02
ずぶ濡れになった体は軽くて、ゲームでよくある「強化」ってのはこんな感じなのかな、みたいに気の抜けたことを考えていた。
いや、本当は、ちょっと経ってから明らかにおかしいだろうと思ったけれど、まるで自然とあることが当然のような、雨が降っていれば濡れることが当たり前でごく普通のことのようになってしまった。
当たり前、当たり前。
国語が人よりちょっと得意なあたしは、よく小説を読んでいた。不思議な力がある憧れの世界は、ここにもあったのだと思うと、心が跳ねる。
「うへへへ、へへ、ふーんふんふーん」
自然と笑みが零れた。この歌の歌詞はなんだっけ。
あっという間に本降りになった雨はコンクリートの地面に染み込んで、弾かれて、凹んだところに雨が溜まっていく。
ばしゃん、と飛び込むと鳴る音が面白くて、跳ねる水が叫んで、水溜りに帰っていく。
「きゃー!!」
「わー!!」
「ふぅーうえーいらっしゃ!」
ちょっと待て、何かおかしい叫びが混ざってるぞ。甲高い幼児のような叫び声の中に、野太い祭りの掛け声のようなものが混ざっていた。
「ちょっと待て、何かおかしい叫びが混ざってるぞ」
「声に出とんねんボケ」
「あらまあ」
「あらまあじゃないねん、その気ぃ抜ける喋り方やめなや」
「その前に叫びを突っ込ませてくれよ」
「もう突っ込んだやろが」
地面の上でふんぞり返っていたのは、石だった。コンクリートの上にあるのはちょっと不自然だと思ったけれど、小学生がどこかから蹴り飛ばしてきたのかもしれない。
角がとれて丸くなっているのに、喋り方は刺々しい。これは、関西弁だからなのだろうか。
「あなたは関西から来た石?」
「せやねん、大阪の真ん中通ってるぶっとい川の河原で形がおもしろいからって拾ってもらった石です。引っ越しについてって、母親に捨てられたねん」
「Wow……」
独特なイントネーションで話す石は地面にいて、私は今まで類を見ないくらい言葉通り見下ろしているのに、堂々としていて、なるほど、これが外見に引っ張られないカッコイイと思うということか。
「あたしが持って帰るよ」
「何言うてんねん、あの子供より母親に近い体格してんのに、持って帰れるんか?」
「うん。おもしろそうだから」
私は雨でびちょぬれの指で同じく雨が染み込んで灰色が沈んだ石を掴んだ。
「よろしくね、いしっころん」
「なんやその名前……むず痒いなぁ、他のんにしてくれんか?」
「いや、いしっころんで決定です」
「そな殺生な……」
いしっころんはしょんぼりしていたけれど、すぐに立ち直って、前の子供といたときの話やだいぶん遠くから蹴られてきた話を語ってくれた。もっともっと太古の昔のことも、楽しそうに話してくれた。
「いしっころんはあたしより経験豊富かもしれないね」
「そりゃあ、大昔から生きてんねんから。生まれたときは、こんなちっちゃくなかったんやけどな」
「生きてるのか」
生きるってなんだろう。
ふと思った。
いしっころんは石だから、命がないものって教わった。けれど、こうやって喋ってるし、経験があった。なんだろう、なんだろう。あたしにはわからない。
いしっころんを握って家に帰る。その道中も雨たちは楽しそうにはしゃいでいたけれど、雨といしっころん以外は喋ってくれなかった。草とか川に話しかけてはみたものの、草は雨に打たれてお辞儀を繰り返すだけだし、川は雨を吸い込んで黙していた。雨の声は、川の中に溶けていった。
「おい、そのまま家に入るつもりなんか? びちょびちょやん、どうにかせえよ」
玄関の前のひさしでひと息ついたところ。
そっか、といしっころんを首肯し、でもどうしたらいいのか悩んだ。だって、別に乾かさなくても困らないから。大きいタオルも持ってないし、そのまま家に入って着替える方が効率的だと思う。
「何言うてんねん、家の中濡れるやん。タオルは持ってきてもらいや」
「……そっか、そうだね」
鍵を開けて、ドアを開けて、ひゅ、と息を吸い込んだ。
「ちょいまち、おれのことは置いていき。人間らしく生きることも大事やで」
「そうだ――……」
声を続けなかった。なんか、いしっころんがあたしの心配をしていることが、すごく奇妙なことに感じた。
いしっころんを地面に置いて、もう一度息を吸った。
「にんげんがいらないならぼくたちはもう行くね」
また、声を上げる前に、別の声が遮った。
そして、一瞬で、雨で濡れる前の制服になった。体が軽くなった。
「雨が……いっちゃった……」
雨は水。重かったらしい。重みはあたしの力になっていたのに。途切れのない暗い灰色の空が水を落とした。あたしは未練がましく手を差し出した。
雨は、あたしを避けていく。もう濡らさないといわんばかりに。
「にんげん、にんげんのままでいて」
雨はそれだけしか言ってくれなかった、
不思議な力はあるのに、にんげんであることを強制されていた。
雨は無言で降り続ける。コンクリートの地面に落ちて、染み込めないまま流れていく。いしっころんもしゃべらない。雑草もやっぱり揺れるだけ。
あたしは、人間に戻ったのかもしれない。
あれは、夢だったのかもしれない。そうだ、白昼夢だったのだろう。人間であるあたしが、狂うことを拒んだのかもしれない。だから、最後に人間に戻ったんだ。よし、つじつまが合った。――たぶん。
もう一度、外に手を差し出すことは、できなかった。
雨の音を背に受けながら、逃げるように家の中に入った。
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