯のようなものだった。車輪を前後に取り付けた鉄の馬は、一つ目のライトを暴力的に輝かせ、ブゥンブゥンと唸り声を上げてアイチの背を追っていた。出立して二日半で命の危機に瀕している。ここまでは隠れてやり過ごしてきたが、こうなった以上馬よりも早いビークルズから逃れる術はなかった。事実、二輪のビークルズと馬との距離は徐々に狭まっている。

 遂にビークルズは馬に食いついた。後ろへ引っ張られ急停止したことによってアイチは前方へと投げ出される。瞼を覆う砂を払うと、鋼鉄の体で馬を抑えつけ、肉を噛み千切るビークルズの姿があった。深く抉る牙を見て、アイチはまだ無事な腕を掴む。馬の息の根を止めると、ビークルズはライトを鋭く点滅させ、アイチへ走り出す。その牙とアイチの距離が1mもなくなった時、ビークルズの横腹に刃が突き刺さった。怯んだビークルズに飛び掛かるのは砂色の迷彩服と、機械の下半身を太陽に反射させる一人の女性だった。彼女が機械の足先に取り付けた刃でビークルズを一閃すると、それは倒れ動かなくなった。

 あまりの急展開にアイチの頭の歯車は噛み合いを失う。彼女はビークルズの一部を剥ぎ取ると、歩き出してしまった。

「ちょっと待って!」

アイチはビークルズに恐怖の一瞥を投げ、女性を追いかける。

「ついてくるな」

 声は喉仏を抑えたように低めで、砂のせいか掠れていた。

「壁の外にも人がいるの⁉どうやって生きてる⁉その武器は――」

 アイチが開いた三度目の口の前には、先ほど鋼鉄を切り裂いた刃が添えられる。切り口を直線に切り揃えられた彼女の茶髪がふわっと跳ねた。

「私以外に人はいない」彼女は足を下す。「わかったらついてくるな、犯罪者」

「わ、わかった」アイチは知らぬ間に上がっていた両手を下しホッと息を吐くと、眉を顰める。「犯罪者って何⁉」

「壁の外にいるのは犯罪で追い出された者だけだと聞いた。見るのは初めてだが」

「待って僕はただ他の国を目指してるだけで――」

「追い出されたからだろう」

「違うよ!」

 アイチは無事だった背負い袋を前に持ってくると中を開く。アイチに構わず再び歩き始めた彼女を追いながら、紙袋を取り出した。

「これを届けてほしいっていわれたんだ。これがあればビークルズがこの世から消えるんだって」

彼女はアイチの手を一瞥すると、切れるような目がより鋭さを増す。

「どうやってだ?」

「どうやって?」

「それをどう使えばビークルズは消せる?そもそもそれはなんだ?」

その一言にアイチは動きを停止し、紙袋に目を向ける。

「ビークルズを消すのに必要な部品?」

「何も知らないで運んでいるのか?」

「だって僕はただの配達人だし」

「見せろ」

 彼女にそう言われ、アイチは紙を剥がす。白い緩衝材の中には、丸い鉱石が浮かぶ、青い液体に満たされた容器が入っていた。

「ヘルメニウムか!」

驚きを抑えた声と共に彼女は足を止めた。

「知ってるの?」

「曾祖父の文献で見たことがある。当時の科学技術ではその性質を解明できなかった未知の希少鉱石と書かれていたが」

 彼女は取り留めのない言葉を幾つか溢すと、アイチへ視線を移す。

「お前が配達人だと信じよう。そこで提案だ。壁外で生きる術を教える代わりに、とあるビークルズを殺す手伝いをしろ」


 ― ― ―


 アイチが足を振りぬき終えたところで、足先の刃がヘロヘロと落ちる。

「射出が遅い。動きに合わせないと前には飛ばないぞ」

 エーと名乗った彼女がぶれの生じる速さで足を振ると、アイチの隣の木に刃が刺さった。

 二人が出会ってから二日が経過した。それからずっとアイチは、彼女がトレインと呼ぶビークルズ討伐のためのこの装置の練習をしているのだ。これはフットと呼ばれ、エーがビークルズの遺体から自作した物だと彼女は語った。ビークルズを殺し、部品を剥ぎ取り、フットを改造してまたビークルズを殺す。エーはそうして生きてきたらしく、その結晶をアイチは借りているのだ。腰から足先まで包む機械の下半身には、刃の射出以外にも攻撃や逃走用のカラクリを仕込めるようになっており、組み替えることで様々な状況に対応できるそうだ。

