第13話

 四人の中でもっとも声が高いのは静珂だ。まろやかなアルトは中性的で聴き心地がよく、安心感を与えられる。

 だが。

「ふざけないで」

 震える喉から発されたそれは、彼のものとは思えないほど低く棘があった。

 ぞっと背筋に冷たいものが走る。表情を確かめようにも、至近距離過ぎていまいち窺えない。

「よ、善利」

「ねえ、僕らの現状分かってる? 一ヵ月半後にはステージに立つんだよ。四人でそこに行く準備をしてるの。なのに、なに? まだ『マジシャンになりたいからやっぱりアイドルは辞める』とか言うわけ?」

「まだ決定事項じゃねえ!」

「そうなると思うって言ったじゃん!」

 揃って声を張り上げてしまったせいで、周囲が異変に気づき教室から喧騒が消えた。水を打ったような静けさの中、麻黄耶が静珂の腕を掴んで風眞から引き離そうとしている。しかし思いのほか力が強いのか、二人の間でおろおろ視線を行き来させていた。

「いい加減にしてよ。ユニットのリーダーはお前なのに!」

「なりたくてなったわけじゃねえ、元はと言えばお前が『首輪が必要』だって俺に押しつけてきたんだろうが!」

 そうだ、なりたくてなったわけではない。アイドルだってそうだ。望んでなろうとしているわけではない。所長に命じられて、こちらに拒否権など無くて。

「なあ善利。お前確か所長に憧れてるって言ってたよな。だからアイドルになりたいんだって」

「それがなに」

「俺だってそうなんだよ! 子どもの頃からずっと親父みたいなマジシャンになりたいって憧れてんだぞ。簡単に諦められるわけねえ、分かるだろ!」

「二人とも、ちょっと落ち着こ。な? どうしたんやろってみんなびっくりしとるし」

「麻黄耶は黙ってて。ボクはこいつと話してるの」

「話すっつーか怒鳴るの間違いだろ」

「殴りかかってないボクの冷静さを褒めてくれてもいいけど」

「掴みかかってんのはセーフなのかよ」

 指摘されて動揺したのか、力が緩んだ一瞬の隙に静珂の手を振りほどく。

 夏服で良かった。冬服であればネクタイをしていたし、間違いなくそちらを掴まれて首が締まっていただろう。

「目の前にチャンスがあるんだぞ、掴みたいって思うのは普通だろ。所長から『アイドルになってもらう』って言われて、夢に一歩近づけたって嬉しかっただろ? それと一緒なんだよ」

「…………」

「いったんアイドルになることも考えた。けどあらかじめ抜けるって分かってるもんをファンは応援したくねえ、だろうし、だったら初めから、いない方がいい、かなって」

 唇も舌も、喉もうまく動かせていない気がして、言葉が何度も途切れる。それでも伝えなければ、考えを理解してもらえない。どうにか最後まで言い切って静珂に目を向けると、なにか言いたそうに口を開けては閉じ、最終的に拳を握って顔をうつむけてしまう。

「しーちゃん」

 とんとん、と那央が彼の肩を叩く。のんびりとした声音は、二人の間に流れるぴりついた空気を少しだけ緩ませた。

「はい、お弁当箱。中身も拾っておいたよぉ。落としちゃダメだよ、もったいないからねぇ」

「…………ありがとう、ごめん」

「あとねぇ、まーくん」

「んぇっ」まさか呼びかけられると思っていなかったのか、麻黄耶は大げさに肩をはね上げて「な、なにっ」と目をまたたいていた。ちょいちょいと手招きして、那央は彼の耳元で囁く。

「しーちゃんのことお願いしていいかなぁ。混乱してるみたいだから、ちょっと落ち着かせてあげてほしくて」

「ええけど、那央は?」

「僕は――」

 こっち、と言葉にする代わりに、那央の手が風眞を示した。

「俺……?」

「うん。ちょっと来てほしいなぁ」

 返事も聞かないうちに那央は背を向け、ぺたぺたと教室から出て行く。追いかけざるを得ず、教室中から注がれる視線を避けるように、風眞も廊下に出た。しかしそこに那央の姿はない。忽然と消えている。

