夢の終わり

 突然、スマホが震え出した。電話の着信を知らせている。

 康介は、相手が誰であるかも見ずにスマホを手にする。引っ越し先から、この時間に連絡が来ることになっていたのだ。そのため、深く考えずに電話に出てしまった。

 

「お久しぶり。元気……てか、誰だかわかる?」


 愕然となった。聞こえてきたのは、山田花子の声だ──

 完全に意表を突かれ、康介は何も言えず黙り込んだ。どうにか頭を回転させ、己がどういう状況に置かれているか考える。

 その間にも、スマホから声が聞こえている。


「急な話なんたけど、引っ越すことになったよ。いろいろお世話になっちゃったね。また、そのうち会いにいくよ」


 こっちの困惑に構わず、一方的に語っている。康介の方は、何が起きているのかわからないままだった……若松たちは、どうなったのだろう。もしや、彼らも山田に籠絡されてしまったのだろうか。

 となると、これは単なる連絡なのか。あるいは、他に何か意味があるのか。

 だが、そんな甘いものではなかった。


「ところでさ、若松とかいうオッサン、あんたの知り合いだよね?」


 口から心臓が飛び出そうになった。一瞬、否定という選択肢が頭を掠める。だが、この女を相手にしての下手な嘘は無意味だ。ここは、正直に答えよう。


「ああ、知り合いだよ。若松さんが、どうかしたのか?」


「あの人さあ、昨日うちに来たんだよね。話が一方的で、疲れたよ。相手すんの面倒くさかったから、殺しちゃった」


 とんでもないことを、あっけらかんと言ってのけた。うちの子供が騒いだので叱ったら泣いた、程度の軽さだ。この女と接触したことがない人間なら、冗談と思っただろう。

 しかし、康介の方はそうはいかない。聞いた瞬間、スマホを落としそうになった。頭が混乱し、取り留めのない思いが駆け巡る。あの、しぶとさに関してはゴキブリ並の男が死んだというのか。

 スマホからは、さらに声が聞こえてきた。何を言っているかはわからなかったが、何か返さないとまずいことはわかる。


「な、何を言ってるんだ? くだらない冗談はやめろ」


 平静を装い、軽い口調で言った。だが、声は震えている。顔からは、完全に血の気が引いていた。よくわかっている。山田という女は、くだらない冗談など言わない。若松は本当に殺されたのだ……少なくとも、その可能性が高い。

 では、元マル暴の大木はどうなった? 咄嗟に浮かんだ疑問を、口に出そうとした時だった。突然、山田の声のトーンが変わる。 


「最初に会った時、あんたを同類かと思った。ひょっとして、って思った。でも、今わかったよ。あんたは、あたしとは違うんだね。残念だよ」


 それきり、電話は切れた。

 康介は呆然となり、スマホの画面を見つめた。同類とは、どういう意味だ?


(あいつには、戸籍がないんだよ)


 大木は、そんなことを言っていた。では、家庭環境に恵まれなかった者同士、という部分を同類と表現したのだろうか。

 それとも、何か別の部分か。

 いずれにせよ、やることは変わらない。若松が死んだのなら、なおさら好都合だ。康介は、急いで荷物をまとめていった。


 ・・・


 それから、半年が過ぎた。

 康介の生活は、全てが変わってしまった。裏稼業からは完全に手を引き、現在は建設現場の作業員をしている。仕事はきついし収入も激減したが、精神的には遥かに楽だ。

 何より、人の皮を被った化け物と遭遇する心配はない。




 若松市郎、大木和也、菅田裕貴。

 この三人は三ヶ月ほど前、とあるマンションの一室で死体となって発見された……と、マスコミは報道している。

 まず、この部屋から異臭が漂うという苦情が多数寄せられた。家賃も払われず住人とも連絡が取れなくなったため、大家が踏み込んでみた。すると、部屋にあったのは三体の死体である。警察は、部屋の住人を事件の関係者とみて捜査している……とも報道された。

 それから今になるまで、捜査の進展も新しい情報も発表されていない。

 特筆すべきは、死体の状態だ。若松と大木は、頭部と顔面に鈍器で殴られたような傷があり、頭部打撲による頭蓋骨骨折脳挫傷が死因である。それも一カ所や二カ所ではない。ふたり合わせて十ヶ所以上という話だ。ハンマーのような凶器で殴り殺されたのだろう、と監察医は語っていたという。

 菅田はというと、大木や若松など比較にならない異常な姿であった。死因は、毒殺の可能性が高いとの見立てであるが……断定は難しいとのことだ。

 もっとも、それより異様な事態がある。彼の両手両足は切断されていたのだ。腕は肘から、足は膝から、綺麗に切られていた。顔面も整形手術をされた痕跡がある。口は耳元まで裂け、鼻は短く切られていた。まるで豚のような顔になっていたという。歯科医の記録がなかったら、身元確認は出来なかったかもしれなかったらしい。

