父の忘れ物

津多 時ロウ

父の忘れ物

「お父さん、私が誕生日にプレゼントした電気シェーバーどうしたの? いつもの場所に見当たらないんだけど?」


「ああ、あれか。悪い悪い。あれなんだけどな、お父さんまた失くしちゃって、どこかに置き忘れてしまったのかも知れないなあ」


 出勤前、若さに任せた形ばかりの化粧の最中。ふと洗面台の棚に違和感を感じれば、いつもの存在感の主がいないことに気が付いた。それを問えば、返って来たのは申し訳なさそうな父の表情。


 私の父は物をよく失くす人だった。

 社会人になって初めて貰ったボーナスで買った高いネクタイ、今年の誕生日にプレゼントした電気シェーバー、去年の誕生日プレゼントの見栄えの良い腕時計、その前の年にプレゼントした革靴……。数え上げればきりがない。


 物書きを生業なりわいとしている人は、他の職業よりも物を失くしてしまう人の割合が高いというような話をどこかで聞いたことがあるが、私の父がまさにそれだった。一戸建て3LDKの間取りの1室を書斎と称し、文字の大海原にダイブする。時間も、物も忘れて。

 でも、私が子供の頃はここまで酷くなかったはずだ。父の日に渡した肩たたき券を、律儀にも最後まで使い切るほどだったのだ。父が物をよく失くすようになったのは、いつ頃からだったろうか。思えば、母が早くに亡くなってしまった頃から始まったのではないか。


 40代も半ばだった母は、私がまだ中学生の頃、或る日突然いなくなってしまった。父も私もそれはショックで、父などは葬儀が終わるや倒れてしまい、数日間の安静を余儀なくされたほどだった。


 そうだ。やはりあの頃から父はどうにも曖昧になってしまったと私は思うのだ。曖昧になったのは、仕事に対してではなく、私に対してでもなく、生きる事や物に対してである。

 それでも、親としての責任感からか、男手一つで私を大学卒業まで育て上げてくれたのだから、それだけの収入を得られる仕事はこなしていたのだろう。だが、私が無事に就職し、安定した収入を得られるようになってからは、どうも仕事の数も減らしているフシがある。


 いずれ、何かの弾みに昔のような父に戻るだろうと、私は目の前の仕事を頑張っていたのだが、そんな或る日、仕事を終えて帰宅した私に、父が怯えた顔で言い放った。


「あのう、どちら様でしょうか?」



 ――あれから10年。


 体ばかりは元気だった父も、脳梗塞で倒れ、長い闘病生活の末に旅立った。


 参列者の少ない葬儀の翌日、気持ちと遺品を整理するために、父の書斎を片付けていると子供が一人収まりそうな大きな段ボール箱が、机の傍らに無造作に置かれていた。執筆の資料かと中を開けてみると、目に飛び込んできたのは、まだ私が幼い頃の家族3人の写真、母が大事にしていた洋服、高校の卒業式で父と一緒の写真、私が初めてのボーナスで買ってあげたネクタイ、私が誕生日にプレゼントした電気シェーバー、私が買ってあげた腕時計、私がプレゼントした革靴……。


 そっと箱を閉じれば、目に留まるのは小さく書かれた「天国へ持っていく大事な物」の文字。


 私の父は物をよく失くす人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

父の忘れ物 津多 時ロウ @tsuda_jiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