第17話
暗転したステージにこつこつと靴の音が響く。
なにが起こるのかと不思議そうな人々を前に、風眞はゆっくり一歩ずつステージの中央へ進んでいった。客席では赤や青、黄色のペンライトが灯されている。アンコールで三ユニットが一斉に登場すると思っているからだろう。
期待感の中、風眞は息を整えて顔を上げる。白くまばゆい一筋のスポットライトに、黒いシルクハットをかぶった姿が照らされた。
「皆さま、本日はようこそお越しくださいました」
カレンデュラや霹靂神ではなく、ランディエでもない。突然見覚えのない人物が現れて、ファンたちは少しばかり戸惑っている。その不安を和らげるように、笑みを浮かべて穏やかな声音で語りかけた。
「『誰だお前』ってお思いですね? 安心して、怖がらないで。俺はいわば、未知だけれど魅力的な世界へあなた方をお連れする先導のようなもの」
かち、かち、と硬質な音がどこからともなく響く。初めは小さく、声を潜めなければ聞こえないだろう。風眞は唇の前に人差し指を立て、徐々に大きくなるそれに耳を澄ませた。
「おっと、いけない」
いささか大げさに目を丸くして、パンツのポケットに手を伸ばす。
取り出したのは、きらきらと黄金色に輝く懐中時計だ。針はぴったり六時を示したまま止まっている。
「うかうかしていたら遅刻してしまう。約束をしているんです。急いで皆さまをお連れしなければ」
催眠術をかけるようにふらふらと左右に時計を揺らし、静珂に似たいたずらな笑みを唇に刷いた。
「え? どこへ連れて行くのかって?」
くるん、とひときわ大きく時計を揺らして高く放り投げる。
落ちてきたそれを手に取った瞬間、時計だったはずのものはスペードの飾りがついた杖に変わっていた。
客席はもちろん、ステージの照明も風眞を照らすスポットライトしかないため、人々の表情ははっきり分からない。けれど確かに驚くざわめきが耳に届いて、緊張に溺れかけていた胸が余裕を取り戻した。
「奇妙で愉快で、魔法に満ちたお茶会へ!」
ステージスタートの合図だ。杖の先端にエメラルドグリーンの輝きを宿すと同時に、ほのかに緑がかった白い光がカッとステージ全体を照らした。
そこにはいつの間にか、風眞の右に那央が、左に麻黄耶が立っている。なにが起こったのか分からないながらも、人々は思い思いの色にペンライトを光らせて歓声を上げてくれた。
麻黄耶は持ち手部分が長いハートの杖を持ち、頭には小さな王冠の飾りをつけて胸を張っている。ちらとうかがった顔は強張っていない。那央はいつも通りに「にひゃひゃ」と白い歯を見せ、近くにいた観客に手を振っていた。
「おや、最後の一人がまだ来ていないようだ」
「ほんとだねぇ」
「『帽子屋さーん!』って呼んだらな!」
「大丈夫。こうすれば出てくるから」と風眞はシルクハットに手を伸ばし、次いで客席に目を向けた。「『帽子屋はお前じゃないのか』って言いたそうな人が何人かいますね。そう、俺は違う」
言ったでしょう、と滑らかに続けながら、中になにも入っていないと証明するようにシルクハットを客席に見せつけた。
「俺はあなた方をお連れする先導――白うさぎだ。さあ、よく見ていて。帽子から目を離さないで」
時計と同じように、再びシルクハットを高く放る。
また帽子がなにかに変わるのだろうと誰もが考えているはずだ。視線がそちらに集中している気配が伝わってきた。
ふわ、と一瞬だけ空中に留まって、それは緩やかに落ちてくる。期待が最高潮に達した瞬間、ぽんっと軽い音とともに風眞の手前から勢いよく数多のトランプが吹きあがった。
ばらばらと散っていくその中から、すいと腕が伸びてシルクハットをぶれ一つなくつまむ。
現れたのは静珂だ。ふふん、と満足げに目を細め、手にしたそれを頭に被った。
「お待たせ。お茶とお菓子の準備に時間がかかってて。まだ終わってないんだけど……あれ、ずいぶんたくさんお客さまを連れてきたんだね」
