第3話 マカロンだけでは生きません。

「オレはさ、すべてのニンゲンには、を食べる権利があると思うんだー。よく、子供の食事を制限する親がいるけど、アレは絶対に違うと思うッ!」

 なんの因果か、未来久みきひさの眼前には色とりどりのマカロンがタワーを成していた。

「いい大人が自分で好きこのんでベジタリアンとかヴィーガンとかするのは、好きにすればー? って思うけど。子供や他人にまでそれを押し付けるのは、ねー?」

 ビビッドカラーで飾り立てられた『いかにも女子高生』という様相のカラフルポップなその部屋は、もちろん未来久の部屋にあらず、積み上げられたマカロンをひょいとつまんではパクリと食べ、ペロリと飲み込み、ひとつ、またひとつと平らげる胃袋おばけ、こと橋倉沙耶音はしくらさやねの、城、もといマイルームというものだ。

 沙耶音はちんまりとした白い円卓の上にかわいらしいマカロンを「これでもか」と積み上げて、「姫さm……ミキヒサも食べなよ」と促しつつ、ソレをほとんど単独ひとりで食べている。

「お前さ、晩飯食べる気ある? まだ食べてないって言ってなかったか?」

 心配になって訊ねると、沙耶音はマカロンを頬張りながら空いた手でVサインを作り、モゴモゴと何か言った。それは普通に聞き取れなかったので、彼女はきっちりマカロンを飲み込んでから、ついでにレモンティーを一口啜り、口の中をスッキリさせてもう一度答えた。

「ぜんぜん、ヨユーヨユー!」

 と、今度は両手でVサインを作る。

「そのポーズはやめような」

 未来久はやれやれとため息をつく。

 沙耶音は昔から甘いものが大好物だったが、バレーボールをはじめてからは摂取量も爆発的に増えた。身体を動かすことで消費されてしまうのか、不思議と体型は変わらず、むしろ縦に伸び続け、病気の片鱗もない。

 しかし特にスポーツの習慣がない未来久が同じ調子でソレに付き合えば、あっという間に悲惨なことになってしまうだろう。はじめのうちは勧められるままマカロンを口に放り込んでいたものの、みっつめの途中で「これ以上は無理」と判断し、残りの欠片をミルクティーで半ば無理やり流し込んで、それ以上の摂取は断固拒否を貫いた。

「何でそんなにマカロンが好きなんだ?」

 興味半分、呆れ半分の気持ちで訊ねると、沙耶音はキョトンとする。

「何で、なんて考える必要ある? 好きは好きでそれだけだし、オレはそれだけでいいと思うんだけど……」

 なかなかに哲学的なことを言うではないか。予想もしなかった反応に、未来久はたじろぐ。もっと単純でいかにもな理由を想像していたのだ。「見た目がころっとしててかわいい」とか「カラフルだからSNSで映える」とか、ふつうに「おいしい」とか。

「まあ、強いていうなら……ウン。姫様が──前世のミキヒサが、マカロン大好きっ子だったから。オレは姫様とマカロンをつまみながら過ごす時間が好きで……ついでにマカロンのことも好きになっちゃった。みたいな?」

 それは十分に少女らしい、かわいい理由だった。

 大事な相手が好きなものを──それを共に味わう時間を好ましく思うのだということ。きっとそれは誰にでもあるようなごくふつうの感情で、しかしそういう相手が存在するということは得がたく、かけがえのないことだ。

 ──それがただの妄想や思い込みでなければ、の話だが。

「何度も言ってるけど、おれは特に甘いものは好きじゃない。というより苦手だと思う」

「前世で食べすぎて飽きちゃったんじゃない?」

 沙耶音はそれを何でもないことのように笑い飛ばす。そんな風に抗議をスルーされる度に、未来久は首を傾げずにはいられなかった。

 立場が逆だったらと思うと、沙耶音のこのあっさりした態度は不自然に思えるからだ。

 前世でいつも共にいた相手が自分のことを何も覚えていない上に、以前とは似ても似つかない容姿・人格・趣味嗜好で……あまつさえ性別が異なるのだから、「そんなものはもはや他人だろう」と思ってしまう。

