第16話

 雷鳴に似た轟音がライブ会場全体に響きわたる。次いで客席に集ったファンたちが黄色い声を上げ、ステージに立った二人組に向かって山吹色のペンライトや装飾を施したうちわを振っていた。

 その様子を舞台袖からひっそりとうかがいつつ、風眞は「すげえ」と呟いた。もう何度同じことを言ったか分からない。しかしそれは他の三人も同様だろう。風眞の脇からステージをのぞき見て、感嘆の吐息を漏らしたり呆気に取られたりしている。

 準備期間はあっという間に過ぎ、いよいよライブ当日である。

 初めて会場に入ったのは二日前だ。レッスン室に比べてはるかに広い空間と、音の響き方の違いに初めは戸惑った。だが度重なる練習のおかげでダンスや歌は覚えたままに出来たし、演出も問題なく予定通りに出来た。

 あとは落ち着いて本番を迎え、最高のパフォーマンスを客席に届けられれば良い。

 ――って、思ってたんだけど。

 前かがみになって膝に置いた手がぶるりと震える。

「待たせたなぁ!」

 ファンの前に立つ二人組の片方――副所長がマイクを通じてファンに呼びかけた。その途端、イントロをかき消さんばかりの勢いでファンたちが一斉に彼の名を叫んだ。副所長の隣では嵯峨が照れくさそうに手を振り、ファンの声援に応えている。

 二人は白を基調とした和風の衣装に身を包んでいた。堂々とした立ち姿は照明を浴びてまばゆく輝き、神々しささえ感じられる。

「……こうやって見ると、想像してたより客席が近くない?」

 霹靂神の歌声に紛れて、静珂がぽつりと言う。麻黄耶は首が取れんばかりにうなずき、那央は珍しくこわばった表情でぎこちなく首を縦に一度だけ動かしていた。風眞も「確かに」と小声で同調して、体の震えを抑えるように深呼吸をくり返した。

 準備中は当然ながら客がいない。空の席を見てだいたいの距離感は掴んでいたはずだが、いざ人が入ると想像以上に一人一人の表情がはっきりと分かる。

 さらに所長の予想通り、ライブ会場は満員御礼だ。やはり霹靂神の事務所移籍後初ライブという宣伝効果が大きかったようで、SNS上でも期待する声が数多く見受けられた。

「この状況で緊張するなって方が無理だろ……」

「あかん、めっちゃ心臓バクバクなってんねんけど」

「手が汗でびちょびちょだよぉ」

「風眞はマジックのコンテストとか出てるじゃん。こう、観客の目に慣れてたりしないの」

「慣れてたつもりだけど、コンテストの緊張感とは種類が違えよ」

 コンテストとは観客の数や熱気が大きく異なる。審査員から向けられていたのはテクニックを確かめる視線だったのに対し、ライブで人々から注がれるのは嬉々としたそれだ。期待と興奮に彩られた瞳は、ステージに立つアイドルから逸れることはない。

 曲に合わせて光の波を生み、ほんの一瞬でも目が合えば幸せそうに、あるいは涙を浮かべて喜ぶ。アイドルはそんな人々の想いに応え、最高のパフォーマンスを届けるのだ。

 大盛り上がりのうちに、霹靂神の一曲目が終わる。歌われていたのは彼らのデビュー曲で、和太鼓の激しさと、息の合ったダンスで場の雰囲気は一気に盛り上がった。

「どうだった?」

「!」

 不意にしっとりとした声が耳を撫でる。驚きに声を上げかけたものの、舞台袖だと思い出して寸前でなんとか口をつぐんだ。慌てて振り返ると、にこにことした笑みを浮かべた所長が立っていた。

 ステージ用の衣装だろう。一見すると白いシャツに黒いスラックスというシンプルな装いだが、シャツの襟の先には金糸で花の刺繍が施されている。腰の後ろには光沢のある真っ赤な飾り布を下げ、真紅のブーツはユニットのモチーフとなっている童話〝赤い靴〟にふさわしい。

 四人がそろって会釈すると、所長はおかしそうに眉を下げる。

「みんなずっとここで観てたんだね。どうせなら客席に回って観ればいいのに」

「そうしようとも思ったんですけど、夢中になってこっちに戻ってくるの忘れたらまずいので……」

「ここやったら今のうちに空気感に慣れとけるかなーとも思たし」

「先輩たちの動きも一番近くで見られるしねぇ」

「ふふ、なるほど。確かに」

 ステージではトークタイムが終わり、二曲目が始まっている。先ほどの激しさと打って変わって、尺八と琴の麗しく落ち着いた音色が特徴的だ。副所長たちのハーモニーは癒しを帯び、ファンたちは緩やかにペンライトなどを振っていた。

