第15話
ライブ当日まで一ヵ月を切り、準備はいよいよ大詰めに入った。
夏休み期間のため、放課後に限られがちだったレッスンが午前から行えるようになった効果は大きく、通し練習もしやすい。演出の話し合いに費やす時間も増え、自分たちでより良いステージを作るのだという意識も強くなってきた。
レッスン室には風眞たちのデビュー曲が流れている。四人の前には副所長と丹和が並んで立ち、ダンスと歌声の最終確認に臨んでいた。
動きは不自然になっていないか、声がぶれずにしっかり出ているか、動きにばらつきは無いか。いずれの点もまだ完璧と言い切れないけれど、初日に比べればスムーズになっているはずだ。
「いいじゃないか」
曲が終わり、余韻の中で丹和がぱちぱち手を叩く。
「フォーメーションを変える時にもちゃんとアイコンタクトが出来てる。余裕が出てきた証拠だな」
「おい」と副所長が丹和をじろりと睨みつける。「テメエの担当は歌だろ。俺の分野に口出すんじゃねえ」
「不満ならお前が歌の方を評価すればいいんじゃないか? それならおあいこだろ」
「そういうことじゃねえんだよ。なんのために担当割りふってると思ってんだ」
喧嘩が勃発しそうな雰囲気だが、二人はだいたいこの調子だと学んでいる。口を挟むべきか悩んで静珂たちと目配せしていた日が懐かしい。
結局、副所長は丹和の提案に従うことにしたようだ。初めは眉間にしわを寄せて険しい顔をしていたものだから、厳しい指摘が飛んでくるのかと身構えた。しかし予想に反し、彼はすぐに表情を緩める。
「音がちゃんと狙ったところに当たってんな。声もしっかり通るようになった。前と比べりゃ雲泥の差だ」
「あとはその感覚を忘れず、体に慣れさせておくことだ。今と違って、当日は大勢のお客さまが目の前にいる。間違いなく緊張するだろうし、そうなると動きも固くなってしまう。リラックスして練習通りのものが出来るように意識を、」
「練習通りのもんでいいわけあるか」
丹和の言葉を遮って、副所長がにいっと唇を三日月形に歪めた。
「練習以上に良いものを見せんだよ。今までやったものに沿うだけの動きってのは客も感じ取るからな。覚えたとおりにやるだけじゃ機械と変わらねえ。練習を踏まえつつ、楽しいとか嬉しいとか、幸せとかってのを堂々とぶつけてこその舞台だ。そうだろ?」
「なんとなく分かりました!」
威勢よく返事をした麻黄耶に、副所長は「なんとなくじゃなくてちゃんと理解しろ」と不服そうに目を細め、彼の頭を乱雑に撫でまわしていた。
「そういえば、演出はうまくまとまったのか?」
ずっと気になってはいたものの、訊ねる機会を逃していたらしい。うずうずとした様子の丹和に、風眞はうなずきながらどこからともなくスペードの杖を取り出してうなずいた。
「俺たちのデビュー曲のタイトルって〝エンチャンター〟じゃないですか。意味を調べてみたら『魔法使い』とか『魔法をかけて魅了する人』って出てきたので、それに併せたものにしたんです」
「ユニット名にも〝
「なるほど。今みたいな感じでマジックを使ったりするのかな」
「当日のお楽しみにしておいてください。なにをするのか分かっているとつまらないでしょう?」
「それもそうだ。残念だったな、テルヤス」
「俺が気になってたみたいな言い方するんじゃねえ。つーかテルヤスって呼ぶなって何回言えば分かんだよ、テメエは!」
副所長が憤激しているのも気にせず、丹和は空気を切りかえるようにぱんっと手を叩いた。
「じゃあ今日はここまでにしておこう。明日は当日の衣装を着た状態で動いてもらう。今日と同じ時間にここに集合してくれ」
「分かりました。あ、このあとって誰かここの部屋使う人いるんでしょうか」
「いや、誰もいないと思うよ。自主練で使いたければ使って構わない。けどあまり根を詰めすぎないようにな。疲労が溜まって負傷したらよくないから。それじゃあ、お疲れさま」
「おいテメエ、俺の話はまだ終わってねえぞ! 待てコラ!」
