後半

 私は輪ゴムを取り外した。それもやはり劣化しておりぶちんと切れた。束はそれでも塊としてくっついており、私は突然の風で飛ばないように、そこから慎重に一枚剥ぎ取った。

 封筒は可愛いキャラクターのシールで封されている。これは小学校高学年の頃の趣味だろう。当時、彼とは通学路でたまに顔を合わせる程度の仲だったはずだ。会話などあろうはずもない。彼に関するエピソードは一つもない。思い出せない。


 封を解くと、中からせてはいるものの奇麗な便箋の端が顔を出した。私は恐る恐る封筒からそれを出し、三つ折りになっているそれを開いた。子供のころの文字が列になって私の目に飛び込んできたので、顔を背けてまた三つに折った。私はご先祖の墓の前で、羞恥で身もだえし、狂人のような声を上げた。

 

 文字は読んでいない。昔の私は、小学生ながら、随分と奇麗な字を書いたものだ。でも読んでいない。でもでも、何を書いていたかは思い出した。おそらくきっと、自分に興味を持って欲しくて、習い事のピアノの発表会があるとかそんなことが書かれているはずだ。子供は恐ろしい。その全能感が恐ろしい。羨ましくはない。それはしつけられて矯正されるべき全能感だ。

 文字を判読する前に、便箋や文字列の雰囲気で記憶が喚起された。私は、思い出した記憶と、次の封筒の雰囲気から、その、次の封筒の中に、何が書かれているのかも思い出した。書かれている?書いたのは私だろ。書いたのを思い出したのだ。それは小学校6年生の秋、9月頃だ。台風の中、停電した自室で、蠟燭ろうそくを頼りに書いたラブレターだ。そういうことをしたい年頃だったのだ。そこまで思い出すと、何を書いたのかも思い出す。暗い夜は楽しい、あなたと一緒にこの町の中、夜の中、過ごしていると思うと嬉しくなる。あなたも蝋燭の明かりに嬉しくなったりはしませんか、とかなんとか書いてあるはずだ。ああ、少女よ!


 こんなものが私の手の中に、それなりの重量として存在していることにゾッとした。何としても燃やさねばならない。火山の火口に放り投げねばならぬ。心を持っていかれる。私は都会の大学で学ぶのだ。英文学とか、そういうのを。


 かまどの火は消えていた。新聞紙は煤になり、枯草も奇麗に燃えてなくなっていた。薄い煙が真っすぐに立ち上っていた。何かを燃やしたことが実家からでも見えるだろうか。誰かが慌てて山を登ってくる可能性はある。山火事や私を心配して。そう思うと、急に現実に引き戻された。私はまた新聞紙を絞って重ね、かまどの真ん中に一束の封筒を置き、マッチをすり、火をつけた。


 それはまた簡単に火が付いた。ぱちぱちと静かに燃えている。私は、残りの束も火にかけた。ゆっくりと火が乗り移っていく。冬の日の炎は舐めるように紙を焼いていく。印刷された可愛いキャラクターが火の中で黒く焦げ、灰になる。私のラブレターもその奥で焦げていく。愛とか恋とか好きとかの文字が、私の名前と彼の名前が、この世から消えていく。時代によって異なるインクが、煙と悪臭になって周囲に立ち込める。

 中学時代は紫色のペンを愛用していた。公文書や条約の締結は、その色で署名をすると聞いたから。何だそれは?それがラブレターを紫色のペンで書くことの理由になるのか?ラブレターを男女の条約締結のための書類だと思っているのか。逆に面白い!もう!


 *


 炎は喜ぶようにして束を飲み込んでいた。私は水筒を用意し、想定外の延焼に備えた。一口二口、水を飲み、箱の下に置いたままだったポエムなノートを拾い上げた。封をされていないそれは、ノートという形状であることだし、抵抗なく、油断しきった私にページをめくらせた。


 目に飛び込んできたそれについては、ここでは語るまい。それは私にとっては当然暴力であり、私以外にとっても暴力なのだ。それは共感性羞恥を持つ全人類を襲うだろう。とんでもない感染力だ。思春期の思考回路が生み出したウイルスが、インターネットを通じて全世界を赤面させることすらあり得るのだ。


 私は羞恥に悶えつつ、たき火の熱による汗なのか冷汗なのか分からないが、汗だくとなってノートのページをめくっていた。また水を飲み、幼い頃の自分に悪態をつきつつ文字を追うと、高校一年生の頃のノートに、これも紫色のペンで、ある和歌がメモされていた。それは私の目を止めた。


 わが恋はみ山隠れの草なれや

 しげさまされど知る人のなき


私が産んだものでない詩。安心感があった。

この後には、このような私の注釈が続いていた。


 自分の恋心は、深い山の草のように生い茂っているけれど、誰もそれを知らない。

 素敵!


