本文

・プロローグ: 蝉が鳴いていた街で


 かつて、一日は二十四時間だったらしい。

 しかし今も虹は七色で、空だって青い。



 気勢が充ちる。

 戦機が熟せば、わずかな動作が容易く均衡を崩す。今がそれだ。

 自らの前足の爪が砂をはじいた瞬間、総毛立つ感覚が背中を走った。

 間違いない。来る。

「くっ」

 隣のブロックに飛び移った――その直後、目の前を銀色の閃光がかすめた。今しがた踏んでいた地面が吹き飛び、土くれが波濤となって宙を舞う。

 曇った視界に、青いレーザー光が尾を曳いていく。

 分厚い砂煙の向こうで、巨影が立ち上がる。剥き出しになった銀の歯が噛み合い、張り詰めた肉叢ししむらに血管が浮く。おぼろげなシルエットが風船のように膨張すると、震える喉から低い咆哮が上がった。

「……逃してはくれぬか」

 オオカミ、と呼ぶことに今決めた。

 しかしなんと醜悪なのだろう。伸びた鼻づらや大きくたわんだ膝は獣のものだが、目には青い標識灯がはめ込まれ、腹や背からは焼け焦げた機械部品が飛び出している。

 こんなツギハギでもパワーはある。致死的だ。

 しかし技量はどうだろうか。初撃は外れた。次も、きっとこちらの方が速い。

「一応、尋ねる。話し合う気は?」

 答えは爪の一撃で返ってきた。

 オオカミの金属繊維に覆われた腕をいなしながら、こちらも爪を出す。

 腕を突き出してポン、とオオカミの前脚を軽くたたいた途端、紫色のフラッシュが視界を塗り潰した。相手の巨体が吹き飛び、カビと粘菌が地面から威勢よくはがれ、痙攣するオオカミの毛皮を黄色く染め上げる。

「若いの、身体は大きければ良いというものではないぞ」

 まだ火花を散らしている爪を引っ込めて、ぺろぺろと肉球をなめる。

 ――護身武装『”ショックスタンナー”電撃爪』

 作業隊の標準装備に決まったときは冗談かと思ったが、ワンタッチで二千万ボルトの電気を流し込める武器というのは、なかなか有用らしい。

 クォータ・ハンチバック三世はふう、と息を吐く。

 今の一撃でどこかの制御ユニットがいかれたらしく、しばらくしてオオカミは動かなくなった。まだふるふると揺れている巨体に歩み寄って、ぼさぼさの毛皮を爪でかきわけつながら、クォータは鼻をひくつかせた。

 さっきからジャムのようなにおいがしている。妙だ。

 現実世界レイヤーゼロにまだ敵性兵器が残っているとは思わなかった。いつもだったらスクラップを食っているぽんこつどもがノロノロ動いているだけなのに。

 弱い風が頬をなぜ、自慢のヒゲが不機嫌にびりびりと震えた。風に乗って鼻の奥をツンとしたにおいが刺し、思わずくしゃみをしてしまう。

 こっちの世界は、いつ戻ってきても濡れた雑巾のようなにおいがする。

 地上から人間が消えてから、地球はすっかり湿ってしまった。崩れた珪素のビルには紫のおばけキノコがにょきにょきと傘を広げ、地面にはコンクリートを食って育った黄色のカビがいっぱいにコロニーを広げている。

 さっき拾った包み紙には七紀の年号が刻まれていた。オオカミを寝かすついでに両手で丁寧に開くと、腐りきって炭化したキャンディーがぼろぼろと崩れていった。

「今日のティータイムは寂しくなるな……」

 とりあえずバックパックから取り出した水筒の隣に包み紙を並べておいた。

 この水筒は八紀に作られた。人間がいなくなるまで作られ続けた製品のひとつだ。

(……とうとう最後までネコ用の水筒は作られなかったな)

