第14話

 翌日の放課後、空港に向かう父を見送るために風眞は自宅の最寄り駅に赴いた。予想していた通り弟子たちが追いかけて来日したという。改札にほど近い通路脇で、父は特に反省した様子もなく笑っていた。

「次の公演まで時間があることに変わりはないんだ。せっかくだから、あいつらに日本を案内してやってくるよ」

「あまりに予想通り過ぎて驚かねえ」

「うん? なにがだ?」

「いや、こっちの話」

 駅に来るまでに調達したのだろう。父は手に書店の袋をぶら下げている。恐らく中身は旅行ガイド数冊と思われた。

 乗車予定の電車が来るまで、まだ少し時間がありそうだ。電話でいつでも伝えられるとはいえ、どうせなら面と向かって話した方がいい。保留していた答えを告げなければ。

「あのさ、弟子入りしないかって話なんだけど」

「どうしたいか決めたのか」

「親父の弟子にはならない」

 父は一瞬だけ目を瞠ったけれど、すぐに力を抜いて微笑んだ。「そうか」とうなずいた声には、どことなく安心した響きが含まれている。

「それでいいんだな」

「ああ。目指したいものがもう一つ出来たからさ」

「アイドルだな。うん、なんとなくそんな気はしてたよ」

 どういうことかと首を傾げると、父は風眞の肩を軽く揺すってきた。

「前までの風眞だったら、俺の提案に即答してたはずだ。けど迷ってただろう」

「……お見通しだったんだな」

「俺はマジシャンだぞ。人の思考を察せられなくてどうする」

 話術や視線の誘導などで、マジシャンは巧みに観客の心理を操作する。弟子の提案をした際、父はその技術を応用して風眞を自分と同じ道に歩ませることも出来たはずだ。

 しかし、それをしなかった。風眞の迷いを見抜き、自分の意思で今後を決めさせた。

 弟子になる道を選んだ場合でも、父は受け入れていただろう。後悔しないかと問うこともなく、息子の意思を尊重していたに違いない。

「ユニットのメンバー……友だちとも、話したりしてさ。『アイドルになりたくないか』って聞かれて、『なりたい』って言えたんだよ」

「そうか、良かったな」

「まあちょっとトラブルはあったけど」

 昨日の放課後、風眞は静珂の教室を訪ね、帰り支度をしていた彼の前で頭を下げた。

 風眞と那央が階段の踊り場に向かったあと、静珂と麻黄耶がどんな話をしたのか分からない。ただ静珂の目元はわずかに赤らんで腫れていたため、涙を流したであろうと予想は出来た。

 アイドルになりたいから父の弟子にはならない、と伝えても、初めは信じてもらえなかった。

「『お前って優柔不断だもん。またいつマジシャンになりたいって言いだすか分からない』って怒られた」

「短い付き合いのわりに、風眞の性格をよく見抜いてるじゃないか」

「だよな。だから『もう迷わない』って何回も言って、どうにか納得してもらえた」

 その頃には麻黄耶と那央も教室にいて、風眞たちの話が落ち着くのを黙って待ってくれていた。すでに答えを知っていた那央は終始微笑んでいたし、はらはらした面持ちも麻黄耶もやがて頬を綻ばせていた。

 しかし。

『けどな!』話の区切りを見計らったように、麻黄耶が声を上げた。『風眞先輩のあっちにふらふら、こっちにふらふらする風船みたいな姿勢もあかんけど、静珂先輩も人の話ちゃんと最後まで聞かなあかんってとこはあると思うねんな!』

『聞いてるでしょ』

『冷静な時やったらな。けど昼休みん時は風眞先輩がなんか言おうとしとったのに、静珂先輩が掴みかかってしもたやろ。あれはあかんかったな。なあ、那央?』

『そうだねぇ』

 指摘されなくとも、頭の片隅では自身の行いを恥じていたのだろう。なにかしら言い返そうとする素振りを見せたものの、結局しょんぼりと肩を落として唇を尖らせた。

『ってことで、さっきの喧嘩は風眞先輩と静珂先輩、お互いさまや』

『……ごめん』

『もとはと言えば俺がはっきりしなかったのが悪い。けど確かに、ひと目がある場所ではもうちょっと落ち着けよ。教室戻ったあと大変だったんだぞ。なにがあったんだって質問攻めにされて。はぐらかす俺の身にもなれ』

『なんて言ってはぐらかしたのぉ?』

『演技の練習してて、場所も忘れて役に入ってしまったって言った』

『だいぶ無理あるやん』

『無理あるね』

『無理やりだねぇ』

『うるせえな!』

 いくら無理な言い訳でも、貫き通せばどうにか納得する者が一人や二人はいるし、それでなくとも触れてはいけない話題なのだと大多数は察する。六時間目を終えた頃には興味が薄れたのか、誰からの問いかけも無かった。

