前世厨はお断りです。

冬桜 散

第1話 前世の話とか結構です。

 昔々あるところに、ヴィネール王国という豊かな大国がありました。王は精霊の血を引き、王妃は神に仕える聖女でした。

 王家には三人の王子と一人の姫君がいました。末の娘エルスフローネは、光の大魔術師メテオラによって「運命の子」と予言されていました。

 彼女が十六になるとき、いまは亡き王妃と同じように聖女として覚醒し、王国を襲う様々な苦難に打ち勝ち、やがて甦る魔王を退けるのだと。

 しかし予言はもうひとつありました。もう一人の大魔術師、「闇の魔術師」かつ「大隠者」のクヨウによって告げられたその運命は、エルスフローネの悲運を示していました。

 王国は繁栄するが、姫君は王国から失われるだろう──というのです。

 姫を溺愛する王や兄たちは、その運命をどうにかしようと駆け回りました。そして、国中から勇士を募り、選ばれた七人を姫の騎士として仕えさせることにしたのです。

 王都ハーゲンに集まった勇士は百人を超えていました。

 王は彼らに魔境グノーシスで火竜を討伐するよう命じました。火竜は魔王の配下で、いまも王都を度々襲う災厄でした。

 魔境の南方、火竜のねぐらであるアルタカン火山には、火竜以外にも強力な魔物が数多く棲息していました。

 討伐に向かった百人は、魔物の凶爪や毒牙に倒れ、日に日に減っていきました。しかし、残った七人は力を合わせ、ついには火竜を完全に打倒したのです。

 王都に戻った七人は、王に討伐の印である火竜の逆鱗を献上し、神の名の下に姫への忠誠を誓い、命にかえても彼女を守ることを宣言しました。

 そして七人はその宣言通り、姫君の側に仕えて彼女を守り続けたのです……………………

 

 

 というのは、ぜんぶ戯れ言だった。

 今時乙女ゲーや女性向けラノベでもとんと見ないような、お粗末なおとぎ話の筋書き。中学生が、思春期特有の病を拗らせて妄想するような、非現実の思い込み。

「だからウソじゃないってば。いい加減信じてよー! ってか姫様、マジで覚えてないの?」

 などとのたまうこの美少女は、橋倉沙耶音はしくらさやね。どこにでもいる平凡な男子高校生、綾辻未来久あやつじみきひさの向かいの家に住む、いわゆる幼馴染みの腐れ縁──というやつだった。

「覚えてないもなにも、。妄想はひとりでしてもろて……」

「だーから妄想とかじゃないんだって!」

「じゃあ夢と現実の区別がついてないだけか?」

「夢でもないんだよー! ッというか言わせてもらえば、現実逃避してるのはソッチの方なんだからねッ?」

 沙耶音はオレンジに近いショートボブの毛先を指でくるくるさせながら口を尖らせる。美少女はそんな何でもない仕草すら絵になるのである。

「じゃなくて。おれは至って正常だ。今日はドーナツの穴に食われる夢を見たが、夢の中でも夢だとわかっているくらいには冷静だったぞ」

「相変わらずトンチキな夢見てるんだねぇ。姫様も『マカロンに食べられそうになる夢を見た』とかナントカ言ってたコトあったなー、ウンウン。……ほんっとーにミリも覚えてないの?」

「だから、おれは姫でもなければ聖女でもない、つうかどこにでもいる平均的なDKってやつなわけ。ダイニングキッチンじゃないぞ、男子(D)高校生(K)だ。ちなみにマカロンなんざ食べたこともない」

「えぇっ、ミキヒサってばマカロン食べたことないのッ!? 前世では好物だったじゃん!」

「なにそれ知らん、怖」

「タピオカもマリトッツォもカヌレも!?」

「呪文か?」

 そもそも甘いものは苦手だ。未来久は盛大なため息をもらし、もとい吐き出し、チラ、と沙耶音の顔を盗み見た。

 橋倉沙耶音は掛け値なしの美少女である。帰宅部である未来久とは違い、バレーボール部に所属する活発なスポーツ少女で、男子に人気だが女子の友人もなかなか多い。おさななじみでもなければ、こうして漫才のようなやり取りを交わす仲になどなれなかっただろう。

