第3話 お清め
(三太は勢いよく、めしやの暖簾をくぐると)「おう、オヤジ、酒くれ! 兄ィ、そのままでいいか?」
「いいね。すぐ飲みたいね。」
「そうか。オヤジ、そのまま持ってきてくれ!急いでくれよ。」
「へーい、只今。」
めしやのオヤジが勝手場へ酒を取りに行くと、二人は空いている席にサッサと座り、酒が来るのを待ちますが、三太はソワソワして落ち着かない。
いつお稲荷さんの祟りが、降りかかって来るか分からないのですから、無理もない。
「兄ィ、俺はホント、知らなかったんだよ。悪気はなかったんだ。これっぽちも、これっぽちも、お稲荷さんのモノを盗もうなんて考えてなかったんだぜ、兄ィ。」
8泣くつくように、三太は与助に話す)
「分かってるよ、そんなことは。オマエが、そんなヤツじゃねぇってのは、この俺が良く分かってる。心配すんなって。」
「本当かい?俺は大丈夫なのかい?悪いことは起きないのかい?」
「あー大丈夫だ。俺に任しとけ。」
(与助は自信たっぷり、余裕の表情9
「兄ィ、前にもいたんだろ?俺にみたいに、お稲荷さんから、石、持ってきちまったやつが。」
「?]
「さっき言ってたじゃねぇーか。徳と、留とか。」
「あぁ、そうそう。留かな。」
「かな?」
「んーそうそう、留な。アイツはホント、運が良かったよ。俺がいなかったら、どうなっていたことか。考えるだけでも身振りするぜ。」
「兄ィ、一体、どんな悪ことが起きるんだ?」
「おい、おい、おい。そう慌てんなって。それを言うにも、まず体を清めてからじゃねぇと言えだろ。穢れをキレイに流してからじゃねえと。」
「…まぁ、そうだな。兄ィの言う通りだ。」
「そうだろ。俺に任しておけば大丈夫だから。心配するなって。おい、オヤジ!酒!」
勝手場からオヤジがお盆に乗せた御銚子を二本持って来て、三太と与助の前に置く。与助が
「何だい?」
「何だいじゃねぇよ。お酌だよ。お酌。」
「俺が、するのかい⁉」
「あたりめーじゃねぇか。俺が今からお稲荷さんに話をつけようとしてるんじゃあねぇか、それなのに石を持って来たお前が、ボーっとしててみ、お稲荷さん、気分悪くするぜ。“何だ、あの態度は、許せん!”っていう風になってみろ、お稲荷さんの祟りが、四方八方、雨嵐、年末年始、子々孫々、お前についてまわるぞ。たしか、留のやつも…。」
「分かった、分かったよ。やめてくれよ。まぁ、たしかに、俺が石持ってきちまったんだからな。迷惑かけた兄ィにそれぐらいはしないとな。」
「そうよ。それこそバチが当たるというものよ。良かったぞ、俺のバチで。ついてるよ、お前は。」
「なんだか、よく分からねぇーな。」
(三太がお酌すると、その酒を与助が一気に飲み干す)
「いやーウマい!只酒はウマい!」
「なんか言ったかい?」
「いやいや、お稲荷さんがウマいって、喜んでらしゃっるってことだよ。」
「それで教えてくれよ兄ィ、この石持って来ると、どんな悪いことがあるんだよ。教えてくれよ兄ィ、俺、コワくて、コワくて。」
「安心しろって。心配することはねぇーんだから。万事、俺に任せておけよ。」
(そういうと、与助は御猪口を三太の顔の前に出す)
「本当に大丈夫かい?」と言いながら、三太はお酌をする。
「それで、その留って人は、どうなったんだい?」
「どうなったって、何が?」
「何がじゃあねぇーよ。兄ィが助けた後だよ。」
「あーあーそういうことか。助けてくれたお礼にって、毎年、ちょいとばかりの
「金子をかい?」
「そりゃあそうさ。なにせ、命の恩人だからな。いや、俺はいいって言ったんだよ。言ったんけどな、どうしてもって言うからさ。」
「まぁ、そうか。」
