贋作の真価
稀山 美波
人工知能の進化、問われる真価
人工知能とは、人間の贋作である。
「随分と精巧に仕上げられている。百人いれば、九十九人がこれは真作だと断言するでしょうね」
例えば、我が家の洗面台には小型カメラには人工知能が搭載されている。そいつは朝起きた私の顔色を見るや否や、『今朝は顔色が優れませんね。モーニングティーにはいつもより多めに砂糖を入れておきましょう』だのと言ってくるから驚きだ。
果たして私の友人の中に、ここまで私を気遣う言動のできる者が何人いるだろうか。家族でさえ、数日間手入れをサボった私の無精髭に気が付かないのだから、その答えは推して知るべしだ。
「だが残念だ。百人の内、最後の一人が私とはこいつもツイてない」
人間よりも人間らしい、昨今の人工知能。
それでも私は、声を大にして言いたい。
「かなり高精度な人工知能が作ったのでしょう。これは、贋作です」
人工知能とは、人間の贋作である。
人工知能がここまでの進化を遂げたのは、前述の通り深層学習の手法が発展したことにある。ここで前提として、深層学習とは人間の神経細胞の仕組みを応用したものであることを忘れてはならない。人間の脳内にあるニューロン同士の結びつきから着想を得て、人工知能が自ら分析できるようにする手法こそ、深層学習だ。
言わば、人間の脳の模倣である。
その模倣から生まれ出たのが、現代の人工知能なのだ。
これを人間の贋作と言わず、何と言う。
「お見事、その通り。そちらが贋作だ。我が社の最新型人工知能に描かせたのだが、いやはや」
黒い合皮に包まれた、いかにも高級そうなソファ。そこにふんぞり返る、いかにも偉そうな男。彼はお手上げだと言わんばかりに肩をすくめていた。それほどまでに、人工知能に作らせた贋作に自信があったのだろう。
彼の言う『我が社の最新型人工知能』とやらも、言うまでもなく所詮は人間の贋作である。
「……真作と比較しても、色味は1%の誤差もない、と。色褪せや、当時の油絵具の成分までも再現できているのは驚きです。がしかし、使用されたであろう筆がいけなかった。当時に使用されているはずがない毛の成分がわずかに検出された、と」
目線を落としつつ、淡々と事実を述べてやる。男はわずかに身を起こし、はぁとかほぉとか言いながら、私の言葉ひとつひとつを咀嚼していた。
「しかし、すごい時代になったものだね」
それらをゆっくりと飲み干した後、男は再びソファへともたれかかる。しばしの沈黙を挟んだ後、まるで愚痴をこぼすかのように、ゆっくりと、重々しく語り始めた。
「私が子供の頃は、人工知能はあくまでも計算だとか推測だとかに特化したツールだと思っていた。実際、絵を描くだとか作曲をするだとか、いわゆる芸術的な物事はてんで苦手だったからね。芸術だけは人工知能にも真似できない、人間のアイデンティティだ――そう思っていたよ」
私が生まれた頃には、芸術は既に人工知能の分野であった。しかしどうやら男が幼少期の頃ははそうでなかったらしい。曰く、当時の人工知能は人間ほど融通が効く代物ではなかったらしく、0と1以外で表現される物事を苦手としていたそうだ。
「それが今はどうだい。絵画展には人工知能の絵がありふれていて、作詞作曲人工知能の曲が日夜音楽番組で放送されている。結局のところ、人間にできて人工知能にできないものなど、ありはしなかったのだよ」
どこか虚ろな目をした男の声からは、哀愁と悲哀を感じ取れた。
男が言うように、人間にできて人工知能にできないものなどありはしない。人間の感情とはつまり、脳が発する電気信号であり、ニューロンの結びつきである。それを0と1で表現できない道理はどこにもない。
どのような色を使えば人を奮い立たせることができるのか、どのような音を使えば人を安心させられるのか。その最適解を、人工知能はいとも容易く導くことができる。そんな人工知能が、芸術分野を苦手とするはずがないのだ。
「極めつけは、こいつさ」
ふと男の声にわずかな怒りが灯る。眉間に皺を寄せながら、先ほど私が"贋作"であると見抜いた絵画を二、三度軽く叩いてみせた。
「歴史的価値の高い、絵画や陶芸といった芸術品の数々は人類の歴史そのものであって、祖先たちの魂が宿っている。それをあっさりと人工知能は真似してしまうのだから、虚しいったらないよ」
人間にできて人工知能にできないものなど、ありはしない。
人間と同じものを作ることなぞ、人工知能にとって朝飯前だ。
目まぐるしい進化を遂げた人工知能は、現代社会になくてはならない存在であり、その貢献度は計り知れない。しかしそれと同時に様々な問題も生じさせている。
その中のひとつが、贋作だ。
