第18話

 背後に気を配りながらいつもの踊り場に向かうと、すでに静珂たちが到着して弁当や焼きそばパンを口に運んでいた。表情は晴れやかながらも疲れがにじみ出ており、それは風眞も同じだった。購買で入手したカツ丼を手に座りこめば、長いため息がこぼれる。

「休み時間に全然休めねえ……」

「あっはは! オレもやわ……」

「僕もぉ」

「夏休み明けの反響はだいたい予想してたけど、想像以上だったね」

 風眞たちのライブデビューは成功に終わった。アンコール後に全員で歌唱したあと、改めて所長からマジックワンドの紹介があり、観客から送られた温かな拍手と声援を忘れることはない。

 あれから一週間と少しが過ぎ、二学期が始まっている。始業式だけだった昨日は特に問題なかったのだが、今日になってクラスメイトたちから質問や祝い攻めにされたのだ。

 ライブの様子はネットで配信されていたため、それを視聴していた生徒が少なからずいた。クラスメイトがアイドルになったという噂はあちこちに飛び火し、休み時間になるたびに席を取り囲む人数が増えていったのである。

 昼食くらいゆっくり食べたい、となんとか教室を脱出したものの、中庭や廊下はひと目が多すぎる。ひと気のない場所といえば例の踊り場しか思いつかず、四人はあとをつけてくる生徒をまきながらどうにか集まった。

「『おめでとう!』とかは素直に嬉しいんだけどな」

「『応援してるね』も言われたりしない?」

「言われた。それもまあ、ありがてえんだけど。問題は『あのマジックのネタ教えて』とか『いつからアイドル目指してたの』とか、すっげえ聞かれる方だよ……」

 他にも所長や副所長とどんな話をしたのか、彼らの趣味やプライベートの様子など、主に女子を中心としたファンと思しき生徒からあれこれ聞かれた。勝手に答えるわけにいかないし、適当にはぐらかしたけれど、興味本位の追求から逃れるのは骨が折れる。教室に戻ればまた質問地獄かと思うと気が重い。

 しかし風眞と静珂はまだいい。モデルとして活動していたぶん、以前からそういった対応には慣れている。

 問題は麻黄耶と那央だ。

「もうエラい大変やったんやで」と麻黄耶が焼きそばパンをかじる。普段に比べて一口が小さいのは、口を大きく開ける気力が薄れているからかも知れない。「朝からすごいねーおめでとうって言われっぱなしや」

「色んな人に言われたねぇ。担任の先生にも言われちゃったぁ」

「嬉しいわ照れくさいわ、ちょっと疲れてくるわ、もうどんな顔してええんか分からんようになってきてもて……」

「どんな時でも笑顔でいられる練習した方がいいよ。これから慣れていけば?」

 祝われても嬉しくなさそうにしていれば、応援した方としては良い気分にならないだろう。静珂の指摘に、一年生コンビはぐったりしながら「そうする」とうなずいていた。

「でもまあ、応援してもらえるってことは、これからも期待されてるってことだろ。興味持ってもらえねえより遥かにましだ」

「確かになー」

 ライブ以降、様々な雑誌からインタビューも申し込まれているとマネージャーも嬉しい悲鳴を上げていた。ネット上にはすでにマジックワンドに注目する記事もいくつかあがっている。所長の目論見は憎らしいぐらいに当たったわけだ。

「そういえばCDの発売日っていつなん? 風眞先輩、所長とかマネージャーからなんか聞いてへんの?」

「十一月三十日らしいぞ」

 知ったのはつい一昨日だ。静珂と初めて顔を合わせた時の会議室に呼ばれ、所長から直接教えられた。

 その瞬間の彼を思い出すだけで、おかしくて笑ってしまう。くすくすとつい肩を揺らすと、三人から不審な目を向けられた。

「いや、所長がすっげえ残念そうな顔してたからさ」

「ざっくんが? なんで?」

「『本当は十一月二十六日にしたかったんだけどなあ』って」

「二十六日ってなにかあったっけぇ?」

「不思議の国のアリスが出版された日なんだと」

 ライブの開催日はアニメ映画の公開記念日だったため、CDの発売日も原作にちなんだものにしたかったらしい。

 しかし今年の十一月二十六日は土曜日だ。それのなにがいけないのかと訊ねた風眞に、所長は「CDってだいたい水曜日に発売されるんだよね」と唇を尖らせていた。

 結果、マジックワンドのCDリリース日は二十六日の次の水曜日である三十日になったというわけだ。

 ――そういえば。

 アイドルになってもらうと言われた時、どうして自分なのかと問うた風眞に所長は「適任だと思う」と言った。

 なぜそう感じたか、ずっと分からなかった。その後はメンバー集めやレッスンでうたがうタイミングが無く、CDの発売日について説明されたあと、ようやく聞くことが出来たのだ。