「そりゃあ、やっぱり命の恩人にお礼をするのが人の道ってものだけどな。でも、俺はいいって言ったんだよ。言ったんだけど、どうしてもアイツが、命の恩人にお礼したいって、金子をね、置いて行くんだよ。律儀なヤツだよ。俺が、命の恩人だからってさ。」
「やけに、強調してくるね。」
「大丈夫だよ。心配するな。この命の恩人に任せておけば。」
(手酌酒をはじめる与助)
「兄ィ、酌しなくていいのかい?」
「めんどくせぇ。」
「めんどくせぇ‼」
「いいんだよ、大丈夫だよ。万事上手く行くから、任せておけよ。…でも、あれだな、飲んでると、何か、食いたくなってきたな。」
「食うのかい⁉」
「当たりめぇーじゃなぇーか。俺が食いたいじゃねぇーんだよ。お稲荷さんが食べたいと仰ってるんだよ。分かるかい? そういや、留のヤツのも…。」
「分かった、分かったよ、頼むよ。だから、コワいこと言わねぇーでくれよ。それで、何、頼むんだい?」
「油揚げ。」
「油揚げ?」
「そうじゃねぇーか。お稲荷さんの使いは狐だよ。そのお狐様が好むのが、油揚げだろ。」
「まぁ、たしかに。」
「だろ。ここは狐様に間を取り持って頂き、お稲荷さんに話をつけてもらうって寸法よ。」
「なるほど。」
「味方は多い方がいいじゃねぇーか。そのための油揚げだ。」
「言わば、付け届け、みたいなものか。」
「何で三太、分かってきたじゃねぇーか。少しずつ浄化してるぜ。」
「本当かい?」
「おぉ、あたぼうよ!」
(三太は満面の笑みで)「オヤジ!油揚げ二つ!いや、それじゃあたりねぇーな。付け届けだからな。オヤジ!あるだけ持って来い!」
「おいおい。そんなにいらねぇーよ!食うのは俺なんだから限りがあるだろ。そんなに食ったら油まみれになって、体に火が点くぜ。」
「兄ィ、そんなことできるのか?」
「できねぇーよ!できるわけねぇーだろ。どこの世界に油揚げ食って火点くヤツがいるんだよ。例えだよ、例え。モノの例え。」
「そうなのかい。俺はてっきり、浄化されて火が点くのかと思った。」
「死んじゃうじゃねぇーか。何でお前のために俺が燃えなきゃいけねぇーんだよ。勝手に殺すな。二枚でいい、二枚で。頼め。」
「オヤジ~、二枚でいいや。二枚。あっ、二枚って言っても、できるだけデカいヤツ二枚な。畳一畳分のってあるかい?」
「どうしても、俺を燃やしてぇーんだな。」
(与助は三太の顔をマジマジと見ながら)「しかし、おめーも変わってるな、所帯を持ちてぇーなんて。」
「何でだい? 一人前になれば、持ちてーと思うものだろ。兄ィも持ってるじゃねーか。」
「持ったっていいもんじゃねーぞ。最初だけだぜ、“アンタ”なんて甘い声で言ってくれるのは、
「金は取られてねーだろ。」
「一緒だよ、あんなもの。…オヤジ!湯呑でくれ!」
「やけになってどうすんだよ、兄ィ。」
「うるせえ!そんなに欲しいなら、ウチのかかあくれてやる!」
「イヤなこった!お古なんていらねーよ!俺は新しいのが欲しいんだ!」
「生意気言ってんじゃねぇ!お前が大工になった時、俺のお古のトンカチ貰って喜んでたじゃねぇーか!」
「トンカチと一緒にするねぇ。」
そこに、こんがりと焼けた油揚げが出て来る。
「ヘイ、お持ち。」
「来たよ、来たよ。どうだい、三太、この醤油の焦げた匂い。ヨダレものだろ。そしてこの色。コンがり焼けて、美味そうじゃねーか。キツネだけに。」
「兄ィ、酔ってる?」
「酔っちゃいねーよ。お稲荷様がお喜びになっているんだよ。そんなことよりお前も食えよ、この油揚げ。えーどうだい、こんがり焼けて、厚みがあって、美味そうじゃねーか!んっ!これは美味い!」
「兄ィ、まだ食べてねーじゃねーか。」
「いいんだよ。美味いの前借だよ。」
「なんだそりゃ?」