芸術作品というのは言わば情報の塊だ。絵画を例に挙げれば、製作者は誰であるか、その製作者はどのような技法で当該作品を描いたか、描かれた年代はいつであるか、用いられた道具は何であるか――等々、ありとあらゆる情報が詰まっている。
その情報を分析することは、ある程度の知識さえあれば誰でもできる。だがそれをそっくりそのまま模倣するのは誰にもできない。これまでにも贋作というものは数多く世に放たれてきたが、寸分違わぬものを作ることは不可能である。それらのほとんどは、専門家だとか知識人といった者たちによって見抜かれてきた。
「見てごらんよ、この絵。どこからどう見ても同じ絵だろう。どちらが真作かなんて、誰にもわからない」
だが、人工知能は違う。
むしろ人工知能にとって、寸分違わぬものを作る方が容易と言えよう。
人間にできて人工知能にできないものなど、ありはしない。
人間はできないが人工知能にはできるものは、たくさんある。
「精巧な贋作が蔓延るこのご時世、もはや真作であることに価値などないのかもしれないね」
男がついた大きな溜息には、先ほど以上の悲哀が込められているように思われた。
確かに、男の言葉には一理ある。
真作と寸分違わぬ贋作なぞ、ほとんど真作と変わらない。
真作になぜ価値があるのかというと、ひとえにそれが唯一無二の存在だからだ。しかし真作と贋作との差がほぼ失われた今、その唯一性が失われつつある真作に果たして価値はあるのだろうか。
それでも真作には価値はあるのだ――と断言できるほど私は芸術に造詣がないし、芸術への情熱も持ち合わせてはいない。
「私はそうは思いませんね」
だが私は、男の言葉に頷くことはできなかった。
「あなたは先ほど、芸術品は人類の歴史そのものであって、祖先たちの魂が宿っているとおっしゃった」
人工知能とは、人間の贋作だ。
言い換えれば、人間こそが真作である。
「人工知能に、積み上げてきた歴史とやらがありますかね。人工知能に、魂とやらがありますかね。人工知能が作った贋作に、それらが宿っているとお思いか」
真作に価値がないと認めることは、自らの存在を否定することに他ならない。自らの存在を自ら否定するなんて、愚の骨頂と言ってもいい。
自らの存在を、どうして自ら否定できようか。
「真作の真価を、人類の価値を保つのが、私の使命です。人工知能とやらもまだまだ詰めが甘いってことを教えてやりますよ」
思わず感極まった私は、いつの間にか男の肩をむんずと掴み、幾度となくそれを揺らしていた。自分でもわかるほど鼻息を荒くしていたことに気が付いた私は、ぱっと彼の肩から手を放す。わざとらしく咳ばらいをした後、謝罪の言葉を口にした。
「そう、そうだな。君の言う通りだ」
「わかっていただけましたか」
「君の熱意は十分伝わった」
男の表情に、私を訝しむような気配は感じられない。礼儀を欠かれたことに対して怒る様子もない。熱意は伝わった、という言葉に嘘偽りはないように思われる。
「君の熱意は伝わった。となれば、あとは技量だけだ」
だからこそ、男の言葉は予想外であった。
「先ほどの鑑定結果ではご不満でしょうか」
「不満はない。ただこちらとしても、決して安くはない金を払うんだ。慎重になりすぎることはない」
てっきりこのまま契約完了となると踏んでいたのだが、そうもいかない様子だ。彼は石橋を叩いて渡るタイプだとは聞き及んでいたが、私の想像以上念入りに石橋を叩くらしい。
「それに、我が社の最新型人工知能を使ったとは言ったが、世間からしたら上の下、あるいは中の上といったクラスだ」
そこまで語ったところで、部屋の入口からノックの音が三回ほどした。入れ、という男の声とほぼ同時、彼の秘書と思われる女性が頭を下げながら入室してくる。
「世の中には、本当の意味で寸分違わぬ贋作、言うなれば究極の贋作が存在する」
男は女に気も留めない。正確に言うと、彼女が大事そうに両手で抱えた布にのみ、彼の視線と意識は向いている。私と男が対峙するテーブル、その上に女はゆっくりとそれを置いた。
「これは……」
「私にもツテがあってね。恐らくこの国で最も高性能な人工知能を拝借してね、贋作を描かせてみた」
布の中に、古びた額縁に収められた古びた絵がちらりと見える。男が布を取り除くと、そこには誰もがよく知る有名な風景画があった。山々とそこに沈む夕日を描いた作品で、作品名こそ知らずとも誰もが一度は目にしたことのある名画である。
私はそれを見て、ひどく驚いた。
決して、その名画の実物を見たことに対してではない。
「十枚ある。真作を言い当ててくれ」
まるっきり同じ絵が、まるっきり同じ額縁の中に、まるっきり同じ質感と破れ方で収められていたからだ。
「さあ、私に見せてくれ。人間の真価というものを」