 苦心しながらフタを外し、その中へと水筒を倒すように合成紅茶を注いでいく。親指のないネコの手は物を握れないから、飲むときはどうしても不格好になってしまう。

 たっぷりとカビや砂埃の浮いた紅茶を飲むうちに、ヒゲの震えはどうにか収まった。あくびをこらえつつ、舌にたっぷりと付いたカビと砂埃を爪でこそげ落とす。

 まあ。多少のトラブルはあったが、今日も業務は楽に終わった。

 水筒をバックパックに戻すついでに中のモンキーレンチを爪ではじく。数百年来の相棒は今日も楽しげな音を鳴らして応えてくれた。ふっ、とクォータは牙をのぞかせる。ミスター・モンキー。次の出番は二十年後だ。よろしく頼むぞ?

「今日はお一人なのね?」

 バックパックを背負いなおしたとき、頭上から声がかかった。

 クォータが見上げると珪素ブロックが降ってくるところだった。慌ててかわした直後、パリンときれいな音を立てて白く濁った色の破片が降り注いだ。吸い込んでしまったガラスの砂粒を吐き出していると、さらに土くれが覆いかぶさってきた。

「六紀製造。二一〇〇万年ものの流体金属ボディ……」

 土煙を上げてランディングギアの爪が地面に食い込む。

 金属ロッカーのように太い脚が踏ん張り、赤い翼がいっぱいに広がる。逆噴射するジェットエンジンが吼える音に合わせて、地面の砂が飴細工のように融けていった。

 降りてきたのは旧式の無人偵察機だった。

 ドラゴンのような長い首の先端には機関砲ユニットが装着され、オレンジ色のガンカメラが砂まみれになったクォータを映している。クォータが顔に手をやると、偵察機も真似するように顔を翼で覆った。