「みんなお茶会楽しみーって顔しとんで」
「僕もわくわくしてるよぉ」
「じゃあその期待に応えないと!」
静珂がベストの胸ポケットから小さな杖を取り出した。サイズは風眞のものと同じだが、先端の飾りはクラブである。
ひとあし先に光っていた風眞の杖以外、静珂の杖がエメラルドグリーンに、那央と麻黄耶の杖がマゼンタにきらめいた刹那、怪しくも軽快なイントロが流れ始めた。
ぽろぽろと弾んだ音色はグロッケンだ。バイオリンとヴィオラは優雅な旋律を奏で、バスクラリネットが重厚感を加えてくれている。
「では皆さま。いよいよお茶会の始まりです。が、その前に」
「その前にー?」と麻黄耶は風眞ではなく、客席に向かって問いかける。次いで「はい、オレとおんなじように!」と促せば、意図を察した人々が麻黄耶の言葉をいっせいに反復した。
「俺たちが何者なのか、紹介しないといけません」
ステージ上で横一列に並び、風眞たちは各々胸に手を当てて腰を折った。
「俺たちは〝マジックワンド〟。皆さまの日常に魔法をかけ、非日常へ誘いましょう! ご心配なく。お茶会はいつまで経っても六時のままだ。時間なんて気にせず、心行くまでお楽しみあれ!」
わっと盛り上がりが客席に満ちる。まだ状況を完全に理解できたわけではない様子の観客もちらほら見受けられるが、これから笑顔になってもらえればいい。
風眞たちは声をそろえて、デビュー曲を高らかに歌い始めた。
「お疲れさま」
なんとか初ステージを終えて四人が舞台袖に引っこむと、感心した様子の所長が待ち受けていた。横には丹和と青士もいる。三人は大きな音が出ないよう気をつけつつ、控えめな拍手を送ってくれた。
「よくやった。ミスが無いわけじゃなかったが、お互いに上手くカバー出来てたじゃないか」
「声もよう出とったしね。ええ感じやったやん」
「ありがとうございます!」
口々に褒められて嬉しくないわけがない。風眞が礼を言うのに続いて、三人も一様に頭を下げた。
「ファンの人たちも、初めはびっくりしてたみたいだけど最後は楽しんでくれてたね。その証拠に、ほら」
所長が指さした先のステージはすでに照明が落ちている。だというのに、客席の拍手が鳴りやむ気配はない。それどころか大きくなりつつあった。
「君たちのパフォーマンスが最高だったっていう表れだよ。本当にお疲れさま」
「まずマジックでインパクトを掴めたのも良かったんじゃないか? 時計が杖に変わった瞬間、みんな驚いてたしな」
「成功して良かったです」
練習では何度も時計を取り落としたり、すり替えるタイミングを計れなかったり失敗をくり返した。諦めて違う演出にしようかと悩みもしたけれど、挫折せずに続けたおかげで本番では無事にうまくいった。
「麻黄耶とか那央くんがいきなり現れたんはどうやったん?」
「暗いところからいきなり明るいところに行くと、眩しくて目がくらんだりしますよね。その効果をちょっと使いました」
「お客さんが『うわっ、眩しっ』って思っとるうちに、舞台袖に隠れとったオレと那央がバーッて走ってってスタンバイしてん」
「結構単純でしょぉ?」
大成功、と二人は楽しげにハイタッチを交わす。弟のデビューが感慨深いのか、青士は慈愛に満ちた眼差しを彼らに向けていた。
「静珂く……しーちゃんがトランプの中から現れたのもすごかったよ」
愛称で呼ばれたことに驚いたのか、静珂がはっと目を丸くする。所長としてではなく、プライベートな従兄弟としての感想なのだろう。
「あれはステージのせり上がりを使ったんだよね。よく出来てたよ」
「えへ、ありがとう」
「その辺の演出とか、風眞くんが考えたん? 所長から無茶ぶりされたんやろ」
「俺一人で考えたわけじゃありません」
風眞は首を横に振り、三人を順に見つめた。
「俺が『こういうことしたい』『やってみたい』って提案して、善利たちが『じゃあこうしよう』って小道具や照明の色を意見してくれたんです」