颯爽と去っていく丹和を、副所長が肩を怒らせて追いかけていく。慌ただしい足音が聞こえなくなったところで、四人は全身の力を抜いた。
麻黄耶は床に大の字で寝そべり、かたわらにしゃがんだ那央が彼の顔を手で仰いでいる。静珂は涼しい顔でペットボトルに口をつけているが、頬と首筋には汗が伝っていた。
「なに?」風眞の視線に気づいたのか、彼は訝し気に眉をひょいと上げる。「風眞もお茶飲む?」
「欲しい。さすがに喉渇いた」
にこりと微笑んで手を広げれば、風眞のぶんのペットボトルが飛んでくる。オレもー、と訴えた麻黄耶には缶ジュースを投げて、静珂はその場にどっかりと腰を下ろしていた。風眞もその向かい側であぐらをかき、常温の緑茶を喉に流しこんだ。
「しっかし、あの人たちって仲良んだか悪いんだか分からねえよな」
「副所長と丹和さんのことぉ?」
「喧嘩するほど仲が良えってやつやろ。風眞先輩と静珂先輩みたいやん!」
「それ喜んでいいやつ?」
「ていうか『テルヤスって呼ぶな』ってなんやろ? 名前で呼ばれんの嫌なんかな」
「僕の記憶が正しいなら、副所長の名前って〝輝恭〟って書いて〝キキョウ〟って読むはずなんだけど……」
「じゃあなんだ? 丹和さんはわざと副所長の名前間違えてんの?」
「愛称だったりしてぇ。で、それを気に入ってないとかぁ?」
「あかん、もっと分からへんようになった」
もしうっかり丹和につられて名前を呼び間違えたら、副所長のユニット名にふさわしい雷のごとき怒りが落とされるだろうか。余計な地雷は踏まないに越したことはない。相対する際には気をつけなければ。
「あー、あと三週間もしたら、オレらステージに立ってんねんな」
ごろりと寝返りを打ち、麻黄耶が足をばたばたと動かしながら掠れた声で言う。
「全然実感わかへん」
「なんだよ。アイドルになりてえって一番思ってたの、多分お前だぞ」
「てっきりわくわくしてるのかと思ってたのに」
「もちろんわくわくもしとるよ? しとるけど、まだあんまステージに立っとるイメージ出来へんねん」
「僕もだなぁ」
那央も麻黄耶に倣ってうつ伏せになり、肘をついて「ねー」と目を見合わせている。ほのぼのとした様子が気に入ったのか、静珂はスマホのカメラで楽しそうに彼らを撮影し始めた。なんとも気の抜けた光景だ。
「あとはやっぱ、緊張してヘマしてもたらどうしようって心配なんやよね。風眞先輩はそういう不安あらへんの」
「ありまくりだ」
自信に満ちた返事を想像していたのか、麻黄耶が意外そうに目をまたたいた。
素人の一年生組に比べ、風眞はモデルとして活動していたぶんカメラや大勢の視線には慣れている。だが歌とダンスのレベルはこの数ヵ月でどうにか上げたものだし、振りや歌詞が頭から飛んでしまわないか恐れている。
観客に受け入れてもらえるかも心配な点の一つだ。事前告知のないユニットが突然現れて、大多数は戸惑うに違いない。
「けどそういう人たちに驚いたり、楽しんでもらえたら最高だよなって楽しみもある。ほぼ強制的に〝マジックワンド〟のステージ――未知の世界に飛びこんでもらうんだ。だから俺たちは観客っていう〝アリス〟を誠実に、精いっぱいもてなさねえと」
決意を語って拳を握ったとたん、しんとした空気が流れる。
おかしなことを言っただろうか。ぎこちなく三人を見やると、呆気にとられたようにぽかんと口を開けて固まっている。
「な、なんだよ。なんか言えよ! いたたまれねえだろ!」
「いや……うまいこと例えるなあって感心してただけ」
「そっかぁ。観客はアリスかぁ」
「〝不思議の国のアリス〟モチーフにしとんのに、そういえばオレら四人とも肝心のアリス担当してへんしな」
「主人公がいないと物語はなりたたないし、うん、いいこと言うじゃん。ちょっとクサかったけど」
「いちいち余計だなほんとに!」
なにげなく放った一言だったが、意外にも高評価で妙にくすぐったい。頬を薄赤く染めて、むずむずと首筋を何度もさすった。
「あと風眞先輩ですごいなー思たんがさ、やっぱ演出やな!」
「やめろ、いきなり褒めだすな」
