み山隠れの草なれや
ババトーク
前半
1980年3月、奈良。月の最初の土曜日に大雨が降った。次の日は晴天に恵まれた。
この日、日曜日、私は歩き慣れた地元の山道を登っていた。背負ったリュックに、書き溜めたノートや便箋を詰め込んで。
*
高校三年生のときだ。卒業後は大阪の大学に通うことになっていた。実家から離れ、親類が管理している部屋で暮らす予定だった。女性の大学進学が珍しかった時代。でも父も母も反対はしなかった。後年、短大との区別がついていなかったと、嘘のような話を本人たちから聞かされた。
実家を離れるにあたり、私の部屋は4つ下の妹が代わりに使うことになっていた。
「もうあんたの部屋じゃないんだから、ウチから出ていく前に、整理整頓な」
日曜日の早朝、母はそう言った。朝食のときだったと思う。
部屋は2階、6畳の和室である。私は言われたとおりに、自分の机や箪笥、押入れをひっくり返し、私物を掘り出した。
小学校の頃に作った粘土細工のペン入れ、水彩画、クリスマスプレゼントでもらったダミー宝石の指輪のセット、ビスケットの空箱、その中に入っていた干からびた花輪、大量の塗り絵、折り紙、一時期クラスで流行して、早々に廃れた少女漫画雑誌、黄ばんだ服、捨てるタイミングを失っていた勉強道具、別に好きでもなんでもなかったが、友人がファンということで付き合いで買った芸能人のポスター。ポスターを巻いてとめていた輪ゴムは、触れただけでボロボロと崩れた。
「全部捨てていい?」
私は押入れに頭を突っ込んでそう叫んだ。母はまだ寝ている父の朝食を用意しながらだろう、好きにしろと大声で答えた。父はどうか知らないが、母は思い出の品というものに頓着がない。写真だけは例外で、要するに、母は家の中を実用的でないもので占められるのが嫌なのだ。
埃まみれの髪を手で払い、思い出と言えそうな私物を片っ端から段ボールへと投げ入れた。捨てるのに躊躇したのは、32色の色鉛筆と、東京土産のキーホルダーだけだ。前者は捨てた。後者は大学生活で使うことになるだろう。
押入れの奥には、一つの箱が置かれていた。金属製の、鍵付きの、大きな手提げ箱である。それには埃が積もっていない。工具箱のようにも見えた。女子高生が持つには無骨すぎたかもしれない。
私は、この中身について、決断しなければならなかった。
実家を出る前に。これを大阪に持っていくか、さっぱり捨ててしまうか。
私はそれの鍵を指先でもてあそびつつ、出窓の下、日に焼けて変色した畳の上に正座していた。小さな箱は冬の朝日に照らされて、鈍い光を放っていた。私が首を傾けると、箱は頭の影に入り、輝くのを止めた。代わりに細かな傷が目立つ。よく見ると鍵穴は傷だらけ、箱の縁は錆びている。一方、手元のチープな鍵は、曲がりもしなければ錆一つない。打刻されているメーカー名は、すり減ることもなくはっきりと読み取れた。
私はしばらく考えた。箱の鍵を開けもせず。じっとしている時間が惜しくなると、ほうきやはたきを手に、自分の部屋を掃除しつつ考えた。
踏み台に上がり、蛍光灯の笠を掃除しているときに決心した。私も母の子なのだろう、捨ててしまうことにした。いや、捨てるだけでは心配だ。回収される前に誰かに見られないとも限らない。燃やしてしまおう。
箱は掃除中も、ずっと畳の上にあって朝日に照らされていた。
箱の中身は、小中高と書き溜めて、結局渡すことのなかったラブレターである。
ある一人の男性に向けて書かれたラブレターである。
*
「ウチ出る前に、爺さん婆さんに挨拶してくるわー」
私は服を着替え、玄関先でそう言った。祖父母は既に亡くなっている。つまり、墓参りに行くということ。
母の、気が抜けた「はーいー」という声が聞こえた。いつの間にか起きていた父が台所から顔を出し、「山道は寒いから、厚着していけよ」とだけ言った。私が返事をする前に、父はさっと顔を隠した。
「してるよー」
と私は声を上げた。
「裏山でしょ。あんなところ、目をつぶっても登れるよ」
そう言って一人で笑う妹の声が聞こえた。一階のどこかにいるのだろう。
確かに裏山は歩き慣れているが、冬のこの時期に登った記憶はない。父や叔父、それに生きていたころの祖父母は、年がら年中登っていたから、登頂が無理ということはないのだろう。実際、父は止めなかった。
昔の私なら、父から「止めろ」と言われただろう。でもこのときはそうならなかった。何となく、父に大人として認められたような気がした。
祖父母の、というか私の一族の墓は、実家の裏山、その山頂付近にある。一族の来し方行く末を、先祖代々、高いところから見守ろうという魂胆なのだろう。確かにそこからは町が一望できるし、親戚はそこかしこにいる。
まさかご先祖も、一族の娘がその目の届く範囲から好き好んで出ていこうとは思わなかったかもしれない。時代は変わる。