「装備もアナログね。古物すぎてレイヤーワンから叩き出されちゃったのかしら」

 ぷっ、と口から空の薬莢が吐き出される。「戦い方もアナログ丸出しだったし」

「貴官……もしや無人機UAVか?」

「もう! もう人間なんてどこにもいないのに無人だなんて!」

 無人機はくすくすと笑い声を出力した。いたずらっぽく片目を翼からのぞかせて、うやうやしく礼を送ってくる。

「コードネームは赫の婦人レディ・レッド。仲間にはLRと呼ばせてる」

「吾輩はクォータだ。クォータ・ハンチバック三世」

「いつも一緒のお嬢さんはお留守番なのかしら?」

「ノルマのことなら、哨戒中だ」

 クォータは苦笑した。ずいぶんと監視されていたらしい。「あの娘、配線いじりがてんで駄目なのでな。吾輩が修理するあいだは好きに歩かせることにしている」

「あら」とLRは翼を下ろした。「あなた、物理屋フィズだったの?」

「知っていたか」

 もう死語になって数万年の言葉だ。昔、サーバー管理をわざわざ現実世界でやっている変人のことをみんなそう呼んでいた。

「まだ物理ボディでお仕事をする人が生き残ってるなんて思わなかった」

仮想世界レイヤーワンからでも同じことはできる。それは間違いない」

 クォータはうむ、とうなずく。

「しかし発電機に食わせるペレットの移送管や、地中の冷却筒は第五紀以前のローテクだ。このあたりは自分で殴って直した方が早い――」

「早い? 時間なんて私たちには無限にあるのに?」

「吾輩の暇つぶしなのだよ」

 クォータは肉球を爪で押した。変形したピンクの半球が弾力で押し戻ってくる。

「……それに、ほら。空はこっちレイヤーゼロで見る方が綺麗じゃろ?」

 LRは呆気にとられたように機関砲の給弾口を開いた。

 じゃらじゃらと垂れ下がった弾帯を慌てて口に詰め戻し、上品に咳を打つ。

「こ、古風な趣味をお持ちなのね」

「よく言われる」

「古風と言えば、昨日の流れ星はご覧になったのかしら」

 いや、と返すとLRは得意げに銃口で空を指した。

「あれこそ『綺麗』だったわ。真っ白な火の玉がパーッってばらばらになるの」

「ああ。人工衛星が落ちたのか」

「たぶんね。どう?」

「べつに珍しくもない。つい五百万年前なら飛行機も宇宙船も毎日落っこちていた」

 あらそう、とLRは翼の端っこで機関砲をひっかいた。銃身から赤い錆がぼろぼろと落ちて、クォータの目の前に積もっていく。

「でも楽しかったわ。少なくとも、つまんない害獣駆除よりはね」

 LRは来たときと同じように熱気をまき散らして帰って行った。

 吐き捨てるような言い方だったな、と思う。


 すっかり辺りが静まったところで、クォータはバックパックを背負いなおした。

 ハーネスの締め付けを調節するついでに、融けてガラス玉のようになった砂を爪で転がす。地面にはまだ熱が残っていた。熱核融合エンジンのジェット気流。重力もろくに制御できなかった時代の移動システムだ。

「五百万年前、か」

 あの頃はレールガンで安く人工衛星を打ち上げる技術が出来たばかりで、みんなゴミを放り投げていた。しまいには国ごと宇宙に放り上げる連中まで現れて、奇妙な条約だの法律だのが乱立する羽目になったのを覚えている。

 ……今となっては昔の話だ。宇宙に出た人間は誰も戻ってこないだろう。

「ノルマ。終わったぞ」

 アンテナ替わりの耳をピンと立てて信号を送る。

 数度ほど送り直して、ようやく向こうからの信号をキャッチできた。

「館長、どこですか?」

 いつ聞いてもセカセカした彼女の早口は怒って聞こえる。

「作業孔から南南東に十キロメートルの地点だ。第七紀のバザール跡がある」

「道理で見つからないわけだ。普通のイエネコは遠出しないものですよ」

「そうなのか? 次からは気を付けよう」


 通信が終わってから十五分ほどで、甲冑のような物理ボディを着込んだノルマがやって来た。肩でビーコンをビカビカと光らせているのに、彼女はクォータを見つけるなりぶんぶんと手を振ってきた。

「おや、本日はオオカミ狩りですか?」

 山のようにデカく盛り上がった肩を大げさにそびやかしながら、彼女が隣に腰を下ろす。ごついガントレットでオオカミのあごを持ち上げると、「ほお?」と面白そうにつぶやいた。