「副所長って、普通に喋っとる時はめっちゃ厳ついのに、歌とる時は優しそうやよな」

「ギャップ萌えってやつぅ?」

「それを言うなら嵯峨さんもでしょ。本当に衣装の打ち合わせした時と同じ人? って疑いたくなるくらい」

「部屋のすみでこそこそしようとしてた人とは思えねえ」

 それだけしっかり意識を切りかえているのだろう。プロのアイドルとしてステージに立つ以上、背筋を伸ばして前を向かなければならない。

「麻黄耶が言ってたようなことを、嵯峨さんはやってんのかな」

「オレ?」

 きょとんと首を傾げる彼を一瞥し、風眞は嵯峨に視線を移す。副所長と共に歌う横顔はとても楽しそうだ。

「『自分じゃない誰かになってみたい』って言ってたろ。俺の予想だから本当はどうか知らねえけど、ステージに立ってる時の嵯峨さんは『アイドルとしての嵯峨菊司』っていう、自分だけど自分じゃない〝誰か〟になってんのかな、と思って」

 わあっと客席が湧く。曲が終わり、副所長がファンたちに手を振ったらしい。

 霹靂神は風眞たちが控える舞台袖とは反対の方へ姿を消す。入れ替わりに現れたのはランディエだ。観客たちはいっせいにペンライトの色を山吹色から青色に変え、同時に二胡の流麗なメロディーがスピーカーから発される。

 麻黄耶が声を限界まで抑えて「兄ちゃーん」とハートの杖を振る。聞こえているはずが無いのだが、青士は弟の姿を認めると鮮やかなウインクを見せてくれた。

「そういえば、君たちのご家族ってステージ観に来てるの?」

「うちは姉ちゃんと母さんが来るそうです。親父は海外だから無理で。善利は?」

「両親が来てるはず。ざっく……所長の顔も久しぶりに見たいしって」

「僕のとこも両親と、あと妹と弟も来てくれるって聞いてますぅ」

「麻黄耶は?」

「んー、お父さんは仕事で来られへん言うてたし、お母さんは上から見てくれてんと違うかな」

 上、とはどこだろう。このライブ会場に二階席はない。いまいち伝わっていないと感じたのか、麻黄耶は天井を指さした。

「お空」

「……は?」

「オレが幼稚園くらいん時に、お母さん亡くなってしもて」

 買い物に出かけたところで車に撥ねられたそうだ。父は転勤が多く、母の死後、幼い麻黄耶を育ててくれたのはもっぱら兄の青士と祖父母だという。

 ――だから青士さんを尊敬してるって言ってたのか。

 自身も学業で忙しいはずなのに麻黄耶の面倒を見て、家計を助けるためにモデルとしても活動する。その姿を間近で見続けたからこそ、兄のようになりたいと願ったのかも知れない。

「やから今日のオレの頑張りは、兄ちゃんがいっぱい観てくれる約束やねん! 一生懸命歌たら、もしかしたらお母さんとこまで聞こえるやろし!」

「張り切らなきゃだねぇ」

 麻黄耶と那央は「おー!」と声をそろえ、拳を何度も突き上げる。

 ランディエは一曲目を終え、軽快なトークを展開していた。主に青士がぼけて、リーダーの青年はそれに振り回されつつ慌ただしく突っ込む。残る一人はそれを黙って見つめるばかりで、リーダーから助け舟を求められる、というのがお決まりの流れのようだ。

「ああ、いた。柘榴」

 暗がりから音もなく丹和が現れる。彼も所長とほぼ同じ衣装だが、腰の布だけ夕日に似た橙色だ。

「もうすぐ出番だぞ。なにやってる」

「ごめんごめん。みんなの様子を見に来てたんだ。今行くよ」

 じゃあね、と所長は手を振って去っていった。丹和はその背を追いかけようと踏み出したが、なぜか立ち止まって風眞たちに振り向く。

「緊張は?」

「してます」

「俺もだ」

 ステージに立った経験は多いだろうに、それでも緊張するのか。思ったままのことをそのまま問うと、丹和は眉を下げて苦笑した。

「何回ライブをやっても緊張はするさ。良いものをファンに届けたいってプレッシャーもあるからな。俺だけじゃない。テルヤスも菊司も、ランディエの皆や柘榴だってそうだと思う」

