◇
「俺、心配だからやっぱり付いていく!」
駆は部屋を飛び出し急いで玄関へ向かうと、紫苑は普段は履かないブーツの紐を結んでいるところだった。
「紫苑。駅まで送って行くよ」
駆も自分の靴を引っ張り出し、強引に足を押し込めた。
断られる前に玄関を出る。
「そう?ありがとう」
紫苑の了承も得て、並んで夜道を歩く。
駆は結と花見をしたこと、研究の進み具合などいろいろな話をした。
まとまりのない喋り方だったと自分でも思うが紫苑はよく聞いてくれた。
紫苑は聞き上手でいて、会話が途切れないように自分のことも折り混ぜながら自然に話す。
「こうやって紫苑と二人きりで話すのは初めてかもしれない」そう思い、喋りながらも改めて紫苑の全身を目に映す。
背は駆より少し高い。
けれど体の線が細く小さい印象を持たせる。
他の一切を受け入れんとするきちっと締まった衿元。
隠れてはいるが、服の上からでも分かる華奢な肩。
それにかからないくらいの真っ直ぐな髪。
姿勢良く、ぶれない歩みは気品を感じさせる。
だからこそ、遠くからでも上物だということが分かってしまう。
でも、紫苑は性格上そうせざるを得ないのかもしれないということを、駆はこの一年で学んできた。
「おねぇさん、俺たちと遊ばない?」
帽子を被った二人組の背広の男だった。
頬は紅潮し、軽い足取りに馴れ馴れしさを感じた。
「ほら見ろ、やっぱりすげぇ美人」
駆のことは見えてないのか紫苑の顔を覗き込むと歓喜の溜め息をついた。
紫苑は真っ直ぐ進む道を見て歩みを止めない。
「ねぇってば」
肩を掴まれそうになったのをかわし、紫苑は一旦立ち止まった。
駆の肩を引き寄せる。
「俺、連れがいるんだけど」
「あれ、もしかしておねぇさんかと思ったら男だった?
大丈夫。綺麗なら問題ないから」
へらへら笑う男に対して紫苑は無表情で睨んだ。
「そんな餓鬼ほっといて、俺たちといいことしようよ」
向き合うと駆にも男たちの熱を帯びた息がかかった。
日本酒の匂いがした。
駆は酒は嫌いだ。
注いだ時はあんなに清らかで奥が見渡せるほどに澄んでいるのに、一度人間の中に入るとむわむわと欲と熱だけが蒸気となって上がってくるみたいだ。
飲んだ人の本性が透け出るようで嫌いだった。
思わず鼻をつまみ、一歩下がる。
「俺たち急いでるんで」
紫苑は駆の腰を抱いたまままた歩き出した。
「釣れないなぁ。ちょっとだから、ねぇ。
近くにいい場所があるんだ」
男たちも諦め悪く、紫苑を逃さんと会話で時間を稼いでいるのが分かった。
でも駆はどうすることもできない。
紫苑に導かれるまま足を前に進めた。
「お兄さんたち、そんなに俺と遊びたい?」
紫苑の作った、手本のような笑顔に駆は恐怖を感じた。
顔は確かに紫苑のはずなのに知らない人のように隣から体温を感じられなかった。
「俺を知ったら離れられなくなるよ。
それでもいいなら、…試してみる?」
紫苑の艶のある爪先が男の鎖骨を触れるか触れないかのところでなぞった。
男が鼻息荒く、紫苑の着物に手を掛けようとする。
「あ、ちょっと待って。御当主に着せてもらった大事な羽織は自分で脱がさせて…」
紫苑はそう言うとゆっくり、見せつけるように羽織を脱ぐふりをする。
「…お、おい。その家紋、もしかしてお前たち清香医院の者か」
男たちは藍色の羽織に清香の家紋が入っているのを見つけ、たちまちたじろいだ。
この周辺で暮らしているのであれば清香を知らないはずがなく、少なからず誰もが清香の世話になっている。
それはどに大きな権力をもつ家の者、それも当主と直接的に関わり合っているような人に手を出すとどうなるか。
容易に想像でき、男たちは顔を青くして逃げて行った。
駆は男たちの酒の残り香に吐き気がした。
紫苑の優しい体温の戻った手で背中をさすってもらいなんとか耐えた。
あんなことをされ、本当に吐き出したいのは紫苑の方なのではないか。
