逃げろ正直者

ヤチヨリコ

逃げろ正直者

 私はため息をついた。なぜなら、私は今、逃亡者だから。

 と言っても、犯罪者とか夜逃げとかじゃない。ただ少し、学校に行きたくないだけ。それも、ただの補習から逃げているだけで。


 ***


 今年の夏は最悪だ。家のエアコンは壊れるわ、お気に入りのCDをなくすわ、ろくなことがない。特別、最低だったのは失恋したこと。たぶん初恋だった。何故か心のどこかでショックを受けている自分がいた。


「今年の夏休みどこ行く?」

「今んとこどこにも行く予定はないわ」

 隣の席の結城といつも通り他愛もないおしゃべりをしていたときのことだった。


「お互い独り身か。二人して孤独なもんですなあ」

「……や、実は私、好きな人いんだよね」

 思わず口をついて出たのは、嘘だった。冷や汗が背中に流れる。エアコンの効いた教室はどうにも寒くてたまらない。


「あ、おまえも? 俺もなんだわ」


 それを聞いたとき、サッと血の気が引いた。

 私が言った好きな人は――結城だったから。


「へえ、そうなんだ。でも、結城のこと好きになるコなんているのかねえ」

「うるせ。それ言うならおまえもそうだろ。告ったって、どうせフラれるだけだよ」

「はあ? 何言ってんの? 別に告るなんて言ってねえし」


 ああ言えばこう言うで、私も結城も自分たちだけじゃ止まらなくなって、お互いがお互いを貶し合い、馬鹿にした。

 言いたくもない言葉が口からどんどん溢れてくる。自分の性格の悪さに泣けてくる(悔しいから泣かないけれど)。


 それ以来、なんだか結城とはギクシャクしてしまって、結城からは話しかけてこないし、私からも話しかけない。

 いわゆる冷戦状態だ。どちらが先に行動を起こすか、行動を起こした方が負けのように感じてしまって、お互いに相手の動向を探るばかりだ。


 ***


 気づいたら、電車に揺られていた。車窓からは私が住んでいる家が遠くなっていくのが見えた。

 結城と会いたくなくて、今日の補習をバックレた。

 私も結城も言いたくないけれど勉強のできない部類の学生だ。つまりは、馬鹿ということになる。恥ずかしいけれど。


「あ~あ、留年しちゃうかもな」

 私の独り言に驚いたのか目の前に座っていたおじさんが目を丸くする。つばを飛ばしながらお説教をしているようだが、聞こえない。中古で買ったヘッドホンはなんとも使い勝手がいい。


 外国人のバンドが歌ってる、再生数が少ない、何でもないようなつまらないロック。英語もわからないから何を言っているのかもわからない。けど、それがどことなく心地良い。だから、このバンドが好きだ。


 早口でがなり立てる女性ボーカリスト。けたたましく唸るギター。腹の底に響くベース。壊れるくらいぶっ叩かれるドラム。


 同じ高校生だというのに、私とはえらい違いだ。私は補習をバックレるとか、好きな人に「好きな人がいる」って嘘をついたり、そんなくだらなことでしか自分を表現できないのに、彼女たちはこうして音楽で自分を表現している。


 “My Looove”

 “My Looove”

 “Only Looove”


 ラブとかオンリーとか言っているから、たぶんラブソングなんだろうな、というくらいしかわからない。でも、自分を表現するっていうのはこういうことだと思う。


 ツイッターでボーカリストの彼女が「I came to Japan !」というメッセージと写真を投稿していた。窓際の座席は日差しが眩しくって画面が見づらい。目を凝らしてよく見てみると、背景には私の住んでいる町のシンボルマークが写っている。

 ああ、日本に来てるんだ。しかも私の町に。


 うとうととぼんやりしていると、突然、スマホの通知が鳴り止まなくなった。慌ててスマホを確認するとラインの通知、通知、通知、通知通知通知……。母から、父から、友達から、メッセージが届いていた。


「学校からあんたが学校に来てないって連絡が来たんだけど!」

「今、どこにいる?」

「どしたん? 大丈夫〜?」

 怒っているスタンプ。心配のスタンプ。泣いてるスタンプ。

 結城も「何かあった?」なんて……。

 こんな周りに心配をかけるような方法でしか自分を出せない自分が恥ずかしかった。


 最初からやり直すとしたらどこから?

 結城に嘘をついたとき?

 電車に乗ったとき?

 やり直したくてもやり直せないというのに、そうやって自分のやったことから目をそらして現実逃避している私がいた。


 ボーカリストの彼女がツイッターでまた写真を投稿していた。自由に生きる彼女が羨ましかった。彼女はこうやって逃げるなんてことしないのだろうな、と思うと、自分が惨めで情けなく思えてくる。


 写真には、私が写っていた。いや、正確には写り込んでいた。位置的には同じ車両……。周囲を見回せば、ボーカリストの彼女がスマホを見ていた。


 ――こんな私でも彼女と話せば変われるかもしれない。


「……アイム、ユア、ファン! アイ、ラブ、ユア、ソング」


 ボーカリストの彼女に、私は声をかけた。

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逃げろ正直者 ヤチヨリコ @ricoyachiyo0

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