 なにしろ綾辻未来久は、どこにでもいる平々凡々なただの男子高校生であり、イケメンでもなければ、姫君扱いされるような可愛らしい顔立ちというわけでもない。

 沙耶音は未来久にも垣根なく接するが、未来久の方は沙耶音と相対するたびに緊張を強いられる。

(なんかいい匂いするし、距離感バグってるし、なんなんだ、ほんとうに)

 そう、沙耶音はかわいい。長くて細いモデルのような手足、愛嬌のある性格。ふつうなら恋に落ちるほどだ。だが、残念なことにふつうではない。ただ頭がおかしい。

「しょうがないな。甘いモノの魔力を忘れてしまった姫様には、もう一度味わってもらうっきゃないでしょう。オレはいちまんねんとにせんねん前からキミのふしょーのナイトだし、騎士として恥じないハタラキをしなきゃだねッ! 具体的に言うと、今日の放課後のおやつはマカロンにしよー!」

 これである。

 一人称が「オレ」なだけなら、まあ、ふつうの範囲内だろう。問題はそのあとだ。彼女は前述のおとぎ話をかれこれ十年ほど前から繰り返し未来久に語り続けているのだが、それが自らの前世の記憶であると公言して憚らないのだった。

 沙耶音自身がエルスフローネであるというなら、まだ理解できたかもしれない。そうではなかった。沙耶音の前世は姫君ではなく、その騎士のひとり、「花剣の騎士」のスパダ──括弧自称括弧とじ──だというのだ。しかも、前世の沙耶音もとい騎士スパダが仕える姫君エルスフローネについては「ミキヒサの前世だけど?」というのだからトチ狂っているとしか言いようがない。

 繰り返す。綾辻未来久は普遍的でありきたりなただの一介の男子高校生D Kである。特記するほど美形なわけでもなければ、女性と見まがうほど線が細いわけでもない。大きすぎず小さすぎない等身大、これといった才能もなく、かといって落ちこぼれというわけでもない。すべてにおいて人並みの、悪く言えば無個性な青少年。

 もちろん、前世の記憶などあるはずもない。

 さらに繰り返す。橋倉沙耶音は美少女である。明朗活発陽キャ、スポーツ万能、元気印のパーティーピープル。老若男女問わず友人は多く、初対面のショップ店員や、ご近所の婦人たちともフレンドリーに世間話を交わす。例えるなら身近なアイドル。あるいは町内の孫娘。手先も器用で趣味が手芸とマルチな才能の持ち主で、校外にもそういう仲間がいるらしい。

 しかし残念なことに──

「橋倉。いまはHRの時間なんだが」

 教師の遠慮がちな指摘に沙耶音はくるっと振り返る──なにしろ今の今まで後ろの席の未来久に椅子ごと身体を向けて喋り倒していたのである。

「ふッ。関係ないよ。HRだろうがランチタイムだろうが、オレにとって姫様との時間以上に優先すべきものはなにもないッ!」

 ただ、頭がおかしい。

 

 放課後のおやつはマカロン──などとのたまっていた沙耶音だが、バレーボール部のエースである彼女には、その日の放課後も当然いつも通り部活動の予定があった。

 帰宅部である未来久は、名残惜しそうにブンブン手を振りながら活動場所である第二体育館へと駆けていく沙耶音に軽く手を振り返しながら一時の別れを告げ、同じく帰宅部である親友の東条空葉とうじょうあきはと肩を並べて帰路についた。

 なお、東条空葉はただのイケメンである。面がいいばかりでなく学業の成績も性格もいい(未来久の主観)。器用で要領がいいため人から頼られることも多く、未来久に構っていない時間は友人知人の悩み相談に乗るなどしているらしい。

 とはいえ彼はいわゆる優等生でもなければ、最強無双系チート主人公というわけでもなかった。本人曰く「面倒だからな」という理由で、目立つ行動を一切しないのである。成績優秀だが、テスト後に壁に貼り出される上位十五名からは常にもれている。部活動や委員会の類にも所属せず、学校行事を率先して引っ張っていくわけでもない。モテてはいるが、キャーキャー言われるような派手なモテ方ではなく、周囲の友人たちの何人かが、密かに思いを寄せている……というようなモテ方なのだった。