「この牙のプレス痕、第八紀の最終生産ロットですよ。人工衛星のパネルです」

「人工衛星? あれか、なんか重力の傾きで発電するとかいう」

「そうそう。メカおたくどもが無駄に頑丈に作りやがるもんだから、よくテロ屋がバッテリー替わりに使ってました。こいつ、電線を切っても使えるので……」

 ノルマの愚痴に合わせてひょこひょこと動く肩の陽電子砲を、クォータは目で追う。

 銃口が焼けていた。たぶん撃ったばかりだ。

 この案内人も、ずいぶん楽しい散歩をしていたらしい。

「……甘い香りがしていた」

 クォータが小さく言うと、ノルマは怪訝そうに見てきた。

 中身のないヘルメットの奥で、ピンクのモノアイがつまらなそうに光る。

「甘い、とは?」

「そのオオカミもどきだ。トーストに塗ったジャムのような香りがしている」

「あー……なるほど、なるほど」

 がばっとアーマーの胸が開き、中からガス検出器のノズルが出てくる。オオカミの腹を何度かぺちぺちとたたいてから、ノルマはフムとつぶやいた。

「全身を重粒子線でこんがり焼かれてます。たぶん宇宙服と同じニオイですよ」

「宇宙服を嗅いだことが?」

 ええ、と彼女はつまらなそうに言った。

「これでも第七紀の生まれです。宇宙ぐらい赤ちゃんでも行ってました」

「吾輩は第六紀なのだが……」

 そういえば第七紀から第八紀までずっとデスクワークだったな、と思い出す。

 このヤワなボディだと放射線ですぐ回路が駄目になってしまって、とうとう宇宙には行けずじまいだった。

「それに、私は海兵隊でしたから。嫌でも連れ回されてしまって」

 そこまで言うと、ノルマは居心地悪そうに咳払いをした。

「あと館長、さっきから三十分ズレてますよ」

 むんずとオオカミの腹を引き裂いて、中からオレンジ色のフライトレコーダーが取り出される。持ち帰って解析するらしい。

「うん?」

「その時計です」と胸から飛び出したノズルがクォータの首を指す。「今さら十二までしか数えられない懐中時計なんて。人間じゃあるまいし……」

 ほら帰りましょ、とノルマはフライトレコーダーを引きずって歩き出す。

 彼女のぽってりとした足跡を踏んで追いかけつつ、クォータは首に前足を置いた。

 頑丈なジュラルミン製の鎖を爪の先でひっぱって、懐中時計を確かめる。針が指しているのは十四時五十二分。たしかに、三十分だけ早くなっていた。

 チタンで出来たこの懐中時計には、未だにたった十二個しか数字が付いていない。

「あの頃だったら二十四時間でも足りていたのだよ」

 ふ、と息を吐き出して、クォータは時計のリューズを巻き戻した。


 第九紀、一七〇〇年。

 地球は、今日も時計より少しだけゆっくりと回っている。



・第一章: 博物館のポエタスタ


「開館」と書かれた立札を出しても客はひとりっきり。

 おろしたばかりのブーツは、床を蹴るたびに靴墨のにおいを立てた。ぐるっと展示室を一巡して戻っても、まだノルマは応接室から出てこない。

 博物館は今日も無駄にでっかいスペースを持て余している。

 さっきの客だって、きっとビジネス目的だったな、と階段に腰かけてクォータは思う。季節感のない堅苦しいスーツを着た男だった。

 小指にひっかけたリボンをくるくる回しながら、ぼうっと天窓に貼り付いたカエデの葉を見上げる。あの葉っぱだってさっきから気になって仕方がないが、取り除ける高さじゃないのがどうにももどかしい。

 空は快晴。

 どうやら今日の仮想世界レイヤーワンは秋の装いにしたらしい。

 昨日は砂嵐だったし、その前は開発前の火星みたいに青い夕焼けが広がっていた。まったく、ここで生活していると自分がどの星にいるかも忘れちまいそうになる。

「本日はありがとうございました。では、本職はこれにて失礼」

 後ろでドアが開く気配があり、クォータは手早く髪を結び直した。

 あんどん袴を整えていると事務所からノルマとさっきの客が出てきた。

 ノルマはいつもの青いパーカーと緑のスカートという姿で、さっそくガムを膨らませていた。男が渡してきた名刺をカンガルーポケットに突っ込むついでに、「ん」と言って軽く頭を下げる。相変わらず、誰が相手でも彼女はブレない。

「お帰りですかな」

 クォータが声をかけると、男は反射的に名刺を差し出してきた。

「おや、一日で名刺が二枚とは気前が良いのう」

 笑いながら受け取り、上衣の隠しに差し込む。赤面する男に笑いかけて、手を差し出す。

「助手が失礼を働いてすまない。なにぶん教養が無いのだ」

「効率的な仕事をしていると言ってほしいものですね!」

 ノルマの口もとでガムがぱちんと破裂した。

 男がアカシアのドアを押し開けるのを見送りながら、ノルマが二枚目のガムを噛み始める。クォータも一枚もらってクチャクチャやっているうちに、ちょっと考えて、ぷくっと膨らませてみた。

