第40話 運命は無限の流転

 ここは一体どこだろう。

 光の中で焼き尽くされたような気がするけれども、周囲は真っ白で、自分自身の身体を見ることはできない。わたしの脚どころか体まで存在している気がしない。

 最後の瞬間、彼がわたしを庇おうとしたところまで覚えている。

 だが、近くに彼がいる気配はない。わたしは、叫びだしそうになる気持ちを抑えてあたりを見渡す。

 すると、少し離れた所に光る玉が浮いていることに気がついた。

 レースの管理者かと思い警戒するけれど、よく見てみると光の度合いと大きさが異なっている。


「やあ、こんにちは」

 

 わたしの気配に気づいたのか、光る玉から声を掛けられた。

 レースの管理をしていた者は青年の声だったが、この光る玉は少女の声だ。おそらくは、別の個体だろう。


「優勝したというのに、君には迷惑かけるね」


 声の様子からして、こちらに対しては同情的であるようだけれど、油断はしないでおこう。

 彼ならば、こんな時にどうしたろうか。

 きっと、まずは目の前の相手を観察するはず。

 そして観察が難しい相手なら、会話を試みただろう。


「何者か? そして我に何用ぞ」


 この口調にまだ慣れていないけれど、頑張らないといけない。

 わたしは生きているか、死んでいるかもわからない状態だけれども。

 それでもただ一匹、生き残った女王なのだから。


「ボクもレースの管理者だよ。ただ、君らのところの近くのレース会場の管理者だよ」

「紛らわしいな」

「じゃあ、便宜上、君らのレースの管理者を悪魔と呼ぼうか。ボクの事は、そうだなぁ、蛇とでも呼んでくれればいいよ」


 悪魔。あの光る玉は、まさにそういう生き物だった。

 それに目の前の蛇の話を信じるなら、別の次元のレースの管理者という事は、ここの他でもこんなレースが繰り広げられているという事になる。


「状況はちょっと複雑でね。どこから説明したものかな……君は何から聞きたい?」


 蛇は情報をこちらに教えようとしてくれているようだが、本当に困っているようにも見える。

 だから、わたしは一番聞きたいことを尋ねることにした。


「我とともにあったクモは、どうなったか」

「燃え尽きたよ」


 光る玉は、端的に答えた。

 もちろん、そんなことは分かっていたことだけれども。


「……そうか」


 蛇は、わたしの声色に慌てたように言葉をつづけた。


「あ、でもね。あの小さいクモの命も無駄になった訳じゃない。ボクが君とこうして話していられるのも、あの時、悪魔の攻撃から君をかばったろう。その時に、ほんの少しだけ隙間ができたんだ」


