4
「……ごめんね、お兄ちゃん」
「何が」
俺が買ってきた桃風味の水を飲みながら、未緒は弱々しく笑った。
「私がこんなことしたからお兄ちゃん、高校休んだんでしょ。単位足りなくなっちゃうよ」
「大丈夫だよ。それに、単位が足りなくなるのは未緒も一緒だろ」
「そっか」
いつの間にか通勤通学ラッシュが終わって、ホームには俺と未緒しかいなくなっていた。吹き抜ける風が五月とは思えないほど冷たくて、俺は思わず身を縮める。ブレザー着ておいて、良かったな。
「……未緒、どうして急にここまで来たんだ?」
「……」
未緒は黙ってペットボトルを揺らす。考えている、というより何と言うか迷っている顔だ。
「俺は未緒の言うこと批判しないからな。全部信じるから」
「……」
空気が揺れた。未緒が小さく息を吸う。
「……あのね。私ね、もう、嫌になっちゃったの」
線路から目を離さずに、未緒はそれだけ言った。
「……県立に落ちたからか?」
「ううん。……実はね、県立に落ちたのはあんまりショックじゃないの。……元々、私とはレベルが全然違う高校だったし」
「そうなのか? でも、落ち込んでたよな」
「あれはね……お母さんをがっかりさせちゃったな、って」
未緒は昔から、こういう風に気を遣うことが良くある。……そうか、あの時落ち込んでいたのは母さんを考えてのことだったのか。
「学校は楽しいよ。……友達もできたし。でもね」
俺は黙って続きを待った。
「――なんか、未来が見えないの」
「未来?」
聞き返すと、「うん」と頷く。
「私が生きる未来。……普通に高校生して、卒業して、大人になって……って未来が見えないの」
未緒の目は線路ではない……どこか遠くを見ているようだった。今にも泣きそうに、瞳が震えている。
「怖くて。……生きていくのが、怖くて仕方なくて。もう、嫌で……解放されたくて」
とうとう、未緒は両手で顔を覆った。ず、と鼻をすする音。
「っ……ごめんね、おにいちゃん……」
「え? 何で」
謝罪の意味が分からない。
「こんな妹でごめんね。迷惑かけてごめんね。ごめんね……」
ごめんね、ごめんね、と何度も繰り返す未緒。目の前にいるはずなのに、急に遠くに見える気がした。視界がぼんやり霞む。
何で謝るんだよ、未緒。お前はもっと甘えたって良い。もっと、俺を頼ってくれよ。
「未緒」
我慢できなかった。俺は未緒を抱きしめた。
「おにいちゃん……?」
「未緒。俺は迷惑だなんて思ったことない」
抱きしめて分かる。未緒は華奢で、本当に折れてしまいそうで。俺より何まわりも小さい体で、そんな思いを抱えてたんだな。
「俺に未緒の不安は分からない。俺は、未緒じゃないから」
未緒の息を飲む音。
「でも、俺にもその不安を背負わせてほしい。未緒を不安で潰したくない。だから未緒、――」
頬を冷たいものが落ちる。あ、俺泣いてるんだ。情けないな。
「――いっしょに帰ろう。そして、一緒に生きよう」
電車に乗っていた たちばな @tachibana-rituka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます