2-5


 ──今日からジゼルは宮廷画家として女王のぜんに出る。

 女王がししてまで肖像画の制作を願っていたのが〈天才画家〉ジェラルドだ。

 作品は隣国との交流会での目玉になるとあって、ジゼルとしても色々な意味で失敗するわけにはいかない。


「……果たして私に、国を代表する絵を完成させることができるのかどうか……」


 ぶつぶつ呟いていると、ローガンはジゼルを引き寄せて、あっという間に頰にキスする。

 なにが起きたかジゼルの理解がおくれたところ、からかうようにローガンがのぞんできた。


「今のが、行ってきますの恋人同士のあいさつだからな。宮廷画家一日目、頑張れよ」


 楽しそうに笑うと、疾風はやてのような素早さで出て行ってしまった。


「っ……! 絶対楽しんでる!」


 心臓のドキドキが収まらないまましばらくカヴァネルの迎えを待っていると、コンコンと扉がノックされた。とっさにジゼルは、〈ジェラルド〉として気持ちをえる。


「おはようございます、ジェラルド殿。では、女王陛下の所まで案内しますね」


 呼びにきたカヴァネルは、ジゼルのたくさんの油絵用具を運ぶのを手伝ってくれた。

 人前に姿を現さないまぼろしの天才画家のお出ましとあって、王宮内では行きかう人々のこうの視線を感じ、ジゼルはうつむきながらカヴァネルの後ろを歩く。

 王宮の中心部に近い場所まで来ると、先を歩いていたカヴァネルが足を止めた。


「ここから先が、女王陛下のお住まいへ続く廊下です。案内はじょたちに代わりますので私はこちらで失礼します」


 言うなり荷物を置くようにかがみ込み、ジゼルの耳元に顔が寄せられる。


「よく注意して見てきてくださいね」


 ほんの少し鋭さを帯びたこわが耳に入って、一瞬できもえた。


「──報告は夕刻、私の執務室で」


 カヴァネルは元来た道を戻っていく。一人で敵地に向かっているような気持ちになって、ジゼルの心細さが増した。

 いつも通りで大丈夫、と自分に言い聞かせる。そうしていると、女王のそばづかえであろう侍女が廊下の向こうからやってきておをしたので、ジゼルは先にしょうかいをした。


「こんにちは。ジェラルド・リューグナーです。よろしくお願いします」


 近づいてきたのは、ジゼルと同じとしごろに見えるきんぱつの美しい容姿の少女だ。

 ジゼルを見てれんに微笑んで再度お辞儀をする。荷物運びを手伝おうとするのをジゼルは自分でできるからと伝えるが、なぜか彼女はずっと無言のままだ。


「──ああ、シャロン。ジェラルド様のご案内をしてくれていたのね?」


 声とともに、奥からそうねんの女性が慌ててやってくるのが見える。シャロンと呼ばれた少女は、背筋を正して女性に頷いてみせた。


「ジェラルド様、お待ちしておりました。私は女王陛下付きの侍女頭でマリアと申します。この子はシャロン。生まれつき声が出ないんですよ」


 シャロンはごめんなさいとでも言うように、ジゼルに頭を下げた。


「筆談もできますし、ゆうしゅうな侍女です。なにかあれば頼ってください」


 ジゼルはそういうことなら、と素直にシャロンに声をかける。


「では……これを運ぶのを手伝ってもらえますか?」


 シャロンの緑色のひとみが笑顔の形になる。可愛かわいらしい微笑みに、ジゼルの緊張がほぐれた。


「こちらは一体なんでしょうか?」

「絵の具をかすのに使います」

「こちらの油もですか?」

「……ええ。今日は使用しませんが、色をる時は数種類混ぜて使います」


 女王に会う前にひかえのでの持ち物検査がジゼルを待ち受けており、かれこれ一時間近くっていた。服をげとまで言われたらどうしよう、と内心ひやひやしていたのだが、幸いにも軽くポケットに触れられた程度で終わる。

 今朝がたのローガンの得意げな笑み……。

 彼は身体検査があるのを知っていて、女に思われないから安心しろとジゼルにたいばんを押したのだ。おうとつがわかりにくいのは男装している以上良いこととはいえ、ものすごくしゃくぜんとしない。


(っていうか、もし宮廷画家になったら、毎日これを受けないといけないの!?)


