エピローグ

届いた手紙

――時は過ぎて、あの有馬記念の激闘から4ヶ月が経った。



春の陽光が気持ち良い日曜日、時節はゴールデンウィークに突入し、世の中は若干、浮かれ気味である。


「よいしょっ――あっ、ココ、座って良いっスか?」


翔平は、いつもの様に、担当馬の雄姿を待機所のモニターで観ようと、その前のベンチに陣取ろうとしているが、なんだか今日は、妙に余所余所しい。


それもそのはずである――今、翔平が居る待機所は、慣れ親しんだ中山競馬場のモノや、東京競馬場の待機所でもない。


ここは、京都競馬場の関係者待機所である。


翔平――そして、海野は今日、クロテンを春の天皇賞に出走させるために、京都競馬場へとやって来ていた。



翔平は、その天皇賞のパドック周回を終え、間近に迫るスタートを待っていた。


翔平がベンチに腰掛けると、丁度画面は、現在の単勝オッズに切り替わった。


(――2番人気かぁ。


そりゃあ、GⅠとGⅡを連勝してたら、有馬の時とは違うよなぁ)


翔平は顔を綻ばせ、隠すことなく思い出し笑いをした。



クロテンは――4月の初頭、因縁深い日経賞に出走した。



結果は……去年の悲劇を払い除け、グランプリホースの力を示す完勝劇を見せたのだった。



(――さてっと)


翔平は、発走までのヒマを潰そうと、有馬の時以来、ゲン担ぎのために持って来ている、例の巾着袋宝物を開いた。


ゲン担ぎという一面もあるが、有馬の口取り式で舘山が掲げた事で、この巾着袋はクロテンのトレードマークの様に化していた。


それに、翔平の有馬での堂々としたスピーチは、競馬マスコミの間で話題を呼び、雑誌やテレビ局の取材まで来て、正月開催の競馬中継では、翔平のインタビューまで放送されたほどである。



翔平は、巾着の中を覗き、一番上に入っている真新しい白い封筒を取り出す。



その封筒には、差出人の名は見当たらず、微かに残る消印には――『北海道 晴部本局』と記されている。


既に、封は切られている、その封筒から入っていた3枚の便箋を取り出し、翔平はその手紙を黙読し始めた――





カラカラカラ――



溢れんばかりの人が集まった京都競馬場の通路を行く、一台の車椅子の姿が見える。



「――杖を突けば、歩けるんだぞ?、わざわざ、車椅子を借りなくても」


その車椅子に乗っている、優斗は少し不満気に、後ろで押している奈津美に不平を述べた。



「こーいう人混みが出来る場所では、車椅子コレに乗っている方が安全なの♪


側を通る人も、見回っている職員さんも、障害ハンデを抱えている人だって、一目で認識出来るからね」


奈津美は、療法士プロらしく、尤もらしい答えを返した。



優斗と奈津美は、連れ立って春の天皇賞を生で観戦しようと、はるばる北海道からやって来ていた。


実は――コレが、事実上のだったりする。



有馬記念の高配当馬券を払戻した奈津美が、真っ先に優斗に提案したのは――


『新婚旅行を兼ねた、クロダテンユウ応援ツアー!』


――だった。


優斗の――


『いや、まだには早――」


――という、ツッコミはアッサリと遮られ、懸案の同棲に因る引越しや、奈津美の母である奈緒子へのキチンとした挨拶や、もちろん入籍よりも先に、この応援ツアーは決定稿となったのだった。



ちなみに――新年の挨拶と同時に、奈緒子へ同棲と結婚を決めた事(※奈津美の幼い頃からの気持ちに気付いていたらしく、意外とアッサリOK)の挨拶を済ませ、二人の新居は、奈津美が有馬の配当――結果的には、700万円に及ぶ配当金を、使い果たす覚悟で……地方ゆえの地価などの安さを活かし、晴部市に安価な中古住宅を購入し、雪解けを待つ形で、優斗の誕生日がある3月に入籍し、同居もそれに合わせて始めている。


その慌しい生活の変容の中、クロテンが2年越しの悲願となる、春の天皇賞を目指すプランが海野から発表され、それを知った二人も、その念願の旅行を春の天皇賞の時期にしたのだった。



「――そうやって、障害者がこの場に居る事に気付かれるのが、イヤで言ってるんだがな」


優斗は、その若干強引な"新妻"に、重ねて不平を述べる。


「またぁ~、気にし過ぎなんだよぉ~


そりゃあが経験してきた様に、ハンデを抱えた人に対して、快く思っていない人も居るかもしれないけど、逆にこうして、遠目の内にハッキリと解かった方が、どう対処したら良いかの判断が楽なんだから」


奈津美は"夫"に向けてそう言うと、顔を綻ばせて車椅子のスピードを上げようと、腕に力を込めた。


「そうやって気にするのなら、石原さんが馬主席に招待してくれたのを、ど~してお断りしたのさぁ?」


奈津美は、そう言って怪訝な表情で、優斗の顔を覗き込んだ。



「そりゃあ――偶然、ああいう出会い方をしたとはいえ、俺はしがない『ファンの一人』なんだぜ?


あの出会い方を笠に着て、ノコノコとお邪魔するワケには行かないでしょうよ?」


「律義だねぇ~っ!