「フットを使いこなせなければ足手まといだ。その国一番だとかいう足で囮になってもらうからな」というのは指導の最初にエーが宣った言葉だ。誰よりも早く馬に乗り、川を泳ぎ、地面を走って最速の称号を得たアイチではあったが、ビークルズを華麗に屠るエーが人手を欲するほどに警戒するビークルズから逃げ切れるとは思えなかった。しかし人を蹴ったこともないアイチが何度練習しても、彼女と同じ結果は得られなかった。

「ビークルズ狩りに行こう。死の危険を感じれば何とかなるだろう」

「横暴な!」とアイチが悲鳴をあげるも、エーは歩き始める。

「悠長なことを言っていたら荷物を届ける前に死ぬぞ」

 エーが拠点としている林を出ると、見慣れた砂岩が広がっている。程なくして車輪一つのビークルズを発見した。車輪の上部についた三角形には歯茎をむき出しにした獰猛な口がついていた。

「ユニか。初陣には丁度いい」

 アイチがその言葉に反応を示すよりも先に、エーは足を振る。先端から射出された白い玉はユニという一輪のビークルズの傍まで飛ぶと、キーンと甲高い音を発する。音の発生源、ひいてはその先を向いたユニは、餌を求める魚のように口を開閉させて、両手で耳を抑えていたアイチへと走りこんできた。

「すれ違いざまに口と車輪の間を斬れ。それで倒せる」

「そんな急に言われても!」

 アイチはユニを正面から見る。開かれた口の奥は金属的にも有機物的にも見え、その不気味さがアイチの不安を駆り立てる。

「おい、どこに行くつもりだ」

 エーの声を認識した時には、アイチは既に逃げ始めていた。だが恐怖により無意識下で逃走を選んだ体とは裏腹に、アイチの頭は冷静にエーの言葉を反芻していた。馬が殺された現状では、エーの言う通りこの配達の最後は死となる可能性が最も高かった。ユニの速度はアイチよりも少し速い程度。徐々に近づいてくる牙は何度見ても悍しいものの、慎重にユニとの距離を計る余裕がアイチにはあった。そしてユニが車輪にぐっと重量をかけアイチへ飛び掛かると同時に、アイチは左足を軸に反転。勢いのままに足先についた刃を口と車輪の繋ぎへ蹴り通す。金属的な硬さの表面と、奥にある生物的な柔らかさを瞬時に断ち切り、アイチは前のめりに膝をついた。後ろを向けば、空回りする車輪と未だ開閉している口が地面に倒れていた。

「……やった!倒した!」

 跳ねるように立ち上がると、アイチはエーの顔を見る。その無表情は変わらないが、先程までの張り詰めた雰囲気はなくなっていた。

「もう一度刃を射出してみろ」

 アイチは喜びのあまりに挙げていた両手を下げ、蹴りの構えをとる。そして脚を振りぬくと、刃は真っすぐ射出されていった。

「習うより慣れろだな。さっきより蹴りに躊躇いがない」

「うん、なんか行ける気がしてきた」

 アイチがもう一度右脚を振りぬくと、足裏からワイヤーが射出され近くの岩へと突き刺さった。

「いいね、じゃあこっちは?」

 アイチが三度右脚を振りぬけば、先ほども見た白い玉が射出され大きな音を鳴らした。

「うるっさ!」

「大きな音にはビークルズが寄ってくる。誘導に使えるし、ビークルズ同士をかちあわせるのにも――」

 エーが丁寧に説明をしていると、ブゥンブゥンと低く唸る声が聞こえた。視線を向ければ、そこにはアイチを追いかけ回していた二輪のビークルズがいた。

「モーターか。下がっていろ、そしてよく見ておけ」

 エーは向かってくるモーターに走りこんでいく。そして距離15mというところで、足を振り、音玉をモーターにぶつけた。零距離の爆音にモーターは仰け反り、前車輪を上げる。エーは左足を踏み込むと、足裏で小さな爆発を起こして前方へと跳躍、落下と共にスパイクでモーターのライトを踏み潰した。モーターが動かなくなると、エーは振り返る。

