後編

 ヴィクトリアが追放されて、一月が過ぎた。

 大きな街に辿り着いたヴィクトリアは、酒場で住み込みで働く事になった。酒場の女主人は人情深く、ヴィクトリアの境遇を聞くと手厚く生活の世話をしてくれた。

 公爵令嬢だった頃とは比べ物にならない質素な生活。それでも、ヴィクトリアは充実していた。

 ……充実、していたのだが。


「ああ……やっと見つけた、ヴィクトリア!」


 そんなヴィクトリアは今、突然現れた来客に苦い顔をしていた。



「……何の御用でしょう? ロラン様」

「もちろん、君を助けに来たんだ」


 顔を引き攣らせたヴィクトリアなど意に介さないように、上等な服に身を包んだ青年は告げる。その返答に、ヴィクトリアの表情がますます苦いものになった。


 彼の名はロラン。ヴィクトリアの国の隣国の王子である。

 アルフレッドの無二の友人である彼は、その縁から、ヴィクトリアとも何度も顔を合わせていた。とは言え取り分け親しかったという訳でもなく、あくまで婚約者の友人というだけの付き合いだったはずなのだが。


「アルフレッドから話を聞いて、驚いたよ。まさか君が、こんな苦境に立たされているなんて」


 眉を下げ、嘆くようにロランは言う。


「僕は知っている、君の清らかさを。『水晶の青薔薇』を咲かせるに、相応しい人である事を」

「……」

「だから、これは何かの間違いだ。そう言ったが、彼はすっかりパルミラに入れ込んで聞きもしなかった」

「……そうでしょうね。なら、あなたは何故わたくしを探しておられたのでしょうか?」


 ヴィクトリアの問いに、ロランは真剣な顔になる。そして恭しくヴィクトリアの手を取り、こう告げた。


「僕の妻にならないか、ヴィクトリア」

「……は?」


 思わず、怪訝な顔になるヴィクトリア。そんなヴィクトリアの様子を気にも留めずに、ロランは続ける。


「僕ならアルフレッドのように、君を粗末にしたりしない。君にしたい事があるなら、何だって協力する」

「……ロラン様」

「本当はずっと、君が好きだった。今まではアルフレッドの手前言い出せなかったけど、もう彼を気にする必要はない」


 ずいと、ロランが身を乗り出した。ヴィクトリアは反射的に、軽く後ずさる。


「僕は君を永遠に愛し、謂れなき罪をも拭い去ってみせよう。必ず幸せにする。ヴィクトリア……」

「……」


 ロランの手が、ヴィクトリアを抱き締めようと伸びる。ヴィクトリアは、ここでようやく微笑みを浮かべると——。


「——お引き取り願います、ロラン様」


 そう言って、伸ばされた手をおもむろに振り払った。


「……え?」

「お生憎様。あなたに幸せにして頂かなくても、わたくし、もう十分に幸せですの」

「何を! 貴族として生まれた君が、こんな生活をして幸せな訳が……!」

「こんな生活とは何だい!」


 予想外の返答に声を荒げるロランに、それまで事態を静観していた女主人が声を上げた。それを皮切りに、辺りの客から野次が飛び出す。


「そうだそうだ! ヴィクトリアの嬢ちゃんは毎日楽しそうに働いてくれてるぞ!」

「それにヴィクトリアさんにアドバイスをもらうようになってから、うちの商売が軌道に乗り始めたんだ!」

「ヴィクトリアちゃんは俺らにとっても大事な人だ! 連れてなんか行かせねえぞ!」


 それを聞いて、ロランは呆気に取られる。そんなロランに、ヴィクトリアは笑顔で言った。


「ロラン様。あなたには解らないかもしれませんが、わたくし、ここでしか得られないものを知りましたの」

「こ、ここでしか得られないもの?」

「人脈です」

「人脈……?」


 いまいち要領を得ていない様子のロランに、ヴィクトリアはフゥと溜息を吐く。そして腕組みし、言葉を続けた。


「ロラン様、あなたには王子という地位が絡まない、あなた個人の関係者がどれだけおります?」

「え……」

「たかが知れてますでしょう? 貴族の付き合いというものは、地位が物を言う部分がありますもの」


 そう言うと、ヴィクトリアはおもむろに辺りを見回す。


「ここにいる方々は違います。公爵令嬢でないただのヴィクトリア個人に価値を見出し、好意的にして下さっています」


 ヴィクトリアの言葉に、女主人や客達は一斉に頷いた。それを見たヴィクトリアの表情が、少し柔らかくなる。


「わたくし、夢を叶える為にはお金さえあればいいと思っておりました。けれど違います。もちろんお金も必要ですが、それと同時に確かな人脈、これこそが今わたくしに一番必要なものだと気付いたのです」