 かと思うと、「こっちこっち」と呼ぶ声が廊下の端から届いた。どうやらあっという間に階段のそばまで移動していたらしい。昼休みも終わりがけだし、一年生の教室に戻ろうとしているのだろうか。

 だとしたらなぜ風眞を連れ出したのか。意図が分からないまま追いかければ、予想通り彼は一年生のフロアがある三階へと進んでいく。けれど那央は三階についても足を止めず、風眞に馴染みのある場所でようやく振り向いた。

 屋上に続く階段の踊り場だ。相変わらず薄暗く、ちらほら埃もたまっている。日光が直撃しないおかげで暑さはそれほど感じないが、湿気でどこかじめじめした雰囲気が漂っていた。

「よいしょっ」彼は踊り場ではなく、屋上にほど近い階段に腰を下ろす。「ここなら誰も来ないよねぇ」

「なんでここなんだよ。つーかもうすぐ昼休み終わるぞ。教室戻らねえと」

「僕と一緒にサボっちゃお」

 にひゃひゃ、と笑って、那央は隣に座るよう指を曲げて招く。仕方なく腰を下ろすと同時に、五時間目の開始を知らせるチャイムが鳴った。

「風ちゃん先輩と初めて会ったの、ここだったよねぇ。まだ二ヵ月とちょっとしか経ってないのに、すっごく懐かしく感じるよぉ」

「……思い出話しに来ただけか?」

「ううん。『尊敬してる人は誰か』を教えようと思って」

 そういえばカラオケに行った際、その話題を振った時に那央は「ナイショ」とはぐらかしたのだ。なぜ今になって答える気になったのだろう。黙ったまま続きを待っていると、彼は照れくさそうに口を開いた。

「僕ね、しーちゃんを尊敬してるんだぁ」

「善利を?」

「しーちゃんのお弁当に入ってる卵焼き、見たことある?」

「あの焦げてるやつだろ。ほぼ炭の」

「あれね、毎朝しーちゃんが自分で作ってるんだよぉ」

 学校のある日だけではない。土日も欠かさず作っているそうだ。

 だというのにまったく上達していないのか。風眞が見てきた限り、一度たりともまともな見た目のそれを確認できていない。最近ではもはや丸焦げが好きなのかと思っていたほどだ。

「形になってるだけマシだよぉ。昔はスクランブルエッグ状態で焦げてたんだもん」

「……よく諦めずに作り続けてんな」

「でしょ。そこを尊敬してるの」

 那央の目は北に面した窓に向けられている。だがそこから見える空を眺めているわけではなさそうだ。遠い記憶を辿るように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「しーちゃんって、どんなに失敗しても情けなくても、絶対に諦めないんだよねぇ」

「絶対に……」

「うん。ダンスもね、昔はすっごく下手くそだったんだよ。風ちゃん先輩よりひどいくらいだった」

 自分で自分の足を何度も踏むし、テンポについていけずダンス教室の先生から叱られて泣くこともあったという。そのたびに那央は静珂の愚痴をただ聞いて、練習するから見ていてくれと頼まれたそうだ。

「家の近くに公園があったから、そこで毎日練習してたんだぁ」

「よく途中で投げ出さなかったな」

「それだけダンスが好きだったからだよぉ。好きだからこそ妥協したくない、諦めたくないって頑張ったんだぁ。だから、ほら。今では僕らの中で一番上手でしょ?」

 ダンスの技術は天性のものではなく、諦めずに努力した結果手にしたものだったのだ。アイドルのレッスンを始めてからも、歌い方の改善などに取り組んだという。知らなかったと驚けば、幼馴染である那央にはともかく、風眞や麻黄耶には感づかれないよう家で密かに練習をくり返していたそうだ。

「所長みたいなアイドルになるのを諦めてないから、今のしーちゃんがあるんだよねぇ。だからしーちゃんはきっと、風ちゃん先輩がマジシャンを諦められないの、よく分かってると思うよ」

「…………」

「不器用だし素直じゃないから、うまく伝わってない気しかしないけどね。さっき言ってたでしょ、『一ヵ月半後にはステージに立つ。四人でそこに行く準備をしてる』って。多分ね、しーちゃんは今がすっごく楽しいし、これからも楽しみなんだよぉ。僕ら四人で歌ったり踊ったりするのが。だから風ちゃん先輩がアイドルにならない、なったとしてもいずれ辞める、マジシャンになるって考えてるのが悲しかったんだと思う。でも憧れてるものを諦められないことも知ってるから、どうしていいか分からなくなっちゃったのかも」