「使いこなせばこういう事もできる。まだスタートラインだ」

「……はい」

 興奮冷め切ったアイチは、ちっぽけだった達成感に不甲斐なさを感じるのだった。


 ― ― ―


「こんな星空見たことないなあ」

 エーが拠点としている林の中心。大きなビークルズの死骸を再利用した機械仕掛けのエーの家の前で、アイチは焚火にあたりながら空を見上げていた。ビークルズの死骸は大きな長方形で、側面には窓が規則的に並んでいた。エーが標的としているトレインの別個体と聞いた時は、これを倒すのかとアイチは膝をつきそうになった。

「いつでも見れるだろ」

「僕の国じゃ見れなかったな。工場の煙が夜も絶えなくてね。よっぽど明るい星じゃないとね」

「そういうものか」と彼女は何かの幼虫を口に運ぶ。それを直視しないようにしながら、アイチはずっと疑問に思っていたことを口にした。

「……君はどうして外で暮らしてるの?」

エーは咀嚼を止めた。

「いやほら、聞いてなかったなと思って」

 気まずい静寂にエーの嚥下音が鳴った。

「曽祖父が科学者だったが、世界を揺るがす大失敗を犯し国を追い出された、らしい」

「世界を揺るがす?」

「ビークルズを作った」

 彼女から躊躇いなく呟かれた一言に、アイチの心臓がきゅうっと息を止めた。

「なぜそんなことをしたのか、どうやってやったのかは知らない。残された文献にもそんなことは書かれていなかったしな」

「つまり、君は……」

「曾祖父が壁の外へ追い出された犯罪者と子を作り、その子がまた犯罪者と子を作り、その果てが私だ。壁の外出身の壁の外育ちさ」

 エーは焚火を見ながら食事を進める。照らされる無表情からは、何も読み取ることはできなかった。


 ― ― ―


 二人の出会いから二週間。二人は夜明けの色が薄れた頃に林の北にある砂漠へとやってきていた。フット以外何も着けず持たずのアイチと比べ、エーは畳まれた帯状の黒い何かを二十束持っていた。二人が砂漠にいる理由はひとえに、トレイン討伐という約束の履行のためだった。エーが持っている黒帯は広げると長さ10mほどまで伸び、その表面にはビークルズの素材で作製した爆弾がいくつも設置されている。最後の一つはアイチがフット練習の際に持ち帰った素材も使用されているが、それ以外はエーの長い年月の賜物だった。

「お前には囮になってもらう」

「え、フットの練習は?」

「あれにもちゃんと意味はあった。しかし結局足が速いやつには囮になってもらうのが良いと思った」

 エーは悪びれもせず、林のほうを指さす。

「私の家がいくつも連結しているのがトレインだ。大きく速い。モーターとは比較にならないほど速い。しかし欠点もある。最高速度まで時間がかかるし、急旋回できない。お前は私のほうへ誘導しろ。トレインに爆弾を踏ませて殺す」

「つまりトレインの近くを回っていればいいのか。そうすれば向こうは僕を捉えるために速度を落とすしかなくなる。速度を上げれば今度は大回りして旋回するし進路が直線的になるからエーが爆弾を設置しやすくなる」

「口で言うほど簡単にはできないだろう。フットの全てを利用して生き延びろ。それができたらカラスティラン共和国への道順や注意すべきビークルズを教えてやるし、フットもくれてやる」

「これも貰っていいの?」

「元々予備だったものだ。それにトレインがいなくなればここらは雑魚ビークルズしかいなくなる」

 エーは寒さから暑さへと移り替わる風を大きく吸い込み、小さく長く吐き出した。


― ― ―


 アイチの体四つは飲み込める巨大な口が、アイチの目前へと迫る。アイチがフットを操作すると、足裏の小さな爆発で跳躍、口の脅威を背中すれすれで躱した。何度目かになるそんな攻防の中、作戦通りに爆破できたのは未だ二回だけだった。表面が焦げた程度のトレインは飽くことなくアイチを追いかけ続けている。

