森の中の白い家

森新児

森の中の白い家

 東洋の怪異は山に出る。

 西洋の怪異は森に出る。





 その日囚人たちが全員呼ばれて中庭へ集まると、そこに顔が灰色にくすんだ陰気な男が一人でぽつんと立っていた。

 男は政府の役人だった。


「戦争が始まって半年になるが敵は頑強でまだ抵抗している」


 役人は自分を囲んだ囚人への蔑視をかくさず、横柄な態度でいった。


「そこで偉大なるわれらが大統領はおまえたちにチャンスを与えることにした。半年間兵士として最前線で働けば恩赦を与える。減刑し一般人としての生活を保障しよう。逃げれば死刑だ。徴兵に応じるかこのまま刑務所にとどまるか、五分で決めろ」


 そういわれてある男はすぐ徴兵に応じることにした。

 戦うためではない。

 逃げるためだ。





「はあ、はあ……」


 男は霧がかかった森の中をさまよっていた。

 さっきの戦闘で味方は総崩れになった。奇襲にあったのだ。

 ここは敵の領土だから地形については圧倒的に敵のほうがくわしい。

 戦意旺盛な敵に対し、男の味方の軍は武器も士気も技術も訓練もなにもかも足りなかった。


 男はずっと軍隊から逃亡する機会をうかがっていた。

 たとえ半年おつとめしても、自分に恩赦が与えられることはぜったいない。

 だから逃げる。


 しかし今はそれどころではない。

 男は今敵から必死に逃げている。

 捕虜になればいいという人もいるだろうが、男の場合そうはいかない。

 戦争に参加してまだ間がないのに、男はすでに三人の女性をレイプし、丸腰の民間人を四人殺害していた。

 男が犯した戦争犯罪は敵にばれている。

 捕まったらただではすまない。

 そこで男は森へ逃げた。 

 上官に「あの森にはぜったい入るな」と厳命されていた森に。

 なぜか敵もここへは追ってこない。


 森は静かだった。

 男がここへ逃げ込んでだいぶ時間がたつのに、鳥の囀りを一度も聞かない。


「さっきの戦闘で味方は全滅だな……お?」


 男が独り言をつぶやいたとき、にわかに霧が晴れた。

 霧が晴れた森の中に男が見たのは、戦争が夢と思えるような、静かなたたずまいの白い屋敷だった。


「どなた?」


 乱暴にドアを叩くと、中から女が出てきた。

 三十代後半ぐらいの年齢で落ち着いた物腰の、美しい女が。

 涼し気な青い瞳がじっと男を見つめている。

 男が敵国の軍服を着ているのを見ても、女は眉一つ動かさない。


(いい度胸だ)


 手にした小銃の銃口をさげると男は女にいった。


「追われてる。かくまってくれ」


「どうぞ」


 女は長い黒髪を軽く撫であげると、すぐドアをあけた。





 家の外はあっという間に暗くなった。

 森は夜の訪れが早い。

 男が夕食のシチューを食べていると女がいった。


「あなた囚人なの?」


 敵国の逃亡兵を目の前にしても、女の口調は落ち着いている。


「うん」


 もうすぐ三十になるのに、男の返事はいかにも子どもっぽい。


「なにをしたの?」


「人を殺した」


「何人?」


「二人」


 本当は三人殺して捕まったのだが、急に恥ずかしくなって男はウソをついた。


「そう」


「あんたの旦那は?」


「戦争に行ってるわ。決まってるじゃない」


「そうか。ごちそうさん。あしたの朝出ていく」


「どこへ?」


「独裁者がいない土地へ」


「あら、あなた民主主義を求めてるの? 意外ね、あなたの国の人はみんな独裁者を求めてると思ってた」


 女の口調は明らかに皮肉っぽい。


「独裁者なんか求めてねえ。民主主義ってもんもよくわかんねえけど」


「相手が自分の気に入らないことをやっても殺したりしない。それが民主主義よ」


「殺したほうが簡単だろ?」


「世の中が複雑なのに簡単さを求めちゃだめよ」


 そういい捨てると女は空いた食器を片づけ始めた。

 彼女の着ているTシャツは襟もとがゆるんでいて、豊かな乳房とその谷間がやけにはっきり見えた。

 女が何気なく髪をかきあげたとき、シャツの袖からちらりと腋の黒い叢が見えた。

 それが男の薄暗い欲情を刺激した。


「ここは片づけるから居間へ行ってて。毛布を持っていくわ」


 女にそういわれて男はありがとうと礼をいって席を立った。





 居間のソファに座って男は考えた。


(いい女だ。殺すのは勿体ねえ。なんとかものにできねえかな)


 そんなことを考えていたら、脇の書棚の絵本がふと目に入った。


(森の中の白い家)