その墓の近くに枯葉や雑草を焼くためのかまどがある。コンクリートブロックで凹の字に囲まれたものだ。キャンプ場でよく見かけるやつだ。
それで焼いてしまおうと、そう思った。背負っている通学用のリュックには、箱と鍵。それに学生の頃に書き溜めた、ノートのポエム。
こんなものを部屋に置いたまま実家を離れることはできない。妹に見られでもしたら、この先ずっと笑いのネタにされてしまう。ノートに至っては、今までも鍵のかかっていない本棚に無造作に置いていたのだ。葬るのが遅すぎたくらいだ。
庭の隅の小屋から、野焼き用の軍手や新聞紙、マッチを持ち出した。マッチ箱を振るとカシャカシャと音が鳴った。小屋の中のござの上にサツマイモが転がっていた。それも一本、思わず拾い上げ、新聞紙で包んでからリュックに入れた。
汚れてもいいように長靴に履き替え、小屋にかかっていた煤けたパーカーを羽織った。モコモコとして温かいが、妹に言わせれば、「イモい」らしい。そうかもしれない。その後、庭の蛇口で水を汲んだ。水筒3本分。これは消火用と、飲用のため。リュックはずっしりと重くなった。
実家を裏から出て、塗装されていない道路を横切り、小さな橋を渡り、近所の人が勝手に作った階段を上がり、神社の脇の砂利道を通るとそこは山道の入口である。昨日の大雨でまだ地面はぬかるんでいる。山道は北側。日の光はあまり届かない。雑木林が低い山を覆っている。濡れて枯れた広葉樹が枝を晴天に伸ばしているのが見えた。
風は感じなかった。これなら山頂で火を使っても大丈夫だろう。
*
山道には、最初だけ階段が設けられていた。これも近所の人が勝手に作ったものだ。太い枝を切りそろえて作ってある。冬の土は湿っている。私は霜柱を踏みつぶし、長靴の足跡を執拗に残して山を登った。
思えば、お盆の墓参りには顔を出したが、秋の頃の墓掃除には参加しなかった。勉強が忙しかったからだ。
その、2学期の頃を思い出す。私の好きな人と、文化祭の準備をしたのが最後にして最高の思い出だ。近所の寺の次男坊。同級生。顔は普通だが声はいい。声変わりしてからますます好きになった。当時の田舎の男子にしては身なりに気を配っていた。サルみたいな男子の中で、やけに落ち着いていた。小さいころから。実家がお寺さんだから?
当時の学生には、あるいは私の周囲では、恋愛が成就することはあり得ないような雰囲気があった。恋愛は憧れるものであり、噂として存在するものであった。友人の誰それが付き合っている、という話題はあり得なかった。誰もそんな話は望んでいなかった。それは現実にあるものではなく、その話題を、物語を、歌を、片思いという自分の心のありようを、鑑賞するものだった。
それにならって私の片思いは10年物となった。見よ、私の半生を上回っている。
私は友人にすら、この思いを吐露したことはなかったのだ。
私は歩みを止め、道の真ん中でリュックを体の前に回し、中から水筒を取り出した。私は喉を鳴らして水を飲んだ。
階段には私以外の足跡がついていた。上がる足跡と、降りていく同じ足跡。近所の元気な老人が、毎朝の日課で散歩でもしているのかもしれない。
文化祭の準備中、彼に告白はできなかったが、彼の進路を聞くことができた。大学には行かず、地元の水道屋で働くとのこと。寺の次男が水道屋とは。どういうことか。頭でっかちな私は、話題を持たせるために、ローマの水道橋とか、玉川兄弟の話をしてしまい、相手を閉口させた。寝る前に思い出すと「ああああああ」と口にしてしまうタイプの思い出だが、それすらも私にとっては希少な彼との思い出なのだ。
「水道が好きなんだ?」
「いや、別に」
そんな会話すら、私にとっては大事な思い出なのだ。思い出すと頭を掻きむしるタイプの思い出だけど、そうなのだ。
*
冬の山は登りやすかった。登れば登るほど体が火照り、冷たい空気が心地よくなる。吐く息は白く、大きくなった。自分の恋心のように、わざと大きく吐き出しては、その白さと大きさを鑑賞する。
足元はぬかるみで汚れている。それでも、虫がいないのは快適だった。蚊やメマトイ、蜂はもちろん、蜘蛛の巣もない。痕跡すらない。
彼と知り合ってからは長いが、思い出はそれほどない。私たちは親友でも友人でもなかった。知人だ。素性を知っているから怪しくはない。会えば世間話くらいするが、それだけ。クラスメイトになったのも、小学1年生、2年生、中学1年生、高校3年生の4回だけだ。当時は子供も多く、学級数も多かった。頭でっかちな私は、彼と一緒のクラスになる確率を計算したことがある。笑うがいい。中学と高校が一緒だったのは僥倖だった。その幸運を、私は棒に振ったのだが。
ああ、高校3年、分別があり、おそらく魅力的にもなった。鬼も十八、番茶も出端という。多少の勇気があってもしかるべきなこの時期に、告白することもせずに呆けているとは。チャンスをみすみす手放すとは。私は随分と愚か者だ。
