マギヲデラフォート

朔ロ さやめ

黒騎士と魔術師

 

 漆黒の騎士団長アイヴァンは頭を悩ませていた。血の気が失せた顔の眉間は深く溝を刻み、鴉の濡れ羽を思わせて艶光る長髪は肘や胸元にさらさらと垂れる。その束の隙間から軽鎧が室内の薄明かりをより鈍く反射させていた。

 先ほどの定例報告で顔を合わせた第一魔女の言葉がぐるぐると全身を這いまわるようだ。この城の深部を知れば知るほど、その魔力は体を蝕むのだろう。ましてや城の拡張と守備を一手に担う騎士団の団長ともなればその影響は遙かに大きい。ほかの騎士団員ですら謁見したことのない魔女たちやその周辺の存在らが与える重圧や、時に面倒事などは、ただ剣を振るって異民族を追い返すこととは訳が違う。非常に…厄介な役職だ。

 

 燭光が砂壁を疎らに照らす部屋も城の一部である限り、アイヴァンに付きまとう気配は拭えない。いや、この一室に限らず、広場や公堂、民家を含め郊外の国境壁の端まで、城壁に囲われたこの国の領土内には隅々まで城の加護が行き渡る。領国民にとって生きることとは、城とともに在るということだ。城壁の至る所に刻まれた幾何図形や神聖文字は魔女たちが施した護国のまじないの数々であり、居住区においては民の平和と繁栄を祈り、国境や外壁には外部攻撃に対する防衛・迎撃の術式を備える。外敵との交戦時には騎士団が陣形を展開させつつ、いかに有効に城の魔術式を発動させるかが要となる。その指揮を執り、今や建城主オリジン治世下時代の領土回復を果たしたアイヴァンに罹る煩事はより複雑になっていた。




 大陸の北西端にあってなだらかな領地を広く城壁で囲ったこの国の境界はしばしば外獣や異民族によって脅かされてきた。大人の背丈ほどの城壁でも刻まれた術式で大抵の脅威を退けられるが、時に強力な兵器や軍用獣を従えて軍勢を率いてやってくる周辺民族には騎士団が対処しなければならない。最も頻繁に領地侵害をおこなってくる重火器を備えた羈馬族たちとは小競り合い程度の衝突が専らだが、彼らの背後には東方の大国が魔術機動式戦車を揃えて控えており、必要以上の刺激を与えないよう牽制し合って久しい。東方の技術は緻密な計算術式に基づく伝統魔術で、城の魔術式とは源流が異なる。騎士団の技術開発局長アヤノコージによれば、東方には更なる異流の魔術を操る国が多く犇めいているという。極東から数々の国を渡りあるいてこの城に流れ着いた彼は騎士団に多くの技術的財産をもたらし、これからも多くの戦果を上げるだろう。彼の話では他国文化とのマッチングで幾様にも進化する可能性を秘めるものらしい。

 知識と技術の深淵が広がる東方世界とは別に、南方には大型獣を使役して狩りの季節に北上してくる民族たちもいる。こちらは対重火器戦闘を想定した東方守護より相当高い城壁で守備を固めているが、最近では宥和政策が進み軍用獣の使役術を学んだ小隊の結成が団内で検討されている。理論をこねくり回して多様な術式を発現させる魔術も正直馴染まないながら、感覚的で自然や野性と同調することにも抵抗を感じないでもないアイヴァンは動向を見守るだけだ。そうした獣たちと人間が共生する躍動的な神秘世界の国々とはまだ話が通じているが、海を越えた南西の極深である未知の島々からは天災めいた神秘魔術が一方的に放たれてくるばかりで話にならない。領土北方の海岸線沿いにつたう海底遺跡の復元を急いで海方向から魔術防壁を敷く計画も進みつつ、こちらの知り得ない日月星辰の暦術でエネルギー体を大陸の所構わずぶっ放す者たちにどこまで対抗できるのかも疑わしい。しかしアイヴァンの憂鬱の核心は外部の意思疎通困難者ではない。最も忌々しきは、城の檻より解き放たれた、あの魔術師…

「アイヴァァァァァン~~~~~、たすけてーーーーーーー!!!」


 団長執務室の静寂を悲痛な叫声で打ち破ったのは団内最年少の騎士ルークだ。木扉を勢いよくはね開けて入ってきた彼に続き、まだ年端もいかない親友を心配しに見守り役の団員ダイクも巨体を揺らして顔を覗かせた。何事かと問いただす隙もなくルークがまくし立てる。