 しかも手足の切断は、かなり前に行われたものだった。つまり、菅田の手足を切断したのは、生きている間ということになる。素人の出来ることではない。その上、声帯までもが切除されていた。死ぬまでの約半年間、手足がなく声も出せなかった状態で「飼われていた」ことになる。下半身にオムツを履かされ、首には犬用の首輪を付けられていたことから見ても、間違いないだろう。

 テレビや新聞の報道では、菅田が死体となって発見されたことは報道したが、死体の状態については言葉を濁していた。

 しかし、ネットの世界は容赦ない。菅田の状態については、事実ありのままをきっちりと書き立てていた。さらに、菅田の過去に犯した悪行の数々についても暴露された。

 そんな菅田の記事を見た時、康介はぞっとなった。山田の家を訪れた時、部屋の奥からドスンバタンという音が聞こえてきたのを思い出す。山田に一喝された途端、静かになっていたのも覚えている。

 あれは、菅田の立てた音だったのではないか。康介に、助けてくれというメッセージを送っていたのではないか。

 他のふたりにしても、簡単に済む相手ではない。まず若松だが、かなりの長い期間、裏の世界で生きてきた。手強い武闘派ではないにしろ、簡単に殺せるような男でもない。異変や危険を察知する勘は鋭いのだ。さらに、こちら側が不利と判断したら恥も外聞もなく仲間を見捨てて逃げられる性根の持ち主である。その上、用心深い。様々な可能性や不測の事態を考え、プランBやCも用意するタイプだ。

 大木に至っては、元刑事だ。それも、暴力団関連の事件を扱う通称「マル暴」に所属していた猛者である。見た目からして、今もトレーニングを欠かしていない。何より、潜ってきた修羅場の数が違う。康介は、大木と正面から素手で戦ったら……正直、勝てる気はしない。殺せと言われたら、拳銃を用意してもらいたいところだ。

 そんな大木と若松が、山田宅を訪問した。ところが、両方とも鈍器で殴り殺された。それも、近所の人間が騒ぎに気づく暇すら与えぬうちに……ということになる。事実、隣の住人は争うような音は聴いていない、と証言しているそうだ。

 そういった点も考えつつ、何があったか想像してみた。

 康介と初めて顔を合わせた日……山田は、運び込まれた菅田の手足を切断し、声帯を切除した。その上で、マンションの一室にてペットのごとく飼っていた。

 しばらくして、山田の行動に疑惑を抱いた若松と大木が、彼女の自宅を訪問した。山田は、手強いはずのふたりを、騒ぐ間も与えず一瞬のうちに鈍器で殴り殺したのだ。さらに、部屋を引き払う際には菅田を毒殺した。そして現在は行方不明──

 そこまで考えた時、康介は頭を振った。これだけのことを単独で行うのは、不可能と言っていいだろう。話に無理がある。協力者が複数人いたと考えるのが妥当だ。

 まずは、医師もしくは高い医療技術と立場を持つ協力者が動いた。運ばれてきた菅田の手足を切断し、声帯を切除した。

 若松と大木が乗り込んで来た時は、部屋に控えていた武闘派のボディーガードがふたりを殺した……ちょっと待て。ボディーガードが、ハンマーのような鈍器を殺しに使うだろうか? 用心棒の仕事としては、どうもしっくり来ない気はする。かといって大きな矛盾点もない。

 ただ……山田という女、それに近いことを、ひとりでやってのけそうな人間に思えなかったか? という心の声も聞こえる。

 これでは堂々巡りだ。康介は、それ以上考えるのをやめた。山田は、今の自分とは永遠に無関係になった女だ。あの事件は、もう終わったのだ。そう思い、無理矢理にでも己を納得させることにした。

 これまた報道で知ったのだが、事件のあった部屋は大竜院麗奈ダイリュウイン レナという名義で借りられていたらしい。

 その名前を聞いた瞬間、康介は思わず苦笑した。中学二年あたりの男子が、自作の漫画に登場させそうな名前である。あの女は、どこまで世の中をナメているのだろう。 

 大木は、こんなことも言っていた。

 

(あいつは、十二歳まで名無しで生きてきた。名前すら、あいつには与えられなかったんだ。考えてみれば、哀れな話だよ)