なのに、さっきまでのことはなかったかのように平然と、乱れなく整った紫苑がいた。
駆の目からはいつもと変わらないように見える。
今といい、昼といい、今日は下品な輩によく遭遇する。
このようなことが日常として紫苑に起こっていることなのか。
そしてそれはもしかして駆の大切な人にも起こり得ることで…。
駅へ着くと水を一杯貰った。
飲み干してもなお顔色の悪い駆を紫苑は心配したが、列車に乗るのを見送り、駆は帰路を走った。
走るしかなかった。
「俺は何をしてるんだ」
夜道を一人でゆく紫苑を心配して付いてきたのに、何もせず、ただそこにいただけだった。
紫苑はうまいこと男たちから逃れたが、それは得意の嘘を交えた話術あってこそだ。
特に今日は話術というよりも演技めいていた。
紫苑はそういう才を持っていて効果的な使い方を熟知している。
考えたのは結のことだった。
もし、今日送ってやるのが紫苑ではなく結だったら。
あの汚い手が、息が、結にかかるのを自分は呆然と見ることしかできないのか。
考えるとまたむかむかと胃の内容物が上がってくる気がした。
非力さに涙が滲む。
力任せに走る、走る。
この、自分の不甲斐なさと内から漏れ出る暴力的な気持ちのまま家に帰ることなどできず、かといって行く当ても駆にはない。
走って、汗と共に流れ去ってしまえばいいのにと願ったがそれも叶わなかった。
冬摩に会っても気が楽になるとは到底思えなかったが、そんな駆に会ってくれるのもまた冬摩だけだと思った。
「冬摩。紫苑送ってきたぞ」
「お前、どうしたんだ」
駆の青白い顔と汗で濡れる前髪に冬摩は驚き、拭くものと水を渡した。
脈を測り、血圧が下がっていないことを確認すると今度は怒りを滲ませた低い声で言った。
「…おい、紫苑に何かあったんじゃないだろうな」
「何もなく…はなかった。酔っ払いに絡まれたんだ」
きっと冬摩が睨む。
冬摩の睨んだ顔は鬼を宿したように怖い。
「でも俺なんか必要ないくらい、紫苑一人で追い払ってた」
「あぁ、だろうな」
今度は素気なく答える。
冬摩のその態度に駆は今までにない不愉快さを感じた。
もうすでにここに来たことを後悔し始めた。
もっと言えば紫苑を見送りに行ったところから。
「そんなに心配ならお前が送りに行けばよかっただろ」
駆の思いのまま口に出た苛立ちと冬摩の冷静さを失った怒りが部屋の中でぶつかる。
「…そんな女みたいな扱いできるかよ」
「別に俺だって女だと思って見送りに行ったんじゃねーよ」
「お前のことだ。どうせ紫苑と女の結を重ねてどうすることもできなかった自分を責め、当てなくここに来たんだろう。でも安心しろ。当主は結をそんなところには向かわせない」
冬摩が確信をついてくる。
結を知ったかぶるようなことを言う。
そのことがさらに駆を苛立たせる。
「訳分かんねーよ!紫苑のこと、男だとか女みたいだとか。当主のことだって今は関係ないだろう」
「あいつは女扱いされるのが嫌いなんだよ」
「紫苑はそんなの全然気にしてないと言ってたじゃないか」
「あの嘘付きを信じるんじゃねぇ」
「そんなの分かんないじゃないか」
「分かるんだよ!!」
聞いたことない荒げた冬摩の声に駆は度肝を抜かれた。
「知ってんだ。紫苑が女のように扱われるのを嫌っていること」
今度は冬摩は力無く言った。
背中を壁に預け、目線は駆の遠く先を見つめていた。
「…悪い、駆。そうじゃない。
お前に怒ったんじゃない。
知ってる俺が一番あいつのことを女だと、…母さんみたいだと、思ってんだ。
たった四つ上の、男の紫苑に」
笑えるだろ、そう言って冬摩は乾いた笑みをみせた。
ー1章終ー
寄りどりみどり mito @m-yamato
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