第33話 お粗末な笛
「辰一君って最近、元気ないね」
君から慰められたのは期末テストも終わった二年生の春先、星の入り東風も吹いた、啓蟄を過ぎ、芽吹き時の道端に菜の花が咲き乱れる、弥生の候だった。
君とは普段から懇ろに話しているけれども、麗らかな日永、君は僕の微妙な気持ちの変化を敏感に感じ取って心配してくれた。
浅春、僕が僕の手首を切っている秘密に繊細な君は気付いているようで、何かとあれば、決して、簡単には開けられない傷口をさすってくれる。
「痛いでしょう? 怪我でもしたの?」
気まずそうに僕の手首の病状を心配する。
さすられながらこそばゆかったけれど、当の僕はどこ吹く風だった。
君には心配させぬように笑って過ごすようにしているけど、最近の僕が暗く目つきが悪いのは誰が見ても明瞭だったらしい。
何かと機会があれば、目つきの件を指摘される。
それでも、僕は自分が正常なまともで人間で、どこにも非打ちどころがない人間のようにぎこちなく振舞っていた。
「怪我は大したことないよ。別に悩みもないし」
尖った目つきを緩和させて、真顔で言うのだけれども、ますます君は心配するのだった。
君という少女は人の痛みに対して一番過敏に反応する少女だったから。
「だって、その傷は……。ごめん、変なこと言っちゃったね」
春隣の教室は凍えるまではなくてもどことなく、寒空を引っ張り続け、肌がかじかむようにひんやりしていた。まだ、真冬の匂いが抜け切っていない。
白梅も全盛期を迎えた満開で冬枯れの灰色の滝に真水が沁み込み始め、寒冷な気温も上昇し、体感的にも、精神的にもようやく春が訪れた、と身に染みて分かる。春待ち人の君が神妙な顔つきで僕の拳を強く握った。
「……辰一君、ちゃんと身近な人に話した方がいいよ。辰一君は笑っている方がいいから」
話すと言っても何を誤謬に話せばいいのだろう。
あの人に相談なんかすれば、余計に状況が悪化し、最悪な結果、喧嘩腰にあっただけだし、懊悩なんて可愛い言葉では済まされないほど、とりあえず、みんなには清廉潔白な僕を無碍に認めてほしかった。
「螢ちゃん、ありがとう。大丈夫だから」
僕が無理して微笑むと君は見透かしたように春光の下、俯いた。
「……辛いときには私のところへ来ていいんだよ」
あともう少しの時間が必要だった。
こうして、無理して笑っているうちにそれなりに物事が順調よく行って、忌まわしい過去の束縛は封印されたような気がした。
それは見せかけの夜のピエロが吹き損なった、お粗末な横笛だった。
この世の諸行無常は虚構でこの世界は反撃する、定形を心得ている。
そのミスフォーチュンである、残酷な法則を悟ったのは、白く青い桜の花びらがこの地平に降り注ぐ、あの日からだった。どうして、あんな目に見舞われたのだろう。
錦秋劇場、春は来ぬ 星の神話に星の演劇。 詩歩子 @hotarubukuro
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