寄せては返す期待の狭間で。

-3. ポピーの花-


「こんにちは。」


いつものように彼女が来店する。


「いらっしゃいませ。」


僕は彼女に笑みを深めて挨拶をした。


彼女が店に来るようになって4日が経過した。初めて来店したときの硬さは全くなく、今では微笑みを浮かべながら挨拶をしてくれるようになった。日に日に硬さが取れていく様子が、僕と彼女の親密度が深まっている表れのようで嬉しくなる。


そんなことを考え緩みそうになった顔をなんとか戻し、僕は作業をしながら彼女が話しかけるのを待っていた。


ちらりと横目に彼女を見ると、店内をゆっくりと歩きながら楽しそうに花を見て回る彼女の姿があり、僕は思わず微笑んでしまう。


それは花屋を営む者として、お客様に喜んでもらえたことへの嬉しさというのももちろんある。


しかし、楽しそうな表情を浮かべている彼女はいつにも増して可愛らしく見えるし、楽しそうなのはもしかしたら「今日は店員さんにどんな花言葉を教えてもらえるのかな」という気持ちが少しでもあるんじゃないかという期待もあった。


僕は花言葉を教えてほしいと言われたあの日からずっと考えていた。


”もしかしたら彼女は僕に興味を持ってくれているのでは”と。


花言葉を知りたいのなら花の名前だけ覚えておいてネットで検索をかければいい。

むしろ通わなくても、「花言葉一覧」とか検索すれば買った花以外の花言葉だってすぐに出てくる。


そう。花言葉を知りたいのならばわざわざ店まで来て店員に聞くという行動は必要ないのだ。


じゃあ、彼女はどうして毎日通ってくれているのか?


僕が導き出した答えこそが彼女は僕に興味を持っているということだった。


思い返せば返すほど期待は高まっていく。


このまま順調に親密になっていけばあるいは・・・という考えまでよぎる。


ただ、それは僕がそう思い込みたいだけなのかもしれない、ということも分かっている。


本当にこのお店自体を気に入ってくれて、花を好きになってくれたからこそ毎日通ってくれているという可能性も否めないからだ。


ここ最近、僕はこんなことばかり考えている。


しばらくうんうん唸っていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。


「このお花の花言葉を教えてください。」


彼女が笑みを浮かべながら花を見せてくれた。


メモを取れるようにペンとノートまで用意されている。


「ポピーですね。花言葉は恋の予感です。」


「恋の予感・・・」


彼女はぽつりとつぶやきながらペンを走らせる。


真剣な表情は彼女を大人びた雰囲気に変え、普段とは違う様子に目が離せなくなる。


彼女はメモを取り終わると何やら考え込んでいるようだった。


「どうしましたか?」


そう声をかけると彼女ははっとした顔でこちらを見つめてくる。どうやら考え込んでいたことに気付いていなかったらしい。


「ごめんなさい、つい。」


彼女は迷いながらも続きを口にする。


「あの、店員さんは恋の予感って本当にあると思いますか?」


「え?」


全く予想していなかった質問に思わず声が漏れる。


恋の予感が本当にあるのか。そんなこと、考えたことがなかった。


彼女と出会ってから、僕は今まで考えもしなかったことを考えている気がする。


僕は彼女の問いに誠実に答えられるように思考を巡らせながら言葉を紡ぐ。


「あくまで僕の体験談ですが,今までに恋の予感がしたことはありませんでした。恋は唐突に落ちるものという言葉もあるくらいですし。恋はやっぱり本能的なものなのかなと。」


彼女の表情は見えない。何を考えているのかは分からない。


不安になるが恐る恐る続きの言葉を発する。


「ただ、恋の予感はあると思います。こうなるんじゃないかと思ったことが本当に実現されるという例がありますし、恋にもあるんじゃないかなと。まあ、あってほしいという僕の願望もあるのかもしれません。恋の予感がして、本当にその人と恋をすることが出来るなんて素敵な事だと思いますから。」