男がこのビジネスに対してどれほど本気でいるか、それが痛いほど伝わってくる。名画中の名画であるこの作品は、当たり前だが決して安くはない。加えて、国内最高峰の人工知能を借りるのにもかなりの金を費やしたことだろう。
手のひらに思わず力が入り、汗が滲む。
彼の本気に対しては、私も本気で応じるのが礼儀だろう。
「……」
並べられた十枚の絵を、私は順に眺めていく。
手のひらをかざし、名画たちの上をゆっくりとなぞっていく。
見落としがなきよう、余すところがないよう、何度もそれを繰り返した。
「わかりました」
そうして何分経っただろうか。もしかすると、数時間経過したかもしれない。あるいは、数十秒であったかもしれない。とにかく時間を忘れるほどに集中した。額に滲んだ汗がそれを物語っている。
「あなたも人が悪い」
「なんだ。今になって、そんなの聞いてない、十枚だなんて聞いてない、だなんて言うんじゃないだろうな」
怪訝そうに眉をひそめる男の表情には、かすかに期待の色が見て取れた。決して油断はしないと気を引き締めながらも、私が次に発する言葉を早く聞きたくてたまらないといった様子だ。
「そうではありません」
男の本気に、私も本気でもって応えた。
それでは、本気で作られた贋作とやらの真価を問うとしよう。
「この十枚、すべて贋作ですね」
贋作は、決して真作には成り得ない。
真作あってこそ、贋作はその真価を発揮する。
人間の贋作である人工知能も、人間という真作があってこそだ。
どれだけ人間に近づいたか、どれだけ人間を模倣できたか――それこそが人工知能の価値に違いない。人間という比較対象があって、初めて人工知能は評価される。
真作があるから、贋作がある。
贋作があるから真作があることは、決してない。
真作は真作であるだけで、人間は人間であるだけで、価値がある。
「なぜ、そう言い切れる?」
今か今かと答えを急かす男とて、それは同じだ。
このご時世に真作であることに価値などない、と先刻男は嘆いていた。それでもきっと、彼は『自らにはきっと価値がある』と信じたかったに違いない。
男の瞳の奥に灯る期待の炎が、それをありありと語っていた。
「……十枚すべて、紙から絵具に至るまでありとあらゆるものが分子レベルで一致している。その一致具合は、かえって妙です。真作と贋作を比較すると、数点はどうしても異なる箇所がでてくるはず。ここまで一致するのは、十枚が全く同じ製法で全く同時に、同じプログラムによって製作された場合しか考えられない。つまりこの十枚はすべてが贋作である、と」
彼の期待に応えるべく、私は目線を落としぽつぽつと分析結果を述べていく。ゆっくり大きく頷く男の表情から、みるみると疑念の色が消えていく。私が最後まで語り終える頃には、そこには既に感嘆と驚愕しか残されていなかった。
「見事だ。実に素晴らしい。この感動を伝える言葉が思い浮かばない自分が腹立たしい」
名画の贋作たちの敗因は、奴らが贋作としてあまりにも完璧すぎることだった。贋作どもの完璧さを、こちらの完璧でもってねじ伏せたのだ。
これには男も、ぐうの音もでまい。
きっとすぐに契約へと至るだろう。遠路はるばる営業に来た苦労も報われる。
「よしわかった。君のところの『贋作を見破る人工知能』、我が社に導入しようじゃないか」
私が歓喜の声をあげるより先に、手元の携帯端末が鳴動する。
それはまるで、自らの性能を自慢するようにも、己より性能の劣る持ち主を憐れんでいるようにも思われた。
私は、端末が表示した文字列を読んでいただけに過ぎない。贋作を見抜く贋作の命ずるままに動くだけ真作は、どれほど滑稽であっただろう。
すでに我々は、人工知能に使わる側へと回ってしまった。とすれば近い将来、人間は評価する側ではなく、評価される側になるかもしれない。あるいは、すでになっているのだろうか。
どれだけ人間に近づいたかで人工知能を評価するのではなく、どれだけ人工知能に近づいたかで人間が評価される――そんな未来を想像すると、背筋が冷たくなる。
「芸術品や骨董品を専門に扱ううちの会社が、商品を贋作と知らずに売ったとなれば大問題だからね。人工知能が作った贋作なんて、とてもじゃないが我々には見抜けなくて困っていたんだ」
人工知能とは、人間の贋作だ。
人間こそが、真作である。
贋作よりも劣った真作に、果たして価値などあるのだろうか。
もしかすると、真作により近づこう、真作を追い越してやろうといった気概こそ、あるいは贋作の真価なのかもしれない。
「いやはや。人工知能、様様だね」
そこのところ、ぜひとも人工知能の判断を仰いでみたいものだ。
贋作の真価 稀山 美波 @mareyama0730
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