ゆるふわ
春雷
ゆるふわ
それは突然、僕のもとに訪れた。あまりに唐突な来襲だったので、僕は最初これは夢かと思った。今でも夢なんじゃないかと思う。きっと夢だろう。
未だ頭は混乱しているが、初めから話してすっきりしたいと思う。
10月は、個人的には最悪の月である。なぜかと言うと、夏休みが終わるからだ。大学2年生の僕は、いよいよ大学生活にも慣れ、というより飽きて、何をやっても面白くない。そんな状況に陥っていた。どうにかこの状況を打破しようと、バイトを死ぬほど入れたり、合コンに行きまくったり、何となくプールに行ったり、絵画教室に通ったり、自動販売機の写真を撮ってみたり、いい感じの路地を探したりしたが、人生をテコ入れすることはできなかった。特に後半は迷走具合が甚だしくて、自分でも何の時間だこれ、と思わざるを得なかった。自販機の写真がスマホの容量を圧迫し始めた時に、ようやく自分が迷走していることに気づいた。自分の阿呆さ加減に、自分でもびっくりした。プールも絵画教室も、見渡せばご老体ばかりで、僕が心の底から欲していた女の子との出会いも皆無だったし、こんなことなら「寄生獣」を読み返した方が有益だった。
それなりに充実していたと、言えなくもない9月がそんな感じで終わり、ついに僕は10月へと足を踏み入れた。履修登録を済ませると、僕は勢いよく自宅へ帰り、配信でアニメを観ることにした。合コンに8回くらい行った後で、彼女を作ることは諦めた。頭の中で作ろう。友達も同様である。
僕には社会適合能力が、欠けているようだ。
そうしてボロいアパートの一室、薄暗い部屋で独りアニメを鑑賞している成人男性の部屋に、ついにそれがやって来る。
僕は、初めその生き物(?)の侵入に気づくことができなかった。僕のアパートはほとんど文化遺産的アパートなので(申請済み)、セキュリティはガバガバだし(鍵かけてもドアが開く時がある)、蛍光灯が切れていて部屋も薄暗く(僕の心も薄暗い)、節約のためエアコンを切り、窓を開けていた(10月なのに暑かった)。だからその生物が僕の部屋に侵入することは容易だっただろうし、部屋も心も薄暗いため、その生物を視認することはなかなか難しかったのだ(アニメに熱中していたせいだと言うこともできる。あとカッコを多用しすぎて、何を言っているのか自分でもよくわからなくなってきている)。
それ(僕は前日に「遊星からの物体X」を見ていたため、丸まったポメラニアンが攻めてきたのかと思った)は{「寄生獣」という名前を出したのは、この物語(これを物語と言っていいのかは、甚だ疑問である。作者のような未熟な者が、適当に書いた文章を物語と称していいものか。小説と呼ぶのも当然憚られる。何と呼べばいいのだろう。作品と言うのも違う気がする。作者の語彙力の無さが悔やまれる)の一応元ネタ(何が元ネタだ、うるせえよ、と思わなくもない。どうでもいいことではあるが)だからだ}は、おそらく窓から侵入した(あるいはドアから侵入した)と思われる。僕がアニメに熱中している間に、それはコロコロと(漫画雑誌のことではない)、部屋の中央に転がっていた。僕はアニメを2話見終わった後に、それの存在に気づいた。ふと、後ろを振り向いた時だ。
「うわああ!」僕は、修学旅行で行ったお化け屋敷以来の、素っ頓狂な声をあげた。
ふわふわ。ファーストインプレッションはそれだった。綿毛のような白くて丸い球体(?)である。その「ふわふわ」は、僕の背後に転がっていた。
「何じゃこりゃ! 新種の虫か?」あるいは球状ポメラニアンか。
僕がそう言うと、頭の中に直接、声が届いた。
―虫ではない。
「喋った!」
―知的生命体なのだ。意思の疎通は可能だ。あえて言語化してコミュニケーションを図ろうと思う。
「こんな見た目で、喋るんだ」
―まず、頭に直接声が届くことに驚いてくれ。
「そんなことより、お前は一体何だ?」
―まあいい。私は「ゆるふわ」だ。
「何てゆるい名前なんだ……!」
―このゆるさで宇宙の覇権を握ろうと企んでいる。今回、私は、我らにとって地球が支配するに足る惑星なのか、調査するためにやって来た。
「地球を支配するだと?」
―そうだ。現在、地球は危機的状況にある。貴様ら人間が、地球環境を汚しているためだ。我らが地球を支配すれば、そうした危機的状況を脱することができるだろう。我らには地球温暖化を解決する手段があるのだ。その技術があるのだ。
「そんなありがたい支配を企んでいたとは……!」
―そうだ。だから大人しく支配された方が身のためだと言える。可及的速やかに地球の首長と会わせてくれ。
「僕がその首長だ」僕は大嘘をついた。
―そうだったのか。たまたま侵入した部屋が地球の首長の部屋である確率など、限りなくゼロに等しいと思っていたのだが、そんなことが本当にあるとは。
「それが奇跡という奴だ」
―なるほど。身をもって理解したのは初めてだ。
「支配するのはいいが、お前らの目的は何だ?」
―種の保存だ。現在、我らが居住している惑星は、年老いていてな。寿命が近いのだ。
「なるほど。で、地球は住みよいのか?」
―調査中だ。貴殿の許可が得られれば、調査を終え次第、移住することになる。
「OK。許可しよう」
―判断が早いな。地球の住民は果断に富んだ種族らしい。なら何故、問題が大きくなる前に手を打っていないのか。
「褒めるのはよせ」
―褒め100パーセントの発言ではないが。
「そんなことより」
―私の発言をすぐに流すんじゃない。
「お前は何かしら能力とか持ってないのか。地球人にできないような」
―ふむ。まあ、夢を見せることができるな。
「そんなイケイケ社長みたいな。IT系?」
―ビジョンのことではない。眠る際に見る夢のことだ。あるいは幻覚を見せることができると言った方がいいかもしれん。
「話が大分キナ臭くなってきたな」
―合法だから、大丈夫だ。
「宇宙生物が法を語るな」
―やってみるか?
