第2話 TokyoCross

人類が未曾有のピンチを迎えるシーンをご覧いただいたが、2年ほど時を戻そう。時は2045年。東京都。焼けつくような月曜日の白昼に前触れなく空が割れた。

真夏の群青色の空に何の予告もなく十字の黒い線が走り、東京都の空は永遠に四分割されてしまった。

炎天下にサッカーをしていた少年たち、オフィス街のスーツたち、下町工場で休憩中の工員たち、住宅街で買い物途中の主婦たちは足を止めてぼんやり空を見上げた。それが始まりだった。


東京上空に走った十字の帯は瞬く間に世界中でニュースになった。すぐさま総理大臣により軍事関係、気象関係、宇宙開発関係の専門家が官邸に招集され緊急対策本部が設置された。国内すべての放送局は屋上にカメラを空に向けて立て、テレビもラジオも通常番組を変更し謎の十字についての緊急特番を流し続けた。


川崎穣一は心に灰色の煙が立ち込めていた。それは東京で発生した前代未聞の状況とは関係ない。前日から岡山に入っていた穣一は東京の事件はネットニュースで呼んでいた。しかしわけのわからない気象現象よりもこの仕事の顛末が穣一の心の大半を占めていたのだ。

穣一の勤め先は東京都の経営コンサルティングファーム。クライアントである岡山県の企業に出向き、プレゼンで先方の役員の一人を怒らせてしまったのである。クライアント企業が岡山県に保有する2万坪の土地の再開発プロジェクト。依頼を受けて予備調査段階を終えた穣一は、「今更ゴルフ場でもないでしょう。環境軽視は企業価値を下げるし、それになにより流行りませんよ。だったらそうだな、例えば地元には世界にアピールできるコアコンピタンス「備前焼」があるじゃないですか。この町はそれを忘れている。世界的な焼き物を感じさせる施設も街並みもありません。備前焼を活かした焼き物の町あたりが合理的な土地の活用法だと思います。」と提案したのだ。当初よりゴルフ場にこだわった常務とそのアイデアに忖度した幹部たちから口汚く罵られた穣一はそれでも自分の考えを曲げられなかった。当然、プレゼンは物別れに終わり、月曜夕刻の東京行き新幹線に飛び乗った穣一は缶ビールを開けた。穣一の海馬内では昂る常務が「お前にこれだけ払っているんだ!」とホワイトボードに書いた数字を掌で叩く姿が展開された。ビールが進む。どう考えてもこの時代にゴルフ場ではない。


ビール2缶目をあけたところで気を紛らわすためにスマートフォンを開いた。18時過ぎ、ちょうど東京での事案発生から6時間が過ぎており首相官邸にて防衛大臣による緊急記者会見の同時配信が始まるところだった。


「本日7月22日月曜日の昼12:00ごろ、東京上空に正体不明の黒い十字が突然現れました。十字は皇居の上空約20km、ですから成層圏に位置していることになります。東京の皇居上空を中心として、正確に東西南北に30kmずつ伸びた黒い帯状のものと確認しました。つまり東西60km、南北に60kmという非常に巨大な2本の直線でそれぞれ幅は1kmほどと思われます。これが皇居上空で交差している状態です。同12:13、航空自衛隊から戦闘機および警戒機をスクランブル発進させましたが、帯状の十字体は自衛隊機の最大高度を超えた位置に存在するため接近はできませんでした。地上に設置されているレーダーサイトや気象衛星からの写真から判断するに黒い雲状の物体(個体の集合体、もしくは気体)であると推測されます。」 防衛大臣は気象衛星がとらえたと思われる写真パネルを掲示した。「同13:30、総理の命により有識者を集めた緊急対策本部が設置され検討を開始しているが現時点で正体は不明。また米国はじめ諸外国政府にも情報連携し調査に当たっているところであります。警視庁および自衛隊は東京都内主要道路を封鎖し、警戒中。つきましては国民の皆様においては今すぐの何等かの危険があるとは考えにくいものの、緊急を要する外出以外を控えてもらい、自宅にて待機してほしい。以上。」


ものの10分ほどの防衛大臣の一方的報告が終わると、記者たちは一斉にざわめきはじめ、矢継ぎ早に質問を投げかけた。「あの十字は気象現象なんでしょうか?他国の兵器なのでしょうか?そのあたりの目測は?大臣はどうお考えでしょうか。」「本当は官邸では正体をつかんでいるのではないでしょうか?」「安全だ危険はないと仰いましたが、そう判断されるその根拠は何かあるのでしょうか?」 「アメリカは今回の事態をどう認識しているのでしょうか?」

だが大臣はそれら質問には答えず悠然と右手を上げると「詳しいことがわかり次第、また会見を開きます」と言葉を結ぶとさっさと演台をあとに引っ込んでしまった。


「なんだよ、さっぱりわかんねえ。これで会見やる意味あんのかね。ま、でもこれより遅れても批判を浴びるだろうし、役人は大変だねえ。」そう思った穣一はスマホを閉じて3缶目のビールを開けた。きっと記者会見は繰り返しテレビで放送され、ほとんどの日本人いや諸外国でもニュースになることだろう。テレビ局やウェブ媒体は一様に、材料も無い中で、怪しい専門家を立てて憶測を論じ始めるのだろうな。少しネットを覗いてみると案の定、様々な憶測記事や書き込みがあった。「某国の新型兵器に違いない」といったものからアメリカのSFネットドラマに影響され「いよいよ裏の世界への扉がつながってしまったのだ。世界の終わりが来るのだ」と言ったものまで様々。

「ま、いいや。そんなことより今日の仕事をどう片付けるかなあ・・・。」そんな風に考えを巡らせたところで眠りに落ちた。

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