 だからといって掴みかかっていい理由にはならない、と那央が苦笑する。教室だったのも悪かった。モデル同士の喧嘩は話題の種になるに違いない。しばらくは興味本位でなにがあったのか訊ねてくるクラスメイトもいそうだ。

「……俺は、マジシャンになりたい」

「うん。じゃあアイドルにはなりたくない?」

「……分からねえんだ」

 マジシャンの夢は諦めたくない、諦められない。けれどアイドルになりたくないのかと訊ねられると、言葉に詰まって即答できない。

 ぐしゃぐしゃと髪を乱しながら頭を抱える。はー、と迷いのため息が静謐な空気に溶けた。

「じゃあさ、聞き方を変えるねぇ。ユニットを組んでから今日まで四人で色々すること多かったけど、その時間、風ちゃん先輩は楽しかった?」

「…………」

 那央がどんな表情をしているのか定かではないが、きっと優しく穏やかに風眞の言葉を待っている。

 校庭では体育の授業が行われているようだ。遠くから楽しげな声が響いてくる。

「『楽しかった』って過去形じゃねえ。楽しいよ」

 自分でも意外なほど、答えはすんなり出た。

「最初はそりゃ面倒くさいとか、なんでアイドルになるレッスンなんてとか思ってたけど、いつの間にか楽しくなってた。ダンスが出来るようになるのも達成感あったし、歌は正直まだちょっと自信ねえけど、でも前に比べたら上手くなった。……マジックと一緒なんだ。出来なかったものが出来ると、嬉しいし楽しい」

「うん」

「けどマジックと違うのはさ、俺一人じゃねえところだよ。今までずっと一人でマジックの練習してきたけど、アイドルのレッスンは四人でやるだろ。歌声がうまくハモったり、ダンスが揃うと『やった!』ってみんなで喜べる。それが俺は、楽しい」

「僕もだよぉ」那央が笑いながらうなずく。「風ちゃん先輩やしーちゃん、まーくんと同じ時間を共有して、喜びを分かち合えるの、とっても好き」

 静珂と麻黄耶も恐らく同じだ。横一列に広がって目標に進む時間が、なにものにも代えがたくなっている。

「じゃあもう一回聞くね。風ちゃん先輩は、アイドルにはなりたくない?」

「なりたい」

 今度はしっかり、はっきり迷いのない口調で告げる。

「アイドルになりたい。善利と有葉と、麻黄耶と俺の四人で、だ」

「じゃあそれを、しーちゃんに伝えよう。もちろん、まーくんにもね。すっごく不安そうな顔してたから」

 風眞たちと違って、二人はちゃんと教室に戻って授業を受けているだろう。次の休み時間は短くて忙しなくなりそうだし、放課後にでも訊ねて謝らなければ。

 ぱたぱたと顔を手で仰いで、那央は伸びをしながら立ち上がる。慣れない場所に同じ姿勢で座り続けたからか、関節からぽきっと音がした。風眞も同様に腰を上げたところで、「でも」と顔をわずかにうつむける。

「アイドルにもなりてえけどさ、マジシャンの夢も諦められねえんだ。ずっと憧れてきてるし、今さらその思いを捨てられねえよ」

「うーん、それなんだけどさぁ」

 唇を指で押し上げて、那央は不思議そうに風眞を見る。

「アイドルになるためにはマジシャンを捨てる、マジシャンになるためにはアイドルを捨てるって、どうしてどっちかしかないの?」

「……え」

「もっと欲張りな考え方してもいいんじゃないかなぁって、僕は思うけど」

「ん? なんだ、誰かいるのか?」

 運悪く廊下を通りかかった教師がいたらしい。那央の声を聞いて踊り場に現れ、授業を放り出してなにをしているのかと怒られた。

 ひとしきり説教を食らったあとで、那央は軽い足取りで自分の教室に戻って行く。その背中に手を振りながら、風眞は彼に言われた言葉を呟いた。

「欲張りな考え方、か……」

 いつまで立ってるんだ、と再び教師に叱られるまで、風眞はしばらく廊下に立ちつくしたまま考えごとにふけっていた。

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