 腰低く砂に紛れるエーは距離をとった所で歯噛みしていた。今の状態が続けば、トレインを殺すより前にアイチが喰われるのは明白だ。多少の爆破は意に介さないトレインと違い、一撃でも食らえばアイチは致命傷だ。誤算となったのはトレインの柔軟性だった。少しでも爆弾が砂から顔を出していれば、器用に体を跳ねさせて躱された。迷彩服を着ているエーの存在は悟られていないが、何の拍子に看破されるかはわからない。まだ効果が表れない爆破を何回続ければいいのかもわからない状況に、エーの心拍は速さを増していく。

 突然、トレインが跳ねた。爆弾のない場所での回避行動に、まだ距離のあったアイチは走りを緩めてしまう。しかし次の瞬間、アイチの体は宙を舞っていた。視界が回転し、頭が揺れるアイチとは違い、一定距離にいたエーは瞠目する。跳ねた先頭車両が横向きに着地し、それにつられた後続車両が強靭な尻尾のように前方一帯を横薙ぎにしたのだ。吹き飛ぶ砂に巻き込まれるアイチが一瞬見えた。

「アイチ!」とエーが腰を上げる。そして声を手で押さえた。トレインに目を向ければ、既にエーへ旋回を始めていた。バレた、と冷たい汗が背中を伝う。爆弾を捨て、エーはすぐさまトレインに対して垂直に逃げ始める。だが距離を保っていたのが災いし、トレインはエーに合わせて角度を調整していく。懸命に足を動かすも、距離は著しく埋まっていった。突然、エーの鼓膜を強烈な爆音が襲う。側部に衝撃を受けたらしいトレインは片側の車輪を浮かせており、それによって進路をエーの背後へずらしていく。その先には捨てた爆弾があった。自ら爆弾の山に入ったトレインを衝撃波と爆炎が襲い、熱さと浮遊感の後エーの意識は暗転した。


― ― ―


「大丈夫⁉」

 アイチの声で、エーは瞼を開く。直射日光が目を焼いた。

「どうなった?」

「進路をずらしたら、爆弾に突っ込んでくれたみたいだ」

 問いかけるエーをアイチは抱き起す。目の前には黒煙が充満している。エーの暗転は数秒もなかったようだ。エーは額を伝う血を手で拭い、黒煙の中を覗く。きゅっとエーの喉が絞められた音がした。煙の向こうにはエーたちに背を向けて走るトレインの姿があった。

「あれでも死なないのか?最大火力が直撃したんだろ?そんな……」

 アイチはエーの肩に手を置く。

「やつは逃げてるのか?」

「いや、違うみたいだよ」

 トレインは遠く離れると大きく旋回し始める。

「最高速度で僕たちを轢き殺すつもりなのかな」

「今度は、避けきれない」

終わりを想像してエーは膝をつく。目尻には涙が浮かべられていた。「ごめん、お母さん」と薄い音が鳴る。

「まだだよ」アイチは屈伸する。「別の方向へ走れば一人は確実に助かる」

「助かったところでどうする」

「助かったほうはそのまま逃げればいい。僕は右へ垂直になるよう逃げる。だから君は向こうへ行って」

 そういってアイチは林を指さす。

「知識も経験も君のほうが遥かに上だ。この先あれを倒す策が思いつくとしたら君だ。できれば僕が死ぬ前に戻ってきてくれれば嬉しいけど」

「なぜだ。もうフッドも手に入った。逃げればいいじゃないか。トレインなんか相手にする理由もないだろう!」

 目と声を震わすエーに、アイチはふにゃっと笑う。

「意外かもしれないけど、僕は結構身内に甘いんだよ」

まったく意外じゃない、という言葉をエーは言えなかった。

「待ってるから」

 アイチの言葉に、エーは林へ走り出した。何か手はないかと必死に考えを巡らせながら。

 残されたアイチも走りながら思考する。腕を全力で振りながら、足からは白い玉を射出する。これで視覚的にも聴覚的にもトレインはアイチを狙ってくれるだろう。しかし一撃でやられてしまえば、トレインはエーに追いつける。どうにかして一撃だけでも避ける必要があった。

 猶予はそうなかった。トレインの最高速度はアイチとの距離を三分もかけずに埋めた。アイチは手札を考える。刃、ワイヤー、爆音、小爆発移動。アイチは小岩に飛び乗る。トレインとの距離は僅か10m。横に跳んでも、頭が追ってくる。足裏で小さな爆発を起こすと、アイチは真上へと跳んだ。足元をトレインが岩を破壊して進んでいく。十五車両分も滞空できないアイチは地面にワイヤーを突き刺すと、巻き取って通り過ぎるトレインの横に着陸した。