「そ、それなら王妃としてだって!」

「申し上げたでしょう? 貴族の付き合いには地位が絡む。それで本当の信頼など得られるでしょうか」

「お兄さん、この子はね、アタシらの為に学校を作りたいんだとさ」


 不意に、女主人がそう口を挟んだ。


「アタシらみたいのが何も知らないまま、お貴族様に不当に搾取されないようにしたいって。泣かせるじゃないか」

「そんな! それじゃ、何の為に僕は君の婚約を破棄させて……!」

「……はい?」


 追い詰められ、わめくように言ったロランの一言に、ヴィクトリアの眉がピクリと動く。しかしそれはすぐに、不敵な笑みに変わった。


「……そう、そういう事ね」

「ヴ、ヴィクトリア……?」

「パルミラに『水晶の青薔薇』の育て方を教えたのは、あなたでしたのね? ロラン様」


 その言葉に、ロランの顔がひくりと引き攣る。それはヴィクトリアの推理が、真実である事を示していた。


「おかしいとは思いましたの。花を育てる事なんてまるで興味のないはずのパルミラが、どうして『水晶の青薔薇』を育てられたのか」

「そ、それは……」

「パルミラを利用してアルフレッドに婚約破棄をさせ、窮地から救うという名目でわたくしを手に入れる……それが、あなたの目的だったのでしょう?」


 最早何も言えないと言った風に固まるロランを、ヴィクトリアは冷めた目で見つめる。そして、ハッキリとこう告げた。


「お引き取りを、ロラン様。わたくし、誰かに幸せにしていただかなければ何も出来ないほどか弱い女ではありませんの」



 かくしてロランはスゴスゴと引き下がり、ヴィクトリアにまた平穏な日常が戻ってきた。

 ヴィクトリアの聡明さは次第に街の外まで知れ渡る事になり、彼女の助言を求めて街を訪れる者も多くなった。ヴィクトリア自身その事に驕らず、次々と新たな知識を吸収し続けた。

 一方で彼女は、夢に賛同してくれる同志を募った。始めはなかなか理解されなかったが、一年も経つ頃には、小さな校舎なら建てられるほどの資金と同志が集まった。

 そして晴れて、開校の日がやってきた……のだが。



「……何故あなたがここにいらっしゃるのでしょうか? ロラン様?」


 やってきた生徒の中には、何故かロランの姿があった。


「何故って、生徒がここにいたらいけないかい?」

「では言い方を変えましょう。何故あなたが生徒としてここにいるのでしょうか、ロラン様?」


 沸き上がる苛立ちを隠さずに、ヴィクトリアが言う。それに対しロランは、にこやかに答えた。


「ヴィクトリア、僕はね、諦めない事にしたんだよ」

「一応お聞きしますが何をです?」

「もちろん君の事さ、ヴィクトリア」


 案の定な返答をよこされ、ヴィクトリアのこめかみに青筋が浮かぶ。それを見て、ロランの笑みはますます深まる。


「あれから考えたんだ。僕のした事は、何も間違ってなんかなかったって」

「どの面下げてそうおっしゃってますの?」

「だって僕が手を回して婚約を破棄させたからこそ、君は自由に夢を追えるようになったんだろう?」


 その指摘に、ヴィクトリアが初めて言葉に詰まる。そうしているうちに、他の生徒達が何があったのかと周囲に集まってきた。


「だったら、何も恥じる事はない。これからは堂々と、君にアタックすればいいってね」

「それをわたくしが受け入れるかどうかは、別問題だと思うのですが!」

「そうだね、でも僕はここに宣言するよ」


 おもむろに、ロランがヴィクトリアの手を取る。ヴィクトリアは逃げようとするが、ロランが全力でそれを許さない。


「ちょ、離し……!」

「きっと君の心を手に入れてみせる。その為なら、どんな手でも使うと」


 ロランの宣言に、ワッと周囲が沸き上がる。ヴィクトリアは全力を振り絞って、何とかロランを突き放した。


「おっと」

「っなら! わたくしも宣言致します!」


 そう言って、ヴィクトリアがロランをビシッと指差す。そして厳しい目で、ロランを睨み付けた。


「あなたの事だけは! わたくし、絶対に好きにはなりません!」

「フフ、それじゃあ勝負だね。君が僕を好きになるのが早いか、それとも僕が君を諦めるのが早いか」

「勝手になさって下さいまし! 付き合ってられません!」


 きびすを返し、集まった野次馬を掻き分けてヴィクトリアは校舎に入っていった。それをロランは、おかしそうに見送ったのだった。


 元公爵令嬢ヴィクトリア。彼女が真に平穏に暮らせるのは、まだ先の話のようである。





fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追放令嬢は救世主を望まない〜自分の力で生きるのでわたくしの事は放って置いて下さい〜 由希 @yukikairi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