第2話 カルトのお誘いはご遠慮ください。

 未来久のアルバイト先は複数ある。

 ひとつめは夕刊の配達。一度自宅に帰り、自転車で事務所に赴いてからの、拘束時間は約三時間。担当地域はそれほど広域ではないが、自転車での移動というものは頭で想像するより疲労を伴うものだ。未来久にとってアルバイトとしてはこれがメインで、頻度としては月火木の週三日。夏休みなどの長期休暇の際には朝刊の配達を行うこともある。そちらは2時出勤の6時退勤という、早起きというよりは徹夜コースである。

 ふたつめは在宅プログラマーである父の手伝いで、アプリケーションのデバッグ作業。ただしこの賃金は父のポケットマネーから捻出されているので、給料というよりお駄賃といったところだ。

 みっつめは親戚の同人漫画家のアシスタントだ。もっとも、未来久の画力は美術3の成績並みのものなので、作画には関わっていない。休日に遠方に赴いて資料用の写真を撮影し、編集した画像データを送信する、というのが主な内容だった。頻度としては三ヶ月に一度ほど。こちらも給料というよりは謝礼という名目で、現金ではなく電子ギフトコードや図書カードといった形で対価が支払われる。

 そしてよっつめ……これが今回のアルバイトなのだが、唯一の接客業だ。場所は地元の小さな喫茶店。ただし、ローカルな人気を誇るその店は、夕方以降の帰宅ラッシュ時が最も混雑する。未来久は特に混む週末の金曜日だけ、夕方時間帯のヘルプスタッフとしてシフトに入っている。ただ、このバイトは毎週入れているわけではなく、特に忙しい月限定で呼ばれているものだった。

 よって、未来久の水曜日と金曜日の放課後は、ほぼフリーである。土日に関しては、週によって異なるため一概にいうことはできない。特に土曜日は、学校の模試などで休みがつぶれることも多いのだ。

 とにもかくにもバスから降りた未来久はそのままアルバイト先である「喫茶レトロチカ」に裏口から入り、更衣室で制服である緑のエプロンを身につけて、事務所のパソコンで出勤を切った。一年前、バイトを始めた頃は物理カードを専用の端末に通して打刻していたのだが、年が明けた頃にちょっとした革命が起こり、WEBの勤怠管理システムが導入された。その頃家庭の事情での長期休暇を経て出戻ってきた大学生が経験豊富でITに強く、彼女の助言にしたがって店長が柔軟に対応した結果である。

 未来久が喫茶店のホールに顔を出すと、その大学生──一颯嵐いぶきらんが客足が落ち着いた間隙に床清掃をしているところだった。

「あれ? 今日ってイブキさんが清掃担当でしたっけ?」

 アルバイトの仕事は接客だけではない。レジ打ちや清掃、客がはけた後の片付けなど、むしろ「それ以外」の方が多い。そしてそれらの作業は、誰が何時に実施するか、綿密に管理されている。全スタッフに個別のタイムシートがあり、スタッフごとに別々の作業が割り振られているのだ。

 未来久が首をかしげたのは、今日の清掃担当はタイムシートでは別の人物に割り振られていたからだ。

「いや、違うが。さっきのお客様が、ちょっと飲み物をぶちまけてたからな。それはさておき、おはよう綾辻」

 嵐はモップを持ち上げてバックルームに向かいながら、未来久に向け軽く会釈した。

「あ、はい。おはようございます」

 この店では、出勤時の挨拶は何時であろうと「おはよう」なのだ。

 嵐は微笑みながらバックルームに引っ込んでいき、未来久はその鮮やかな表情の美しさの余韻にしばし浸ることになった。

 そう、一颯嵐は美少女である。正確には年齢的には少女の範疇ではないかもしれないが、彼女の持つエネルギーは、まさに少女にしか持ち得ないような瑞々しいものであり、その意味において、彼女は美少女以外の何者でもないのだった。

 そして何より、未来久の周囲の美少女の中でほとんど唯一、「前世の記憶の話」をまったくしてこないところも好印象ポイントだ。問題は、彼女に「前世の記憶」がないということは、「未来久に恋情や執着を抱く理由」もいまのところは持っていない、ということだ。

 事実、嵐は未来久に対して、ただのバイト仲間に向ける以上のアプローチを一切してこなかった。嫌われているわけではないが、特別な感情で好かれているということもないだろう。こちらから話を振らない限り、仕事に関係ない雑談は一切発生しない上に、仕事の会話も本当に事務的なものにとどまる。

