03
「――、――、――、――!」
ぴちゃ、ぴちゃ、と水の跳ねる音。雨たちが何か言っている。言葉になっていない。この子たちは、いったい何を言いたいのだろう。
聞こえない。わからない。言葉にならないと、理解ができない――。
「朝ごはん食べなさい!」
遠く、母親の怒鳴り声が聞こえた。頭の霞があっという間に払い除けられて、寝たい、けど、起きなくちゃ、と思考が切り替わったのを感じた。
「時間は!?」
枕元の時計を掴み取って見ると、七時四十分――寝坊だ。家から高校まで二十五分。準備に普段なら二十分。一時間目は八時四十分スタートだけど、朝のショート開始の八時二十分には教室にいないと遅刻扱いだから、遅刻の危機に面していると言っても過言ではない。
よし、十分で家を出る。
ほぼ落下運動でロフトベッドから降りる。階段を滑る。暗喩です。安全です。リビングに続く引き戸を開ける。今までに聞いたことがないくらいの衝突音。壊れていたらごめんなさい。ご飯と味噌汁をテーブルの上に発見。食べよう。五分以内。いただきます。
ご飯を頬張って味噌汁を飲んだ。こうするとほぼ噛まずに飲み込める。二分三十秒経過。
「もうちょっと早く降りてきなさい」
「ん」
噛みながら喉の奥で返事をした。
母は呆れたようにため息をついて、弁当をあたしの目の前に置いた。
四分経過。
「ごちっ」
手を合わせる代わりに頭を下げて、立ち上がって、お茶碗とお椀を泡がつきっぱなしのスポンジで撫でる。そのまま水で流す。
「ぶわっ」
蛇口の設定がストレートのままだった。水が跳ね返ってきた。さっきは跳ねてこなかったから油断してた。
本気で遅刻する遅刻する遅刻する。
時間とあたしの準備のかけっこ勝負は今のところ時間が勝っている。許さん。逆転してやるぜ。
蛇口をシャワーに変えて、顔にかかった水をパジャマの袖で拭って、食器の泡は流れていった。
食事開始から六分。一分の誤差。ははは、有り体にいうと、やばい。
あと四分。
学校までの二十五分を全部走れる体力があったら遅刻も免れるのに、と自分のひ弱さを嘆いてみる。ごめん、嘘だ。
あたしは魔法が使える。から、まだ遅刻はしない。けれど、のんびりしていると遅刻することに違いはないので、急げるだけ急ぐ。というか、天気が味方してくれるかどうか。
顔を洗って、歯磨きをして、低めの位置で髪を一つにくくったら、セーラー服を引き被って、すかすかの軽いカバンを背負って家を飛び出した。
「いってきます!」
「お弁当!」
「ごめんなさいっ!」
お弁当箱をカバンに押し込んで、履きなれた靴に抵抗なく足を入れて、玄関を開けると、家庭のあたしが飛び出した!
「いしっころん、グッドモーニング、行くよ!」
「はろーはりーやろ、急げドアホ」
玄関脇にいるいしっころんを握って、カバンに放り込んだ。
「おはよう人間さん、今日も元気ね」
「おはようっ! 風さん、ごめん、学校まで送って!」
今日は日本の近くを台風が通っているおかげで風が強かった。
「いいわよ。しっかり掴まっていてね」
風を握る。すると、あたしは風になった。実体が失われて、風と同じ速さで飛んでいく。やや曲がりながらも、学校の方向へとうまいこと進んでくれた。
「ここだっ!」
学校から少し離れた人気のない道路で降りて、「ありがとー!」と叫ぶと、風の甲高い音がした。そこから歩いて登校する。うん、いつもより早いくらい。
八時前の校門は、生徒指導の先生もまだいなくて、まさに優等生キャラな同じ制服姿の学生たちが優雅に登校している。
あたしもその一員として、背筋を伸ばして、微笑みをたたえて校門をくぐった。
「おはよー! にんげん! おはよー!」
「ざわ……ざわわ……ぐっど……もーにん……」
「あっさっがっ、きったよー!」
花壇の花たちが気ままに喋りつくしていた。台風の風でなぎ倒されるかもしれないのに、呑気なやつらだ。今日早めに来ることができたのはラッキーだったかもしれない。さて、園芸委員の仕事をしよう。台風から花たちを守らなくては。
花壇の側の適当なところにカバンを放って、倉庫に向かった。登校ピークがやってきて、校舎玄関までの道のりは人でごった返している。だからといって、だれも花に見向きもしないけれど、あたしがやりたいからやるんだよ。
倉庫は花壇からは少し離れた校舎裏にある。
校舎裏といえば、放課後は心ときめく告白か、力比べの大喧嘩の舞台になる場所か。放課後は、ね。朝からやるやつはいない。
さて、校舎裏にたどり着いた。
目をぱちくり、口を馬鹿みたいに呆け、百年くらい立ち続けた石像みたいに地面に足が縫い付けられた、一人の間抜けな女子高生が、そこにはいた。三人称のように客観的描写をしてみた。その女子高生とは、――あたしのこと。
世界でただ一人、魔法が使えるのは頭が良くないあたしだけ ちょうわ @awano_u_awawa
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