「男のおれを見て、こんなの『姫様』じゃない! とか思わないもんなのか?」

「なんで? ミキヒサはどう見ても姫様だよ。ルックスとか態度とか、せーぶつ学上の性別とか、そういうのはおいといて。たましいの形、みたいなものが」

「見えるのか、そんなもん」

「えっと、『みたいなもの』なの、あくまでもねッ! オレ、世界のなりたちとか精霊や妖精とか、魔法について……みたいな、そういうのまじめに勉強したことがないから、うまく説明できないんだよー!」

 そりゃあそうだろう、とつっこみたくなったところで、まったく別の方角から第三者の声がした。

「興味深いお話をされてますね」

 未来久の背後、沙耶音の正面、つまりはこの部屋の出入口──の外側に、その美少女はいつの間にか立っていた。扉を開けっ放しにしていたわけではないはずだが、開け閉めするような物音は特に聞いていない。つまり、彼女がいつやって来たのかすら不明だ。

 美少女──すなわち御代志可鈴みよしかりんは、見慣れた制服姿ではなく、パステルカラーの私服に身を包んでいた。

 未来久はただの男子高校生である。女子のファッションについてはミリもわからない。だが、その『かわいい』成分についてだけは、人並みに敏感だった。

 要は、いつもはシンプルなお下げを結っているそのふわふわのアッシュグレーの髪が、さらにふわふわにアレンジされ──それがどういう名称の髪型なのかさえ、未来久は存じ上げなかった──真面目さの象徴のような太縁の眼鏡は、度入りのカラーコンタクトにとってかわられており──つまりは、まるでと化していた。

「あれッ? オルトスくんじゃん。どしたの?」

 沙耶音はさらなるマカロンに手を伸ばしながら、可鈴の『騎士』としての名前をナチュラルに呼び掛けた。

「姫にお借りした漫画をお返しに来たんです。綾辻さんの家に行ったら、姫はこちらにいらっしゃるとのことでしたので」

 そういえば、アニメ化した長編漫画全巻セットをまとめて押し付けた覚えがあった。一ヶ月ほど前のことだが、律儀にすべて目を通して、返却しようにも未来久が図書館に中々顔を出さなかったがために、こうしてわざわざ家まで足を運んできてくれたのだろう。

「ありがとう、ごめん、おれが受け取りにいくべきだったな。重くなかったか」

「図書館ではこれより重い本をまとめて運ぶこともありますから、大したものでは。それに、大変おもしろかったので直接感想をお話ししたくて」

「ならいいけど……どうだった?」

「ボクたちの出会いを思い出しました。敵方の帝国の姫の立場が、あなたの──エルスフローネ姫が置かれていたものと重なって見えて。主人公の親友の暗黒騎士に感情移入して、最終回は涙腺が崩壊してしまって……危うくお借りした本を濡らすところでした」

「そ、そう、なん、だ」

 熱量がありすぎる。未来久とて好きな漫画ではあるが、可鈴の感想は切り口が違いすぎて、とても共感できるものではなかった。

 なにしろ、未来久は彼女たちの前世の記憶を右から左に聞き流している。当然ながら、オルトスやスパダの名前すらうろ覚えで、ましてエルスフローネ姫や彼らがたどった運命の結末など知りたくもないのだ。

「ちょうどいいじゃん! ならさ、ならさッ! ミキヒサへの解説ついでに、思い出話をしようよ!」

 解説。つまりは「たましいの形」とかそういうものについての講釈だろう。特に興味はないので丁重にお断りしたかったが、可鈴は既に膝を折り、完全に『語る』モードになっていた。

「いや、待て。いま何時だと思ってるんだ? ミヨシさんの家にだって、門限とかそういうの、あるんじゃないのか」

 未来久がバイトを終えたのが18時半頃。真理枝に送られて綾辻家に着いたのが19時を少し過ぎた頃。「さぁさ、姫様~! 放課後のヌン茶タイムだよ~ッ!」と沙耶音に引きずられて向かいの橋倉家にやって来たのが19時24分のこと。

