第9話 吸血羽虫調教器

 ぷ〜ん……ぷ〜ん……

「ああっ! もう! 眠れないっ!」

 サクはたまらず飛び起き、枕元のランプを掴むとスプレー缶を宙に向けて構えた。

 ぷ〜ん……ぷ〜ん……

「そこかっ!」

 サクはここぞとばかりにスプレー缶のポタンを押し、中の薬剤を撒くが……

 ぷ〜ん……ぷ〜ん……

「あああ!」

 サク対吸血羽虫の戦いは、静かな夜闇の中、しばらくの間続いたのであった。


「というわけなんです……サメゾウさん、私に完璧に吸血羽虫をやっつけられる雑貨を売ってください」

 季節は初夏。

 雨が降る日が増え、湿度と気温が上がる季節だ。

 この時期、町の人々を苛つかせる存在が出現し始める。

 それは、吸血羽虫。

 人の血をチョロっと吸い、その代わりにチョロっと毒を与え、さくっと立ち去る小さな羽虫である。

「だいたい、黙って、しかもただで人から養分奪っておいて、お礼をするどころか毒を与えていくなんて、不条理だと思いませんか、サメゾウさん!」

 サクはいつもの交渉用テーブルにて、対面に座る無表情の青年に向かって叫んだ。

 サクがサメゾウと呼んだ、この雑貨店の店主である。

『シャークサメゾウの店』

 その店は町の外れにひっそりと存在している。

 門には古びた木製の、傾いたままの看板が掲げられ、敷地内の伸び放題の雑草の中、品の良い洋館が鎮座している。

 店が扱うのは、日常でも非日常でも役にたつ日用雑貨だ。

 町にある他の雑貨店より、かなりオリジナリティ溢れる商品を取り扱っている。

 それらの製造・販売しているのが、ほぼ無表情の青年、シャークサメゾウ(刺目象)であった。

「なるほど……サクさんは、奪うのならそれなりの対価を置いていけと、そう仰るのですね」

 サメゾウのシャープな瞳がきらりと冷たく光った。

「えっ……いや、その前に奪うのをやめて欲しいんですけど」

 サクは、サメゾウから差し出されたティーカップを手に、おずおずと言った。

 あ、いつものハーブティーと違ってお花の香りがする……いい匂い……

 サクは微かに頬を赤らめながら、ハーブティーを口にした。

 サメゾウさんに、欲が深いって思われたかな……なんか恥ずかしい……

「奪うのをやめるさせるということは、彼らの種族を絶滅させたいということですね」

「あの……そこまで大袈裟じゃなくていいんです……私があの虫に刺されさえしなければ」

 絶滅、とは随分重い響きだ。

「あの羽虫がなぜ人の血を吸うのか、ご存知ですか?」

「えっと……栄養があるからですか?」

「美味だからです」

 おいしいから?

「私は美味しいですよ、と匂いを撒き散らして羽虫を誘っているんですよ、サクさんは」

「そ、そんなに匂いします⁉」

 サクは慌てて自分の服の匂いを嗅いだが、よくわからなかった。

「彼らは、汗の匂いに敏感な種族なのですよ。空腹時に、焼き立てのパンの匂いが充満し、目の前にフカフカの焼き立てパンがあると想像してください。サクさんは我慢できますか?」