演出だけではない。ユニットの世界観や口上など、三人はあれこれと思いついてくれたのだ。今回のステージは、風眞一人ではとうてい作り上げられなかったに違いない。
芝居がかった雰囲気はカレンデュラを、トランプが舞ったシーンはランディエをそれぞれ参考にしている。模倣になっていなかったか気がかりだったけれど、所長たちに大丈夫だと言ってもらえてほっとした。
「おい、そろそろ出てった方が良いだろ」
丹和の背後から副所長が現れる。彼は風眞たちを「よく出来てた」と端的に褒めて、ひっそりとステージの様子をうかがった。
「いつまで拍手させてんだよ。待ちぼうけ食らわせすぎると逆に不満が湧くぞ」
「そうですね。手も痛くなってきてるでしょうし、行きましょうか」
「ほんなら僕も反対側行かなあきませんね。二人とも『青士がおらへん!』って焦っとるやろし、急がんと」
口ぶりのわりに青士はゆっくりと反対の舞台袖に向かう。副所長が「さっさと歩け!」とその背中を押すのを見やり、風眞は首を傾げた。
「アンコールですか?」
「そう。ライブの最後はみんなで出て行って、一曲歌うことにしてるんだ。あ、風眞くんたちも一緒にだよ」
「……聞いてませんけど?」
「言ってなかったっけ」
あまりにもあっけらかんとした態度に、風眞はしばらく怒れなかった。状況を理解して憤慨しようにも、場所が場所なだけに声を荒らげられない。
「言っておいてくださいよ。あんたなに考えてんだ!」
眉を吊り上げて文句をぶつけると、麻黄耶には「どうどう」と羽交い絞めにされ、那央には「よしよし」と頭を撫でられた。
「言うの忘れてたとかじゃなくて、意図的に伝えてなかったでしょう!」
「言おうとした気はするんだけどね。言った気になっちゃってたかも」
「確信犯だ、絶対そうだ……」
「すまん」と丹和が呆れたようにため息をついた。「あとできつく叱っておく」
「まあとりあえず、そんなわけでもう一回ステージに行こう」
全員で歌うのは霹靂神のナンバーだそうだ。他のユニットを参考にする際に何度か聴いたことはあるし、ざっくりと覚えているものの、ちゃんと歌える自信はない。今回は振りをつけず横並びで歌うらしく、踊る心配が無いのはありがたかった。
「あ、向こう側で輝恭さんたちもスタンバイ出来たみたいだ」
「最初はお前とテルヤスが挨拶するんだろ?」
「うん。じゃあ行ってくるよ。合図したらみんなも出てきてね」
所長は副所長とアイコンタクトを取り、そろってステージに飛び出した。観客の声援はいやまして、それを一身に受ける二人は待たせた詫びと応援の礼を述べている。
「そういえば」
とん、と丹和に肩をつつかれ、風眞は目をまたたいた。
「ライブを今日にした理由を、改めて柘榴に聞いてみたんだ」
確か所長は「覚えやすくていい」からと八月二十二日を開催日に選んだのだ。
「なんて言われたんですか?」
「『公開日』だそうだ」
なんの、と訊ねられるのを、四人の視線で察したのだろう。丹和はステージに視線を移しながら続ける。
「不思議の国のアリスと言えば、世界的に有名な某アニメーション映画があるだろう? 六十九年前の今日は、日本でそれが公開された日なんだ」
「そう、なんですか」
マジックワンドのモチーフ作品になぞらえて決めたのか。所長なりの粋な演出だろう。
となるとCDデビューも関連した日付にするつもりだろうか。聴いてみようとしたところで、所長たちに「みんな出てきて」と呼ばれてしまった。
そうだ、今はまずライブを無事に終えることに意識を向けなければ。
風眞たちはそれぞれの杖を手にし、気合を入れるように先端をかつんっと合わせる。悠々と出て行った丹和に続き、四人は再び眩しい光の中へ歩んでいった。
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