 もうひとりの女性スタッフである「川内さん」からは「おかしな客」についての愚痴や悩み相談などを頻繁に受けるのだが、嵐はそういった話題すらまったく口に出さないのだった。

(でも、本当にきれいな人なんだよな。向こうから前世とか抜きに告白してくれたら、即付き合うんだけど)

 恋とも呼べないほのかな感情だ。平凡なチキンである未来久には、自分から彼女にアピールするといった選択肢は存在しない。

 などと考えているうちに、混雑する時間帯に突入していた。次々と来店する客へオーダーを取りに行き、調理スタッフに伝達する。客がはければ後片付けをし、原状復帰した上で次の客を案内する。そうした繰り返しに、余計なことなど考える隙はない。

 ──そこへ見覚えのある人物がやってきた。人工的な銀髪に、国籍不明な白い肌と、自然にはあり得ない発色の青い瞳。来栖真理枝くるすまりえ。いつも白い服を身に付け、アクセサリーの類はシルバーで統一している彼女は、どこにいても尋常ではない異様な雰囲気を放っていた。プライベートなのか、はたまた別のナニカなのか、彼女は若い男女を連れ、彼らを誘導しながら窓際の四人席に座る。

 未来久は不審に思いつつも、他の客にするのと同じように、まずは水とおしぼりを彼らの席に運んだ。

「おや、マイプリンセス。アルバイトかい? 感心、感心」

 真理枝は未来久の存在に気づくといつものようにゆるりと笑いかけ、指先が白いジェルネイルに彩られた華奢な手でグラスを受け取った。

 まるでたんぽぽの綿毛のような女性だ。初めて真理枝に出会ったとき、未来久はそんな感想を抱いた。それから2年ほどの歳月が過ぎたが、その印象はいまも変わっていない。真理枝は確かに目の前にいるというのに、霞のように重さを感じさせなかった。存在感が希薄ということではなく、ただただ柔いのだ。

 それにしても、この三人連れはやはり奇妙だった。真理枝はそのファッションからも主義も主張も強い個性的な人物に見えるが、彼女に同席しているふたりについては全体的に灰色というか、明日になればどんな人だったか思い出せないような、いわゆる量産型の一般人だ。雰囲気からも友人同士には見えず、ふたりの表情はやや緊張しているように見える。まるで、高位の聖職者に咎を責められる信徒のような……。

 思うところはあったが、いまはアルバイト中だ。真理枝を相手に個人的な話をするわけにもいかず、未来久はいつもどおりオーダーをとって、接客の範囲を逸脱した言動はせずに真理枝たちの席を離れた。

 だがしかし──真理枝のふわふわとしていながらも艶のある落ち着いた優しい声は、意識していなくとも未来久の鼓膜にまで届き、聴覚を刺激した。

「さて、どこまで話したんだったかな? そう、私たちの活動についてだけど──簡単に言えば、啓蒙……いや、より端的にいうなら、『教育』といった方が適切だろうね。とにかくわが『光の輪と平和協会』は、義務教育の恩恵からもれてしまった子供たちを対象とした救済を目指していて──」

 それは脳の芯を内側から痺れさせるような、全神経の中枢器官が内部からのクラッキングを受けて機能不全を起こしてしまうような──おやすみ前に耳にしようものなら即安眠を約束されてしまうような──そんな、だった。

「──それで、きみたちはできる限り多くの人にこの事実について伝え、広めてほしい。これから社会に出るきみたちのような人々に、私たちの助けになってほしいんだよ」

 まともに聞くつもりもないはずなのに、無意識に耳を澄ましている。真理枝の言葉の一言一句、ひとつとしてもらすまいと息を殺す。

「そしてこれは私たちの活動をまとめたタブレットだ。ひとりにつき五人を最小単位としてインセンティブが……」

「お客様」

 と。いつの間にか真理枝たちの席のすぐ側に、褐色の美少女──つまり嵐が立っていた。

「店内でのそういった勧誘行為はご遠慮いただいております」

 真理枝は一瞬、心底驚いたような顔をした。まさか店員に話を遮られるとは予想もしていなかったのだろう。だが数秒もしないうちに、彼女の魅惑の唇はゆるく笑みを象った。

 毅然とした態度の嵐と鷹揚な様子の真理枝との間に、しばし視線の応酬があった。すべてを受け流すような真理枝の無言の圧にも、嵐は一歩も引かずに耐えきった。

「ふふ。ああ、いや、失礼。お店に迷惑をかけるつもりはなかったんだ」

 やがて折れたのは──少なくとも表面上は、真理枝の方だった。

「しかし、なにか誤解を与えてしまったようだね。お詫びに、もうひとつケーキを頼もうかな」などと彼女は言う。

 メニュー表を開き、さっと表面を撫でるように目線を走らせて、すぐに嵐をまっすぐ見つめ返した。

「これ。サバランを追加でひとつ。好物なんだよ」

 

