2-6

 女王がせんを机の上にゆうな仕草で置く。そうしてジゼルに余すところなくぎょくがんをさらしてくれた。


(この人、ものすごくお美しい──ただ……)


 はっきりとわかるほどしょうは、まるで白粉おしろいの仮面を着けたようになってしまっていた。だが、そんなあつしょうに負けないほど、顔立ちの造形が美しい。言うなれば、化粧をする必要などないほどなのに、かんがぬぐいきれない。


「さあ、私を描きなさい」


 ジゼルがかしこまりながら返事をすると、女王はげんたっぷりに頷いた。


 女王と向き合いながら、ジゼルはデッサンを始める。まずは、二週間をめどに肖像画の構図を決めていく予定だ。

 ジゼルの絵画の制作工程は、構図を決めるのにデッサンし、それらを元にキャンバスに下描きをしてから、やっと絵の具を塗っていく。

 これだけでも時間と手間がかかるのに、あまつさえ油絵がすぐ完成しないのは、絵の具が早くかわかないからだ。

 乾燥しきっていない絵の具の上から色を置くと、あのがんさくのようににごりやひび割れが起きてしまうこともある。しかし、絵の具の特長を生かせればじゅうこうな重ね塗りができ、厚みのある絵画に仕上がるのだ。

 ──だから作品制作は人が思う以上に時間を要する。

 なのに、それをたった数カ月で仕上げなくてはならないという重圧がジゼルの肩にずっしりとのしかかってくる。それでも、大好きな絵を描ける楽しさと初めての肖像画のらいにジゼルは夢中だった。

 描き上げたデッサンを確認した女王と侍女たちは、あまりのせいさに驚いて声が出せないでいる。


「……やはり素晴らしい腕前だ、ジェラルド」

「恐れ入ります。お気にしていただけたようで安心いたしました」


 女王ははっきりした目鼻立ちがあらわになるとさらに近寄りがたい印象ではあったが、実際話してみると、噂ほどには恐ろしさを感じない。


(でも、内面をさとられないようにしているみたい……)


 動かない表情と、あつりの化粧がそのあかしのようだ。わたした紙をぎょうする女王に、ジゼルはほんの少し近づいて様子をうかがう。


「なにか、気になるところがおありですか?」


 デッサンは誰がどう見てもかんぺきだ。

 絶対の自信を持っていたジゼルだったが、女王は意外な意見を述べる。


「そうだな。いて言えば、私の顔はこれほどまでに派手には思えない」

「なにをおっしゃいますか。みなうらやましく思うような、とてもはなやかなお顔立ちです」


 ジゼルの返答に女王は納得がいかないのか、ふうんと数回まばたきをした。

 ジゼルとしては女王の姿そのものを描き出したつもりだ。だが、女王が不満を抱くようであれば意味がない。


「……陽光が強く、いんえいをつけすぎたかもしれません。次回よりぜんしょいたします」


 折り合いをつけるようにジゼルのほうが引くと、女王は満足そうに姿勢を正した。


「そろそろしまいにしよう。また明日、頼んだぞ」


 侍女たちがてきぱきと片付けをすませていく。時刻はすでに夕方になっていた。

 シャロンに廊下まで送ってもらって、ジゼルは宰相の執務室へ向かった。

 ローガンとカヴァネルがジゼルの帰りを今か今かと待っており、入るなり「どうだった?」と様子を訊かれる。

 ジゼルはひとまず今日描いたデッサンを二人に見せた。女王の反応はいま一つだったが二人はどうだろうと思っていると、驚きに目を見開いている。


「すごい再現度だな……これなら、デッサンから犯行の手がかりがなにかしら得られるかもしれないぞ」

「噂には聞いていましたが、これほどとは。陛下のご尊顔を久々にはいえつした気持ちです」

(……よかった、やっぱりうまくできているみたい!)