 時おり静珂たちの口調を真似ながら顛末を説明すると、父にまで「ずいぶん無理やり言い訳したな」と笑われた。

「他に案が思いつかなかったんだよ」

「はは。まあ仲直りできたなら良かった。それじゃあマジシャンの夢はどうするんだ? 諦めるのか?」

「諦めねえ。目指し続けるよ」

 風眞はポケットからコインを取り出した。

 思えばこのコインとの付き合いも長い。父が初めての海外公演を終えたあと、お土産としてくれたのだった。

「友だちに言われた。アイドルかマジシャン、どうしてどっちかしかないんだ。欲張りな考え方をしてもいいんじゃないかって。……単純な話だったんだ。両方目指せばいい」

 ぴん、と指先でコインを弾いて高く上げた。落ちてきたそれを掴んだ時、コインだったものはいつの間にか手のひらサイズの小さな杖に変わっている。

 先端にはスペード型の飾りがつき、杖の中ほどにあるスイッチを押すとエメラルドグリーンの光を放つ。なんだそれは、と視線で訊ねてくる父の前で、風眞は杖を左右に振った。

「俺たちのライブで使うアイテム。那央が作ったんだ」

「例の手先が器用な友だちか」

「そう。欲張りでいいって言ってくれたのもそいつ。片方しか選べないって思いこんでたけど、那央のおかげで視界が開けた。アイドル兼マジシャンってそんなに聞かねえだろ? 話題になりやすいと思うし、そういうの所長は大歓迎だと思うんだよな」

 なにかと話題性にこだわっていた彼のことだ。まだ方針を伝えていないが、きっと背中を押してくれると信じている。

 二足の草鞋なんて今どき珍しくもない。モデルとアイドルを両立させている先輩だって身近にいるのだ。風眞の場合、そこにマジシャンが加わる可能性があり、大変さは増すだろう。それでも構わないと思えた。

「それで本当に後悔はないんだな?」

「ない」と強く言いきれば、父は表情を引き締めて、無言で風眞の肩を叩く。励ましと期待を込めた強さだった。

「にしても、風船な」

「?」

「いやその、麻黄耶くんだったか? 的確な例えを言うなあと」

 くすくすおかしそうに口の端を緩めて、父は風眞をじっと見つめてくる。

「お前の名前の由来って教えたことあったか」

「幼稚園か小学生くらいの時に聞いたような気はするけど、あんまり覚えてねえな。なんで?」

「昔住んでた家の庭って、いろんな草とか花が生えてただろ。その中に〝フウセンカズラ〟があってな」

 空気を含んでふっくら膨らんだ、文字通り風船のような見た目が特徴的な植物だ。種に白色でハート模様があるのが可愛らしいと人気で、今の家の庭でも夏場になるとよく茂る。

「それを名前の由来にしたんだよ」と父の指が風眞の胸をつつく。「花言葉が『自由な心』『飛び立ち』『飛翔』とかでな。大きくなったら自由に、自分のやりたいように羽ばたいていってほしいって願いを込めてつけたんだ」

「……親父って花言葉とか気にするタイプだったのか?」

「俺は意外とロマンチストだぞ」

「自分で言うか」

「じゃなきゃマジックで世界の人を笑顔にする、なんて言わないだろ?」

 それもそうだな、とどちらからともなく笑った。

 近くの壁に埋めこまれている時計を見やり、父はスーツケースのハンドルを握る。そろそろホームに向かうようだ。

「あんまり弟子の人たちを困らせるなよ。自由過ぎるって愛想尽かされても知らねえからな」

「大丈夫だ。加減はちゃんと考えてる。みんなにも息抜きは必要だからな。そのための日本観光だ」

「自分がやりてえだけだろ」

「そうとも言うが、一応勉強目的でもあるぞ。せっかく日本まで来てもらったんだし、和妻わづまを見せるいい機会だ」

「和妻?」

「おいおい。マジシャンを目指してるのに知らないとは言わせないぞ」

 呆れたように言いながら、父はどこからか扇子を取り出した。隠していた場所が分からず、なにもない空間から突然現れたようにしか見えない。

 顔を仰ぐために出したのかと思ったが、どうやら違う。父は広げたそれを胸の前でひらひら動かした。

「テレビとかで見たことないか? こうやって、扇子で紙の蝶を仰ぐやつ」

「……あ。ある」

「まるで本当に生きてるように見えただろ。他にも扇子から水が吹き出してるように見えるのとか、傘を次々に出すのとか。そういう、日本伝統の手品を〝和妻〟っていう――」

「あっ!」

 風眞の声に父が目を丸くして硬直した。近くを歩いていた人まで一瞬足を止め、なにごとかと不審そうに見やってくる。かあっと頬が熱くなり、わずかに肩を縮こめた。

「なんだ、どうした急に」

「いや、ううん。ずっと引っかかってたことが解決しただけ」

「だからって急に大きな声を出すな。驚くだろ」

「マジシャンは人を驚かせるもんじゃねえの」

「驚かせ方がそうじゃない」

「分かってるって。ほら、そろそろ電車来る時間だろ。間に合わなくなるぞ」

 これ以上言いあっている時間はない。風眞は父の背中をぐいぐい押した。

 次に会えるのはいつだろう。またしばらく海外を転々とするはずだ。定期的に電話するから、と名残惜しそうに改札を通ったところで、父は風眞に振り向いた。

「そういえば、名前はなんなんだ?」

「なんの」

「お前たちのユニット名。デビューしたらどこかしらのメディアには取り上げられるだろ? けど名前を知らないと調べようがない」

「言ってなかったっけ」

 風眞は先ほどの杖を取り出して、再び先端に光を灯した。

「魔法の杖――〝マジックワンド〟だよ」

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