 それから彼女たちは本当に話題を変え、毒にも薬にもならない世間話に花を開かせながらお茶を楽しみ、十五分ばかり過ごしてから店をあとにした。心なしか真理枝の連れのふたりも安堵したような表情をしていたのは気のせいではないだろう。

 それから閉店を前に客足は落ち着き、気づけばラストオーダーという時刻。バスの時間があるため、未来久は他のスタッフより一足先に退勤した。

 着替えを済ませ、再度ホールに顔を出して嵐たちに挨拶したあと、裏口から外に出る。外はすっかり暗く、最寄りのバス停にはこれから帰宅する人々の長蛇の列が形成されつつあった。今から彼らと共にバスという狭い箱の中に詰め込まれるのだと思うと、さすがに気が滅入ってくる。

 しかし──その必要はなくなった。バス停の手前でクラクションが鳴らされ、ビックリして目を向けた先に真理枝がいたのだ。彼女は白い高級車の運転席から身を乗り出して未来久に手を振っていた。

 冗談だろう、と思う。

「まさか、待ち伏せしていたんですか?」

 未来久は慌てて車に駆け寄り、問い詰めた。

 なにしろ、彼女たちが店を出てから一時間は経過しているのだ。

「いいや? 『同胞オトモダチ』のふたりを送ってから、もう一度Uターンしてきたのさ。君に用があってね」

「そうですか、おれの方はなにも用はありませんので、失礼しま──」

「おっと、逃げないでおくれよ」

 踵を返して立ち去ろうとした未来久だが、「しかし回り込まれた」。いや、起こったことをありのままに言うなら、車の中に引きずり込まれた。

「そっ、その細腕のどこにそんな力が?」

「言っただろう? 私だって騎士の端くれ。まあ、もっぱら魔術の方が得意だったが、それはそれ。転生してもそれなりに鍛練はしているんだよ。場合によっては呪文を唱えるより殴った方が早──ボディーランゲ

ージの方が伝わりやすいことがあるからね」

「それ、言い直す必要ありました?」

 あらゆる意味で恐怖しかない。一言でいうと悪夢だ。

 来栖真理枝は一見知的な女性だが、話がまったく通じない。転生云々はともかく、表面上は成立しているかに思える会話も、彼女の要求を一方的に呑まされているだけだ。

「あまりつれないことは言わないでほしいな。最愛のプリンセスに拒絶されれば、私だって傷つく」

「知りませんよそんなの。おれはプリンセスとかじゃないし。そもそも騎士ナイトを名乗るならもっと紳士的ジェントルに、というか未成年をかどわかすのは犯罪だっていうのはご存知ない?」

「うーん。この世界の騎士ってヤツと、王国ヴィネールにおける騎士は大きく定義が違うからねぇ。優先されるのは主の安全の確保であって、自由意思は二の次。その辺の認識には多少齟齬があるかもしれない、かな?」

 「かな?」ではない。「かな?」では。──などと、いちいちツッコミを入れる元気もなくなってくる。

「それに、これは君の言う『拐かし』には当たらないよ。私は君を無事に自宅に送り届けるついでに素敵な夜のドライブをしよう、というだけだし、この件については君のご両親に許可をとってある」

 ぞく、と背中が総毛立つのを感じた。

 この女性は。無法が服を着て歩いているような存在でありながら、社会に適合しているように見える詐術には長けている。

 ──虎の子を得たかったら、親の虎から懐柔する。

 思考回路が完全にカタギのソレではない。

 未来久は無言で制服のスラックスの尻ポケットからスマートフォンを取り出し、短縮ダイヤルを呼び出して両親への裏取りを試みる。

 真理枝はそれを見て未来久の意図を瞬時に察し、「そんなに信用ないかい?」と悲しそうに眉尻を下げた。未来久はもちろん騙されない。

 だが。

『どうしたミキヒサ。デートは楽しんでるか?』

『来栖さんにあまりわがままは言わないように。あっ、いくらきれいな女性だからって変なことはしちゃダメだからね?』

 両親はころっと騙されていた。というか、息子よりも真理枝を信用していた。

「これはひどい、ひどすぎる」

 未来久は反射的に通話を切り、嘆いた。

 もし、真理枝の最終目標が世界征服や大量虐殺だったとして、人類はどれだけ抵抗できるのだろうか。ひょっとすると対立さえしないまま──ある日突然「ソウイウコト」になっているのではないか。