 隣に目をやる。ノルマも同じようにガムを膨らませていて、ビニール袋みたいに薄くなった膜ごしに目が合うと、いたずらっぽく片目をつむってきた。

「……さっきの男、西ユーラシア出身か。用件は何だった」

「少しウチの記憶領域を貸してほしいってことでした」

 ノルマははじけたガムをつまんで口に戻し、「データ移行するときにバックアップが必要で、最近どうも衛星サーバーの応答が悪いから代わりに手配してくれと」

「連中ご自慢のお城のひとつでも崩せば容量も足りるんじゃないか?」

「クライアントの皮肉なら直接言ってくださいよ。今回は請けておきましたけど」

「うむ。助かる」

 ノルマは包み紙にガムを吐き出して、パーカーのフードを下ろした。彼女の顔に影が差すと、目の下の大きなクマがよく見えた。昨日は報告作業でほぼ徹夜だったようだ。

「で、朝食はいかがしますか」

「フレンチトーストで頼む……大丈夫か?」

「料理もひとつのストレス発散ですから」ノルマはうんうんとうなずいた。「ずっと仮想世界こっちにいると、ヒマでヒマで仕方ない!」

「気が合うな。吾輩もヒマだ」

 さっさと厨房に下りて行く彼女の細い背を眺めつつ、クォータは階段のてすりにもたれかかった。

 味の薄くなったガムを吐き出そうとして、包み紙をもらいそこねたことに気が付く。仕方ないので受付のカウンターからパンフレットを引き抜いて、そこにくるんでおいた。

 クズかごにぶち込むついでに、カウンターの天板に分厚く積もった埃を小指ですくう。今日も、さっきの男が最後の来客になるだろう。おかげで時間だけはたっぷりある。

「……ストレス発散か」

 天窓を見上げると、いつの間にかカエデの葉が消えていた。

 たしかに、こっちの世界はいつになってもヒマだ。



 生活圏が仮想世界レイヤーワンに移行して二千万年と半世紀。

 さっきの客は頭がクジラになっていた。たぶん古生物マニアなのだろう。

 クォータは綺麗に磨かれた食卓に目を落とす。

 いかにも東洋風な平べったい顔つきの少女が見つめ返してきた。

「頭と手足の勘定が合っていればなんでもいい」と当時の持ち主に注文したら、「じゃあ俺の趣味でやるわ」とこんな大正ロマン丸出しのアバターを押し付けられてしまった。

 つくづく嘘くさい顔をしていると思う。人間のツラはこんなに左右対称じゃない。

 油の跳ねる音を聞きながら、クォータは指を組み合わせた。

 この指も、ネコと比べると細すぎて落ち着かない。

「お待たせしました」

 換気扇が止まり、ノルマがやって来てフレンチトーストとサラダを皿に載せた。

 向かいの席に座るこの娘も、『ニンゲン型』のアバターを使っている。

「なにか?」

 バタくさい西洋人顔が、こっちを鬱陶しそうに見てきた。

「いや……大昔、そんなツラした女優がいたなと。出演作がよく売れてた」

「もしかして口説いています?」

「あいにく、こねまわした顔には興味が無いタチだ」クォータはフレンチトーストにかぶりついた。「ところで砂糖は使わんのか? これ、まったく甘くないんだが」

「サラダに合わせるなら甘くない方が良いんですよ。御存じないので?」

「そういう不愉快な常識は持ち合わせていないな、幸いにも」

 ざっとシナモンシュガーをぶっかけると、なんとか食える味になった。

 しばらく食事を続けるうちにサーバーからアナウンスがあり、少しだけ部屋が暖かくなった。あと一時間ほどで『昼時間』になると、今度は太陽が上に昇ってくる。

「第八紀、二四〇〇年製の人工衛星でした」

 かちゃり、と向かいの皿の横にフォークが置かれる。

 クォータが目を上げると、ノルマは金髪の先を小指でくるくると巻いた。

「先日の『オオカミ』です。フライトレコーダーの記録を吸い出せました」

「ふむん?」

「ジャイロがバグって墜落したあと、自己修復装置が暴走したみたいですね」

「それだけであんなブサイクにはならんだろう」

「落ちた時点で狂ってたようですし、ウイルスでも打たれたんじゃないですか?」

 ほう、とクォータも結んだ後ろ髪を小指にひっかけてみた。