「で、できません……」

 なんか、私怒られてる気がしてきた……もう、大人しく吸血羽虫に血を吸わせるのがいいんじゃないかって気がしてきた……

「ということは、自分より魅力的なものが近くにあれば良いわけです」

「え?」

 ことり、サメゾウは小さな人形を取り出した。

「カエル?」

 それはあんぐりと口を開けたカエルのように見えた。

「これは人と同じ匂いを出す人形です。その威力は、通常の人の約二十倍です」

「そんなにですか!」

 しかし、ここで安易に飛びつくわけにいかない。

 サメゾウの店のコンセプトは、日常でも非日常でも役にたつ雑貨だからだ。

 吸血羽虫を吸い寄せる、が日常向けなら、非日常ではどんなメリットがあるのだろうか。

「あとは、おびき寄せた羽虫を調教して、兵として使役することができます」

「兵隊さんですか……」

 兵隊さん、私要らないんだけどな……町の外に冒険に行くわけじゃないし……

「捕まえ、調教した羽虫に、仲間である羽虫を追い払わせれば良いのです」

「あ、なるほど! 同じ種族同士で戦ってもらうんですね! あ、でも調教って……まさか血を吸わせるとか?」

「いいえ、髪の毛や爪で十分です。遺伝子が組み込まれていますからね」

 遺伝子? なんだかすごいレベルの雑貨だわ……

「ただし、羽音は倍の音になります。戦わせるわけですから」

「はっ! そ、それは困ります」

「大丈夫です。その問題は、この耳栓をすればすべて解決します」

 サメゾウは言い、人形の横に小さなスポンジのようなものを二つ置いた。

 なるほど……このカエルの人形とカエル色の耳栓は、セット売りなんだ……

 サクは商品を前に、うーんと考え込んだ。

 これを使いこなせれば、羽虫に血を吸われなくなるから痒みも発生しないし、殺虫剤も撒かなくて済む。あの薬剤のにおいで気分が悪くなったりもするのだ。

「あの、こちらの商品……お値段は?」

 サメゾウは卓上のペンを手に取り、紙片にさらりと数字を書きつけた。

 あ……いつもどおりなお値段……でも、夜ぐっすり眠れるようになるなら……

 足元に、ふわりとしたあたたかいものが触れる。

 見れば、サメゾウの愛猫ヒトデがすり寄っていた。

 その首輪に、今サクの目の前にあるカエル人形が括り付けられている。

 サクがその白い長毛を撫でようとすると、サッとヒトデはサメゾウの足元に向かって行ってしまう。

 ちぇ……今回もダメか……ていうかサメゾウさん、いつもの執事服暑くないのかしら……

「いかがなさいますか?」

 サメゾウの淡々とした低い声が、サクの意思表示を促す。

「はい、頂きます……」

 サメゾウさんは人間ぽくないから、きっと体温も低いに違いない。だから、こんな格好でも平気なんだ。

 サクはそう決め込んで、無理やり自分を納得させた。

 その横をぷ〜んという音が通り過ぎる。

「にゃーん」

「はっ、今、ヒトデちゃんが鳴いた……初めて鳴き声聞いたかも……かわいい……ん? あれ……痒い」

「……これ、どうぞ。痒み止めです」

 サメゾウがちらりと視線を送ると、サッとヒトデが部屋から出ていった。

「ありがとうございます?」

 サクはサメゾウから渡された小さな樽型ケースから軟膏を指にとり、痒みが発生した部分に塗り込む。

「あとで、よく言っておきます」

「え? 誰にですか?」

 サクはサメゾウの言葉に首を傾げた。

「……ヒトデにです」

「ヒトデちゃん? なぜですか?」

「ヒトデが命令したから、羽虫があなたの血を吸ったのですよ」

 ああ、そういえばヒトデちゃんの首輪に、あのカエル人形がくっついてたっけ……ていうか、サメゾウさんちの愛猫すごくない⁉

「ヒトデちゃん、ちゃんと使いこなせてるんだ……すごい……私も頑張ろう……はい、これ商品のお代です」

「ありがとうございます」

「やっぱり、御主人様のこと大好きなんですねぇ、ヒトデちゃんは……私に早く帰れって言いたいんでしょうね」

 サクはサメゾウから、カエル人形とカエル色の耳栓が入った紙袋を受け取りながら苦笑した。

「本当に困ったものです」

 無表情のサメゾウの瞳が、微かに細くなる。

 それは可愛いから仕方がない、といったものではない。少々物騒な雰囲気だ。

「あっ、もう痒いのおさまりましたから! ヒトデちゃんのこと、怒らないでくださいね! ねっ、サメゾウさん!」

「サクさん……部下を甘やかすのは良いことではありません。駄目なことは駄目ときちんと言わなければ」

 部下? え、ヒトデちゃん、ペットじゃなくて部下なの? ……なんか、かわいい……

 サクは鉄面皮のサメゾウに大いなる誤解を抱き、そっと笑いを噛み殺していたのだった。

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シャークサメゾウの店にいらっしゃい 鹿嶋 雲丹 @uni888

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