 そんな想像が未来久の脳裏を駆け巡り、なんとも言えない不気味さを植えつける。人類がそこまでバカではないことを祈りたい。

「おすすめのドライブビューを提供しよう。絶対後悔はさせないよ♡」

 耳許で甘く囁かれては、未来久も同じ穴のむじなに成り下がった。

 

 未来久は今のところ四輪駆動の乗用車というものにまるで興味がなかったので、真理枝の愛車の車種などはわからなかった。が、明らかに高級車であるということは辛うじてわかる。左ハンドルの運転席から振り返り、「ちゃんとシートベルトは締めるんだよ」と促すところは、ドライバーのかがみと言えなくもない。

 真理枝曰く「交通事故が起こった場合、助手席の死亡率が最も高いんだ」という理由で、後部座席に座らされた。意外にも安全運転で快適だった。

「プリンセスを交通事故なんかで失うわけにはいかないさ。そんなことになったら私が他の騎士に殺されてしまうよ」

 真理枝自身はまるでジョークのように言うが、それはブラックユーモアでもなんでもなく単なる事実であろうことは、未来久にも容易に想像がつく。

 なにしろ他の自称騎士たちと来たら、未来久の親友を前世の大隠者と思い込んで周囲の目も憚らず敵視したり、教室にいる間ずっと凝視みつめてきたり、生徒会長の権限をフル活用して未来久の(主に身体的な)危険を排除したり、と、やることの度が過ぎているのだ。

 例の前世発言を抜きにしてもお付き合いは控えさせていただきたい、──というのは理性の話で、未来久は悲しいかな、ありふれた人格の健全な男子高校生だったので、その事実をもってしても美少女たち(自称含む)の美少女たる魅力の前に危うく陥落しかけることは日常茶飯事だった。

 現に、いまも真理枝の美声に脳を揺さぶられてくらくらしている。真理枝は容姿も(一般人が安易にイメージするところの)天使のように可憐だが、特記すべきはやはりその声の心地よさだ。

 もし、真理枝の声がテレビや動画配信サイトや有線放送から逐一垂れ流されるような状況が発生したら、人類は毎秒脳から絶頂して一日と経たずに洗脳されてしまうだろう。真理枝の職業が声優や歌手ではないことに、全世界が感謝すべきだった。ただし、真理枝が今後永久にその気にならなければ、の話だが。

 未来久がくらくらしている間に、真理枝は市街の中心地を少し外れた方へ車を進めていた。辺りの静けさに気づいて車窓に目を遣ると、5メートルほど眼下に海が見えた。都会の港のようにギラギラとライトで照らされているわけではない。舗道の街灯の数も疎らで、海はくらい。何かの反射光が波間に揺れて時折ちらつくが、一瞬後には泡のように消える。その光景が、まるで映画のワンシーンのように

「絶景だろう?」

 視線を前に向けたまま、真理枝は闇に溶け込むような声をもらす。同意を求めているようでいて、単に自分の感想を表明しているにすぎない、そんなささやかな音。

 それは恋人たちがこぞってソレを見に訪れるような景色とは違う。むしろそういう『映え』からは無縁の、もっと原始的なが広がっていた。

 見る者によっては何もない闇。一種の不気味さを覚える者もいるかもしれない。そこに人間の存在はまったく関係がない。濁りのない黒。それがかくも美しく見えるのは何故なのか、未来久自身にもなんとも説明がつかなかった。

「なんというか……静かですね、ここ」

 一方通行の道というわけでもないのに、先刻から一度も対向車とすれ違っていない。それどころか同車線上の前にも後ろにも、他の車の気配はなかった。バイクや自転車、あるいは歩行者を見かけることもなく、道沿いに民家の類いがあるわけでもない。いや、よく目を凝らせば地蔵や祠、あるいは寺社史跡のようなものはちらほらとあるが、いずれも現役という風には見えず、寂れてしまって久しいような出で立ちだった。

「向こうに国道が走ってるんだ。ふつう一般人はそっちを通る。ここは昔ながらの塩の道が潰されずに残っているだけの、運搬用の道路なのさ。昼間や、あるいはもう少し深夜ならバスやトラックが通ることもあるが、いまぐらいの時間は閑散としたものだよ。もったいないことこの上ない。他の場所では観光に応用されていることもあるって言うのにねぇ。ま、だからこそこの風情が堪能できるわけだけど」