「たくっ、お前は通じゃないね。美味いものは食べる前から美味いんだよ。舌に乗る前から、ジュッワっと味が染みて来るんだよ。」
「ジュッワっと。」
「そうだよ。ジュッワっと。」
「舌に?」
「あたりめーだろ。足の裏に染みてどーすんだよ。」
「…言っている意味がわからねー。」
「なんだよ、粋じゃないね。乙じゃないね。お稲荷さんもガッカリだよ。」
「なぁ、兄ィ、そんなことより教えてくれよ。お稲荷さんの祟りって、どんな祟りなんだい?それを聞かないと、俺はもう、どうにかなりそうなんだよ。後生だから教えてくれよ、兄ィ。」
「まぁ、待て。そんなに慌てるな。物事には順番というものがあるんだ。まだ俺は、清められてねぇーから、まぁ、落ち着けって。」
「でもよ~、兄ィ~。」
(すがるように頼む三太を尻目に、与助は吞気に油揚げを食べ)「うん。いいね、この油揚げ。厚みがあって、歯ごたえがあるよ。ん?もしかして、この油揚げ、まさか!」
(グイっと酒を飲み)「酒と合うじゃねーか!クソ~、ここのオヤジ、もう一杯俺に飲ませよーって算段だな?よしッ!分かった。オヤジが、そう来るなら、こっちも江戸っ子だ、売られた喧嘩は買うぜ!オヤジ!矢でも鉄砲でも、お銚子あと三本持って来い!俺は逃げも隠れもしねぇーぞ!こんちきしょう!」
「酔っ払う気じゃねぇだろうな!勘弁してくれよ、兄ィ。(オヤジの方を見て)オヤジも何、喧嘩売ろうとしてんだ。なんだ、襷掛けまでしやがって、いいんだよ、酒持って来なくて!本気にするんじゃねぇーよ!兄ィ、俺はマジなんだぜ。本当に祟りに遭うんじゃないかって、思っているんだぜ。」
「洒落だよ。洒落。お稲荷さんは洒落が好きなんだよ。知らねぇーだろ、お前は。お稲荷さんの洒落好き。」
「まぁ、知らねぇーけど、(疑いの目で)兄ィ、本当に祟り、知っているんだよな。」
「三太、それは悲しいぜ。俺をそんな風に見ていたなんて、俺は悲しいよ…そう言えば、留のヤツもそんなこと言って、最後には…。」
「ちょ、ちょ、ちょ。分かった、分かったよ。分かったから、留の名前出さねぇーでくれよ。何だか、お稲荷さんの祟りより、留の方が怖くなってきたよ、やめてくれよ。悪かったよ。」
「分かってくれりゃいいんだよ。なんだな、油っこいもの食ったから、さっぱりしたものが欲しくなったな。おう、三太、漬物 頼んでくれ。」
「まだ、食べんのかい?」
「なんだ、その言い草は、俺が食いてーって言っているんじゃねぇーんだぞ。お前のことを思って、お前に祟りの恐さを教えようと思って、己の身を犠牲にしてるっていうのに、あーお前と来たら、あーそんな目で俺を見るなんて、」
「でもよ。」
「そう言えば、留も、」
「分かったよ!分かったよ!頼めばいいんだろ!…ったく、オヤジ!漬物くれ!」
(嬉しそうにオヤジが)「ヘイ!三十皿でいいですか。」
「そんなに、いらねぇーよ!誰が食うんだよ、三十皿も。喉カラカラになるだろ。」
(腕まくりして、オヤジが)「喧嘩なら、いくらでも売りますよ。」
「いいんだよ。売らなくて。一皿でいいんだよ。一皿で。何勝手に盛り上がってんだ。そんなもの買うわけねーだろ!いいから早く持って来いよ!こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ!油売ってなーで、早く持って来い!」
(またまたオヤジは嬉しそうに)「今度は油を御注文で?」
「なんで、お前の店から油買わなきゃいけねぇーんだよ!油買うなら、油屋から買いうだろ!めしやだろ、お前んとこの商売は。」
「ヘイ。表の提灯に、そう書いてあります。」
「分かってるよ、そんなことは。だから入ったんじゃねーか。酒、注文しただろ?