『マジシャンとアイドル、似てる気がするんだ』

『そうですか?』

『君が目指していたのは、君のお父さんみたいなマジシャンだよね。だから、ほら。似てるでしょ』

『……その前に、親父みたいなのを目指してたって所長に話したことありましたっけ?』

 所長はにこにこ笑うだけで答えない。マネージャーから聞いた可能性が高いが、思いもよらないルートから情報を仕入れている可能性もある。特に隠していたわけでもなかったため構わないけれど、得体の知れなさが深まって胡乱な目を向けてしまった。

『風眞くんのお父さんは、お客さんをびっくりハラハラさせても、最後は必ず笑顔になってもらってる。それを目指してる君なら、どうすればお客さまを幸せに出来るかよく分かってると思って』

『それで俺を適任だって言ったんですか』

『実際、適任だったでしょ? 君がリーダーだったからこそマジックワンドはまとまったと思うし、マジックを骨組みにした演出はファンの人たちにも受け入れてもらえた。それだけじゃない。歌、ダンス、トーク。全部に君の――君たちの努力が詰まっているって、客席にしっかり届いていたよ。もちろん未熟な点もいっぱいあるけど、それはここから改善させていけばいい。頑張ってね』

 ――そうだ、ここがゴールじゃない。

 今後はレコーディングも控えているし、テレビ番組やライブに呼ばれることも増えるだろう。

 意見の衝突も無いとは限らない。互いの意地や方向性の違いがぶつかって、喧嘩が巻き起こる日も間違いなくある。

 ――でも多分、俺らなら大丈夫だと思うんだよな。

 ――全員で横一列に広がって、これからも進んでいければいい。

「まーくん!」

 那央の焦った声で我に返ったとたん、風眞の目に映ったのは喉を抑えて何度も咳きこむ麻黄耶だった。その隣では静珂がぽかんと口を開け、かと思うと顔を赤くして「信じられない!」と怒鳴る。

 いったいなにが起こったのか。以前の風眞と静珂のように、喧嘩でも勃発したか。ひとまず麻黄耶を落ち着かせようと背を擦ってやり、頃合いを見計らって問いかけた。

「た……」ぷるぷる震える指で、麻黄耶は静珂の手元を示す。「卵焼き……」

「卵焼き? 善利の弁当に入ってるやつ?」

「そう!」

 答えたのは静珂だ。かなりお怒りらしく、頬をむすっと膨らませている。怒声はびりりと窓ガラスを震わせる。

「ボクの弁当箱から勝手に取っていったの。信じられない!」

「だって焼きそばパンだけやと足りひんくてっ」

「欲しいなら欲しいって一言声をかけるでしょ、普通!」

 静珂の弁当箱には最後の一つになった卵焼きが入っている。毎日欠かさず作っていると聞いた覚えがあるし、夏休み中も作っていたのだろうが、上達している気配が見えない。どころか、焦げ具合がひどくなっているような気さえする。

 まさか麻黄耶はあれをつまみ食いしたのか。

「僕は止めたんだけどねぇ」

 やれやれと苦笑しつつ、那央は水筒のコップに麦茶を注いで麻黄耶に差し出していた。

「一応聞くけど、善利の卵焼きって美味いの?」

「全然」と那央は容赦なく首を横に振る。「見た目は悪いけど味は良い、みたいな料理あるでしょ? しーちゃんの場合そんなことないんだぁ。期待を裏切らない、見た目通りの味だよぉ」

「つまりまずい、と。なんで本人は普通に食えてんだよ」

「味覚音痴だからだよぉ。所長も料理下手くそだって聞いたことあるし、そういう血筋なのかなぁ」

「なんか、こう、苦いししょっぱいし辛いし……色んな味する……」

「勝手に食べておいて感想がそれ? ほんと信じられない!」

「三回も言わんでええやんかー!」

 わーん、と涙目の麻黄耶に縋りつかれそうになり、風眞はひょいと身をかわした。腹が満たされなかったとはいえ、今回は麻黄耶が悪い。慰めてやる理由はないが、口直しとしてカツを一切れ恵んでやる。

「おー、ありがとう風眞先輩!」

「俺に礼言うだけじゃねえだろ」

「静珂先輩ごめんなさい」

「ちゃんと謝れてよろしい。善利もひとまずこれでいいだろ」

「仕方ないな。今回だけだからね!」

 静珂は仏頂面を緩めて笑い、麻黄耶の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。まるで飼い主に毛並みを乱される大型犬だ。

 癖のあるふわふわとした黒髪は、撫でられるごとにどんどん膨らんで暴発していく。次第にもとの髪型が分からなくなり、堪えきれなくなった風眞たちの笑い声と、スマホのカメラで自分の現状を観た麻黄耶の悲壮が、踊り場の天井に高く響いた。


                  終

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風船葛は夢を見る 小野寺かける @kake_hika

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