 それが絵本のタイトルだ。

 この家に子どもはいないが? と思いながら男は小銃を脇にどけ、本を手にとった。


『その森は禁忌の森です。

 入ってはいけないといわれているのです。

 入ってはいけないところに入ってくるのは悪い人です。


 悪い人を法で裁くことはできません。

 悪い人は法の外で生きているからです。


 だからこの森では法ではなく、魔女が悪い人を裁きます。


 魔女は白い家に住んでます。

 そこに悪い人がやってきます。


 魔女は悪い人に食事を作って食べさせます。

 その食事にはねむり薬が入っています。

 悪い人はすぐねむります。


 悪い人がねむると魔女は自分の子どもを呼びます。

 子どもは人間の肉が大好きです』


 ポトリ、とそこで男の手から本が落ちた。


(力が、入らねえ)


「あら、あなた。それ読んだの?」


 女は床に落ちた本を拾うとページをめくった。


「入ってはいけないところに入ってくるのは悪い人です。本当にそうね。あなた自分の故郷で三人、こんどの戦争で四人殺したのね? なんの罪もない民間人を。それから自分の故郷で五人、こんどの戦争で三人女をレイプしてる。ひどい男」


「なんで、知ってる?」


 男の口は急速にしびれてきた。


「わたしの水晶はなんだって映るのよ。坊や」


 女が居間の外に向かって呼びかけると、廊下の暗がりからずる、ずる、となにかがせまってくる音が聞こえた。


「な、なんだ?」


「あなたホムンクルスって知ってる?」


「ほ、ほ……」


「ホムンクルス。おおむかし錬金術師が作った人造人間。わたしはそれを魔術で作った。この森を訪れた悪人を何人もとらえてばらばらにして、それをつないで一人の人間として再生させた。もうすぐここへくるわ。うちの子人間の肉が大好物なの」


 ずる、ずるという音がいよいよ間近に聞こえる。


「や、やめろ……」


「おい!」


 そのときとつぜん廊下の反対側の窓を破って、だれかが室内に飛び込んできた。


「逃げるぞ!」


 男と同じ軍服を着た兵士は男を強引に立たせると、彼を抱えて窓から脱出した。





 兵士は男の故郷の友人だった。


「ま、まさかおまえが出征してたなんて知らなかったよ」


 支えられて真っ暗な夜の森を歩きながら、男は友人の兵士にいった。


「助けてくれてありがとう」


「いいってことよ。それより見たか? 廊下の暗がりに化け物がいたぞ」


「どんなやつだった?」


「顔は腐ったキノコで体はゴリラだった」


「おええ」


「ところでおまえ、刑務所に入ってたんだな?」


「あ、ああ、そうだよ。政府の役人に従軍したら恩赦がもらえるっていわれてそれで……」


「おれの家族を殺したんだよな?」


「あ、ああ、そうだ。そうだったっけ」


「そうだよ。おれの両親とまだ小さかった妹をおまえは殺した。なぜだ?」


「そ、それは、おまえの家に金を借りに行ったらおまえがいなくて、で、代わりにおやじさんに金を借りようとしたら断られて、それでついカッとなって……」


「そんなつまらない理由で殺したの?」


 成熟した女の甘い匂いがムッと男の鼻先に漂った。

 女はさっきと同じように椅子に座ったままの男の顔を撫でた。

 女の長い黒髪が垂れ、毛先が男の指をさっと掃く。


「坊や」


 女は男の背後にそう呼びかけた。

 男はしびれる体をなんとか動かし、うしろを見た。


「……おお」


 男の口から吐息のように絶望がもれた。

 そこにホムンクルスがいた。





 夜明けの森は鳥の囀りがまったく聞こえず、死の谷のように静かだった。


「やれやれ」


 緑色の防護服を着て防毒マスクをした兵士はため息ついて首を振った。


「こんなところで死んでやがった」


 戦闘放棄して逃げた男は木の根を枕に、あおむけになって息絶えていた。

 長いあいだ風雨にさらされ、ねじまがった老木のように、男の顔ははげしくゆがんでいた。


「だから森に入るなっていったのに」


「なんで入っちゃいけないんだっけ?」


 自分と同じ防護服を着た相棒にそう聞かれ、聞かれた兵士はまた首を振った。


「むかしうちの軍がここにたくさん危険な産業廃棄物を捨てたからだよ。こいつはその毒に当てられて死んだんだ。おまえそんなのも知らずに仕事してたのか?」


「知らなくても仕事できるからな。よお、死体どうする?」


「銃と認識票だけ持ってひきあげようぜ」


 防護服の兵士は死んだ男の胸元から認識票をひきちぎった。

 そのとき男の指にからまった長い黒髪がふわりと揺れたが、兵士は髪の毛に気づかなかった。

 二人組が去ると森は霧が濃くなった。


 霧が晴れたとき、男の死体は消えていた。

 男の死体が消えた場所のすぐ近くに、白い家があらわれた。

 木漏れ日を浴び、白い家は見捨てられた墓標のように、静かにたたずんでいた。【完】



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森の中の白い家 森新児 @morisinji

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