「……ごめんね、お兄ちゃん」

「何が」

 俺が買ってきた桃風味の水を飲みながら、未緒は弱々しく笑った。

「私がこんなことしたからお兄ちゃん、高校休んだんでしょ。単位足りなくなっちゃうよ」

「大丈夫だよ。それに、単位が足りなくなるのは未緒も一緒だろ」

「そっか」

 いつの間にか通勤通学ラッシュが終わって、ホームには俺と未緒しかいなくなっていた。吹き抜ける風が五月とは思えないほど冷たくて、俺は思わず身を縮める。ブレザー着ておいて、良かったな。

「……未緒、どうして急にここまで来たんだ?」

「……」

 未緒は黙ってペットボトルを揺らす。考えている、というより何と言うか迷っている顔だ。

「俺は未緒の言うこと批判しないからな。全部信じるから」

「……」

 空気が揺れた。未緒が小さく息を吸う。

「……あのね。私ね、もう、嫌になっちゃったの」

 線路から目を離さずに、未緒はそれだけ言った。

「……県立に落ちたからか?」

「ううん。……実はね、県立に落ちたのはあんまりショックじゃないの。……元々、私とはレベルが全然違う高校だったし」

「そうなのか? でも、落ち込んでたよな」

「あれはね……お母さんをがっかりさせちゃったな、って」

 未緒は昔から、こういう風に気を遣うことが良くある。……そうか、あの時落ち込んでいたのは母さんを考えてのことだったのか。

「学校は楽しいよ。……友達もできたし。でもね」

 俺は黙って続きを待った。

「――なんか、未来が見えないの」

「未来?」

 聞き返すと、「うん」と頷く。

「私が生きる未来。……普通に高校生して、卒業して、大人になって……って未来が見えないの」

 未緒の目は線路ではない……どこか遠くを見ているようだった。今にも泣きそうに、瞳が震えている。

「怖くて。……生きていくのが、怖くて仕方なくて。もう、嫌で……解放されたくて」

 とうとう、未緒は両手で顔を覆った。ず、と鼻をすする音。

「っ……ごめんね、おにいちゃん……」

「え? 何で」

 謝罪の意味が分からない。

「こんな妹でごめんね。迷惑かけてごめんね。ごめんね……」

 ごめんね、ごめんね、と何度も繰り返す未緒。目の前にいるはずなのに、急に遠くに見える気がした。視界がぼんやり霞む。

 何で謝るんだよ、未緒。お前はもっと甘えたって良い。もっと、俺を頼ってくれよ。

「未緒」

 我慢できなかった。俺は未緒を抱きしめた。

「おにいちゃん……?」

「未緒。俺は迷惑だなんて思ったことない」

 抱きしめて分かる。未緒は華奢で、本当に折れてしまいそうで。俺より何まわりも小さい体で、そんな思いを抱えてたんだな。

「俺に未緒の不安は分からない。俺は、未緒じゃないから」

 未緒の息を飲む音。

「でも、俺にもその不安を背負わせてほしい。未緒を不安で潰したくない。だから未緒、――」

 頬を冷たいものが落ちる。あ、俺泣いてるんだ。情けないな。


「――いっしょに帰ろう。そして、一緒に生きよう」

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電車に乗っていた たちばな @tachibana-rituka

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