「グレンのやつ、やっぱりぼくを飛竜部隊に引き抜こうとする気なんだ。いやだよう獣に囲まれて訓練生活なんて。それにもうすぐ花祭りじゃないか。花祭りには毎年隣の家のマリイを誘ってデートするんだ。南の森や川で遊んで満足できるほどぼくは子どもじゃない。城壁の外だったらどんな虫に刺されちゃうかわからないじゃないかー!」

 口角泡を飛ばしながら執務机の天板を叩き詰め寄るルークを引き離していると、騒ぎを聞きつけたのか当のグレンがにこにこ笑顔を湛えて入室してきた。

「飛竜部隊はモテるぞー。幼馴染みの女の子なんか忘れちゃうくらい両手に花抱えてさ。」

「ひどい大人だ。男のカザカミにもおけない!」

 この優男グレンが飛竜を使役する部隊の小隊長となる予定で、今は小隊結成に向け団員を集めていた。

「ルークは身軽だし飲み込みも早い。まだ若いから今のうちに鍛えれば優秀な竜騎士になる。」

「やだやだ。ぼくが引き抜かれてもダイクは残るんでしょ。離ればなれはいやだよ。それに、アイヴァンだって困る。」

 確かにここ数年はまだ経験の浅いルークの育成も兼ねてダイクと部隊を率い陣形を組んで国境守備にあたってきた。アイヴァン隊が国境城壁の基礎防衛術式を起動させたのち、ダイク隊が敵陣を引きつけ動きを封じる。その隙に俊敏なルーク隊が敵の後方に回り外敵排除術式の刻まれた城壁や聖八角塔の術式を発現させた。ルークを転属させるとなれば、この戦い慣れた戦術を検討し直さなければならない。

「心配なさらんな。今度海底遺跡の大規模修繕が本格化するのにあたって開発局のチームが北方入りする。入れ替わりに沿岸守備から手練れ2人がこっちへ戻ってくるってんで、アイヴァンはそのベテラン勢と組み直せばいい。」

「そんな!」

 縋るような目でアイヴァンを見やるルーク、一言も発さないダイクもどこか落ち着きがない。

「そういうことなら連れて行け。」

「アイヴァン!」

「ただしダイクも一緒だ。無口だが面倒見はいい。飛竜や南の動物たちとも相性がいいだろう。あまりルークを寂しがらせるな」

 予想外の辞令に驚きと多少の安堵をもってルークは言葉を失ったようだった。ダイクも顔の強ばりを解き、安心したようにアイヴァンに会釈した。合図するように片目を伏せたグレンが二人の腕を取り部屋を後にする。


「騎士団長殿は子どもの扱いにも慣れたもんじゃの。」

 開け放たれたままの扉に寄りかかり、奇異な出で立ちの異国人アヤノコージが扇を振って団員たちを見送っていた。極彩色の鳥の羽を細い黒髪に飾り、濃い緑色の着物の光沢が扇の風を受けて妖しく波打つ。

「二人も戻ってくるなんて初耳だぞ。開発局には護衛も邪魔か。」

「クシュクシュ。遺跡は勿論のこと自分の身くらいも守れる程度の兵器はもっておる。それに元より沿岸部隊など閑職じゃ。日がな一日海を眺めてほっつき回っとる。」

「訳アリの連中ということか。なら尚更なぜ戻ってくる。」

「それはお前が…クシュクシュ。」アヤノコージは不快な笑い声を立てて扇を広げ、そっと上目遣いに見やって言う。

「おいおい、まさか…これ以上は御免被るぞ…。」






 まばらに育つ背丈の低い草木を越えて土煙じみた風が運ばれてきた。羈馬族の軍勢が近づいてきている証拠に彼らが用いる独特の火薬の匂いも混じる。丘陵の上に建つ城の輪郭が遠い山陰のように霞んで見えた。東側から見ればこの地は大国の目から逃れるようにひっそりと佇む隠者の地のようだろう。石畳が敷かれた城下町から随分離れた東方国境の先は、一帯が水はけの悪い沼地で農耕や居住にも向かないため羈馬族との緩衝地帯になっている。建城主オリジン治世後、城壁拡張を重視する時代もあったが維持管理が追いつかず、あちらこちらに放棄された城壁の一部や廃塔が残るのみだ。城壁を延伸させれば領土の拡大と共に防衛の手数が増やせる一方、既存の城壁の保全を疎かにすれば老朽化により術式が失われたり効果が半減したりする可能性が出てくる。壁が綻べば外敵の侵略を許しやすい。建城以降の長い歴史の中でその版図は増減を繰り返してきた。そして今、羈馬軍団接近の知らせを受けたアイヴァンは、壁に刻まれた起動待機中の防衛術式魔法陣が薄暗く光る歩廊から眼下の城外を見渡している。斥候からの報告通り、やはり今回はいつもと様子が違うようだ。

 活力を持て余した若い野生動物のじゃれ合いよろしく、双方軽く撃ち合ったかと思うとやがて気が済んだかのようにあっさり引き上げていくのが羈馬族との交戦の慣例だが、今回はいつまでたっても撃ってこない。城術式は反撃が基本のためこちらからは仕掛けることができないが、臨戦態勢で睨みをきかせる騎士団を横目に羈馬軍はただ城壁に沿って走り回っているだけのように見える。

「本当に槍も焙烙も打ってきませんね」

「城壁や我々の反応だけじゃなく…何か他のことに気を取られているような感じだ」

「観光かな?」とルークも様子を見に来る。相手の意図が見えない以上、ルークやダイク達の出陣にも踏み切れない。相手が帰りたくなるようなちょっとした嫌がらせでお引き取り願おうかと指示を出しに振り返ると、胸壁の奥から騎士達のどよめきが聞こえた。




「通せ通せ、おまえらになんか用無えの。アイヴァンに会わせろよ、おまえら俺のこと知らねえの?マクシミリアンつったらわかっから。」

 お伽噺でしか耳にしない名字を聞いた途端、取り囲んでいた騎士達から小さく悲鳴が漏れる。狼狽し後退った人波の間から騎士団長の漆黒の姿を認めると、騒ぎの中心人物はぱあっと顔を輝かせた。

 大きくうねる髪は虹のような光を放つ濃い金色で、必要以上に連ねた金属の装飾と共に腰元まで伸びていた。臙脂色のパンツの上は素肌に上等な毛皮を纏っただけだ。この者こそが禁忌の魔術師マクシミリアン。城の深部で出逢った、騎士団長アイヴァンの憂いの根源である。


「アイヴァン、ほぉらちゃんと服着てきたぞ。見てくれよ。」ひらりと身を翻したかと思うと城外に面した鋸壁に舞い降り、執拗に毛皮をはためかせながら「チクチクするけど」とぼやく闖入者を、アイヴァンは出来ることなら無視したい、叶うならこの場で斬り殺してしまいたかった。

「付き添いの女はいないのか。一人で外へ?」

「フランはこんな所へ連れてこない。今日は俺の騎士団デビュー戦だから。オンナコドモは部屋で留守番だ。」

 女子どもという言葉を女児の意で誤用しているのだろうと推測しながらも決して口に出して指摘はせず、あの物わかりの良い世話役少女がいないとなるとこいつを制御できる人間はここにはいないことを突きつけられたアイヴァンは途方に暮れた。そもそもこんな奴の入団なんて冗談じゃない。団員達は遠巻きに二人の動向を見守っている。他の魔女達同様、マクシミリアンは人前に出ず城の一室で何百年も引き篭もって生きていた。禁忌を犯し、城を介することなく魔術を操る唯一の人間として伝説となり語り継がれてきた人物がいま戦場にいる。皆の理解が追いつかない。

 適当な拘束方法を考えながら城外に目を向けると、ちょうど羈馬軍が後退していくところだった。遠くの沼のほとりに陣を張ったようだが、お馴染みの長槍や火器を装備した騎兵に加え、見慣れない大きな荷車を引いた戦馬がいる。大型の円盤がいくつも平たく重なって回転している、何かの機械装置のようだった。

「新しい兵器か?」

 団員達の注目が城外に集まる。話題を逸らされたマクシミリアンも好奇の目で敵陣を眺めていると、やがて小石でも放るように手首を軽く振った。

 軽い破裂音と共に羈馬軍の機械装置の上部に円陣が現れた。蚯蚓のような文字がびっしりと書き込まれた、東方の算術陣だ。騎兵達は一瞬たじろいだが、装置を確認して無事とわかると一斉に城砦を見やり隊列を組んだ。

「弾かれた」口火を切った感想を悠長に呟いた魔術師を、団員達がすぐさま取り押さえる。もう誰であろうと構っている場合ではない。

「東方から仕入れた兵器のお披露目だろう」開戦を余儀なくされた騎士団に一層の緊張が走る。「油断は出来ないが、かなり距離を取って陣を配置したことから遠距離攻撃型か、後方支援型とみえる。正面に追加防壁術式の展開と、ルーク、ダイク、出ろ。ダイクは正面から押さえろ。ルーク、沼の周縁に放棄城壁が残っている。奇門遁甲系の土宮迷楼か水夸天逆が生きてれば発動させろ。独立遺構で出力は劣るだろうが、一小隊を押し流すには十分だ。」


「ちまちま戦うなんて非効率だ。俺なら一撃でやっつけられる。」

 一撃でやっつけてもらっては困るのだ。折衝の機微がわからない引き篭もりには理解してもらえないだろうが、あの円盤装置は羈馬族が東方大国から買ったか借りたかした兵器だろう。そんな品に傷をつけて返そうものなら大国の怒りを買いかねない。この城は大陸の僻地で息を潜めて生きてきたからこそ、永らえてこられたのだ。

 騎士団の心配をよそに、マクシミリアンは案外おとなしく拘束を受け入れた。四,五人の団員達の監視下で戦場の見学を楽しんでいる。数百年ぶりの外の世界が新鮮で高揚しているのか、警戒心の薄い若い騎士たちとも和やかな会話で打ち解け始めていた。

戦況はというと、大型円盤装置の存在感を除けば普段通りの戦闘に戻りつつあった。城壁に対して火薬を仕込んだ槍や玉を打ち込む敵騎兵勢を、ダイク隊が力業で城から引き離す。敵の攻撃に反応した壁からは防御術式と共に反撃の援護射撃光線が飛ぶ。円盤は沼地の本陣で回転を続けていた。

「アイヴァンの活躍を見てみたくてさ、前から来ようって思ってたんだけど、いつもすぐ終わっちゃうじゃん。支度してフラン説得してたら間に合わねえのさ。今日みたいなこともあるんだなあ。」

マクシミリアンの指摘通り、今回は開戦までに時間がかかったとはいえその後も戦闘が長引いている。敵軍側の被害の少なさからなかなか撤退しないのだろう。城術式の援護射撃精度が低い。

「射程範囲を読んでいるか…」円盤装置の狙いはおそらくそれだ。ダイク隊へ戦術の変更を伝えねばならない。




 両軍の交戦地よりやや北方に離れた城門から出陣したルーク隊は、羈馬軍が本営を構える沼地を対角から大きく迂回して進んでいた。辺りは所々に生える低木や城壁の名残である瓦礫程度しか身を隠せるものがない見晴らしのよさのため、目くらましの偽装に泥や藻を練りこんだ大きめの外套を羽織った(ルークはこのダサくて臭い服が好きではない。地肌がかぶれることもあるし、なるべく体から離れるよう帯を緩く結び重心を低くして体を縮こませた。)。機動力を重視して編成されたルークの隊は騎士団内でも体格の比較的小さい中堅騎士が脇を固める。彼らを三つの班に分けて少数ずつ進軍した。

 こちらの動きをなるべく悟られぬように警戒しつつ、敵陣地に術式範囲が及ぶ位置の稼働可能な城壁遺構を探さなくてはならない。土宮迷楼も水夸天逆も城術式によって地形に広範囲に手を加えて敵を攪乱する式で、直接的な打撃より隊列を乱し戦意を喪失させるのが狙いだ。ただ、円盤装置の役割が不明である以上あまり敵陣に近づきすぎて刺激を与えるのも好ましくない。アイヴァンからは無理せず危険を感じたらすぐ撤退せよとも言い含められていた。

 道すがら立ち寄ってきた遺構ではどれも近距離系の反撃術式ばかり刻まれていて、かつてはこの辺りまで戦闘の前線であったのだろうが今の目的に沿わない。まだ使えそうな基本防衛式だけ起動させて次の遺構を探す。

 慎重に歩を進めていたつもりだったが、沼のほとりに面した廃門をくぐったところで長槍を持った羈馬軍数騎と鉢合わせをした。出会い頭反射的に突かれた槍に対して、ルークはダガーサイズの湾刀を振り上げ軌道を逸らす。独特な形状の刀に槍をすくい取られるように躱されて態勢を崩した兵へ、横っ腹から従臣カーハラの剣が銀弧を描いてふるわれた。

 かつて門楼ほどの大きさだったと見える廃墟の壊れた二階部分を駆け上がり、残存する術式を起動させる。壁の術式文様は手を触れることではじめ仄かに瞬いていたのが、やがて中空に光の幾何学図形を浮かび上がらせて式を放った。侵入した異郷人を薙ぎ払う「大漣」が展開される。目に見えない衝撃波が帯状に射出されて羈馬兵たちを弾き飛ばした後、沼の水面を揺らしながら遠方へ渡っていく。