 未来久が空葉に出会ったのは中学時代、たまたま席が近かったことで何となく親しくなり、読書傾向が似かよっていたがために意気投合し、いまでは休日にオンラインで最新ゲームのパーティープレイをするような仲だった。

「で、今日はどうする? 図書館にでも寄っていくか?」

「いや、今日はいい。バイトもあるし」

 未来久たちが通う波瀬はぜ高校では、放課後の活動に制限がない。部活動に所属するもよし、地域活動で奉仕の精神を学ぶもよし、もちろんアルバイトも自由で、市内全体に学生向けのアルバイトが豊富に存在する。

帰宅部の生徒の中にはもちろん放課後アミューズメント施設やカラオケなどで遊び倒す者たちもいるが、未来久のように週に何回かアルバイトに勤しんでいる者が大半なのだった。

「それに、図書館に行くとまた厄介な子に絡まれるし……」

「ああ、例の前世ちゃん2号か」

 波瀬高付属の図書館は本校舎とは別の独立した施設で、市民なら校外の人間も出入りすることができる。運営は主に市の職員である司書が担っているのだが、波瀬高の図書委員がその手伝いをし、高校の図書館特有の企画なども行っている。

 未来久のいう「厄介な子」、空葉のいう「前世ちゃん2号」とは、つまりその図書委員のひとりで、沙耶音の同類──すなわち、二人目の自称騎士なのだった。

御代志みよしさん、確か『聖盾の騎士』だったか。オルテガ?……じゃない、オルトスとか名乗ってたけど、妄想にしては設定が細かいよな」

「よくいちいち覚えてるね、そんなこと」

「そりゃまあ、アレだけ露骨に敵視されたら、厭でも覚えるさ」

 空葉は校門から一歩踏み出して、塀の向こうの図書館棟を振り返った。

 

 ──話は未来久たちが高校に入学した頃まで遡る。未来久と空葉は別のクラスとなり、それぞれのクラスで図書委員を務めることになった。そのはじめの委員会活動において、ふたりは御代志可鈴みよしかりんと強烈な出会いを果たしたのである。

「姫、エルスフローネ姫ではありませんか! まさかこんなことが、ああ姫、ボクです、あなたの騎士のひとり、オルトスです!」

 未来久の姿を一目見るや感極まった様子で近づいてきた彼女は、未来久の眼前でひざまずき、その手を取ったところで未来久の隣にいる空葉に気づいた。

 清楚でおとなしい雰囲気を持つ彼女の表情はそこで一変し、『嫌悪』ともとれるような鋭い視線を眼鏡越しに空葉に向けたのだった。

 曰く──

「あなた、まさか……その眼、その色──間違いない、『大隠者クヨウ』! どうして姫の側に、もしやまた前世のように姫を害するおつもりですか!?」

「えーと、何て?」

 なんのことやらまったく心当たりがない、という顔をして、空葉は首をかしげた。


 その事件からしばらくして、オルトスこと可鈴は空葉には前世の記憶がないということで納得したようだったが、『大隠者クヨウ』への警戒の目をゆるめることはなかった。

 そのことがあって半年後、未来久と空葉は揃って図書委員を辞退することにした。委員会活動をするにも、毎度のように可鈴に絡まれて前世だのなんだのと騒がれたのでは、青少年としての健全な課外活動どころではなかったからだ。

 そんなわけで、未来久は図書館を……というより御代志可鈴を避けていた。未来久がひとりの時はさほど問題はないのだが、空葉をともなっていると可鈴の様子が明らかに緊張したものに変わるので、空葉と行動しているときは、可鈴と遭遇しないよう注意を払っている。

「前世と言えば、うちの高校にはもうひとり厄介なヤツがいるわけだけど……お前、あっちはどうするんだ? 付き合うのか?」

 再び歩き出しながら、空葉は話題を変えた。もっとも、未来久から見ればそれは話題続行なのだが。

「あの人のことは、ひとまず保留で」

 あの人、とは波瀬高の生徒会を牛耳るスーパー美少女、置本葵衣おきもとあおいのことである。波瀬高男子の七割は彼女に憧れていると噂されるほどの美人で、才色兼備、武芸達者な高嶺の花だ。