 あの時の彼は、瀕死だったろうに。


「それにね。伝えなきゃいけないことが別にあるんだよ」

「それは?」

「『やり直し』について」


 悪魔がそんなことを言っていたな。


「やり直しとは、結局どうなるのだ」

「分かりやすく言うと、時間が巻き戻るのに近いのかな。全ての生き物はスタート地点に戻る。だから、君もあのクモの双子にまた会えると言えば会える」


 蛇は歯切れ悪く答えた。

 再び会えると思うと、息が止まりそうになるのだけれど、蛇の様子に少し不安を感じる。


「ふむ。その言い方は、何か懸念があるのか」

「何を以て同じ生き物とするか、だよね。彼らに会えたとしても、彼らはこの旅の記憶を覚えていないんだ」


 わたしと共に旅をした彼らは、これから出会う彼らでないということか。

 何をもって同じ生き物とみるか、か。

 ただ少なくとも、わたしたちが積み上げてきたことが、なかったことになる。

 ……堪えるな。


「やり直す。……状況は把握した。だが、再びレースで我らが勝ったとしても、またあの悪魔は『やり直す』のではないか?」

「うん。そうだよ」


 蛇は推測ではなく断言した。


「よもや、このレース自体、一回目ではないということか」


 その想像に身震いしてしまいそうになる。悪魔が気に入らないと言って、砂の城を壊すかのように何度も何度もレースを続けているのだろうか。


「そう、レースは何度もやり直しになっている」


 蛇は素直に肯定した。


「悪魔は自分の気分で物事を決めるからね。虫が気に入らないとかもそうなんだけどさ。ボクは、ちょっとどうかと思うよ」


 蛇の口調が非難めいているようだ。


「蛇は、悪魔とは考えを異にする。ということでよいのか?」

「うん。ボクは、レースは公平でないといけないと思う。結果が気に喰わないでやり直すなんて、それならレースを行う意味そのものがないよ」


 でもね、と蛇は言葉を続ける。


「ボクは悪魔と同格だから、悪魔を止めるための権限がない」

「だが、こうしてわざわざ我と接触を試みるという事は、何かしら対応する策があるということではないか?」


 これは推測というより、わたしの願望に近い。


「……うん。策とも言えない、ひどい作戦だけど聞いてくれる?」

「無論。あの悪魔は我にとって倒すべき者だ」

「作戦は単純でね、あいつが何度やり直そうとしても、これから君が勝ち続ければいい」


 蛇はあっさり言ってくれたけれど、ここに至るのは、そうたやすいものではなかった。


「そうだとすると、どうなる?」

「君が勝つことが本当に嫌だろうから、また悪魔は何度でも『はじめから、やり直す』だろうね。……それでね。レースの管理者は、参加者を直接除外することはできない仕組みなんだ」


 蛇の言葉に思いつくことがある。

 レースの管理者が直接害せないなら、直接殺せる立場になるのだろうか。


「まさか悪魔は、参加者として我らを殺しに来るのか?」

「多分、やるとおもう。あいつはそんな奴だよ。もしあいつを倒せるんだとしたら、その機会しかない」


 その困難さを思うだけで、めまいがする。

 あのレース、一度勝利したことだけでも本当に奇跡的なことだというのに、勝ち続けなくてはならないなど。


「ボクにできることは少ないけど、協力はしたい」

「具体的には?」

「『はじめから』にんげんレースをスタートするときに、君の記憶を次に持ち込む」


 やり直しができるなら、レースを行う上で有利ではある。


「しかし、蛇はこちらの味方をしても良いのか? 蛇と悪魔は兄妹のようなものなのではないか」

「君だってわかるでしょう。隣で生まれたからって兄妹になれるわけではないし、隣で生まれなかったからって、誰かとともにあることができるってことをさ」

「確かにな」


 そういえば、そんなことを彼等も言っていた。

 そして彼らと種族は違えど、私たちは手を取り合えた。


「だが、蛇の動機は他にあるのか? 聞けば、蛇と悪魔が同格なら、その行動にはそれなりのリスクがあるのではないか?」

「うーん。どこから説明しようかな。……にんげんレースの参加者って、基本は自動的に選ばれるんだ」

「基本というからには、例外があるという事か?」

「そう。レースの管理者が、参加者を選ぶこともできる。大概は、ニンゲンになれそうな強い生き物を選ぶものだね。もちろん、レースは公平にしなきゃいけないから、選ばれたからと言って特典があるわけじゃないよ」


 管理者による推薦枠ということか。だが、特典すらないのは、選ばれたものにとっては災難なだけだな。


「それでね。君と一緒にいたクモの兄の方、最後まで君を庇った方の個体がいるだろう」

「……ああ」

「あの個体を、にんげんレースに参加させたのは、ボクなんだ」


 彼が強いことは、わたしはよく知っている。でも、それは共に旅をしなければ分からないことだ。

 どうして蛇は彼に目を付けたのだろう。彼の身体は大きくないし、肉体的にはさほどではないことは見れば分かるだろう。


「小さいクモを選んだのはね。そうだなぁ、あの小さいクモはニンゲンになりたい、って言っていたろう。あれはずっと前からそうでね」

「……そう聞いた」

「でも、多分なんだけど、あの小さいクモの願いは違うところにあるんだと思う」


 わたしも、蛇と同じようなことを感じていた。


「ニンゲンになりたい、ではなく。ニンゲンのように生きたい、ではないか」

「多分、そうじゃないかな。ボクはそんな生き物がニンゲンになれたらいいなって思ったんだ。だからさ、無理かもしれないけれど、機会くらいはあってもいいんじゃないかと思ったんだよ」


 そして彼は、本当にあと一歩の所まで来た。


「本来、小さいクモは、ボクのレースに参加するはずだったんだ。……だけどあの悪魔が、ボクが気にしている個体だからっていって、無理やりボクの担当を奪い取ってしまったんだ」


 蛇は苛立ちを隠せない様子だ。

 わたしとしては気持ちは複雑だ。あの悪魔は許せない存在であるけれども、そういうことがなければ私は彼に会うことができなかった。


「ボクはあの個体がどういう生き方をするのか、そしてその結末を見届けたい、そう思うから彼を選んだんだ。数えられないくらい長生きをしているボクからすると、小さいクモの生き方は、それこそ花火みたいに見えたんだよ。それがボクの動機だよ」


