第274話 アリアの要求

 背後から口を塞げれ、私は恐怖に飲みこまれた。

 それでも必死に感情に抵抗しようと試みる。


 怖いのは口を塞がれたからじゃない。

 背後の人物の正体がわからないから。

 大丈夫。

 危害を加えるつもりなら、とうに私をどうにかしている。

 それをしないのは目的があるから


 警備兵なら、私を改革派だと思って捕縛。

 改革派なら、警備兵に密告されると思って口を塞ごうとしている。


 考えることで心から恐怖心を少しずつ消していく。

 そのおかげで脳は思考停止せず、取るべき手段を思案しはじめる。


 どうしようかと考えているさなか、口を塞ぐ手が緩んだ。

 その隙を見逃さず、私は先に手を打つ。


「……もしかして、警備兵に密告されると思ってここに隠れていたのかしら?」

 小声で問いかけてみる。

 だけど、無言のまま反応しない。

「私を警備兵と間違えて捕らえたのかしら?」

 恐怖も怒りも感じさせないよう、冷静な声で再度問いかけてみる。

 それでも無反応。

 

 なぜ?

 

 私に危害を加えるでもなく、逃げるでもなく、ただ背後にいるだけ。

 

 なにがしたいの?

 どうしたいの?

 わからない。

 背後にいる人物は一体……?

 

 ここはレオが暮らす小屋。

 そこに潜んでいたということは警備兵じゃない。

 じゃあ、改革派?

 もしそうなら、なんらかの要求を突きつけるはず。

 なのに、なにもしない。


 ?

 

 もしかして、捕まえたはいいけど私だと気づいてなにもできずにいる?

 まさか、そんなことは……。


「私を人質にするつもりなの? お父さまを脅すために」

 話しかけながら、背後に神経を集中させた。

 私をつかむ手がかすかに震えている。

 動揺しているかのように……。


 もしかして……。


「……ジェロ、なの?」

 一か八か、聞いてみた。

「……」

 言葉は返ってこない。

 だけど、背後から大きなため息が聞こえてくる。

「ジェロ?」

 再度、問いかけてみみた。

「……やっぱりバレていたか」

「やっぱりって?」

 私は一歩前進し、それから振り返った。

 困ったような表情を浮かべたジェロが立っている。


「なんとなくアリアには正体がバレている気がしていたんだ」

 悲しげな声でジェロがつぶやいた。

「どうしてそう思うの?」

「最近、俺に対して態度が冷たかったからな」

「そうだったかしら?」

 心の底から私は思った。

 一切、嘘はない。


 いつ頃からだったか、ジェロには秘密があるような気がした。

 行動や言動。

 そこから常に頭の隅にあった。

 もしかしたら、改革派を支持しているのではないかと。

 最初はちょっとした疑念だった。

 それが段々と膨らみ、最終的には改革派のリーダーだと判明。


 気づいていない振りをしよう。

 そう考え、いつも通り接してきたつもりだった。

 それなのに、態度が変わったとジェロに見透かされていた。

 

