帰還編

第276話(最終話) 約束の場所へ

 我慢できないほど体中が痛い。

 だけど、いまはそれが嬉しかった。


 まだ生きている。

 時間がもう少し残っている。

 ……そう思えるから。


 僕はヴィヴィに背負われ、目的の場所に向かっている。

 

 廃教会——。

 

 アリアに残した暗号ネウマ譜に記した場所であり、約束の場所でもある。


「レオ、どっちに行く?」

 分かれ道になり、ヴィヴィが声をかけてきた。

 僕は残り少ない力を振り絞り、行く方向に顎の力を入れる。

「わかった、こっちだね」

 僕の思った通りの方向へヴィヴィが歩きだす。


 痛い。


 激痛が走った。

 あまりの痛みに意識が飛びそうになる。

 そのとき……。


「レオ、あと少しだから頑張って」

 僕の痛みを察したようにヴィヴィが優しくささやいた。

 

 大丈夫だよ。


 心のなかでつぶやき、ヴィヴィに思いを伝える。

 届いるかどうかわからない。

 だけど、きっと伝わっていると思う。

 ヴィヴィはいつだって僕の気持ちを一番にわかってくれる友達だから。


 アリアは廃教会に来てくれるかな?


 脳裏に浮かんだ。


 アリアに会いたい。

 でも、来てほしくない。


 複雑な思いが心にある。


 廃教会にアリアが来るということは、暗号ネウマ譜を解読できた証拠。

 つまり、僕が暗号師で改革派だとバレる。

 アリアが嫌っている存在に属していると……。

 だから、来ないでほしいという気持ちがある。

 でも、ジャンニとの約束を果たしたい思いも強い。

  

 結果は運に任せる。


 あれこれ考えるのをやめ、僕は意識を保つことに専念した。

 

「レオ、あそこに崩れかけた教会あるけど、もしかしてあそこ?」

 ヴィヴィが声をかけてきた。


 うん、そうだよ。


 ヴィヴィの肩に置いた顎に力を入れた。


「わかった。あそこだね」

 ヴィヴィが涙声で言った。


 伝わっている。

 さすがヴィヴィだね。


 もう一度、顎に力を入れた。


「うん。あたしはレオと一番の仲良しだからね」

 ヴィヴィが鼻をすすった。


 ヴィヴィ……。


「なに?」

 ヴィヴィの声がとても小さい。


 ありがとう。


「……」

 ヴィヴィはなにも言わない。

 その代わりに、背中を激しく震わせている。


 僕は力を振り絞り、目の前を見た。

 廃教会がある。

 もう少しで辿りつく。

 

 アリアはいるかな……。


 しっかり見ているはずなのに、なぜか廃教会が薄れていく。

 同時に意識が遠のきだす。


 ああ……。


 僕は観念した。

 

 ここまでか。


 死の予感——。


 どんどんと意識が薄れていく。


 レオが死んだらどうなる?

 現代に戻れる?

 レオの肉体はどうなる?

 ジャンニの魂は戻る?

  

 わからない。

 このあとどうなるか……。


 そもそも、これは現実だったのだろうか?

 現代の僕が長い長い夢を見ているだけなのかもしれない。


 レオとして体験した数々のこと。

 それは現実なのか夢なのか……。


 夢であってほしくない。

 この異世界で出会ったみんなが存在しないなんて……。


 いやだ。


 だけど、異世界が現実にあるとも思えない。

 いや、僕が知らないだけで異世界は本当に存在する可能性だってある。


 絶対レオが存在した世界は……。

 きっと……。

 ある……。

 は、ず……。



 レオ……。

 


 誰かが僕を呼んでいる。

 

 ジェロ?

 ヴィヴィ?

 ダンテ?

 それとも、アリア?


 誰?


 *


 軽やかにまぶたが上がっていく。

 朝起きたときや、昼寝から目覚めた感じとは全然違う。

 体の気だるさと眠気が一切ない。

 その代わり、胸が締めつけられたように感じる。


 これは痛み?

 それとも……。


 ぼうっとしていた意識がはっきりとしはじめる。 

 それと同時に視界にピントが合った。

 天井が目に映っている。

 見慣れた物なのに、妙に懐かしく感じた。


 ここは……。


 眼球を動かし、左右を見た。

 辺りに数枚の紙が散乱している。

 

 あれは……。


 紙を見つめた。

 文字ではなく、音符が書いてある。


 楽譜だ。

 いち……。

 にぃ……。


 何気なく、そこに記されている横線を数えはじめた。


 さん……。

 しぃ……。

 ごぉ……。


 そこまで数えたところで、意識がばちんと弾けたようになった。


「五線譜!」

 叫ぶと同時に体を起こした。

 それから、辺りを視線を走らせる。


 窓にカーテン。

 デスクにテレビ。

 それから……。


 目には家具や家電製品が飛びこんでくる。

 

 ここは……。


 僕は考えながら自分の体を見つめた。

 

 大きい。

 それに服装が……。


「……戻ってきた?」

 口からぽろりと言葉が溢れた。


 そうだ。

 もとの世界に戻ってきたんだ。

 

 ……戻ってきた?

 もしかして、ずっと夢を見ていただけだったのか?


 頭を抱えた。


 本当に異世界に行ったなんてありえない。

 だけど、夢にしては妙にリアルだった。

 エトーレに首を絞められた息苦しさをちゃんと覚えている。

 それに……。


 頼もしくて優しい兄貴分のジェロ。

 明るくて僕を誰よりも理解してくれたヴィヴィ。

 はじめてできた友達のダンテ。

 僕にネウマ譜を教えてくれたダレッツォ。

 

 心に、胸にちゃんと彼らへの感情が根づいている。

 これが夢だとは思えない。

 おまけに……。


 アリア——。


 脳裏にアリアの姿が思い浮かんだ。

 彼女に対する思いも心にしっかりとある。

 強くて、深いなにか……。

 うまく言葉にできない。

 そう、レオのように口に出せない。


 僕は心のなかでアリアに対する感情と向きあった。

 それは言葉ではない。

 ひとつ、またひとつと音になり、それが連なってメロディになってく。

 心のなかで音が広がり続ける。


 レオは……ジャンニはアリアと廃教会で会えたのかな?

 それを確認する前に僕は戻ってきてしまった。

 でも……。

 意識が消える前に僕を呼ぶ声が聞こえたような気がする。


 あれは夢?

 それとも現実?


 証明できる証拠はどこにもない。

 だけど、僕の心にはしっかりとある。


 記憶と感情——。

 それともうひとつ。


 僕はデスクに向かった。

 まっさらの五線譜を用意し、急いでペンを手に取る。

 レオがそうしたように、頭に浮かんだメロディを手に集めて一気に書き記す。


 どんどんと五線譜が音符で埋まっていく。

 こんな経験ははじめてだ。

 だから、思う。


 あれは夢じゃなかったんだと。

 彼らはたしかに存在したんだと……。


 僕はペンを置き、完成した曲を心のなかで歌った。

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約束のネウマ——中世ヨーロッパ風異世界に転生、暗号師となって荘園改革に協力します。 こみる @l_komiru

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