第275話 ジェロの役目
ジェロが驚きを隠しきれず、口を大きく開けたまま動かない。
無理もないと思う。
お父さまの罪を隠してほしいと頼むだろうとジェロは考えていたはず。
なのに、私は反対のことを頼んだ。
「父とはいえ、大罪を犯したのを見逃せません」
この言葉に一点の偽りもない。
本心だ。
父親という情を優先すれば、荘園が戦いに巻きこまれる。
そうなれば、庶民たちを苦しめてしまう。
お父さまを助けるためにそんなことはできない。
それにこの罪を放置すれば、また同じことが起きる可能性がある。
お父さまを止める。
それが娘としての責任の取り方だ。
「ダンテに預けた物を受けとって、それをルッフォさまに届けて」
「……お飾り大領主に渡してもなにもできやしない」
ジェロは吐き捨てるように言った。
「ええ、ルッフォさまには無理だわ。だけど、大領主という地位ならそれが可能です」
「小領主を罰する権限が大領主にはあるからか?」
ジェロが顎に手を置いた。
「ええ」
「だけど、ルッフォにパッツィを罰するだけの気力はない」
ジェロが深いため息をつく。
その通り。
ルッフォさまだけではお父さまを糾弾できない。
やろうと考えることすらしない可能性がある。
だけど……。
「庶民たちを味方につければ可能性が生まれます」
私はジェロの目をまっすぐに見つめた。
「庶民?」
「ルッフォさまを動かすには、庶民たちの思い——民意が必要です」
私の言葉を聞き、ジェロは口を閉ざした。
視線を左右に走らせ、なにやら考えている。
「民意か……」
「ええ。大勢の庶民たちが声をあげれば、ルッフォさまは無視できないと思います」
「だけど、庶民たちが立ちあがるだろうか?」
ジェロが唇を噛んだ。
ずっと庶民たちは権力者たちに
逆らえれば体罰を受けたり、殺されたり……。
そんな状況だったから、庶民たちは息を殺して暮らしてきた。
目先の難を逃れるために。
そんな庶民たちが現状を変えようと思うのは難しい。
まして、立ち向かうために声をあげるなど……。
「庶民たちを立ちあがらせる、それはあなたの役目よ」
私はしっかりとジェロを見た。
これまでサングエ・ディ・ファビオが行った行為には賛同できない。
小領主邸宅に不法侵入したり、襲撃したり……。
卑怯だと思う。
だけど、ジェロという人物に対しては別の思いを抱いている。
荘園の未来を考え、庶民たちを思って商人として尽力してきた。
それと同時に、庶民たちの心を
庶民たちをまとめ、導く器——。
ジェロにはそれがある。
権力者に求められる器が……。
「俺の役目?」
ジェロがきょとんとしている。
「ええ。あなたがこれまでしてきたように、庶民たちを
「えっ?」
「あなたなら……いいえ、あなたにしかできないことよ」
「俺がか?」
「そうよ。改革派のこれまでの行動を私は否定します」
「……」
ジェロはなにも言わず、私を見ている。
「だけど、庶民たちの声を代弁し、まとめるあなたの能力は認めています」
「俺が……」
思案するようにジェロがつぶやいている。
荘園の未来を大領主さまや小領主さまたちには預けられない。
庶民を守り、荘園を改革するのは……。
私はジェロを見た。
それと同時に私は悟った。
なぜ、レオがジェロに協力して暗号師になったのかを。
レオもきっと私と同じ思いを抱いたのだろうと思う。
だから、危険を犯して協力したのだと。
「わかった。これから避難場所に向かってダンテと合流する」
強い口調でジェロが言った。
「……あとはお願いします」
「アリアも一緒に行こう」
ジェロが私に手を差しだしてきた。
私を心配して誘ってくれている。
その気持ちが痛いほど伝わってきた。
だけど……。
「ここで別れましょう」
「でも……」
「あなたにはやるべきことがあるでしょう?」
子供に諭すように私は言った。
「だけど、ここは危険だ」
「庶民たちのために荘園を改革するんでしょう?」
私の言葉を聞き、ジェロが大きく息を吐いた。
「わかった、行くよ」
「ええ」
すぐさま答えた。
「アリア、気をつけろよ」
ジェロはそう言い残し、小屋から立ち去った。
ひとりになり、私はすぐさま懐から暗号ネウマ譜を取りだした。
それをじっくりと眺める。
普通のネウマ譜に比べて短い。
というより、一部だけを切り取ったような感じだ。
おそらく、急いで書いたためだと思う。
つまり、描かれたネウマ譜全てが暗号の可能性が高い。
それを念頭に解読文書と壁にある地図を調べていく。
はっきりした解読方法を知らない。
だから、正確に解読できないだろう。
だけど、ひとつだけでも判明すれば推測できる。
必死に脳を動かした。
ああでもない、こうでもないと思いながら……。
試行錯誤しているさなか、ふと閃いた。
もしかして、これは場所を示しているのかもしれない。
そうだとするなら、調べるのは地図。
壁にある地図を見た。
縦と横に引かれた線。
これにはきっと意味がある。
線によって区切られた地図。
それと、暗号ネウマ譜に記されたもの。
ふたつの要素を混ぜると……。
あっ!
わかったかもしれない。
暗号ネウマ譜を懐にしまい、地図に釘づけになった。
レオが伝えようとしたのは場所だ。
ネウマ譜には、縦線と横線の位置が記されている。
その通りに場所を探すと……。
あった。
ここは……。
廃教会——。
この場所を暗号に記した理由は?
もしかして、ここで会おうという意味?
レオと出会った場所であり、たまに会うところでもあり……。
もうひとつ、重要な意味がある。
でも、レオはそれを覚えていない。
レオはエトーレに襲われたあと、昔の記憶を失っている。
だから、デルカおじさまと会ったことを覚えていなかった。
幼少期に私が解読布を託したことも……。
もしかして、思いだしたの?
失った記憶の全てを——。
危険を承知で私は幼いレオに解読布を託し、逃げ先として安全な場所を伝えた。
それと同時に、そこで再会しようと約束をした。
私はそのあと約束の場所で待ったけど、レオは現れなかった。
だけど十年後、偶然にもレオと再会。
しかも、約束のあの場所で……。
レオが私に託した暗号ネウマ譜。
そこに記されれた場所は廃教会だった。
偶然なんかじゃない。
意図的に記している。
安全な場所として。
十年前の約束の場所として——。
レオは約束を果たそうとしているのかもしれない。
十年前に交わしたあの約束を……。
行こう。
心を決め、小屋を飛びだした。
約束の場所を目指して……。
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