TSUTAYA生まれのGEO育ち

零真似

ちっちゃな頃から悪ガキで〜♪


「とどのつまり、黒歴史だよ。黒歴史」


 下り坂を滑る自転車のブレーキハンドルを握りしめながら、真壁は今日もどこかで聞きかじってきた言葉を侍らせる。

「あんなもんで耳を満たしているようなやつの人生は、やっぱりそんなもんなんだよ。わかる?」

「うーん」

「ホンモノを知らないバカってこと」


 真壁の言っていることはわかるようでわからない。たぶん真壁自身も本当はよくわかっていないのだと思う。


 だけど「それってどういう意味?」と三回くらい尋ねたらたぶんそこで話は終わって、答えは返ってこないまま僕たちの関係も終わる。摩擦している車輪をぽーんとはずませて、真壁はひとりで去っていくだろう。僕という人間に見切りをつけて。


 だから僕はいつも曖昧に首をかしげて、真壁のことを放し飼いにしておく。


「真壁は原曲をリスペクトしてるんだね」

「リスペクトって?」

「えっと、オリジナルがいちばんだと思ってるんだなって」

「あたりまえだろ。てか、そもそも順位なんてあるかよ。オリジナルがあって、それ以外は全部ニセモノ。価値なんてない」

「うーん」

「……え? てか藤本、おまえ、まさか”ジャギらせた”歌なんか聴いてんの?」

「聴いてないよ」

「だよな。そりゃそうだ」

「アレってそもそも犯罪らしいし」

「聴くぶんには捕まらないけどな」

「悪いからじゃないよ。ダサいから」


 僕がそう答えると、真壁はブレーキハンドルから手を離して、うれしそうに自転車のベルを鳴らした。


「そういうことさ。とどのつまり『ジャギーポッパー』なんてのは、大人にみつかった瞬間笑いものにされて吊るし上げられるくだらない連中なんだよ」


 坂の下でサドルに跨りヘルメットを被る真壁の制服は、夕日を浴びてなお白く突っ張っている。


 襟首までボタンを留めたカッターシャツの裾は腹まで持ち上げられたズボンの中にしっかりと入れられており、校則を遵守している。


 たぶん真壁は大人になって車の免許をとっても時速60キロでしか走ることはないのだろう。なんてことを思ってみる。


 なら、僕は、どうだろう?


 真壁と同じように時速60キロでしか走らない気もするし、200キロくらい出そうとしてそのままコンビニに突っ込んでみるような気もする。そもそも免許なんてとらないかもしれない。


 そんなどうでもいいことを考えながら、僕は今日も真壁と一緒に学校から帰るのだった。鼓膜の内側でブザーのように鳴っているジャギーポップスが聴こえないフリをして。


●○●


 ――ジャギーポップス。


 それは楽曲のサンプリングレートやイコライザーを弄ることで強烈に音を歪ませた結果生まれるサウンド。


 無理やりに強調された重低音とボーカルが、音質を下げて割れまくった原曲をぶちのめす。


 どんなにセンチでメロウな曲もジャギー加工を施せばたちまちにロックへと変わる。


 ロックというか、もはやそうして生まれたサウンドはただ暴力的なだけの、落ちて散らばったガラス片のようなもののようにも思えるけれど。そうして”ジャギらせた”曲が、今僕たちの世代では――そのさらに限られたごく一部では流行っている。


 イラストレーターが描いた絵をよりビビットに調色する加工師とか、YouTuberの動画にべつのオープニングだけつけて抜粋、転載している切り抜き師なんかとやっていることは変わらない。


 職業でもなければ、クリエイターでもない。

だからとりわけ専門的な技術はいらないし、敬意もいらない。

 必要なのは、音を加工ができるデバイスとアプリだけ。


 そうして原曲をジャギらせることで人気を得ている僕たちが『ジャギーポッパー』と呼ばれていることを、たぶん大人たちはまだ知らない。


●○●


 パソコンにつないだUSBから借り物のウォークマンを引き抜く。

 部屋の明かりを落とし、廊下を滑るように歩いて靴を履き、寝静まった家を出る。

 明滅している蛍光灯のジィジィという音だけがする寂れた町の夜。自転車の前カゴにバッグを放り込み、向かったのは近所の公園。通学路から一本逸れた道の先にあるその公園の隣は墓所となっていて、申し訳程度に置かれた遊具で遊ぶ子供はいない。こんな夜ともなれば言うまでもなく。疎らな細い枝木が網目模様の影を落とし、一層の暗がりとなっているその公園に人の気配はない。ただひとり、幽霊みたいに白い肌をしている女の子を除いては。


「ごめん、待った?」

「おそいよ」

「音源の変換に時間かかって」

「そうなんだ。じゃあしょうがないね」


 星模様のパジャマを着て枝木の下に立っていた彼女がクイクイと僕に手招きする。僕は自転車を停めて公園に入ると、いつものように錆びたシーソーの真ん中に腰掛けた。すると隣に彼女が座り、シーソーが傾く。僕の腕に寄りかかり、肩にそっと首を乗せて、彼女は上目遣いで僕を待っていた。


「はい」


 僕はバッグから取り出したウォークマンとイヤホンを彼女の手に乗せる。

「んっ」と慣れた手つきで彼女はそれを操作していき、目的のトラックを見つけると片方のイヤホンを耳に入れた。

 静まり返った夜にこぼれた『ジャギーポップス』が爪を立てていく。

 割れてノイズまみれになった平成初期~中期のポップソング。繊細なキーボードはドラムのサウンドに叩きのめされ、ベースとギターの区別はなくなり、ボーカルの喉は歌い出しから引き裂けている。そんなギザギザテイストで奏でられる等身大のラブソングが等身大であるはずもなく。彼らが作り上げ、おそらく多くの人を感動させたであろう曲は、極めて僅かな層にクリティカルヒットする形でリメイクされ、ジャギーなロックンロールとして再構成されている。


