画数
佐伯 安奈
画数
明治維新後、江戸は新政府によって「東京」と改名された。天皇が西の京、即ち京都から東へ移動し、江戸が新しい「京=みやこ」となったことを表す地名である。
ところで改名された当初、この「京」のなべぶたのすぐ下の「口」の中に「一」を付け加えて「日」とする書き方が併用されていたらしい。というのも、東京には日本で一番地位の高い「一の人」、つまり天皇陛下がいますからだ、という理屈だったそうだ。これは宮武外骨が自著の中で論じているが、確か外骨はその説を自分で紹介しておきながら論駁し、何か別の理屈を開陳していたと私は記憶している。
ところで
ただそれだけのことであるらしい。吉水氏の画数へのこだわりに、別段占い的要素はない。つまりはその画数の総和が「割りきれる数字」かそうでないか、ということに吉水氏の関心は注がれているのである。氏にこういう関心を抱かせたきっかけが何であったか、もはや本人にも不明確であるらしいが、氏の半生を客観的に辿り直していけば、「世の中は割りきれないことだらけだ」と嘆いていた3番目の義父の後ろ姿を、アイスをかじりながら無言で見つめる幼い吉水氏の姿を見出だすことは難しくないだろう。
さて、「東京」の総画数はどうか。
いち、にい、さーん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう、じゅういち、じゅーに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく。
良かった。これは偶数であった。
しかしである。もし宮武外骨の指摘するように、「京」の「口」の中に「一」が入っていたとするならば、「東京」は総画数17画となってしまう。奇数である。これは嬉しくない。この表記が定着しなかったことを吉水氏は密かに嬉しく思う。
吉水氏はしばしば暇を持て余す時間に、氏にとって馴染みの深い熟語の総画数を思い浮かべては、それが偶数か奇数かを確認している。時間を20秒なら20秒と定め、その間に出てきた複数の熟語のうち、奇数の語が勝るかはたまた偶数か、吉水氏にとっては究極の二択を設定して一人で楽しんでいる。
今日は15秒としよう。
それでは。「陰惨」、「不埒」、「微妙」、「過褒」、「怪訝」、「頓挫」、「棄却」、「冷笑」、「落伍」、「胡乱」、ここで15秒。尾張。違う、終わり。
さて、陰惨、22画。不埒、14画。微妙、20画。過褒、27画。怪訝、20画。頓挫、23画。棄却、18画。冷笑、17画。落伍、18画。胡乱、16画。すると偶数7、奇数3か。偶数の圧勝。パチパチパチ。だが奇数に勝ち目がなさ過ぎる。あまりに差をつけ過ぎての勝ちでも、いずれ報復があるのではないか。吉水氏の苦手とする23だの41だの割りきれない総画数ばかりの熟語となったら悲劇的だ。
と言ってもどの熟語の組み合わせなら奇数になるのか、偶数になるのか、数えてみなければ誰にもわからない。だから吉水氏一人にとっては、なかなかヒヤヒヤものの「遊び」なのである。
吉水氏は今日、いつもと違う道を歩いて帰宅している。2週間に一回程度の気まぐれの発動である。おや、こんなところに踏切が。吉水氏は長いことこの町に住んでいるが、その踏切に出くわしたのはこれが初めてのことであった。カンカンカンともランランランともつかない警報音が、電車の接近を告げている。いつもの癖で、吉水氏はどこかに漢字はないかと目で探した。
「三里堂踏切」
実は全国の踏切には全て名前がついており、大体遮断機の根元にある礎石にそれが書いてある。ここの踏切はこういう名前らしい。
三里堂、21画。踏切、19画。しめて40画なり。安心の偶数である。吉水氏は通過していく電車に向かって軽く鼻を鳴らした。
しかし、しかしである。踏切は19画。奇数だ。そして全国の踏切には全て「○○踏切」と固有の名前があり、その○○の総画数が常に奇数になるとは限らない。では総画数が奇数になってしまう踏切など、ちっとも珍しくないではないか。何と割りきれないことか。吉水氏はクラリとよろめきかけた。
そこへ吉水氏の脳裡に神様の使いのようにふとやって来たのが作曲家・山田耕筰の名前である。実は彼の名前はもともと「山田耕作」であった。しかし、加齢と頭の使いすぎでか、次第に彼の頭頂部の皮膚には直接風が当たるようになってしまったため、せめて名前だけでもふさふさであれ!とばかりに「作」の上に「ケ」を二本生やしたのである。とは言え山田耕筰の肖像と言えば眼光の鋭いスキンヘッド姿がもっとも有名だ。むべなるかな。