分かってるか?オヤジ。油を売るって言ったのは、オヤジの方だぞ。」
「そりゃ、旦那の方でしょ。油売って持って来いって」
「俺は、油売ってないで、持って来いって言ったんだよ!何で都合よく間違えるかな、このオヤジは。今まで、油売ってくれって言った客、いたか?」
「旦那が初めてで。変わったものを注文されるなーと。油売ったり、喧嘩売ったり、うちにはないものばかり、ご注文されるので。さっきは畳一畳分の油揚げ作れっていっていたじゃないですか。」
「それは俺が悪かった。畳一畳は俺が言った。すまねぇ。」
「大きい鍋買って来るところでしたよ。喧嘩売ったり、鍋買ったり、今日は忙しくて。」
「それは俺が悪かった。でもいいか、よく聞けよ、オヤジ。つけもの、漬物持って来い。あぶらじゃなくて、漬物。」
「ヘイ。分かりました。油揚げ一丁!」
「表出ろ!その喧嘩買ってやるよ!」
「うるせーな!何、大声出してんだよ。いつ来るんだよ、漬物は。」
「あのオヤジが、まったく融通が利かないもんで。」
「静かにしろよ。お清めの最中だぞ。」
「兄ィ、スイマセン。」
オヤジが漬物を持って来る。「ヘイ。お待ち。」
「そうだよ。これだよ、これ。漬物。やればできるじゃねーか。訳の分からないこといいやがって、漬物一つ頼むのに、喉枯れちまうぜ。たっく、あのオヤジは。兄ィ、漬物、来ました。」
「おう。食わせてくれ。口の中が油こくってしょうがね。」
「(小鉢の底を見て)あっ!漬物の下に油揚げ敷きやがった!あのオヤジっ!」
「いいから、早く食わせてくれよ。貸せ!」(三太から小鉢を奪い取り、食べる。)
(食べている与助を見ながら)「ところで兄ィ、その留ってヤツは無事だったのかい?無事だったんだよな?今でも生きてるんだよな?」
「えっ?あー、もちろんよ。祟りがどんなものか知っとけば、何の心配もいらねーからな。転ばぬ先の杖ってやつだ。あーアイツも俺がいて良かったよ。きっと今頃、草葉の陰から喜んでるだろうな。」
「死んでんじゃーねぇーか!」
「間違えてんだよ。口がツルっと滑ったんだ…何で、この漬物、油っこいんだ?(小鉢の底を見る)あっ、下のに油揚げ敷いてあるじゃねーか!これで、滑ってんだな。」
「何をバカなこと言ってんだよ、兄ィ。いい加減、教えてくれよ。俺はもう気が変になりうそうなんだよ。頼むよ、兄ィ、どんな祟りに遭うのか教えてくれよ。頼むよ。」
深々と頭を下げ、懇願する三太。
(その姿を見て、膝をポンと一つ打ち)「よし!分かった。もう、そろそろ浄化された頃合いだから、言ってもいいだろう。」
「本当かい⁉ 恩に着るよ、兄ィありがとう!」
「まぁ、頭を上げろよ。かわいい弟分を助けるのが、俺の役目だからな。」
(身なりをちゃんとしながら)「兄ィ、お稲荷さんから石を持って帰ると、どんな祟りがあるんだい?」
三太は真剣な眼差しで、与助を見つめる。
与助も三太の真剣な眼差しを見つめながら、言い放つ。
「こんな風に、たかられるから気を付けろ。」
完
お稲荷様の石祟り つねあり @tuneari
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