 あの女には、名前がない。両親から、名前すら付けてもらえなかった。

 確かに哀れな話だと思う。だからといって、山田花子には二度と会いたくない。



 さらに半年が経過した。

 山田花子の猟奇的事件は、もはや世間から忘れさられている。康介の当時の記憶も、少しずつ薄くなっていった。生活スタイルも、今や完全に表のものになっている。しかも、家族の姿も半年以上見ていない。山田花子も、完全に消えてしまった。裏の世界と縁を切った康介には、彼女の行方を調べる手段はない。まだ逮捕されていないのは確かである。山田は逃げたのだろう。今日もどこかで、人の命を奪っているはずだ。あの女が、生き方を変えるとは思えない。

 あの女が何者だったのか、未だにわからない。そもそも、彼女の行動原理は何なのか、それすらわからなかった。過去に何らかの関係があった菅田をさらい、顔面を醜く整形し更に両手両足を切断し声帯を切除した挙げ句、部屋に閉じ込め一緒に生活する……この時点で理解不能だ。

 その後、立て続けにふたりを殺し、康介に遺体を始末させた。そのふたりは、彼女と深い仲であったという。特に小川の方は、結婚まで考えていたのだ。にもかかわらず、殺してしまった。

 さらに菅田と若松と大木を殺し、姿を消した。

 山田の記憶は、脳内から完全に消してしまえるものではない。だが、思い出さないよう生きることは出来る。


 とある日の午後十時、康介は閑静な住宅地を歩いていた。スマホをいじくりながら、人気ひとけの感じられない道路を早足で進んでいく。

 今日は残業と私用が重なり、遅い時間での帰宅となった。面倒な話である。こんな時代に仕事があるだけでもありがたい、と解釈すべきなのか。

 そんなことを思いながら、歩いていた時だった。突然、彼の横で何かが動く──

 以前の康介なら、ここまで接近する前に危険を察知していただろう。それ以前に、歩きスマホなどしていなかった。人気ひとけのない場所だろうと、歩きスマホだけは絶対にしなかった男なのに。

 今の彼は、完全に表の人間となっている。裏の世界から身を引いて、まだ一年ほどしか経っていない。しかし表の世界に合わせ、細かい生活スタイルや行動パターンを変えていた。結果、表の世界にきっちり溶け込んだ。得たものも多い。

 だが、失ったものもある。しかも本人は、失っていることにすら気づけないようなものだ。それが、最悪の事態を招く。

 康介の頭に、何かが振り下ろされた。完全なる不意打ちであり、攻撃は見えていない。何の対処も出来なかった。

 鈍い痛みが走り、康介は膝から崩れ落ちる。同時に、血の流れる感触。後頭部の皮膚が、打撃により割られたのか──

 頭をふらつかせながらも、何とか体勢を立て直そうと試みる康介だったが、さらなる一撃が彼を襲う。一瞬、視界が暗闇に覆われる。体が平衡感覚を失い、どうと倒れた。それでも、必死で上体を起こした。

 だが、恐怖のあまり表情が歪む──

 悪夢のごとき光景が、視界に飛び込んできたのだ。かつて山田花子と名乗っていた女が、そこに立っていた。こちらを見下ろす目には、異様な光がある。


「あんただけは、違うと思ってた」


 氷のように冷たい声が聞こえる。直後、山田は動いた──

 彼女の手には、小型のロックハンマーがある。右手と左手にそれぞれ一本づつ握っており、太鼓のバチのような勢いで振り下ろしてくる。女性の腕力でも、硬い岩を砕ける道具であり、破壊力はある。避けることも、防ぐことも出来ない。

 しかも、山田の叩く位置は機械のように正確だった。人体にもっともダメージを与える箇所めがけ、ハンマーの強烈な一撃が襲う。コンパクトな打撃であるにもかかわらず、一発で頭蓋骨が砕けた。傷は小さいが、その小さな破片が脳を破壊していく──

 頭蓋骨骨折、打撲、脳震盪、脳挫傷、その他もろもろ。僅か数秒で、命を奪うのに充分すぎるダメージを受ける。もはや痛みすら感じない。怒りも恐怖も、感じる暇すらない。

 康介の他人に振り回され続けた人生は、あまりにも唐突に終わろうとしていた。薄れゆく意識の中、彼が見たものはふたつ。

 ひとつは、振り返りもせず、静かに去っていく山田花子の後ろ姿。手にした金鎚からは、血が滴っていた。

 もうひとつは、十メートルほど離れた位置で、並んで突っ立っている父と母と姉の姿だった。ここ一年間、いっさい姿を現さなかった家族。康介が裏稼業から身を引いてからは、全く見なくなっていた。

 なのに今は、はっきりと見えている。今にも死に逝こうとしている康介を、がっくりと肩を落とした姿で見ている。

 この世で最期に見た父と母と姉は、とても悲しそうに見えた。





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終わることのない悪夢 板倉恭司 @bakabond

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