「これならいける!」

 トレインは大きく旋回し、再びアイチを襲う気概を見せている。トレインが戻ってくる前に別の岩まで辿り着けば。アイチは自慢の足で砂漠を駆ける。


― ― ―


 トレインとの攻防は、トレインが戻ってくるまでにアイチが次の岩まで移動できるかという勝負になっていた。反復のおかげで慣れも現れ、アイチは宙に跳んでいる間に次の岩を捕捉できるようになっていた。しかし戦いに選んだのは爆弾を隠せる砂漠。岩を犠牲にするこの作戦はそう長続きしなかった。足元を通りすぎるトレインを見て、アイチは舌打ちをする。着地をしてトレインの後姿を見ると、一か八かアイチは林へ走り始めた。林に逃げこめば生き残れるだろう。それまでに追いつかれてしまえば今度こそ小細工はできない。聞きなれた音で、アイチはトレインが旋回し終えたことを察する。砂をかき分け猛進してくる鋼鉄の塊が徐々に近づいてくるのが聞こえる。そして感覚でわかる。林とアイチの距離、アイチとトレインの距離が等しくなったと。激しく前後する人の足は、大きな車輪には勝てない。

 その時だった。林がさわさわと動き始める。走りは緩めずともアイチはそれに注視する。林の騒めきは激しさを増し、そしてもう一体のトレインが飛び出した。前後をトレインに挟まれる形となったアイチは進路を数度斜めにとる。前後からぺちゃんこにされるのは避けようという魂胆だった。ただ一つ、正面のトレインに近づくにつれ違和感を覚えた。先頭車両しかないそのトレインはアイチの進路変更に対応しなかった。今のまま走れば、正面のトレインと後方のトレインが衝突し、アイチには直撃しないかもしれない。その可能性に懸けて更に駆ける。

 遂にアイチは正面のトレインとすれ違う。これでトレインを倒せる、と口角を挙げながらトレインを横目に見る。そして瞠目する。正面のトレインの中には機械を操作するエーの姿があった。そこで初めてその細部に気づく。機械仕掛けの先頭車両。エーの家だ。衝突まで後1秒。アイチはフットに手をかける。足先から射出されたワイヤーがエーのフットに突き刺さった。アイチは全身全霊で足を後ろに振り、ワイヤーを巻き取る。予期せぬ動きに筋繊維がぶちっと鳴った。そして、トレインと人間はそれぞれでぶつかりあった。

 砂漠に転がるエーは、自身を抱きとめたアイチの腕から抜け出す。周りには数両の鉄の箱と、粉々になった二両の鉄の顔の部品が四散していた。

エーは再びアイチの上にどさっと倒れる。

「終わった?」

「そうみたいだ」

「死んだかと思ったよ」

「すまない」

 エーはアイチに負荷をかけないように横にずれる。

「間に合ってよかった」

「うん、ありがとう」

 二人は死闘など知らん顔の空を見上げる。

「家が動くなんて」

「母が遺した失敗作をいじった。正面にしか進まないがな」

「そっか」とアイチはふにゃっと笑う「一回寝ても良い?」

「周囲を警戒しておく」

「ありがとう」

 そういうとアイチはすぐに目を閉じた。指一本瞼一つ動かさないアイチは力尽きたようにも見えるが、隣にいるエーは落ち着いていく拍動を感じていた。


 ― ― ―


「本当に良いの?」

 鞄にヘルメニウムが入っていることを確認しながら、アイチは隣で空へ伸びをしているエーに声をかける。

「家も無くなったからな。元々荷物も少ししか持っていない。それに私はフットの改良もできるし、ビークルズの知識もあるし、サバイバルの適正もあるし、それに道も――」

「いやもう十分だから……」

 アイチは両足を軽く動かして、フットの調子を確認する。

「うん、じゃあ行こうか」

「ああ。次はエアプレーンの縄張りを通ることになる、空に気をつけろ。またそのせいで雑魚は地上で身を隠していることが多い。地上に気を付けろ」

「どっちもじゃん!」

 アイチの反応に、エーはふっと笑みを溢す。

 配達の道は遥か遠く、二人は自らの足で進む。人食い車の跋扈するこの世界を。

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