第3話

 さて、下女に呼ばれて現れた清次の娘というのが、先程見目が良いと言った父親の言葉は決して贔屓目ではなかったことがありありとわかる顔貌であった。

「こちらが私の娘、清姫にございます」

 清姫は父親の横に来ると品の良い所作で頭を下げた。美空色の打ち掛けに流れる黒髪は烏か漆のように艶めき、小さく結ばれた唇は柘榴のように赤々としていた。床についた手はあまりに小さく、その先には桜桃の花びらのように愛らしい爪が乗っている。

「奥州の寺より熊野参詣に参りました。安珍と申します」

 安珍が名を名乗ると、清姫はそのおもてを上げた。

 すると清姫は小さく「あっ」と小鳥のように可愛らしい声を漏らすと顔を上気させ、紅くなってしまった頬を恥ずかしげに袖元で隠した。そして少々俯いたかと思えばその場をそそくさと後にしてしまった。

 安珍はは不思議そうに首を捻って清次に聞いた。

「如何されたのでしょう」

 娘が安珍の麗姿に懸想したのは瞭然であったが、清次は苦笑するだけで特段それを伝えることはなかった。

「言った通りでしょう」

 清次は少々自慢気に安珍に尋ねた。普段あまり悟られないようにはしているが、その口調が娘への溺愛ぶりを垣間見せた。

「ええまったく。愛らしい姫ですね」

 安珍はそう言って微笑んだ。

 心からそう思いはした。しかしそれ以上、特に思うところはなかった。



 さてその夜の事である。安珍は久しくまともな寝床にありついたことに安堵し、目を閉じるとそのまま深い眠りに落ちた。

 どのくらい寝たのか、安珍はどうにも違和感を覚えた。己の右頬に、ひんやりとした奇妙なものが貼り付いているような、そんな感覚であった。

 安珍は殆ど眠りの中にいたから、直ぐには動けなかった。しかしどうにかその重い瞼を薄く開けた。

 すると、目に飛び込んできたのは清姫の顔であった。

 安珍は驚愕し、布団を跳ね除け後ろへと飛び退いた。察するに、右頬に貼り付いていたと思しきは清姫のあの小さな手のひらに違いない。

「何をなさっているのです」

 安珍は寝起きの掠れた声を絞り出して言った。安珍も驚いているが、清姫もまた同じかそれ以上か驚いているようで、その細い肩を震わせていた。

 それを見て安珍は少々冷静さを取り戻したのか、清姫との間を少しだけ詰めて優しく言った。

「何か仰っていただかなくては、こちらもわかりません。怖がらなくていいので教えていただけませんか」

すると、清姫はか細い声で言った。

「本当は、このようなことをするつもりは一切ございませんでした」

 清姫が、どうか信じて下さい、と言うから安珍はそれに頷いた。

「私は安珍様のお顔を見た時、心が苦しくなりました。どうにかもう一度お会いしたいと思ったのですが、日の下では気恥ずかしくて……」

「それで、かような夜更けに」

「お顔さえ見ることが出来ればそれでいいと思っていました。ですが、どうしても触れたいと欲が出てしまい、あのようなことに」

 清姫は今にも泣きそうで、声など尻すぼみになっていった。それに対して安珍は慌てて言った。

「私は怒ってなどおりません、ただ少し驚いてしまっただけです。貴方のお気持ちはよく分かりました。どうか泣かないで下さい」

 清姫は少しだけ沈黙すると、何か決したように安珍の目を真っ直ぐ見据えた。

「ここで安珍様とお話をして、己の気持ちを確かめることが出来ました」

 清姫は手を震わせ、振り絞るように言った。

「私を、めとっていただけませんか」

 安珍はその言葉に驚き、目を見開いた。そして一修行僧として断りを入れようとした時、雲間から月が覗いた。

 その光は清姫の横顔を照らしだした。長いまつ毛は蝶の触覚の如く生命を持っているかのように震え、それに縁取られた目は涙に濡れ、あたかも黒い真珠のようである。

 安珍はその美しさに息を呑んだ。

 そしてその小さな手を握り抱き寄せたい衝動に駆られ、思わず手を伸ばしかけた。

 しかし、理性がそれを咎めた。

 安珍は首を横に振り、声を落として言った。

「修行の身故、出来ませぬ」

 清姫はそれを聞くと「何故です」と泣き出した。あまりにもさめざめと泣き、その声が痛々しげであったから、安珍は咄嗟に口走った。

「私が熊野参詣から戻ったら、お迎え申し上げます」

 清姫はそれを聞くとぱっと顔を上げて「本当ですか」と聞いた。

 本当です、と安珍が答えると清姫は幼い少女の様に喜んだ。

「もうこんな遅くにございます。姫もお戻りになっておやすみ下さい」安珍がそう言うと、清姫はたおやかに微笑みその場を去っていった。

 安珍は再び眠りにつこうと布団に潜ったが、結局一睡も出来なかった。

 


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清姫烈記 綿貫 善 @huwahuwatanuki

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