 私はこの和歌を誰から聞いたのか、それとも何を読んで知ったのかを思い出せない。ノートにも肝心なことが書かれていない。出典をはっきりしてほしい。

 後で調べたら、『古今集』の歌だった。作者は小野美材おののよしき

 高校一年生の頃の国語の先生は、古典文学が性愛に満ちていることについて一家言ある人だった。教科書そっちのけで、チャイムが鳴ってから次のチャイムが鳴るまで、『とはずがたり』の話を延々とする人だった。あの先生なら、授業中の雑談として、この和歌を紹介することもあり得ただろう。

 そして当時すでに片思いのベテランであった私が、この和歌に食いつくのも当然のことだったろう。この歌は、まさに私のことではないか、と。


 この頃のノートの文字は、今の私の文字と遜色ない。メモの取り方や、文字の配分なども、今の私そのものだ。今の私の好みに合う、とも言える。時代が近い。疑いようもなく私がそこにいる。今の私がこの和歌に目を止め、当時を思い出そうとしているのがその証拠だ。今の私も、これを読んで「素敵!」と思わなかったと言えば嘘になる。


 そう、嘘になるのだ。


 私はノートをそっと閉じ、他のノートと合わせて火にくべた。勢いが弱くなっていた炎は、追加の紙が降ってきたため、それを飲み込んでまた大きくなった。便箋や封筒とは違う臭いが立ち込める。

 恥ずかしさのあまり、過去の自分を他人のように扱っているが、それはもちろん嘘なのだ。

 私はしゃがみ込んでそれらが燃えるのを眺めた。煙はかまどの近くでこそ膨らんでしまうが、空に近付くほど、それは驚くほど真っすぐに伸びていった。

 その嘘は、今の私が必要としているのなら、それでいいような気がした。そんなことを考えている間にも、ラブレターやノートは燃えていくのだが。


 この山は深山ではない。それでも、あの歌を歌った歌人ほどではないにしろ、それなりに多くの草を隠し持っているだろう。

 これは私の人生の半分だ。寝ても覚めても片思いだった。

 私の恋は誰も知らない。家族も友人も知らない。彼も知らない。夢にも思うまい。

 燃やしたからにはこれまでだ。過去の私を知るものはいない。私もじきに忘れるだろう。いや、忘れはしないまでも、小さな思い出となるだろう。あと何度、寝る前に「ああああああ」と悶えなければならないかは知らないが。


 煙は私を泣かせはしなかった。風が吹いていないのだから、距離を取れば済む。

 自分の書いたものも、同じような理由で私を泣かせることはなかった。


 ラブレターとポエムは灰になった。私は完全に燃え尽きて、文字が読めなくなったことを確認した。「好」とか「恋」とかの一文字も生かしてはおけなかった。私は自然に鎮火したかまどに足先を突っ込み、二度と復元できないようにと灰をかき混ぜた。そして水筒の水を注ぎ、完全に火が消えたことを確認した。

 私はほっとため息をついた。日は高く、まだ昼にもなっていない。完全犯罪を完遂したかのような気分。脱ぎ捨てたパーカーを拾うとその場を後にした。


 *


 帰りの山道もぬかるんでいた。私は転ばないように慎重に山を降りた。誰ともすれ違わなかった。静かな山。それに空。終始風はない。外界はどこも、常に静かだった。仕事をやり遂げた私の心も静かだった。それは決して放心ではなく、安堵だっただろう。


 山を降り、神社の脇の砂利道で、砂利を踏む音が聞こえた。自分のものではない。誰かがいると思ったら、それは愛しの彼であった。


「あれ、山岸じゃん」


と彼は言った。白い毛糸の帽子、同じ色のマフラー、着古したジャンバーには黄色い星のワッペン。ジーパン。藍色のスニーカー。手袋はしていない。手ぶら。彼一人。

 私はリュックのショルダーベルトを両手でぎゅっと握りしめ、速足で彼に駆け寄った。


「どうしたの、赤城くん。こんなところで」


「山岸さんから、ああ、そこの神社の山岸さんにね、お守りを貰いにきたんだよ。母ちゃんが行けってうるさくてさ」


数カ月ぶりに話をした。相変わらず声が好みだと思った。こんなところで会うのは初めてだった。私服を見たのは一年ぶりか。以前に見かけたのも冬服だった。スニーカーが新しい。見たことがない色だ。泥がはねていないから、慎重にここまで来たのだろう。4月になり、仕事に行くときに履くのだろう。私はそれを見ることはないだろう。