 真似されたのが分かったようで、ノルマは露骨に嫌そうな顔になった。いらいらとフォークを握った彼女に、フンと鼻を鳴らしてやる。

「で、その彼だか彼女だかは今どうしてる?」

「言われた通り仮アバターを着けさせて、上で寝かしてます」

 そのとき天井がミシリときしんだ。

 クォータたちは顔を見合わせた。この部屋の上にあるのは来客用の寝室だ。ほぼ同時にため息をついて、立ち上がる。

「もうひと皿、必要だな?」

「いつもの棚に用意しておきました」

「ありがとう。優秀な部下を持つと助かる」

 食卓に追加のフレンチトーストとサラダを用意したところで、ドタドタと階段を駆け下りる音がした。騒々しい足音が近付いてきて、扉が蹴り開けられる。

 現れたのはぼろを着た少年だった。

 どこで拾ったのか、小さな拳銃を握っていた。汗でワカメのように張り付いた髪をかき分け、ぐるりと部屋を見渡す。そして血走った眼でクォータを見るなり、申し訳なさそうに銃口を上げてみせた。

「あ……悪い。危害を与えるつもりはない。ここはどこだ?」

「地球じゃよ」

 クォータは空いた椅子を示した。

「そして、この部屋は食堂だ。じつはきみの料理を用意しているのだが、どうだ?」

 少年は拍子抜けしたように口を開けていた。

 ぐるる、と可愛く腹が鳴ると、急に顔を赤くしてうなずく。

「では席に着きたまえ。ちょうど今日は会食をしたい気分だったのだ」


 シェア、と少年は名乗った。

衛星砲サテライトガンだった。正確に言えば兵装管理AIだったけど……」

 フレンチトーストで膨らんだ頬をもごもごとさせつつ、骨ばった手で握ったフォークを皿に向ける。

「対地衛星?」とノルマが微笑む。

「いや……ああ、そっちも出来るけど、メインは対空だった。宇宙戦艦だとか、隕石だとかをレーザーで溶断するんだ。小さくすれば連中も大気圏は抜けられない」

 フレンチトーストの最後のひとかけらを飲み込んで、シェアは手を洗いに立ち上がった。まだアバターの調整に慣れていないらしく、足が少し浮いていた。

 彼の姿が廊下に消えた途端、ノルマが笑みを消す。

「……不満そうだな?」

「当たり前でしょう」

 クォータがフォークを下ろすと、ノルマはイライラと爪で食卓をたたいた。

「あいつ、バリバリの対地衛星ですよ。地上のヤバい反乱分子を軌道上からこんがりと丸焼きにしてくるハイパー監視カメラの一基です。あんなすぐバレる嘘なんて!」

「まあ怒るな、我々が怖がらないように配慮してくれたのかもしれん」

「あれが思いやりのあるタマに見えますか?」

 たしかに野生動物みたいだったな、とクォータは歯をこすりながら思う。

 軍用兵器らしいガラスみたいな空っぽの目をしていた。

 彼の座っていた席には拳銃が置きっぱなしだった。クォータたちがもし軍服を着ていたら、躊躇なくぶっ放してきただろう。

 水を流す音が止まり、遠慮がちな足音が戻ってくる。

「まずは、ふたりきりで話すことにしよう」

 クォータは片目をつむった。

「少なくとも彼は客だ。主人として吾輩も誠実に接したい」

「そういうのは小間使いにパシらせればいいんです」

「だってきみ、親身になってるフリとか出来んじゃろ?」

「ええ。よくご存じで!」

 ノルマはいよいよしかめっ面になって、ガムを口に入れた。

「じゃ、せいぜい私は不誠実らしく皿でも洗ってますよ」

「まあ拗ねるな。性格に裏がないことは立派な美徳じゃないか」

「そうやってあなたが褒めると皮肉に聞こえるんです!」

 シッ、と歯を鳴らされてしまった。

 初めて雇ったときはずっと仏頂面だったのに、ここ数千年でずいぶん信頼されたらしい。クォータは苦笑して拳銃を拾い上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

③"00RE : Peace(ラヴリィ:ピース)" 平沼 辰流 @laika-xx

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