すでに階段はなく、山肌だけの道を登っていた。途端に歩きづらくなるが、若い脚力はものともしない。眼下には木々の枝。瓦屋根。統一感のない色をしている。私の家が背中を向けている。彼の実家、お寺は遠くにある。目立つのですぐに分かる。私はここでも、この期に及んでも、「好きだ」とそっちに向かって言うことができない。大声でも。小声でも。
*
秋の秋分の頃に掃除をしたはずの墓は、枯れた雑草に囲まれていた。そこだけ石畳が敷かれ、ピカピカの墓石が一つ、据えられている。傍らの墓誌には知っている名前も知らない名前も刻まれている。父の姉らしき人が、5歳で亡くなっている。父や祖父母から、この人のことを聞いたことはない。名前だけがこの墓石に残るのだろう。
夏や秋の風景は見慣れていたが、冬の間はこのようになっているのかと思った。春になるとまた草木が
下界の音もここには届かない。静かだった。青空。絹のような薄い雲が広がっていた。空の高いところにも風は吹いていないのか、雲はあまり動かず、形をあまり変えなかった。
私は軍手をはめ、墓を拝み、むにゃむにゃと適当な御祈りの言葉を口にした。冬の時期に花を手に入れるのは難しい。その代わりにと、水筒の水を花立に注いだ。花立の中には十円玉が3枚入っているらしい。
「さて」
と、リュックを降ろす。墓の周りの枯草を引き抜き始める。鎌でも持ってくればよかったが、本当にやりたいことは草むしりではないのだから仕方ない。風はない。奈良の冬の山とはこのようなものなのだろうか、と思うほど、印象的な無風であった。町の遠くでは、煙が真っすぐに伸びているのが見えた。雨が真っすぐに降るように、その煙は真っすぐに昇っていた。あそこに煙突はないから、誰かが野焼きでもしているのだろう。
草を抜くこと15分。適当な仕事は墓の周りをみっともなくしていたかもしれない。草は抜かれ、あるいは抜かれなかった。小さい草はそのままにされた。
私はパーカーを脱ぎ、汗をぬぐった。体は何もしていないのに煤っぽかった。私は墓に向かって手をすり合わせ、申し訳ないが道具がないと小娘にはこれが限界だと言い訳して頭を下げた。
言い訳を終えると、持ってきたリュックの中身を取り出した。
風はないが、万が一に飛ばされてはまずい。ノートを乾いた石畳に置き、その上に重しとして箱を置いた。鍵はパーカーのポケットにあるのを思い出し、そこらへんに脱ぎ捨てたそれをまさぐり、鍵を摘まみ出した。
かまどは相変わらずそこにあった。枯葉が数枚、灰の上に落ちていた。ブロックには煤がついたまま。雨や雪も降っただろうが、煤けたままとなっていた。
昔はここでバーベキューのようなこともした記憶がある。金網や食材を持参して、祖先の前で楽しそうな様子を見せるのは、何と言うか理にかなっていると思うのだが、最近はしていない。金網も見つからなかった。
私はかまどに抜いた枯草を放り込んだ。背の高い草は折り曲げて放り込んだ。新聞紙を絞って棒状にし、数本を薪のようにして置いた。新聞紙に包んだサツマイモだが、手持ちの燃料では火力は足りないと思い、焼くのは止めた。いや、山に入って枯れ枝を拾い集めれば、なんとかいけるかもしれない。そう思い、墓から離れ、山道に戻り、山の奥を見た。雑木林が広がっている。自分の背の高さには、低い木やぶ。生い茂る木々の足元は冬といえども暗く、落ち葉が厚く積み上がっていた。目に入る枝はどれもよく燃えそうだが、そのどんよりとした雰囲気は、分け入るのを躊躇させた。
近所のそれほどでもない山といえども、冬といえども、この程度の草木は生い茂っているのだと思った。この程度でも、人を近づけさせない雰囲気がある。
軍手を脱いで、マッチに火をつけた。乾燥した空気は、乾燥した新聞紙と枯れ枝に、簡単に火を付けた。私はかまどの近くでしゃがみ、鍵で箱を開けた。それはカチッと小さな音を立てて開いた。中には輪ゴムでくくられた封筒の束が3列に並んでいる。中から束の一つを取り出した。片手では掴み切れないほど厚く、ずっしりと重い。
私はその重さにたじろぎ、火にくべるのを待った。火はやがて、私が知らない間に消えていた。
酷いときには月に3、4回、落ち着いたときでも半年に1回はこのラブレターを書いた。封筒にあて名はない。封筒の色は様々だ。キャラクターの絵柄が印刷されていたり、和紙だったり、大人びていると勘違いした業務用封筒だったり。手作りの封筒もある。公民館の催事で作ったやつだ。
束を横から見ると、地層のように色分けされている。こんなものが私の歴史とは。
中身を見てみるか?
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