 ふいにルークの耳が金属のかち合う音をとらえた。馬鎧の頸元に備え付けた火打ちで羈馬兵が焙烙玉に点火する音だ。間もなく響いた爆発音と衝撃で門の防壁術式は作動したものの、その古さと出力不足で耐え切れずやや遅れて爆風を浴びる。建造物の耐久も限界が近いようだった。術式でこれ以上対抗することも難しい上に、火器隊は門の側面から攻め込むことで「大漣」の有効範囲から外れていた。交戦に気が付いた別働の二班も合流に向かってくるのが見えたことを幸いに、ルークは瓦礫を蹴って門楼を駆け下りこのまま撤退を決める。また火打ちの音が背後で小刻みに鳴るのが聞こえる。焦りで前のめりになりながら手綱を握りしめる手が震えた。心細さを紛らわすように腰の湾刀に手をかけようとしたところで弾かれたように右腕に痺れが走る。痛みと驚きで何が起きたのかもわからず、一瞬で全身の力が抜けたルークは馬上から振り落とされた。




 柔順に見学に興じているマクシミリアンの様子に警戒を緩めたつもりはなかった。ただ戦場において無意識にこの乱入者の存在を消し去ってしまったのかもしれない。視界の端で片足を振り上げ踏み込んだのちに腕をふりかぶるような動作をする魔術師の姿をいちど脳が受け流した後、ある種の予感がアイヴァンによぎりふたたび両の目で捉えなおした。


大雷槌帝トール


 まず、すさまじい音が飛んだ。己がどこにいるのかも忘れさせるほど知覚を奪う強烈な光と音、力の塊に飲まれて目が開いているのか閉じているのかもわからない。体中がひりひりする。視界が開けたとき、すぐそこに巨大な白い柱が立っているのが見えた。それがいかずちの束だったと了解できたのは、雷斧の先にあったのがかつて羈馬軍が本陣を張っていた沼で、今やどす黒いクレーターとなって焦土と化している姿を目にしてからだった。






 第一魔女との面会を終え黒騎士が退出した応接の間は城内最深部への入り口にあたる。古代の神殿あるいは劇場のように大きく開けた広がりには生も死もなく、建城以来ただ真空の時間だけが流れていた。静謐な石の空間に溶け込んだ石像のような魔女は深い夜の色のドレスを長い裾をひいて部屋へ引き返すところだった。

「マクシミリアンを解いたこと、随分気に入らなかったようね。」

 面談の様子をうかがっていた第二魔女が待ち構えて声をかけた。第一魔女とは対照的に、謝肉祭の彩色に似たけばけばしい装いを施した彼女をはじめ、ほかの魔女たちは騎士団長相手としてもその前に姿を現すことはしない。民からの城への信仰と信頼を支える魔女の存在はもはや概念に等しい。

「彼が自由を望むなら、私たちが止めても仕方ないでしょう。それに、きっと役に立つわ。」

「それはこの城にとって?それとも騎士団長殿個人のはなし?」

 問われた第一魔女は微笑みをもって返事とした。

「…外へ広がれば広がるほど、その大地の力と技術を糧に城も強大になるでしょう。そして才能ある騎士たちが経験を重ねてゆけば、私たちももっと彼らに魔術を委ねられる。強く美しい城へ導くこと以上に、建城主かれへの餞があって?」




 泥まみれのルークが城へ帰還したのは、変貌した城外への偵察隊がひとしきり捜索を終えた後だった。大雷槌帝の巨大な雷エネルギーに先行して放出された電磁波は結果的にルークを沼地のぬかるみへと弾き飛ばし、その泥の塊がクッションとなって衝撃を和らげていて助かったのだ。団員たちはみな命からがら逃げ仰せられたからいいものの、あんな危険なものを押し付けてくるとは魔女たちはいったい何を考えているのか。アイヴァン個人は、城はあるべき領土を守り、大国との衝突をできる限り避けて静かに営まれていくのが最善だと考えている。しかしあの大雷で幕引かれた戦闘のように、個人の思惑や城の損得を超えたところで情勢は移り変わっていくばかりだ。悩んだところで埒が明かない問題に嫌気がさしてきたころ、執務室の扉が叩かれた。北方沿岸部隊から異動の二人が顔見せに来る予定だった。

「団長どの~、今日からよろしくお願いします!」

 入室してきた二人組のうちの片方は、虹のような光を放つ濃い金髪の男だった。

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マギヲデラフォート 朔ロ さやめ @sakuro_sayame

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