でも、その割にはちゃんと、レース後の宴席に御呼ばれするのは、快諾してたじゃない?」


「……あれだって、お前が麻生騎手に電話を出させて、断われなくなったんじゃねぇか」



――すっかり、姉妹の如き仲の良さとなった奈津美と翼は、全レース終了の後に会う約束をしていて、天皇賞の結果に関わらず設けられた、海野厩舎の宴会に、二人は招待されたのだった。


そこへの出席を、遠慮しようと思っていた優斗に――


『是非、来て下さい……私の、初GⅠ騎乗のお祝いでもあるので」


――と、電話越しに翼の可憐な"エンジェルボイス"で頼まれ、夏のあの日と同じく、陥落してしまったのである。



ちなみに――翼の初GⅠ騎乗というのも、今日の天皇賞でのモノで、騎乗するのはクロテンではなく、先日オープン特別の福島民報杯を逃げ切り、出走に適う賞金を獲得した、初勝利からの相棒、オーバーレジェンドである。



「えへへ♪、皆さんだって、お会いしたいからと言ってくれているんだしさぁ。


それぐらいは、お言葉に甘えようよ?」


奈津美はそう言って、ゴマでも擂る様に優斗の肩を摩る。


「まっ、予約したラウンジに入ったら、車椅子から降りても良いからさぁ、それまで我慢しよ♪、


結婚してから1ヶ月弱が経つが、奈津美はそう呼ぶのが嬉しいらしく、こうして時には、ニュアンスを替えたりもして呼ぶのである。


「――解かったよ。


の、言うとおりにするさ」


当の優斗も、今では"ナツ"と呼ぶ事は、ほとんど無くなっていた。





『拝啓 クロダテンユウ様』



――と、冒頭に書かれた部分は、文頭こそは筆圧の強い字だが、段々と筆圧が弱まり『様』の字などは、弱々しく薄くなっていて、所々が足りなくなっていたり、逆に長くなって大きく跳ねたりもしていた。



翔平は――この差出人に心当たりが有り、なぜ字がそうなっているのかも知っていた。



文の内容は、まず、以前は欠かさず送っていたのに、急に事情が変わって、この一通まで送らなかった事を詫びる所から始まり、遅ればせながらAJCCでの重賞初制覇を称える文があり、送れなくなった経緯も"改めて"伝えられていた。


――続いて、昨年末の有馬記念での勝利にも触れ、ここでの件ではレースの日に恋人が出来て、あれよあれよと同棲、結婚へと至った、個人的な出来事も綴られていて――おまけに、その恋人が、クロテンの単勝に20万円をつぎ込むという逸話も紹介されており、クロテンの勝利を期になのか、人生が一変したと語られている。


そして、この間の日経賞優勝を称える文脈などが続き、これからの活躍を望む思いや、出走を控えた天皇賞での奮闘と無事の完走を願う件――レースの当日には、現地で応援するつもりだというコトも綴られていた。



それらが綴られた2枚目の便箋を読み終えると、翔平は徐に3枚目の便箋も開いた。



そこには――


『高城翔平様』


――と、どうやらクロテン宛てではなく、読むであろう翔平宛に綴られたモノだった。



『――つたない文と、上手く書けない字のせいで、読み聞かせにはご苦労を掛けたと思います。


本来なら機器を使って、清書されたモノをお送りするのが礼儀だとは思いますが、私の思いを汲んで頂いて、お許しを願いたいです。


さて、昨夏のあの日、偶然にもあなたと、あなたの相棒にお会い出来てから、私の絶望しかなく、曇りきっていた心には何か、あなた方のおかげで日が射して来たのかと思っています。


あなたがあの日言った、"望みを現実に繋げてくれるまれな馬"、という表現は、まさにそのとおりだと思います。


こんな身体の私にも、生き抜く望みを繋げてくれた、そんな馬なのですから。


最後に、私が書いたのでは説得力に欠けますが、これからのご健勝と、これからのご活躍を重ね重ね、願っております』



そう、文面が結ばれた後、その便箋の片隅には――



『「ありがとう」を、希望、繋ぐ馬へ』



――と、小さく記されていた。




――ウアァァァァァァァッ!!!!!




翔平が手紙を読み終えると、丁度と言っても良いタイミングで、凄まじい歓声が挙がった。





――競馬場の外にあるベンチに、座っている誰かが、携帯電話を用いて競馬中継を観ている。




『――暮れの中山での激戦から4ヶ月、ここ京都よどで、今年の"王道"の幕が開きます』



そこから流れる音声からは、天皇賞の中継の"あおり"が始まっていた。



『――"奇跡の馬"が、一時は目の前から潰えた盾への夢を、2年を越して叶えるのか?


それとも――雪辱に燃え、国内に留まった"日本の至宝"が、改めて盾を掲げるのか?


――第…回!、天皇賞――』



石原と海野は、馬主席で固唾を呑んでスタートを待ち、翼は、クロテンの3つ隣のゲートの中で、初めてのGⅠの乗り心地と緊張を、肌と心中で感じていた。


翔平は、待機所のモニターをジッと見詰め、指定席ラウンジでは優斗と奈津美が、手を握り合い、遠くに見えるスタートゲートを見据えた。



『――スタートしましたっ!』





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