未解決事件に紅茶を添えて
十余一
未解決事件に紅茶を添えて
「それじゃあ、いってきますね。夕方には戻りますから」
「ああ。気を付けてな」
最近妻は一人で出かける。何処に行くにも一緒な
しかし、この由々しき事態、俺にとっての大事件に気持ちがそわそわと落ち着かない。結局この日、妻を尾行することにした。
つかず離れずの距離を保ち後をつける。住宅街から離れ田舎めいた景色になってきたが、妻は歩みを止めない。いったい何処まで行くのだろう。道の両脇にある林からは今にもリスか何かが飛び出してきそうだ。鬱蒼としているわけでもないのに少し怖い。そして行きついた先は……。
「夢野薔薇園……?」
薔薇園や植物園には昔一緒に行ったことがある。四季折々の花を愛でる妻と、そんな妻を見守る俺。幸せな過去を思い出し、次いで現実を直視してその落差に絶望する。俺に愛想を尽かした妻は一人の時間が欲しくて……? それとも俺以外の誰かと会うために……? ぐるぐると悪いことばかりが脳内を巡り、身を隠すことが疎かになっていたようだ。驚いた顔の妻がこちらを見ている。
「あなた、どうしてここに?」
「いや……その……」
「もしかしてついてきたんですか?」
「……」
もうおしまいだ。何の弁明も思い浮かばず、決まり悪く足元を見るしかない。俺はもう愛想を尽かされていて、尾行したことで更に嫌われ、とうとう妻に捨てられてしまうんだ。それでも、最後に理由だけは知っておきたい。俺は声を振り絞って聞いた。
「教えてくれ。どうして俺じゃあ駄目だったんだ」
「だってあなた、動物は苦手と仰っていたでしょう」
「……え?」
「……?」
小首を傾げた妻と目が合う。今日も素敵だ。いや、そうではなくて。動物……?
「ここ、猫とふれあえる薔薇園なんですよ」
「猫と……」
「ええ、だから一人で通っているんです」
どんなに小さく愛らしい見た目をしていても所詮は動物だ。言葉で意思疎通できず、牙を剥き鋭い爪で引っ掻いてくるかもしれない。だから怖い。子どもの頃に引っ掻かれてからは、猫など大の苦手だ。その猫が妻の逢瀬の相手だったとは。
気の抜けた俺は盛大な溜息をつきながら、思わずしゃがみこんでしまった。寄り添い心配してくれた妻に全てを打ち明けると、「猫に嫉妬するだなんて、可愛い人」と微笑まれる。恰好悪いところを見せてしまった。このままでは終われない。
「動物は苦手だけど、君とデートしたい。隣に居させてくれないか」
「ええ、もちろん。それに二人ならアレが楽しめますしね」
弾けるような笑顔で頷いた妻に手を引かれ薔薇園の門をくぐる。入口にほど近い土産物コーナーでさっそく白い猫を見つけ、咄嗟に妻の手をぎゅっと握ってしまった。やはり恰好がつかない。妻は「メイさん、こんにちは」などと猫に話しかけている。猫は大人しい。
二人で楽しめるものとは、併設されたカフェのアフタヌーンティーだったようだ。季節の花が咲く庭を一望できるオープンテラスで彼女の話に耳を傾ける。彼岸花や秋明菊の盛りもそろそろ終わり、これから秋薔薇の季節がやってくるらしい。薔薇が咲き誇る庭園を、彼女と散歩したらどんなに楽しいだろう。
暫くして運ばれてきたのは花で彩られたケーキスタンド。クロワッサンサンドにチーズケーキ、スコーン、フルーツ、そして一番上には薔薇を模ったマドレーヌ。紅茶からもふわりと薔薇の香りがする。
しかし、穏やかなティータイムに水を指す輩が一人、いや一匹。白黒のハチワレ猫がこちらへ一直線に歩いてくるではないか! 視線で助けを求めるが、目の前に座る彼女は猫を見て嬉しそうに微笑み、そのまま俺にも笑顔を向けてくるだけだ。
「あの子はベルさんですね」
「いや、今は名前は……あっ、あの猫は餌を求めているのか? それとも人間を襲うのか?」
「大丈夫ですよ。猫はケーキを食べませんし、人を襲いもしません」
そうしている間にも猫は来る。俺はどうしていいかわからなくなり、そのままの体勢で固まる。とうとう数十センチの距離まで来て緊張が高まった瞬間……、猫は俺に一瞥もくれることなく椅子の下をくぐってそのまま向こうへ歩いて行った。
「そこが今日のお散歩コースだったみたいですね」
可笑しそうに笑う妻と、なんだか釈然としない気持ちを抱えたまま唖然とする俺。
一人で外出する妻の謎は解けた。しかし俺を惑わし妻を虜にしている毛玉たちへの追及は未だ終わっていない。なぜ猫はこうも人を魅了して止まないのか。さしずめこれを「薔薇園未解決事件」とでも名付けようか。必ず解決してみせると意気込み、これからも二人で薔薇園に通うと心に決めた。
未解決事件に紅茶を添えて 十余一 @0hm1t0y01
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