「ああ、合法なら」
ゆるふわは、僕の元にコロコロ(分厚い漫画雑誌のことではない)と転がって来た。こうして見ると、ゆるふわはサッカーボールかバレーボールのように見えた。大きいテニスボールと言ってもいいかもしれない。大きさはバスケットボールくらいだった。
ゆるふわは、線虫みたいな触覚を2本にゅるっと出して、僕の両こめかみに突き刺した。痛みはない。むしろ快感だった。部活の後に飲むポカリと同程度の快楽だ。
そして、夢を見た。
僕は薄汚れた、薄暗い部屋にいた。友達も恋人もいないので、仕方なく、深夜アニメを観ていた。
「どうして俺には友達も恋人もいないのだろう。孤独だ」声に出して言うと、余計惨めである。惨めな自分に酔っているのかもしれない。だとすれば、かなりたちが悪い。重症だ。
そう言えば、9月に大学で学祭があったが、僕は参加しなかった。あんなのは青春を謳歌してやろうという眼前の快楽に溺れるような、わけのわからないクソ野郎どもの吹き溜まりイベントだ。恋人同士で乳繰り合って、キャッキャウフフしているだけの、クソイベントだ。ああ、馬鹿馬鹿しい。なんて非生産的な行為だ。無駄。無駄の塊みたいなイベントだよ。何が青春だ、畜生め。
……何だか虚しくなってきたな。
あれ? 僕、何で泣いているんだろう。
観ていたアニメの筋がわからなくなっていく。夢を見ているような感じだ。何が何だか、わからない。ふわふわとした感覚。何だ、こりゃ。
あれ?
これ、夢か。
「そうだ」僕は突然思い出した。これは夢だ。ゆるふわが見せている夢だ。「いや待て、だとしたら、夢と現実の差がなさすぎやしないか? 状況ほぼ変わってないんだけど。夢でも現実でも、どうしようもない孤独な阿呆なんだけど。クソ野郎なんだけど」
夢の中くらいは、夢を見させてくれよ。
―なら、もっと深くまで潜るか?
この声はゆるふわか。「何だ、深くまで潜るって。『インセプション』みたいなことか?」
―大体そんな感じだ。夢は、お前の真の欲望を映し出す。さらに深層に潜れば、な。
「十分映し出されている気がするんだけど。深層に潜れば真相が見えるっていう言葉遊びかよ」
そんな軽口を叩いていたら、眠気が襲ってきて、僕はいつの間にか眠っていた。
そこで色んな夢を見た。ある瞬間では僕はロックシンガーだった。女の子にキャーキャー言われていた。ある瞬間には漫画家だった。世界一面白い漫画を描いていた。ある瞬間では、僕は大金持ちだった。何でも思い通りにできた。ある瞬間には、僕はコメディアンだった。爆笑の渦の中心にいた。
そして、僕は、彼女と出会った。
中学の時の初恋の相手だ。ずっと片思いをしていて、ついに告白しないまま、卒業を迎えてしまった、そんな後悔とともに思い出す人。
卒業式の前日。卒業アルバムを受け取り、友達同士でアルバムの白いページに一言書いていく(寄せ書きだ)という、友達の有無が一目瞭然なイベントがあった(卒業式当日にも、花道を通る時に渡される花やお菓子の多さで、人望の有無が一目瞭然だった。僕は手ぶらで花道を歩き切り、勝手に伝説となった。語り継ぐ者がいないのだが)。
当然、僕のアルバムの最後のページ、その空白は空白のままだった。お情けで、さして仲良くないクラスメイトが「書いてやろうか」と言ってきたが、丁重にお断りした。同情は要らない。
……でも僕は、どうしても彼女に一言書いて欲しかった。彼女と話したことはほとんどないし、同じクラスになったのも中1の時だけだ。交流はほとんどない。喋ったこともほぼない。
気色悪いと思われてもいい。勇気を出して、彼女に一言、書いてもらおう。
僕は、彼女の姿を眼で追いながら、行くぞ、行くぞ、と何度も心の中で呟いた。
行くぞ、行くぞ。
……無理だ‼
どうしても勇気が出ない。そもそも、どうやって話かける? 頭の中で何パターンも想定してみたが、どれも気持ち悪い。そもそも僕という存在自体が、気持ち悪い。ダニのような男さ、僕は。
ああ、畜生。僕にもっと勇気があれば。
悶々として、学校内をうろうろとしていると、ピロティに戻って来た。ピロティにみんな集まり、寄せ書きし合っていたのだ。僕は学校を一周し、もといたピロティに戻ってきたのだ。昼過ぎに学校は終わったから、夕方近くまで残っている生徒は多くないはずだと思っていたのだが、20名以上の生徒が、最後の語らいを楽しんでいた。僕はその様子を、柱の陰に隠れて見ていた。
あれ、彼女は?