「だって本音やし」
寝転がるのに飽きたのか、麻黄耶は勢いよく上体を起こして風眞に顔を近づけてくる。にいっと笑う顔は無邪気で明るく、性格の裏表のなさがよく出ていた。
「マジック取り入れるとか、オレ全然思いつかへんだもん。どうやって考えたん」
「ああ、それは」風眞は麻黄耶に握りこぶしを向けた。手のひらを上に向け、閉じていた指を開けば、紙で出来た青い蝶が現れる。「ランディエの演出見て思いついたんだよ」
舞い落ちてくるこれを見てから、頭の片隅にずっと既視感が引っかかっていた。
どこかで見たことがあるはず、と思っていたけれど、父との別れ際でようやく気がついた。〝和妻〟だ。扇子で仰いで紙の蝶に命を宿すそれと、風を受けて舞う青い蝶はよく似ていた。
「マジックは俺の得意分野だし、やってみたら面白そうかなって思ったんだよ」
「お客さんびっくりしてくれそうだよねぇ」
「でも風眞が提案したのって、ランディエみたいなのじゃ無かったよね」
「青士さんに言われただろ。『僕らみたいになろうとしたらあかんよ』って」
ランディエのようなパフォーマンスをしたのでは、単に彼らの模倣になってしまう。そもそもユニットの方向性や雰囲気も違うのだ。仮に同じ演出を使っていたら、観客に違和感と既視感を与えていただろう。
青士が言いたかったのは、恐らくそこだ。深い意味があるのかと複雑に考えてしまったが、答えは単純明快だった。
「俺たちは俺たちなりのステージを作ればいい。他のユニットの演出から学ぶものはあるけど、丸っきり同じことしたんじゃただのパクりだ」
「参考にはするけど、真似はしないってことね」
「そういうこと」
提案した当初は懸念もあった。マジシャンとしてのテクニックを見せつけて、そちらの業界からも声がかかるきっかけにする算段では。風眞にそのつもりはなくても、三人がそう感じてしまわないか危惧していた。
――だから「良いじゃんそれ」って言ってもらえたの、すげえ嬉しかったんだよな。
その他にも照明の色や小道具など、四人で何度も話し合って自分たちなりの演出を作り上げた。未熟な部分は所長たちや演出を専門とするスタッフから助言をもらい、より良いものが出来た自信がある。
ふと時計を見やると、時刻は十四時を回っていた。
レッスン室に入ったのが朝の九時で、小休憩や昼食時を除いてずっと体を動かしていた。今のところ目立った疲れは感じていないが、無自覚のうちに全身に負担をかけているかも知れない。
丹和が指摘した通り、疲労の蓄積は負傷の原因になる。ステージ本番を前にして不調をきたすのは避けたいけれど、もう少しパフォーマンスの精度を上げておきたかった。
「あと一時間だけ動くか。そのあとは体動かさない方の練習ってことで」
「体動かさない方の練習?」
首を傾げる麻黄耶と那央に、「トークだよ」と静珂が答える。
「MCも僕らでするらしいから、自己紹介とか考えないと」
「自己紹介かぁ。どんなのにしようっかなぁ」
「めっちゃおもろいの考えやんとあかんな!」
「いきなり『魔法少女ジュリアン&ポリアンサが好きです!』は言うなよ。情報量で渋滞が起きる」
「えー、言おうと思っとったのに! ていうか風眞先輩、タイトルちゃんと覚えてくれたんやな! 嬉しいわあ。あ、アニメも見たりした? ハードボイルドでめっちゃ良え話いっぱいやったやろ?」
「お前が何回もタイトル言うから覚えただけで見てねえよ。魔法少女でハードボイルドってなんだ、ちょっと気になってきたじゃねえか」
「その話あとにしない? 言われたこと覚えてるうちにダンスの復習しようよ」
麻黄耶は素直に言うことを聞き、てきぱきと空き缶やペットボトルを片付ける。
自主練が終わったら魔法少女の弾丸トークが待っているのだろう。自分一人では勢いに押されていつまでも喋らせかねない。静珂と那央も巻きこむ決意をして、風眞はデビュー曲の音源を流した。
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