 そして現在、壁の時計は20時過ぎを示している。図書委員の仕事を終えて帰宅し、それから着替えておしゃれしてここまで来ればそんな時間にもなるのだろうが、健全な高校生が他人の家で話し込むには、少々非常識な時間である。

「お話ししていませんでした? 今世のボクは越境入学なので、いまは独り暮らしです。気にしないでください」

「いやいやいや、だとしてもおれが気になるんだよ! よその女の子を夜中まで拘束するとか! 最近は夜道も物騒だし! ほら、三日くらい前だっけ? なんか事件があっただろ? 送っていくから、今日はもう帰って……」

「ふーん、じゃあ今日はウチに泊まっていく?」

 会話の流れをぶったぎるようにして、沙耶音はそんなことをのたまった。

「はい、是非。スパダさんの家なら安心です。積もる話もありますしね」

 可鈴の方も二つ返事で頷く。

 こうなると、未来久に言えることはなくなった。可鈴を泊めるか泊めないかは橋倉家の事情であって、もはや未来久が口出しすることではない。

「お前たち、何でそんな仲がいいんだ? 姫を巡って火花を散らすとか、そういうのはないわけ? ほら、乙女ゲーみたいに! 乙女ゲーみたいに!」

 大事なことなので二度言ったが、言われたふたりの方は困惑顔を見合わせるばかりだった。

「ナナキシにそういうのはなかったな。そりゃ、みんな姫が大好きではあったけど、姫の命と無事が第一だしー?」

「ボクたちが姫に向ける感情は、主人の従者としての崇高な忠誠心です。独占欲とか、あるいは支配欲だとか、そういう不純な欲望とは、誓って違うものでしたとも」

「まー、約一名ガチ恋勢がいたけど、ぶっちゃけクロードくn──会長のことだけど、そのクロードくんだって別に自分が姫様と結ばれたいとか、そういうのではなかった、よね?」

「ええ、彼は姫の幸せを誰より願っていました」

「オレたちのそういうのはね、どっちかっていうと、『姫以外の女性と結婚するなんてとんでもない!』って感じのやつー。わかる?」

「いやぜんぜんわからんが?」

 なんだそれは。なんなんだそれは。

 どうやらこの電波な美少女たちが未来久に絡んでくる理由は、未来久が想像しているようなものとはだいぶ違うようだった。

「お前たちの話を総合すると、そのエルなんたら姫は、騎士たちの誰とも結婚とかはしてないんだよな」

 当然の疑問を投げ掛けると、何故かそこでぴしりと空気が凍りついた。

「……姫様は未婚だよー。魔王とかナントカで、割と忙しくてそれどころじゃなかったし?」

「そうですね。クロードさんも、だからこそ遠慮がちだったところはあります。ああいう状況でなければ、彼はあるいは、姫に求婚していたのかも……」

「あー、やめやめ。そんな『あり得なかった』話は、してもしょーがないよ。ね。それよりミキヒサへの解説をお願いオルトスくんッ!」

「それもそう、ですね。それで? 疑問はなんですか?」

 可鈴は今は装着していない眼鏡をクイッと上げるような仕草をして、話を戻した。

「じゃあ、まあ一応訊くけど……『たましいの形』ってなに? 姿も性別も違うのに、おれがその──姫? だってこと、何でわかるんだよ?」

「いい質問ですね」と、可鈴はなぜか嬉しそうにウンウン頷いた。

「では前提として、この世界の人間の感覚は、五感と呼ばれていますね」

「ああ、うん。視覚、聴覚、嗅覚に味覚、それから触覚、だろ? あと、霊感みたいなものをシックスセンス──第六感、とか言うけど」

「その通り。ボクたちの世界……ディ・アエリ=アリアにも、そういう概念がありました。五感に加えて、光覚こうかく霊覚れいかく、そして心覚しんかくです」

 また初耳の言葉が大量に出てきたな、と思ったが、未来久は黙って聞いていた。いつもの姫や騎士の話に比べれば、こういった話の方が好奇心が刺激される。

「光覚というのは、この世界で言うと『色覚』に近いものです。前世の世界の住人は、『光』や放射線を知覚することができました。厳密には『視覚』とは別の感覚なので、何となくの理解で構いませんよ。それから、霊覚──これがまあ、いわゆる霊感にあたるものです。こちらも、『霊』というのはそもそも視覚に映る現象ではないので、『視える』のではなく、『わかる』という感覚なのですが」