つまり吉水氏はこう考えたのだ。「踏切」の字に一本付け足して総画数を偶数にしてしまえば悩みは解決する、と。
いや、正確には(そんな勿体振らなくても当たり前のことだが)解決などしない。算数の苦手な吉水氏もさすがにすぐ気づいた。たとえ「踏切」に一画を与えて偶数にしたとしても、頭の「○○」の部分が奇数なら同じことだからだ。
それでも人情として、せめて「踏切」だけでも奇数にしてやりたいではないか。かつて東京の京の字の真ん中にも一本棒があったのだ。踏切だって晴れて二十画になるために、どこかに一つ付け足したって文句は言われまい(国語審議会は言うかもしれないが)。それに踏切の機能や構造自体に何の影響もないではないか。ちょうど山田耕筰が名前に毛を生やしたところでご当人の頭はますます肌色の面積が増していったのと同じように。
それでは「踏切」のどこに一画を付け足すべきか。「切」の四画目に一本はらいを入れれば「刃」となり、これはあまり見た目には目立たないだろう。いや、三画目の外に一つ短い点をうって、ちょうど「梁」のさんずいを除いた上のつくりのようにするのも一考の余地がある。「踏」の方はどうか。一見これ以上手の加えようのない字形であるが、例えば右のつくりの部分の「水」に点を加えて「氷」にするという古典的手法は十分可能だし、「日」を「田」にしてしまうのも難しくはない。「足」の「口」を「日」にしてしまうのも悪くはない。いっそのこと、「足」の五画目の横棒の下にもう一つ横棒を付け加えてしまおうか。その方が両手をふって走っている感じが出そうだが。いや、しかし「踏切」とは今の自分のように、通過していく電車を待つために「足止め」される場所だから、「走っている」感覚は別段不要であろう・・・。
吉水氏は、どこに一画付け加えるかはともかくとして、踏切の脇にある例の礎石に一つ一つその一画を書き加えて、「踏切」を20画に仕立てあげるという願望を果たしたいのだと言う。
「もう数年前のことですが、当時の職場へ向かう途中のある歩道橋が「拳王坂歩道橋」という名前だったんです。お気づきかどうか知りませんが、踏切同様、歩道橋にも全て名前がついていて、大概道路から見て正面の欄干のすぐ下のところに書いてあるんですね。その歩道橋は「けんおうざか」か、それでも「けんのうざか」とでも言うのでしょう。ところがある時から、その字に何か違和感が起き始めましてね。よく見ると、「王」の中に点がうってあるんですね。つまり「ケンダマ坂」となっていたわけですよ。どこのヒマ人がどうやってあんなところに書いたのだか。大方ペンキかスプレーを一瞬なすったか吹きかけたのでしょうが、恐らく長いこと書き加えてみたくてうずうずしていたと見えますね。夜中の人や車の少ない時間に決行して、ひっそりとカタルシスを味わっていたのでしょう。私もその誰かがやったのと同じようにして、「踏切」の字に一字足して回りたいものですね。」
ここまでが吉水氏の画数にまつわるこだわりの話となるわけだが、無論吉水氏の望みを叶えるためには数々の困難が立ちはだかっていることは明白である。
まず全国に手に負えない程ある踏切の礎石の全てにどうやって一画を付け加えるのか。人員は?決行のタイミングは?ペンキかスプレーか、小さく切ったフェルト生地でも貼り付けるのか?途中で鉄道会社の保安当局に見つかってしまったら、どう弁解する?
しかし吉水氏がこれらの疑問に答えることも、そして「踏切」に一画付け足すという願いを叶えることも、共にないだろう。氏はそれから程なくして、ある突発的な事件に巻き込まれ、私たちの手の届かないところへ行ってしまったからである。
ところで吉水氏は自分の名字の総画数が偶数の十文字になることを当然ながら喜んでいた。そしてそこに「氏」を付け加えると十四文字になり、引き続き偶数を維持することにも満更でなかったらしい。しかし下の名前の総画数は遺憾なことに奇数なのだそうで、それがために氏はこの自分の名前を気に入っていなかったらしく、私には教えてくれなかった。
画数 佐伯 安奈 @saekian-na
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