よく見ると彼女がいない。
どこだ。
まさか、僕が学校をうろうろしている間に、帰ってしまったのか?
「ねえ」
背後から声をかけられた。まさか。嘘だろ。
振り返る。彼女だった。
まず眼についたのは、艶のある黒い髪。ショートカット。滑らかな肌。大きな瞳。身長は僕より少しだけ高い。170cmあるかないか、そのくらいだ。紺のブレザーに、スカート。白いハイソックスに、黒のローファー。制服姿も見納めかと思うと、僕はこの時間を凍結してしまいたいという衝動に駆られた。駆られただけで、できっこないけど。
「う、うあ、ああ、お、おおう」僕は狼狽えていた。
「書いてくれない?」彼女は脇に挟んでいたアルバムを、僕に差し出す。
「お、おう。いいぜ」何を格好つけているのだ、僕は。馬鹿め。
何、嘘、マジで? こんなパターン、想定してなかった。どうしよう、どうしよう。何を書きゃいいんだ。やべえ。まじか。やべえ。どうしよう。
内心ドギマギしていると、彼女は僕の名を呼んで、僕のアルバムにも書かせてくれと言ってくれた。
何て幸運なのだ!
僕は今日死ぬのかもしれない!
一生分の運を使い果たしたのだ!
思わず「わが生涯に一片の悔いなし」と彼女のアルバムに書いてしまった。意味わかんねえ。何してるんだ、僕。
アルバムを返すと、彼女は笑っていた。
最高の気分だった。
僕のアルバムも帰って来たので、見ると、「憧れてました」と書かれてあった。
「え」
ど、どういうことだ……。
これって、まさか、そんな……。
ああ、思い出した。そうだ。もしかすると、脈ありだったのかもしれない。僕にもっと勇気があれば、卒業式に告白して、付き合えたのかもしれない。思えば、僕の人生は勇気がなくて、転落してばかりだ。合コンに行くのはいいが、どうにもビビッてしまって、一歩踏み出せない。一線なんて越えられるはずもない。プールも絵画も、若い人が通っているような教室は怖くて行けなかった。
馬鹿にされるのが怖かった。嘲笑されるのが怖かった。
勇気、か。
僕に足りないのは、いつだって勇気だけなのだ。いや、愛も足りないかもしれない。
愛と勇気だけが足りないのだ。逆アンパンマンだ。
そこで眼が覚めた。
いつの間にか眠っていたようだ。
何か大事な夢を見ていた気がする。でも何だか意味不明だったような。そう言えば、僕が書く文章はいつもわけがわからなくなっていく。論理性が欠けているのだろう。自分でも意味がわからないので、他人にはもっと意味がわからないだろう。
夢みたいなものだ。
僕はいつも混乱している。人が何を考えているのかさっぱりわからず、どうしようどうしようと、いつも思い悩んで、苦しみ悶えている。大抵は僕の思い過ごしで、ただの自意識過剰でしかないのだが、どうしても人とうまくコミュニケーションを取ることができない。そりゃ人生うまくいかないわな。
そうだ。
僕は昔のことを思い出していたのだ。昔、僕には想像上の友達という奴がいた。あれは大学生の頃だったっけな。イマジナリーフレンドという奴かな。友達も恋人もいなさ過ぎて、想像上の友達を作って、物語を作って、孤独を紛らわせていたのだ。
名前は……、何だったっけな。
ふわふわみたいな名前だった気がする。まあ、今となっては、どうでもいい話だ。
僕は左手の薬指を見る。薬指に嵌められた指輪は、きらりと光っている。大学生の時、突然勇気が湧いて、初恋の相手に連絡を取ってみたのだ。
どうして急に勇気が出たのか。
誰が(あるいは何が)僕の背中を押したのか。
もはや思い出せない。
とにかく、突然、僕の中に勇気が芽生えたのだ。
夢でも見ているようだった。あんなに臆病だった僕が、彼女をデートに誘えたなんて。
あるいは未だに、夢の中にいるのかもしれない。
ゆるふわ 春雷 @syunrai3333
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