「どう?」


 僕が尋ねると、彼女は「しっ」と口に指を宛てがう。どうやら聴き入っているようだった。僕がアレンジした音楽に。

 僕は残されているイヤホンを摘んで耳に寄せる。

 問題なかった。ちゃんとファイルを変換できている。音は正しく割れて、歪んでいる。


 僕はそっとイヤホンを外した。そして虚空を見つめるように彼女のことを見つめていた。


 彼女――二宮は僕のクラスメイトであり、真壁の恋人だ。どうやらテスト期間が終わった先週あたりに付き合い始めたらしい。


 二宮が『ジャギーポップス』を好きなことを真壁は知らない。なぜ教えないのか尋ねると、教える理由がないからだと二宮は答えた。二宮がどうして真壁の告白を了承したのかも、やはり真壁は知らないのだろう。


「……これ、すごくいいよ……!」


 曲を聞き終えたらしい二宮が、興奮した面持ちでそう口にする。


「なんていうかさ、あんまりこの言葉って好きじゃないんだけど、なんか、エモいっていうのかな」

「へえ」

「やっぱすごいよ、藤本くんは。天才じゃん」

「べつに僕がすごいわけじゃないよ」

「そんなことない。昔の曲をこんなふうにジャギらせられるのは藤本くんだけ。ネットに転がってるやつは、なんかちがうんだよ。藤本くんの作ったやつが、いちばんしっくりくる」

「それはよかった」

「またいい感じの原曲見つけたら頼むね」

「ああ。時間があるときにな」


 それじゃあ、と二宮がシーソーから立ち上がる。傾いていたシーソーがゆっくりとバランスをとりもどしていく。


「ねえ、藤本くん」


 公園を出ていこうとしていた二宮が思いついたように立ち止まり、振り返って言う。


「藤本くんはいつもどんな音楽きいてるの?」

「どんなってこともないよ。ききたいものを、ききたいようにきいてる」

「ききたいようにって、やっぱりジャギらせたりとか?」

「まあ」

「へえ。やっぱりすごいなあ。ジャギーポッパーは」

「うーん」

「でもさ、わかってない人たち、多いよね。既存の曲に一手間加えるだけで今はこんなにカッコよくなる時代なのに」

「うーん」

「藤本くんの作る曲、わたし、世界でいちばん好きだよ」

「じゃあ、僕のことは?」

「え?」

「僕のことは、好きなの?」


 一遍調子の問いかけが、虚空を彷徨い消えていく。


「ジャギらせた曲って、かっこいい?」

「うん」

「『ジャギーポッパー』って、かっこいい?」

「うーん」

「僕の作る曲がかっこいいなら、僕のこともかっこいいって言えよ。バカ女」


 二宮はおどろいたように、困ったように、目をぱちくりさせていた。


「…………ねえ、それってどういう意味?」


 シーソーに腰掛けたままじっと見つめる僕に、やがて二宮は問いを返してくる。


「曲とアーティストは、べつじゃん」

「うん」

「なら、どうしてわたしがバカってことになるの?」

「うーん」

「わたし、なにかいけないことした?」

「ううん」

「いけないことしてるのは、藤本くんでしょ」

「うーん」

「…………ごめん。藤本くんにジャギらせてほしいって頼んでるのはわたしなのに。わたし、勝手だよね」

「うーん」

「もう、頼まないほうがいい? わたしのこと、嫌いになった?」

「いや、なってない。こっちのほうこそ、ごめん。バカなんて言って」

「ううん。いいの。なにかわたしが余計なこと言ったんだよね、たぶん」

「いや、ちがう」

「なら教えてよ。どうしてわたしのことバカだなんて言ったの? それってどういう意味なの?」

「なんでもないんだ。ごめん。忘れて」

「そんな曖昧には生きられないよ」


 二宮の瞳が、まっすぐ僕のことを見つめ返してくる。歪んだ心を、見透かすように。僕らの関係を、正すように。三度目の問いを、放ってくる。


「ねえ、さっきの言葉ってどういう意味なの?」


 乾いた喉を絞って、僕は言葉をせり上げた。

 けれどそれは質問に対する的確な答えではなく、曖昧でハッキリとしない想いの羅列でしかなかった。


 僕は結局、二宮の質問に最後までちゃんとした答えを返すことがなかった。

 その日を最後に僕と二宮はもう二人きりで会おうとしなくなった。


『ジャギーポップス』は大人のだれにも見つかることなくブームを終えて、歴史は僕たちの中で黒く塗りつぶされていった。出来事も、感情も、そこにあったすべてをなかったことにして、今はサブスクリプションでオススメされた音楽をきいている。

 最近アツいらしい『R&C』をきいているうちに女ができて。子供ができて。車はそれ自体より各種税金が高すぎて買えていないけれど。毎日残業が続いてすこし精神を病んだりもしたけれど。養育費を払うために生きている僕の人生はわりとけっこう幸せだ。



 それでも、パソコンのディスクにはまだあの頃のデータが残っていて。ふいに昔の自分が問いかけてくる。


「――――ねえ、それってどういう意味?」


 大人になった今でも僕はまだ『ジャギーポップス』をきけていない。当時の自分に答えを突きつけられるのが怖いから。歪んだ音の向こうでは、アーティストと肩を並べた僕が中指を立てて歌っている。ちなみに真壁は去年交通事故で死んだ。

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