 彼はポケットから貰ったばかりのお守り袋を取り出して私に見せた。私は興味深そうに、くるくると回るそれを見た。何も思い浮かばない。連想したのはユダヤ教のタリスマン。そんな話をここでしても仕方がない。


「お守り袋ってみんな赤いよね」


「いや、知らんけど」


彼は私によく見せる、眉をひそめて困ったような顔をした。私の「ああああああ」の原因がまた増える。いや、これはまだ傷が浅い方だろう。

 私たちは同じ方向に向かって歩き始めた。二人並んで。これは何年ぶりのことだろうか?


「山岸は山に登ってたの?」


「うん。お爺ちゃんたちのお墓があるから、挨拶に」


「大阪の大学だったっけ?頭いいしな。成績いいの羨ましいよ」


「へへへ」


長い付き合い、と言っていいのかは知らないが、彼とのそれなりの付き合いで、彼が謙遜されるのが嫌いなことは何となく知っていた。知っているというか、彼の前ではそうしない方がいいという経験則が身についていた。過去に1回、そんなことがあったのだろう。もう覚えていないし、覚えていないから知っていると言っていいのか分からないのだが。

 彼は褒めているのだ。だから私は嬉しそうにした方がいい。


「山から煙が上がってたけど、あれは山岸がやってたのか」


「え、見えちゃった?」


「いや、ここに来る前に、目の前の山から細い煙が上がってるから、何かなって」


「お墓の枯草を燃やしてたの」


そう言ってポケットに入れたままのマッチを取り出し、カシャカシャと鳴らした。


「そうだろうと思った。煙って、思ったより真っすぐ伸びるんだな」


「私も思った。空に上がるほど真っすぐ伸びるの」


「ね。奇麗だった」


マフラーの向こう側で、真っ赤な彼の頬がにこっと笑った。

 私の胸がぐっと締まった。水も通らないほど喉の奥が閉じたように思えた。私は動揺を隠せず、彼に見せていたかもしれない。あなた宛のラブレターを焼く煙が奇麗だった?


(実は、今までに書いてきたラブレターを焼いてきたの)


(へえ、誰宛の?)


(あなた宛の)


という妄想。そこから先はない。無いことにすら気が付かない、私は。


 私は自分の過去は燃やしたが、確かに自分の手で燃やしたが、この今ここにある恋心は焼き捨てた記憶はない。山の上で焚いた炎で乾いた心に、晴れ渡った冬の小道で、本人が焚きつけた恋がまた燃え上がってしまう。でも、


「そうだったね」


私はそう言った。


 そして二人は別れた。私の実家は山から近すぎた。

 お互いの、卒業後の行く末を話すこともなく。名残惜しい同士がやるような立ち話もなく。彼は振り返りもせずに、寺へと帰って行ったのだろう。だろうというのは、私も振り返らずに庭へと入ったから。


 庭の小屋の中で、私は立ち尽くした。先ほどの会話を思い出して、そして満足した。

 私の恋は、隠すことによってのみ、真実に価値があるようだった。私がそうは思っていなくても、何者かが隠した方がいいと判断し、10年かけて繁茂したそれを現実から隔離し、封じているようだった。


 私はパーカーを元の場所に戻しながら、そんな恋心に、一切成就しない、欲望に届かないそれに、むしろ喜びのような気持ちを抱いていることに気が付いた。私は笑っていた。さっきも言ったが、満足していた。


 よく考えると、あの歌も、「思いが届かないのが寂しい」とは歌っていない。単にそういう恋心が自分の中にある、と歌っている。誰も知らない茂りに茂った恋があるなあ、と、主観的な事実を歌っている。その事実を歌にして楽しんでいる。そこに感情があるとすれば、悲しいとか寂しいではなく、楽しみがある。楽しいから歌にして、選ばれて、記録され、今日まで残っているのだ。素敵!


 私は不思議と納得した。泣くかとも思ったが、むしろ嬉しくなっていた。いや、よく分からない。自分の不甲斐なさが極まって、脳が現実逃避をしたのかもしれない。恐怖に笑顔になるような。よく分からない。でも私の体はやはり嬉しいようで、サツマイモをリュックに入れたまま、玄関までスキップして帰るのだった。

 玄関でわざとらしく大きく吐いた息は、白く、とても大きかった。私は顔の前のそれを見て、もう一度満足するのだった。

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み山隠れの草なれや ババトーク @babatouku

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