「でも全然そんな風に感じませんでしたけど……」

「それはそうだろう。緊張する以上に楽しんでるから」

 ランディエの二曲目が流れ始める。これが終わればいよいよカレンデュラの出番だ。丹和は風眞の肩を励ますように軽く叩いて、足早に去った。

「緊張する以上に楽しんでる、か……」

 丹和に叩かれた箇所を撫でて、風眞は力強く笑う。

 ――ちゃんと歌えるか、踊れるかって心配ばっかりしてても仕方ねえ。

 一度しか経験できない初ライブなのだ。まずは自分が楽しんで、出来る限りのことを思い切りやろう。観客に笑ってもらうことも忘れてはいけない。教室でマジックを披露した時のように、笑顔と驚きを届けよう。

「みんなー、僕らのライブ楽しんでくれとるー?」

 二曲目が終わらないうちに、青士が客席に向かって問いかけている。返事の代わりに盛大な拍手が返り、青色の光が勢い良く左右に揺れていた。

「ほんなら次はいよいよお待ちかね。カレンデュラの登場やよ。ほらほら、今のうちにペンラの色変えて。――さ、準備ええやろか。まだまだライブは終わらへんよ。このあともめいっぱい楽しんでってな」

 ランディエがステージから下がると、照明のトーンが暗くなった。背景にはステンドグラスを彷彿とさせる映像が映し出され、厳かな鐘の音も合わさり、どこかダークな印象を与えられる。

 薄暗い光の中、カレンデュラの三人はそれぞれの立ち位置でスタンバイしていた。誰かの息をのむ音が聞こえた刹那、スポットライトがパッと灯り、同時にバイオリンの甘美な調べが会場の空気を支配した。

「…………!」

 すごい、と声にしたはずが、言葉にならなかった。

 所長たち三人の一糸乱れぬ動きは、完璧というほかない。特に風眞より二つ上だという最年少のメンバーはダンスと歌声は軽やかで、指先をピンと伸ばす動き一つとっても洗練されていた。

 アイドルのライブというより、まるでミュージカルの一幕を観ているようだ。悲恋から這い上がる乙女の心を綴った歌詞はストーリー性にあふれ、それを感情豊かに歌い上げる三人の声に、ファンはペンライトを振ることも忘れてじっくり聞き入っている。

「こっ、これのあとにオレら出てくん?」

 ぷるぷる小刻みに震える指でステージを示し、麻黄耶が訊ねてくる。

「……だな……」

「無理やて、無理! あかんて!」

「僕らが出て行ったらすごい空気になったりしないかなぁ、これ」

 カレンデュラのパフォーマンスに圧倒されたのか、那央がわずかに後ずさっていた。それほどまでに所長たちのステージは美しいのだ。怖気づくのも無理はない。

 だが。

「ビビらない!」

 小声ながらもはっきりと、静珂が麻黄耶と那央を叱咤する。そのまま二人の肩に腕を回し、ぐいっと引き寄せていた。

「ボクらが新人だってお客さまは絶対に分かる。そりゃそうだよ、観たことのないユニットなんだから。要するに、ダンスの振りをちょっと間違えたくらいだったら、みんな『今ミスったな』なんて気づかないよ。正解を知らないんだもん」

「そ、そう、なんか……?」

「うん。まあだからと言って失敗していいわけじゃないけどね。歌詞を忘れたとかはさすがにまずいし。でももし間違えたなら、黙ったりするんじゃなくてそのまま歌い上げること! ダンスもね。絶対に動きを止めないで。ボクと風眞なら、二人の間違いをうまくカバー出来るから」

「なんで俺もカバー出来る側に入ってんだ」

「ダンスの経験は無くても、アドリブでどうにかするだけの技術はあるでしょ」

「信頼してくれてどうも」

 カレンデュラはいつの間にか二曲目を歌っている。あと十分もすれば、風眞たちはステージに立っているのだ。そろそろ準備を、とスタッフも呼んでいる。

 ふー、と細く息を吐いて、風眞も麻黄耶たちの肩に腕を回した。

 円陣なんて組むのは初めてだ。テレビやマンガで目にしたことはあるが、いざ自分がやってみると照れくさくもあり、気持ちの昂りも感じられた。

「何ヵ月も練習してきたんだ。その通りにやればなにも問題ねえ。けどまず第一に、自分たちが楽しむのを大事にしよう。いいな?」

「もちろん」

「おう!」

「オッケー」

「よし、じゃあ行くぞ」

〝マジックワンド〟初めてのステージへ。

 所長たちのパフォーマンスはクライマックスに差しかかっている。風眞たちは手を重ね合わせて気合を入れ、それぞれのスタンバイ場所に向かった。

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