「漫画のヒロインみたいだよなぁ、置本先輩は。その先輩が実はお前一筋だと知ったら、うちの高校の男子の大半はお前に殺意を抱くか、あるいは自殺を考えるか……いや、逆に自分にもチャンスがあると希望を持つかもしれないよな?」

「それはほめてるのか、貶してるのか? だいたい、あんな風に好かれたってこっちとしては素直に喜べないんだよ」

「でも、と違って悪い気はしてないだろ」

「まあ……でもそれは、会長がTPOを弁えてるからだぞ」

 もちろん、置本葵衣は一見非の打ち所がない美少女だ。黒髪ロングストレート、豊満な胸部、生徒会長としてのカリスマ性。品行方正、浮いた噂ひとつなく、料理が得意だという情報もある。どれをとっても好きになる要素しかない。

 だがしかし。彼女にはたったひとつだけ欠点があった。自称「魔弦の騎士クロード」である、ということだ。

 実のところ、未来久は入学した頃に生徒会長に出会い、そして当然のように恋に落ち憧れた、どこにでもいる平凡な波瀬高生のひとりだった。

 ところが、葵衣の方は平凡とは最もかけ離れた人物だった。

 今年のバレンタインのことである。彼女は人目につかない場所に未来久を呼び出し、頬を染めながらチョコレートを差し出してきた。

「我は騎士クロード。貴女が誰と契ろうと、我が愛は永遠に貴女のものだ」

 ──要はあれだ。彼女も沙耶音の同類だった。聖女姫エルスフローネに仕える七人の騎士のひとり──というのは彼女たちの自称なのだが。

 さいわいにも葵衣は他のふたりとは違い、公衆の面前でそのような主張をするわけではなかったが、ここまでくるとノイローゼを通りこして鬱になりそうだった。

「おれの周りの美少女はなんで変人しかいないんだ」

 本日何度目かわからない悪態をつくと、空葉は同情的な苦笑と共に肩を竦めた。

「おーおー、贅沢な悩みだな。俺はいいけど、田中や八崎にうっかり同じことを言うなよ。反感を買うから」

 ちなみに田中たなか八崎やざきとは未来久のクラスの友人で、空葉とも中学時代から付き合いがある男子だ。ふたりともモテるような属性を持たない、未来久以上の凡人で、これがラノベの世界ならただのモブ、スピンオフすら語られないようなキャラクターなのだった。

「周囲にふつうに美少女がいるのは全然ふつうじゃない」

「目を覚ませ。いいじゃないか多少電波なくらい、美少女だったり胸が大きかったりすれば帳消しってもんだ」

 というのが彼らの言い分だ。一理ある……それが他人事であれば、だが。

 

 バス停で空葉と別れた未来久は、バイト先に向かいながら、もうひとりの大問題のことを思い出した。

 未来久の家の隣の敷地に存在するよくわからない宗教施設……の、自称シスターである女性、来栖真理枝くるすまりえ。銀髪に白い肌、瞳は青と、国籍不明な容姿をしている彼女は、本人曰く「いやもちろん、今世では生粋の日本人だよ?」、つまりは髪の色も瞳の色も後天的なものらしい。少なくとも未来久よりは年上だが、「ちょっとえっちでお茶目な美少女お姉さんとは私のことさ☆」などといった言動は不審者そのものだ。

 謎の宗教施設にしても、一見ただの教会のようにも見えるが、掲げられたシンボルマークは十字架ではなく、星のきらめきのような形であり、活動内容は早朝のゴミ拾いや昼間の悩み相談、講習会などといったいかがわしいもとい怪しさ満点のもので、どう見てもカルトでマルチ──たとえ真理枝が「何を隠そう私はプリンセスの騎士のひとり、審問騎士シリウス。また会えて嬉しいよ、今後とも仲良くしてくれ」などと言い出さなくとも、進んでお近づきになりたいとは思えない人物だった。

 彼女についてはまだ空葉にも話していない。今度の休日に新作ゲームで遊ぶ約束をしているので、その時にでも相談しよう──などと考える。

 

 もちろん、これから先もさらなる電波に出会うことになろうとは、まったく知るよしもないのだった。









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