第3話 次の事件
同日19:00少し前。穣一は東京へ帰る新幹線の中で眠りに落ちていたが、ちょうどその頃もう一つの事件が起ころうといていた。ところは丸の内オフィス街。夕日が人工建造物を射抜いてつくるオレンジと黒のコントラストが信じられないほど美しいマッチングとなって空を染めはじめていた。どんな名画よりも美しい夕暮れの風景だがその上空には不吉な十字の暗黒が横たわっている。家路を急ぐスーツたちは思いだしたように美しい夕空を見上げ、そこに見慣れることのない不吉な十字を確認した。時々スマートフォンで空を撮影する者もいたが、すぐに目を落とすともはや自分と家族の今後の安全をどう守るかを考えながら速足で家路についた。
そんな彼らを高層ビルの屋上から見下ろす者がいた。黒い女。真夏に黒のコート。コートだけではなく全身を黒で包んだ女が屋上の端に片膝を立てて座っている。朱色の夕日に照らされているにもかかわらず薄ら寒いその横顔からは表情を読みとることができない。ほぼ100%自動運転となった東京の交通事情でも主要道路の規制の影響で首都高速は赤いテールランプが続いている。高速を見下ろす巨大なビルの屋上には都会の喧噪は届かず逆に際だつほどの黒い静寂がとぐろを巻いていた。
操り手を失った人形のように蒼白な女の顔面からは一切の意志は感じ取れず、加えて一目で誰をも惹き付けるほどの美貌が彼女を余計に”人形”たらしめていた。
地球の自転により太陽が地平線へと吸い込まれ夕日の朱色にダークブルーが混ざり始めるまさにその時、女の頬に冷たい殺意が尖った。焦点の合っていなかったその瞳は、今や眼下の首都高速道路の一点に狙いを定めている。
蘇った女は一度天を仰ぐとやがて立ち上がり、けだるい仕草ですらりと大振りの刀を抜き、消えゆく夕日にかざした。いや刀に見えるそれは触手だった。彼女自身の右腕が刀のように細く伸びて輝きを放っていた。その触手の青白い殺意が目を覚ました。やがて冷ややかだった女の横顔に含み笑いが浮かぶ。これから始まる歓喜なる時間に興奮と恍惚を抑えられないのだ。
女は倒れ込むように身を投げた。
深い眠りだった。夢を見た。赤黒い塊が町を飲み込もうとしていた。何もできない自分は逃げまどい人々をただ眺めているというそんな夢だった。東京駅に到着するチャイムが穣一を現実に引き戻す。目を覚ました穣一は荷物をまとめ始めた。夢は覚えていない。それにしてもあんのヤロ。腹の虫が収まらない。普段なら新幹線から在来線への乗り換え口に向かう帰宅ルートだが穣一は荷物のカートを引きずりながら八重洲中央口に足を向けた。外堀通りと八重洲通りの交差点で穣一は空を見上げた。「これか・・・・・」。そこには暗い夜空でもうっすらと、しかし圧倒的な迫力で十字があった。信号が青になったので外堀通りを渡る。ここに馴染みのバーがあるのだ。遠くに消防車のサイレンがかすかに聞こえた。
「いらっしゃい。久しぶり」。カウンターで穣一を迎えてくれたのは里美。30代後半だったと思うが年齢よりも若く見える表情の明るい女性だ。彼女目当てに店に通うサラリーマンも多い。「出張?」穣一のカートに目をやったマスターが聞いてくる。八重洲にバー「Rainy Lane」を開店して40年ほど。マスターは街の成長と衰退と次なる成長をこの場所でずっと見守ってきた。「そう。岡山県。でもこのプロジェクトはなくなるかもなぁ。。はい、おみやげ。」穣一はそう言いながら吉備団子を差し出した。「わぁ、うれしい。私これ大好き。ありがとう。」
「ジャックをロックで。氷は小さめ。」穣一は言うとマールボロに火をつけた。マスターは踊るような動作でグラスとボトルを用意しながら、「なんかえらいことになったね。もう何がなんだか。昼まで寝てたんだけど仕込みのために店に来ようとしたらテレビで大騒ぎだもんね。」と言った。「僕なんか岡山で必死に仕事してたんで全然知らなかったんですよ。あとからニュースで聞いて。」
「どうやら北朝鮮の兵器らしいよ?もう東京から逃げ出すやつも多いって聞いたよ」
ネットの噂がもうここにも及んでいる。「ふうん。じゃマスターも店畳んで逃げなきゃじゃん。里美ちゃん、一緒に逃げようか!」「うふふ。いいねー。北海道とか行ってみたい!」ひとしきり他愛もない会話をすると沈黙が訪れた。人間は尋常じゃない事態が起こっても、即座に自分の生活に影響がなければ意外と簡単に慣れてしまうものなんだな。店内にほかに客はいない。薄く流れるジャズとたばこの青白い煙が月曜の夜を包み込んでいた。
いきなりバーの木製の扉がカラリと開いて一人の中年男が入ってきた。「いらっしゃいませ。お一人様ですか?こちらへ」カウンターの端に誘われた男はうずくまるようにカウンターにしがみつくとおもむろに言った。
「ジャックをロックで。氷は小さめ。」。
煙草の煙を目で追っていた穣一は一瞬マスターと目が合った。
いつも通り流れるような手つきで酒を用意したマスターは「お仕事帰りですか」と事務的に男に話しかける。それでこの男が常連客ではないことが穣一にも理解できた。
「はい。ここには仕事のためにやってきました。」
お酒を客の前においたマスターはそれ以上男に話しかけることもせず厨房の奥に引っ込んだ。残されたのは皿を拭く里美と穣一と見知らぬ客。
その時、客が穣一の方に向き直りはっきりとした口調で言った。
「川崎穣一さんですね。初めまして。誠に残念ですがあなたとご友人の幾人かはその人生を早めに終えていただくこととなりました。申し遅れましたが、私はあなたたちが「銀河」とよぶ、帯状の星群のひとつからやってきました。知っていました?それらの中にあなたが人間と同じような生命体を持つ星は数億個あるんですよ。私の名前は、そう。ホームとでも呼んでください。我々にとっては我々の星がホーム、あなたたちの星は辺境=フロンティアでございます。」
It's still the same old Story @Jack2022
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