「次回でいいので、部屋の内装も描いてきてもらうことはできますか?」

「それなら今、描きます。覚えていますから」


 ジゼルは紙を挟んでおくカルトンから、まっさらな用紙を出し素早くペンを走らせる。

 みるみるうちに、驚くほど正確に談話室がびょうしゃされていった。あまりのこうに言葉を失ってしまった二人に、ジゼルは描いたばかりの室内の絵を見せた。


「紙にえがすまで、私は見たものを忘れません」


 ジゼルの絵画が『風景を切り取って持ち出してきたようだ』と言われるのは、実は彼女の瞬間的なおくのうりょくによるものだ。

 見たものすべてを正確に紙に描き写すまで、その場面を鮮明に思い出すことができる。


「……──それは、すごい能力ですね」

「そうでもないですよ。脳が勝手に記憶しているだけなので、覚えている感覚も自分にはないですし」


 日常では大して役に立つ場面もない。なので、ジゼルは主に絵画の完成度を高める際に活用しているくらいで、大した能力とも思っていない。

 目をぱちくりさせている二人に気がつかず、女王に目立っておかしな様子は見られなかったことをジゼルは伝えた。


「……ローガンは、城下の視察はどうでした?」

「ボラボラが、複数の絵画をどこかから仕入れて倉庫に運んでいた。めいばんかいするためにしょうりもなく女王に取り入ろうとしているのか……まぁ様子見だ」


 カヴァネルの問いに、ローガンはさんくさそうな顔でこたえた。


「私のほうでは、今まで不審死だと思われる亡くなり方をした人たちの情報を再確認しています。医師にもくわしい死因をぶんせきさせていますので、もう少しお待ちください」


 おのおのが報告をし終わったところで、ジゼルは大事な要求を忘れていたと気づく。


「……あの、肖像画制作のための、別室を用意してもらえませんか?」


 絵の具を使う工程に入れば、乾ききっていない油絵の具があちこちについてしまう恐れがある。加えて独特なにおいがあるため、とてもローガンの部屋に置いておくわけにはいかない。


「以前、宮廷画家たちが使っていた部屋がありますが、片付けが必要です。手伝いを呼びましょう」

「あ、いえ……大丈夫です。一人でできます」


 かなり広い部屋ですよ、とカヴァネルは心配そうにするが、ジゼルはした。正体を隠しているのだから、関わる人は最小限にしたい。


「だったら俺が手伝う。二人きりのほうが都合がいい」

「そうですか。たしかに、付き合いたての恋人同士、二人だけで過ごす時間は大事ですよね。では、そちらの部屋も自由に使っていただいて結構ですよ」

「へっ!?」

「……!」


 ジゼルとローガンの表情をかくしと勘違いしたのか、カヴァネルはなまぬるい笑みを浮かべるのだった。


 複雑な思いに駆られながら短い報告会を終えてローガンの部屋に戻ったジゼルは、緊張の糸が切れてソファーに深く座り込む。


(……女王陛下に気に入ってもらえる絵を描かなくちゃ)


 ここから始まるのだ、とみつな女王のデッサンを見ながら息を吐いた。

 少し休むつもりが、あまりにも疲れすぎて眠気におそわれ、ふねいでしまう。


「おいチビ助、ここじゃなくてベッドで寝ろ」


 間近で声が聞こえてきて目を開けると、ローガンが覗き込んでいた。


「それとも、また昨日みたいにおひめさま抱っこで運ばれたいならお望み通り──」

「お……お姫様抱っこ!?」


 ジゼルは驚いて目を覚ます。ニヤニヤとローガンが意地悪に笑った。

 おおあわてで立ち上がって逃げようとしたが、ローガンのりょううではばまれてしまう。


「ほら、どうしてほしいか言ってみろよ」

「もう一台ベッドが必要だって、カヴァネル様にしんせいする!」

「バカ! そんなことしてカヴァネルに疑われてみろ、あっという間に……」


 腕が切られるぞとジェスチャーされて、ジゼルは縮み上がった。


「……しょうがないからベッド半分こね。でも絶対にこっち来ないでよ!」

「お前に命令されるいわれはない。むしろお前のほうが寝ぼけてこっちに来るかもな。その時は恋人らしく──」

「絶っっっっ対ないからっ!!」


 結果的にうまく言いくるめられ、これで毎晩一緒のベッドで寝ることが確定してしまった。それに気づいた頃には時すでに遅く、ジゼルはその日から寝る前にまくらていぼうを築き上げることになるのだった──。



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この続きは、2022年10月15日発売のビーズログ文庫で!

ドSなローガンと男装画家ジゼルの、事件と恋の行方をぜひお楽しみに!


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天才宮廷画家の憂鬱 ドSな従者に『男装』がバレて脅されています 神原 オホカミ/ビーズログ文庫 @bslog

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