 それによって正体がけんだんざいされることになれば、『画家としてきょしょうと呼ばれるくらいに認められる』という夢は、すべてみずあわだ。

 本来なら、女流画家は論外とされるこの国の風潮に対してものもうすところであるが、そこから議論しても始まらないことくらいわかりきっている。今はあたえられた任務と、こなさなければならない絵画の制作が先だ。

 宮廷画家という憧れの職業のことを、ジゼルはいったん頭のすみに追いやることにした。

 持ち物検査が終わり談話室に通され、あちこちに置かれた豪華なそうしょくひんを興味深くながめていると、さらに奥にあった扉がすっと開く。

 侍女頭が姿勢を正してこうべれたのを皮切りに、侍女たちも次々と頭を下げていく。ジゼルも彼女たちにならって深く礼をした。

 現れた女王がおうようものごしで椅子にかけると、あわいブルーのドレスのすそがジゼルの視界の端に入った。


「ジェラルド、待ちかねていた。よもや逃げ出しはせぬかと思ったぞ」

「その節は、大変失礼をいたしました。全力で肖像画制作に取り組む所存にございます」


 怒られるかと思っていたのだが、女王は冗談までまじえて機嫌よく頷いている。


「そなたには期待している。先日のかんていも見事なけんしきであった」

「ありがたく存じます」

「ではおもてを上げよ。……私はそなたを高く評価している。息子と変わらぬとしであるが、たぐいまれな才能の持ち主だ」


 ゆっくりとジゼルは頭を上げ、女王を見つめる。今日は目から下をおうぎで隠しているだけで、ヴェールは着けていない。


「そなたの気が変わらぬうちに、私の肖像画を描いてもらう。隣国との交流会で、諸国の要人たちに我が国の芸術のらしさをするためのものだ。よいな?」


 ジゼルは大役に肩をふるわせた。

 わかっていたつもりでも、実際に国の統治者から言われると重みが違う。

 ジゼルがう絵画は、国をげての宣伝材料だ。画家としての力量がためされる。


「すでにかいしたが、そなたには、これまで宮廷にえんで入っただけの画家とは違うものが描けると私は見ている」

「もったいないお言葉でございます……必ずや女王陛下の──ひいては我が国がほこる作品を描いてみせます。ぜひ、私にお任せください」


 こうまで期待されていると気持ちがピリリと引きしまる。

 ──とっさにジゼルは自らも提案した。


「そうしましたら……たとえば政務中のご様子で一枚、素晴らしい調度品と共に一枚など、あらゆる場面での女王陛下のお姿を、まずはデッサンで描き起こさせてください」


 構図を決めるデッサンを数多く描く。そうすることで、少しでも女王の周辺を探ろうとジゼルはかくさくした。


「お気にした構図を一案選んでいただき、それを元にこうの一作に仕上げたく存じます。絶対にこうかいされることはありません。いかがでしょうか?」

「ふむ、良いだろう」


 かいだくしてくれたことに礼を述べてから、ジゼルはいつからか隠し始めたという女王の顔をひたと見つめた。


「時に、陛下のごそんがんを拝することは可能でしょうか。私は……女王陛下の真のお姿を伝えたいと思っております」


 見たままを描き伝える。それは、画家になった時から心にめているジゼルの信念だ。


「……なるほど。たしかに肖像画であれば、顔を見せる必要があるな」

「はい。誰もが鏡に映ったとて驚くくらい、ご自身そっくりな絵を描いてみせます」


 ジェラルドを天才画家としていちやく有名にしたのは、恐ろしいほど正確に描かれる風景や静物画だ。

 見たものを、すんぶんたがわずそのままキャンバスに描き写す技術において、ジゼルは王国中の誰にも負けない自信がある。


「面白い。そこまで言うのであれば、その目に焼きつけるがいい」


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