 想像しにくいが、まあそういうものなのだろう。ここまでディティールの細かい妄想をすらすらと語れるというだけでも大したものだった。未来久なら、たとえ自身が考えた『設定』であっても、メモを見ながらでなければ話せないに違いない。

 可鈴はなおも説明を続ける。

「スパダさんの言う『たましいの形』というのは、『心覚』で感じ取れるもののことでしょう。ボクたちはそれを『心核コア』と呼んでいました。この世界の言葉で言えば、自己同一性──アイデンティティや、あるいはイデア──本質、起源、といった語になるでしょうか。表面に現れた性格とはまた別の、その人をその人たらしめる根っこのようなもの……人間だけでなく、物質や霊質にも『心核』はある、というのが、ボクたちの世界での通説でした。そしてボクたちは今世でも、『心覚』を持っている。だから、あなたは間違いなくエルスフローネ姫なのです」

「はー、そうか、なるほどねー……」

 全然なにもわからん。

 未来久はそう思ったが、これ以上突っ込んだ解説を聞くのも面倒なので、それで「全部理解した」ということにしておいた。

「じゃあ、そろそろおれは家に帰るけど」

「えーッ? 姫様も泊まっていこうよ、パジャマパーティーとかしよう?」

 ゆるゆるの部屋着姿の沙耶音は、いつもの距離感で顔を近づけてくる。既にシャワーを浴びたという彼女からはシャンプーや石鹸のようななんとも言えない香りがほのかにただよっており、その事実は否応なく未来久の男子高校生な部分に動揺を誘う。

「ち、近いって。いつも思うけど、お前に常識はないのか? 授業はまじめに聞かないし、自分の性別をすーぐ忘れるし。女子高生がふたりもいるこの家に男子高校生が混ざって泊まるのは、色々と問題があるだろ、大問題が」

 しかも、そのふたりはいずれ劣らぬ美少女なのである。

「忘れてるわけでは、ないんだけどー……」と、そこでなぜか沙耶音は頬を染めた。

 少女らしく恥じらっていると思いたいが、恐らく違うのだろう。もちろんつっこまない。君子は危ういものに近づかないものなのだ。

「じゃあアレか、忘れてるのはおれの性別の方だな? おれのパジャマ姿なんてかわいくもなんともないからな!?」

「何を言うんです、姫は何を着てもおかわいらし」

「ミヨシさんはちょっと黙ってて」

「いいえ黙りませんよ。姫は男装もよくお似合いです。波瀬高の制服のブレザーの紺は、特に姫の凛々しさを引き立てます」

「わかるー。中学の頃の学ランもアレはアレでよかったけど、オレも姫様に似合うのは紺とか藍とか、そういう色だと思うなー。前世でのドレスの水色やラベンダーもよかったけど、男装は男装でまた違った可愛さがあるって言うか。一年の時の姫様、ネクタイが締められなくて明日果あすかくんに結んでもらってて、それも可愛かったし」

「それはボクも是非見てみたかったですね」

「画像あるよ、見る?」

 充電中だったスマートフォンを持ち上げて画像アプリを起動する沙耶音と、同じく鞄からスマートフォンを取り出して「保存するので送っていただけますか」と懇願する可鈴。もはやカオスである。

 ちなみに、明日果というのは未来久の六つ年下の弟のことだ。彼は小学校が制服校なので、かなり幼い頃からきちんとネクタイを結べるのである。


 閑話休題それはさておき

「ふたりで盛り上がってろ、おれはマジで帰るからな!」

 とにもかくにも、パジャマパーティーもとい女子会とやらに、未来久が加わる訳にはいかなかった。甘いものは食べ飽きたし、そろそろ肉や塩気がほしい。

 美少女はマカロンだけで生きられるかもしれないが、ただの男子高校生には、もっとたんぱく質な栄養がタップリ、そしてガッツリと必要だった。







 




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