スライムが成り代わる

海沈生物

第1話

 俺は他人に依存させるプロだ。俺の手にかかればあらゆる人間は「こま」となり、俺のために血をかき汗をかき、馬車馬ばしゃうまのように働いてくれる。そんな働く人間の姿を見て俺は「この程度でをあげてんのか?」と「よく頑張ったなぁ」というむちあめを使い分け、相手を支配し、依存を深まらせるのだ。そうして、俺は労働も家事もせずにダラダラとただ一刻を暮らしていた。しかし、そんな日々が五年も続いた頃だ。


 ちょうどその頃、俺の前の彼女が鬱病故に死んでしまったため、次の紐として住まわしてくれる彼女の元へと引っ越した。その彼女の家は前の彼女の家よりも広く、とてもお金持ちであることが分かった。これは、ここに死ぬまで永久就職……ならぬ永久紐ができるかもしれない。ガハハハッ、と心の中で笑っていると、ふと彼女が俺の顔を見てきた。


「紐男さん、貴女の背後に……宇宙人が憑依してます!」


「……なんて?」


「ですから、宇宙人が……これは……そうですね。おそらく、オリオン座の方からやってきたけど宇宙船が墜落した末に死んじゃった宇宙人が憑依しているんです!」


「あのなぁ……いくらお前が大切な彼女とはいえ、宇宙人が憑依しているなんてそんなバカなことが起こるわけないやん。そもそも、宇宙人なんて実在するわけないんやし。頭、おかしいんちゃうか?」


 あっ、やべ。これはちょっと言い過ぎたかもしれない。俺は咄嗟に「飴」モードに入って取り直してやったが、彼女の表情は全く変わることはなかった。それどころか、俺が言葉を発する度に顔が曇っていく。これは……「失敗」、したのだろうか。この「百発百紐の男」と呼ばれたこの俺が? まさか、そんな。


 俺は友達から電話が来たフリをして彼女に「きょ、今日は外で寝るわ」と言うと、一旦この戦場から離脱した。バタンとドアの外に出ると、身体中のありとあらゆるやる気が抜けて抜け殻になってしまいそうな息をつく。明日、どうやって彼女の機嫌を取ろうか。彼女が好きな種類の紅茶の葉でも買ってきてあげるべきか? あるいは、何事もなかったように接して、向こうに「この人は昨日あんな喧嘩をしたのに、私に気遣って対応してくれているの……!?」と勘違いさせる方向に仕向けるべきか?


「……ともかく、そういうだるい論理を考えるのは、明日や明日」


 俺は彼女の部屋にあった財布からパクった数万円がポケットの中へくしゃくしゃに押し込まれているのを確認する。今日のところは、近くにあるビジネスホテルにでも泊まることにした。



# # #



 翌日、目が覚めると身体から「ぐにょ」と音がした。皮膚がやけにベタベタしていて、ここラブホじゃないのに誰かとヤっちゃたかなぁと頭をポリポリとこうとする。しかし、その手が頭に届くことはなかった。なんだか奇妙な感覚に首を傾げて目を開けると、なんと、自分の手が透け透けのスライムになっていたのだ。スライムの中には血管が通っていなければ、内臓すらない。完全に俺は、いわゆる「RPGのスライム」となっていたのだ。それも、異世界転生すらしてないのに。


 どうすれば、俺は元の姿に戻れるのか。どうすれば、俺はまたあの楽しい紐生活へと戻れるのか。こんな気持ち悪い肉体のまま、この先一生暮らしていかなければいけないのか。そうして頭を抱えていると、ちょうどスマホの鳴る音が聞こえた。画面を見ると、それが昨日会った彼女であることに気付いた。俺は急いで電話に出ようとしたが、このぐにょぐにょの肉体では、スマホの画面が反応してくれない。それどころか、身体の表面から滲み出ている体液によって、画面がベタベタになっていく。ダメだ、このままではらちが明かないし、スマホが潰れる。


 俺は仕方なくスマホから離れようとした。だが、スマホがベタベタ体液にくっついて離れない。それどころか、俺の中に着信によって震えるスマホが入ってくる。これはこれでえっちな同人誌みたいだな、と思ったが、そんな特殊な性癖のことを考えている場合ではない。俺はどんどんと肉体の中に取り込まれていくスマホを外に出そうとして、身体を何度もひねらせてみる。だが、捻れば捻るほどスマホは中へ中へと入っていく。やがて身体の一番奥まで入ると、スマホは静かに息を引き取ってしまった。俺はその場で愕然がくぜんとする。グッバイ、数十万円の最新機種のスマホ。……まぁ俺が稼いだお金で買ったわけじゃないけど。


 俺はベッドの上に戻ると、このままどうすれば良いかと悩む。現代人(今は人じゃないが)に必須の文明利器を失った俺は、もはやただの案山子かかし……言葉を話せぬ怪物だ。このままでは、カミュの『変身』の二の舞になってしまう。それどころか、このスライムの身体を面白がった研究者たちによって、研究素材モルモットにされてしまうかもしれない。それだけは死んでも嫌だった。


(なぁどうすればいいと思う? ……って誰に聞いているんや、俺)


 その時、どこからか糸のように細い声がした。その声は俺の肉体の奥底から聞こえてきた。最初はまだ身体の中でプカプカしている、スマホから聞こえてきたのかと思った。しかし、不意にスマホが身体から押し出された瞬間、その声ははっきりと形を持って聞こえてきた。


⦅キサマハ オレニ スベテヲ マカセレバ イイ⦆


 その声は俺の意識に優しく語りかけてくるようで、まるで催眠状態へとおちいらせるように、すっ……と俺の心を掌握しょうあくした。やがて俺の意識がふわふわしてくると、その声はまた語りかけてくる。


⦅オマエハ オレノ イチブニ ナッタ オマエハ オレノ  ヤ⦆


 その「奴隷」という言葉はとても強い言葉で、普段の俺だったら「なんでそんなことを言われなくちゃいけねぇんだよ!」とキレていたと思う。それなのに、俺の心はその言葉をすっ……と受け入れてしまった。俺は奴隷。その、ふわふわとした気持ちいい気分にしてくる存在の、奴隷となる。


 いつしか、イシキがトロトロとしてくる。さっきまでイヤだったはずのこのスライムのニクタイのことを、いつのまにかスキになっていた。この「ぐにょ」としたニクタイがここちよい。ここちよくて、ふわふわする。ふわふわして、ここちよい。いままでのヒモのセイカツなんて、このカイカンにクラべればスベてがゴミのようにオモえてくる。シカイがぐらりとゆがんでくると、さイゴのコトバがキコエテくル。


⦅オマエハ モウ オレノ イチブヤ オレノ トリコヤ オレニ イゾンスル  トナッタンヤ コレカラ シヌマデ ニ…………ヤデ?⦆

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スライムが成り代わる 海沈生物 @sweetmaron1

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