「ああ、びっくりするくらい冷たかったよ」

 ジェロが苦笑いを浮かべた。

「そんなつもりはなかったのですが……」

「気にするなって」

「申し訳ありません」

 私は軽く頭を下げた。

「いいって。それより、どうして俺の正体に気づいたんだ? スパイから聞いたのか?」

「スパイ?」

 私は首を傾げた。

「ああ、同志たちのなかにスパイがいて、情報がパッツィさまに漏れていたんだ」

 悔しそうにジェロが言った。


 初耳だ。

 お父さまが改革派のスパイと繋がっているなんて……。

 そうか。

 だから、今夜のルッフォ大領主邸宅の襲撃を事前に知り、外敵に密書を送ろうとしたのね。


「誰なんだ、スパイは?」

 真剣な表情でジェロが聞いてくる。

 私はすぐさま首を横に振った。

「知りません。スパイがいたことをいま初めて知りました」

「そっか……だったら、アリアは俺の正体に気づいたのはどうしてだ?」

「以前、邸宅に忍びこんでお父さまと会っていたでしょう?」

「ああ。でも、あのときは覆面をしていた」

「私が目撃したのは邸宅外よ」

「……そういえば、邸宅を出たあとに覆面を外した覚えがある。あのときか?」

「ええ」 

「うかつだったな」

 反省するようにジェロはうなだれた。


「……ところで、アリアはここになにをしに来たんだ?」

 ジェロの表情が不思議そうなものに変化した。

「レオは? どこにいるの?」

 ここに来た理由を思いだし、私は強い口調で問いただした。

「……レオのこと、どこまで知っているんだ?」

 眉間に皺を寄せ、ジェロが問い返してくる。

「改革派の暗号師なんでしょう?」

「ああ、そうだ。だからって、レオに冷たく当たるなよ。俺に巻きこまれただけなんだから」

 視線を逸らし、ジェロがすまなさそうに言った。


 そう、レオはジェロに巻きこまれて改革派の活動を手伝っているだけ。

 怒りを覚えるのはレオではなく、ジェロ。

 どうしてレオを巻きこんだのか、と。

 だけど、いまは怒っている暇などない。

 怒りを必死に抑えた。 


「ええ、わかっているわ。それで、レオはどこにいるの?」

「ある場所に向かっているはずだ」

 即座にジェロが答えた。

「それって、ダンテが言っていた避難場所?」

「どうして知っているんだ?」

 ジェロが不審そうな顔をした。

「ダンテに会ったの。ジェロ、急いでそこへ向かって」

「?」

 不審そうな顔のまま、ジェロが首を傾げた。

「ダンテに預けた物があるの。それを受けとって」

「それはなんだ?」

「見ればわかるわ」

「どういうことだ?」

「とにかく避難場所に向かって」

 私はジェロに言い放ち、採譜台にある解読文書を見つめた。


 レオが描いた暗号ネウマ譜を解読しなければ……。

 その一心で必死に解読文書の内容を確認した。

 

「説明してくれ」

 ジェロは納得できないのか説明を求めてくる。

「ダンテに会えばわかります。急いで!」

 解読方法を考えながらジェロに説明した。

「なにがなんだかさっぱりわからない」

 いらだち混じりにジェロが怒鳴った。


「私がパッツィの娘だから信じられないの?」

 視線を解読文書からジェロに移動させた。

「いや、そういうわけじゃないけど……」

 私の言葉と視線に驚いたのか、ジェロに動揺が走ったのがわかった。

 それを目にした瞬間、後悔が襲ってきた。


 ジェロは悪くない。

 悪いのはお父さまと私。

 

 ジェロの言う通りだ。

 説明しないとなにもわからない。 

 

「お父さまは外敵のスパイだったの」

 少しの迷いもなく、私は真実を告げた。

 それを聞いた途端、ジェロの表情がわかった。

 困惑している。

「ほ、本当か、それは……」

「事実よ。その証拠となる物をダンテに預けました」

「証拠って?」

「外敵に送った密書と解読文書よ」

「!」

 ジェロは目を見開き、私をじっと見つめた。


「お父さまは今日、この騒動を利用して外敵に侵攻するよう促す密書を送ろうとしていたの」

「なんだって⁉︎」

「私はその密書を奪ってダンテに渡しました」

 密書が外敵に渡っていないと知り、ジェロはほっと胸を撫でおろしている。

 次の瞬間、はっとしたようは表情をした。

 心を探るようにじっと私の目を覗きこんでくる。

 

「ダンテからそれを受けとって、俺はどうすればいい?」

 とても静かな声でジェロが聞いてくる。

「あなたに全て任せます。だけど……」

 私は深いまばたきをした。

「だけど?」

「できれば、お父さまを糾弾きゅうだんして権力を奪ってください」

 覚悟を決め、私は要求を述べた。

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