「へえ……って、何でそんなこと知ってるんだ。マリエさんて、地元の人でしたっけ」

「言ってなかったかい? わたくし生まれも育ちも葛飾柴又──というのは現代っ子には通じないか。一応市内出身だし、高校まではずっとここで暮らしていたんだよ。一度海外に勉強に行って、今は出戻りってとこだね。私の家は古い商家で、ここいらではいわゆる『長者』ってやつだから、古い話もたくさん見聞きしている」

「えっと、おいくつなんですか?」

「女性に年齢を聞くのは失礼だと教わらなかったかい?」

 自称騎士だというのに、こういうときだけ今の性別を主張するというのはどうなのか、とは思ったものの、あえてそれ以上つっこんで藪から蛇を出したくもなかったので、未来久は閉口した。そもそも年齢に女性も男性もない、というのも言わぬが花だろうか。

 これまで未来久は、真理枝はてっきりどこか別の土地──東京などの大都市圏から引っ越してきたのだと思っていた。雰囲気がまず街の人間とはどこか異質なものがあったし、言葉遣いも芝居めいていて周囲から浮いていたからだ。

 が、それをそのまま感想として口にすると、真理枝はけたけたと笑った。そんな声すら琴の音のように響くのだから恐ろしい。

「私の知ってる東京の人間は、むしろ周囲に溶け込むことを信条としていたよ。ま、米国ならまだともかく欧州じゃ、亜細亜人はどうしたって浮くんだけどね」

 そう言って懐かしそうに目を細め、だがさほど思い残りもないようで、すぐにいつものゆるい微笑を浮かべる。顔は相変わらず進行方向を見据えたままだというのに、未来久にはミラー越しに笑いかけられたような感覚がした。

「私にはプリンセス、君の方がこの街に馴染んでいないように見える。やはりヴィネール城下とは勝手が違うかな」

「いや知らんし。今その話はやめてください」

 転生云々にはもううんざりだった。

 真理枝はその話になると必ず光の教団の教義について長々と語り始めるので、そういう事態は逃げ場のない車内では避けたかった。

 胡散臭いからではない。彼女の声で教えを説かれると、うっかり信じてしまいそうになるからだ。

「じゃあ、話を変えようか。──君はベルマーク運動というのを知っているかい? 教育施設、あるいは生涯学習施設、あるいは僻地や院内など特殊環境下の学校、被災校、発展途上国への教育援助を組み合わせて行われる運動のことだけど。見たことないかい? 文具や飲み物、その他の商品のパッケージに、クリスマスのベルのようなデザインの点数券のようなものが印刷されていることがあるだろう? あれがベルマークさ。運動に協賛する企業が製品パッケージに印刷しているんだ。ベルの形は『国内外のお友達に“愛の鐘”を鳴り響かせよう!』という意味合いがある」

「はぁ、」

 いきなりなにを、と思う。頭には疑問符が浮かび、どうにも意図が読めない。いかにも真理枝が好きそうな話ではあるが、未来久の脳内に鳴り響くのは愛の鐘などではなく、鈍い警鐘の電子的な音だった。

「まあ、細かいことは検索し《ググッ》てもらうとして。とにかくそのベルマークを切り取って、学校・団体ごとに集めてベルマーク財団に送ると、1点あたり1円がそれぞれの団体のベルマーク預金になる。そうして貯まった預金で、自分の学校・団体の設備品などを購入できる、という仕組みさ。協力会社が扱っている商品であれば何でも購入できる。ちなみに、購入代金の10%が、協力会社からPTAなどに戻され、ベルマーク財団に寄付される。これが『援助資金』としてプールされ、僻地学校や特別支援学校など、援助を必要としている子どもたちのために使われるわけだ。個人や企業が参加することはできないけれど、応援、支援はだれでもできる。近くの運動参加校などに届けたり、ベルマーク財団に直接送ったり、あるいは会員制サイトを通して寄贈することもできる。で、私がシスターとして運営する『光の輪と平和協会』は、ベルマーク運動に参加するれっきとした生涯学習施設で、正式名称を『公民館』という。主な利用者はお年を召した方々だが、私の努力によって最近では若者にもご利用いただいていてね。プリンセスにも青少年代表としてご協力いただければと思っていて、具体的にいうとベルマークを商品パッケージから切り取る作業、個人的に購入した商品から切り取ったベルマークの寄贈、それから君の友人たちへの支援の呼び掛け……」

「あの、話変わってないですよね」

 

 ──よくよく聞けばそれはカルトでもなければマルチでもなく、宗教でさえなく、確かに合法なのかもしれないが。

 



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る