彼女がゆっくりと顔を上げ、表情が露わになる。彼女の顔は喜びに満ちていた。


「嬉しい。私も店員さんと同じことを考えていました。」


そういって目を細める彼女に僕の胸の鼓動は速くなる。


彼女の質問の真意は分からない。ただ、今分かることは僕と彼女がシンクロしていたということだけ。


淡い期待が色味を増す。


彼女が帰ってからも僕の胸には期待が鳴っていた。



-4. ネムノキー


雲一つない晴天と心地よい陽気。


昼ご飯を食べた後だということもあり、誰もが眠気を誘われるであろう午後の時間に僕は本当に眠ってしまいそうになっていた。


昨日は彼女のことばかり考えてしまい、一睡もできなかったのである。


仕事に集中できていないどころか生命活動にまで影響を与えてしまっている。


このままではいけない。


頭のどこかではわかっている事実。けれど、どうすればよいのか見当もつかない。


何とかあくびを口の中ではじけさせ、眠ってしまわないように必死に頭を働かせる。


やはり答えは見つからない。


「はあ・・・」


眠気と迷いを空気中に吐き出す。


すると、とんとんとゆったりした心地よいリズムが聞こえてくる。


僕はその音を聞いただけで誰が来るのか分かった。


そして現れたのは僕の予想していた人物だった。


「こんにちは」


「いらっしゃいませ」


あいさつを交わすだけでなんだか胸がいっぱいになってしまう。


いつものように店内を見て歩く彼女を、僕は作業をしながら横目に見る。


しばらくすると、彼女はアガパンサスをもってレジにやってきた。


それは彼女が一番最初にこの店にやってきたときに聞かれた花言葉だった。


今日は教えてもらうつもりはないということなのだろうか。


恒例になっていたので僕は少しがっかりした。


「あの」


彼女が少しためらった様子で話しかける。


「何でしょうか?」


僕が聞くと、彼女はスマホを取り出した。


「実は来る途中に素敵な木を見つけたんです。店内にあるお花じゃなくて大変申し訳ないのですが、よかったらこの木の名前と花言葉を教えていただけないでしょうか?」


なるほど。今回は店内の花ではなく外で見つけた木の花言葉を知りたかったのか。


アガパンサスを買ったのは、外で見つけた木の花言葉を何も買わずに教えてもらうのは申し訳ないという彼女の申し訳なさと配慮の表れなのだろう。


「ええ、もちろんです」


僕は彼女が店内にある花だけでなく、普段町や道端に咲いている花や木にまで興味を広げてくれているのが嬉しかった。


彼女は僕の言葉にホッとすると、写真を見せてくれた。


先が濃いピンク色で、タンポポの綿毛のようなふわふわした質感を持った花がたくさん咲いている木だった。


「これはネムノキですね。花言葉は胸のときめきです」


「これがネムノキなんですね!名前は聞いたことがありましたが、実物は初めて見ました」


「確かにネムノキがどのような木なのかは知らない人が多いかもしれませんね。」


新たな発見ができたといわんばかりに目を輝かせている彼女を見て、僕は眠気が吹き飛び、すっと心が軽くなる。


「私、ここにきてから毎日ワクワクしているんです。今日はどんなお花が並んでいるのかなとか、どんな花言葉が知れるんだろう、とか。胸のときめきって聞くと恋愛のイメージが強いですけど、これも胸のときめきですよね」


そういって彼女は無邪気に笑う。


僕は彼女に喜んでもらえるのが嬉しかったし、彼女のワクワクの中に僕に会えることも含まれていてほしいという期待もあった。


けれど、彼女の胸のときめきが恋愛感情からくるものではないとはっきり言われてしまった気がして、少し胸が痛くなる。


彼女が帰ってからも、僕は甘さと痛みで板挟みになっていた。



―5. カスミソウ―


「こんにちは」


今日も彼女が店に足を運んでくれていた。


彼女が店に来てくれる時間はほとんどお客さんが来ない時間帯で、今日はさらに二人きりだった。


なんだか落ち着かない。僕は作業をしながら店内を歩く彼女を横目に見るというのが日課になっていたが、今日はいつもより彼女を目で追ってしまっていた。


ふとこちらに気づいた彼女と視線が合う。


しまった。つい見すぎてしまった。


僕が内心ひやひやしていると、彼女は僕に微笑んでくれた。


僕は彼女の微笑みでさらに落ち着かない。


目線があったとき、気がない異性にあんな表情を浮かべてくれるのだろうか?

僕だったら浮かべないが・・・


ということは、やはり彼女は僕に良い感情を持ってくれているのではないだろうか。


ここ数日期待ばかりしている。


2人きりの状況と、期待に満ちた状態でそわそわしている僕の前に、彼女は花を抱えてやってきた。


「お会計お願いします。」


「かしこまりました。」


いつものように会計をし、花がしおれないよう処置を施す。


「このお花の花言葉は何ですか?」


彼女がいつものようにノートとペンを出しながら尋ねる。


「カスミソウの花言葉は親切ですよ。」


僕は彼女の目を見ながら答える。


「親切・・・まるで店員さんにぴったりの花言葉ですね!」


「え?」


まさかそんなことを言われると思っていなかったので、つい言葉がこぼれてしまう。


「店員さんはいつも丁寧に対応してくださいますし、毎日花言葉を聞きに来る私にいやな顔一つせずに優しく教えてくれて・・・本当に感謝しています。」


彼女が嬉しそうに話してくれる。


僕は彼女の高評価に胸を弾ませる。しかし、こうも思った。


親切という言葉は誰にでも使えるものなのではないかと。


僕は期待と悲しみの間で揺れ動いている。


ただ、このまま黙っているのも変なので、僕は微笑んでこう言った。


「ありがとうございます。」


ありきたりな言葉しか出てこない自分に嫌気がさす。


だが、今の僕にはこの言葉をいうので精いっぱいだった。


いつものように花を抱えながら出ていく彼女を見送り、僕は盛大にため息をつく。






淡い期待と悲しみ。


甘さと痛みを交互に行き来する僕の胸はとてもせわしない。


彼女の言動に期待し、また絶望している。


僕をこんな気持ちにするのは彼女だけだ。


ただ、彼女の無邪気な笑顔を見ていると、振り回されるのも悪くはないと思ってしまう。


寄せては返す期待の狭間で。


僕はもう少しこのままでもいいのではないかと、どうしようもなくそう思ってしまうのだった。





―第2話 END-

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