 きっと、彼は強い光なのだ。蛇のように、それに惹きつけられるものもいれば、悪魔のように反発する者もいる。ただ、多くの者の目をひいてしまう。


「あい分かった。それならば、我が目的とも反することはない。いずれにしろ、我は勝利せねばならぬ」


 わたしは、強く生きると決めたから。どんなものにも立ち向かおう。


「その小さい体でも戦ってくれるかい」

「ああ、そうとも」


 蛇はそういうわたしの目の前に、赤い光を差し出した。


「じゃあ、ボクの力をあげるよ」

「これは?」

「これを使って、君の特質を組み合わせれば、君は命を生み出すことが出来る」


 アリにとって数が増えることは、とてつもない力になる事だ。


「もちろんデメリットもすごくある。命を抱えるという事は、その分、死を抱えるという事なんだ。まあ死を体感するとでもいうのかな。やりすぎると魂が摩耗するからね。使いすぎないことだね」


 増えれば増えた分だけ、死を味わうということか。


「まあそうは言っても、数匹増えるくらいが限度だとは思うけど、それだってレースで有利にはなるだろう」

「ふむ。確かに」


 ということは精神さえ強ければ、どれだけの命の数が増えても問題がないということでもあるだろう。

 私は迷うことなく赤い光を手にすることにした。


「よし、じゃあボクらはこれから秘密の協力者だ。よろしくね」

「もう一つだけ条件を付けたい」

「ボクにできることなら」


 蛇は伺うような口調で言う。


「我も知らぬ彼らの物語を、聞かせてもらえぬか」

「……そういうことなら、もちろん」


 それから蛇は、多くの物語を私に聞かせてくれた。

 彼が如何に障害に立ち向かい、どう生き抜いてきたのか。

 わたしは命を受け継いだのだ。ならば、彼らの命を超えて生きていかなくてはならない。

 それは、せねばならぬという義務ではなく、そうありたいという願いだ。

 次に彼らに会うときがあれば、驚くほど強くあってみせよう。

 そして、ヘビの聞かせてくれるどの物語でも彼らは勇敢であった。


「……ほう、あの兄弟の弟の方は、優勝さえしたのか」

「そうだよ。やっぱり小さいクモの介添えはあったけどね」


 そしてどの世界でも変わらぬ男たちだった。


「……っと、いつまでも話は尽きないけど、そろそろ『はじめから』になるころだね」

「そうか」


 蛇の前に、光の渦が現われた。


「この先がスタート地点だよ。……ああ、そうだ。ボクと連絡を取りたかったら、スタートして少ししたところに、真っ暗な小道があったろう。そこに来て欲しい」


 確かに道中、視界が真っ暗な道があった。


「悪魔の奴はレースを監視しているんだけれど、そこだけは監視から見えないんだ。だから、そこにアリ一匹分は要れるくらいの通路を用意しておくよ」

「ではレースが始まったら、まずはそこに向かう事としよう」

「ボクは管理者であるから制約事項も多い。だから君に直接、力はかせないけれどね。悪魔がそのレースごとに、何を企んでいるかくらいなら伝えられるよ。ただ、ボクらの動きは悪魔に知られないようにしないと」


 悪魔に目をつけられないように、彼ら兄弟と手を組むことは出来ないかもしれない。


「ふむ、我が誇りにかけて悪魔は倒そう。……長い旅に、なりそうだ」


 わたしは体もないような状態だが、意識すると少し動けることに気が付いた。

 ふわり、ふわりと光の渦に近づいていく。

 さて、そろそろ行こうか。


「このレースを正しく終えることができるのは、奇跡のような確率だと思う。だけどあるいは君なら、君らなら、運命に勝ちうるのかもしれない。……頑張って」

「奇跡は既に為されている。故に、我らは進むだけだ」


 わたしは一匹なら、何者にもなれず無為に命が散るだけだったろう。

 幸運は最初に与えられたのだ。わたしは運命と出会い、共に旅をし王となった。

 例え、誰もわたしたちの勝利を知らなくとも、栄光はわたしの心に確かに刻まれた。

 ここにいるのはわたし一匹、だが決して孤独ではない。

 勇気は心にあり、希望は魂にある。わたしは……我は女王だ。

 悪魔に押し付けられた運命の織物など破り捨て、我らで新たな運命を織りなしてみせよう。

 永遠の地獄など我らが力で打ち破り、新たな命を次の世界への導くのだ。仮に最後に立つのが我でなかろうとも、だ。

 我は運命の縦糸を、未来に繋げよう。

 そこにこそが、我が女王としてなすべきことである。

 我は迷うことなく、光の渦に飛び込んだ。


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にんげんレース 田宮・こおりもち・二郎 @kabe3

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