第5話 迷宮・後編
針金のような毛皮、特撮めいた装甲。廊下を塞ぐほどに大きな後ろ姿が、壁や天井を削りながら歩いている。モニター越しに視聴するのとはまったく違う、リアルな鼓動、獣臭い息遣いに、ヒースは全身の毛が逆立つのを感じた。
いったん後退。恐怖心を木内に見透かされないように唇を湿らせてから、ヒースは自分の見たものを話した。
「例の映像とまったく同じヤツだな。右の道は使えないぞ、どうする?」
「マジか……んー、ちょっと待ってな」
木内は赤髪をかきむしって地図とにらめっこ。あーでもないこーでもないとブツブツ言った末、覚悟を決めた表情で提案した。
「こうなった仕方ねえ。罠をぶっ壊して別の道を通ろう」
「正気か? こんな近くで銃を撃てば、すぐに喰い殺されるぞ」
「そこはまあ、頑張って逃げれば……」
「グリズリーの最高時速を知っているか?」
「う……い、いやいや。大丈夫だって、勝算はある」
冷ややかな視線を向ければ、木内は何やら端末を操作してから画面をこちらに向けた。
地図を見せるのか!?
どうやらこの近辺だけの拡大図らしいが、一部とはいえ独占していた情報を開示したことに内心驚きつつ、ヒースは地図に注目する。
「見ての通り、左と真ん中の道には罠があるけど、一個でも壊しちまえば、あとはしばらく安全な道が続くんだ。しかも、曲り道やら分かれ道やらで結構入り組んでるときてる」
「……モンスターに追われても、撒ける算段は高いというわけか。犬のように鼻が利くなら逃げられないが、たしか嗅覚はニブいという話だったな」
「そうそう。右の道にいるバケモンがどう動くかにもよるけどな。ジッと待ってたところで遠ざかってくれる保証はねえんだ、積極的にいこうぜ」
「ふむ……わかった。お前の策に乗ろう」
ヒースは即決した。提案には説得力があり具体的な反論は思いつかなかった。木内の言いなりになる不安がないでもないが、結局のところは情報を握っている人間がイニシアティブを握るのだ。
怪物に気付かれないよう忍び足で真ん中の道を進み、床のパネルの数を数えて地図上に示されていた罠の前まで行くと、銃を構える。
空気を破って飛び出した鉛弾が床板を貫いた瞬間、バチバチバチッ! と激しい火花が散って、隠されていた謎の機械が剥き出しになった。これを人間が踏んでいたらどうなっていたのか、想像したくもなかったが、幸か不幸か思い浮かべるひまはなかった。なぜなら、
「GAOOOOOO!!」
世にも恐ろしい咆哮とともに、激しい足音がせまってきていたからだ。
ヒースは脱兎のごとく罠の残骸を跳び越えると、作戦通りすぐ先の角を曲がり……背後に違和感を覚えて振り返り、目をみはった。追いかけてくるのは、牙を剥きよだれを撒き散らす怪物だけで、地図を持った赤髪の男の姿がどこにもなかったのだ。
……喰われたか?
嫌な予想がよぎるが、しかしそれなら怪物は食事に夢中になっているはずだ。ならば、これはどういうことを意味しているのか。
「
口汚く罵りながら、左折右折を繰り返して逃げる。しかし、先に地図で見ていた範囲では順調だった逃げ足も知らない道に出ると鈍りがちになり、なかなか怪物を振り切ることができない。
あんな文字通りのバケモノを相手に逃げ切ることができるのか、ヒースの心には暗雲が立ち込め始めていた。絶望と疲労で息が上がり、足がもつれさせながら三叉路を折れた、その時である。
「こっちだバケモン!」
「GAULL!?」
突如として響いた木内の声に、追っ手の殺意が方向転換した。肩越しに見遣ると、三叉路に差しかかった怪物はヒースを追うことなく反対の道へと向かって走っていき、一枚のパネルを踏み抜いた瞬間、バチバチバチッ! と雷鳴のような音が起こり、その巨躯を痙攣させて動きを止めた。
「よう! 危ないところだったな、オッサン!」
「このFuckingヤロウ! 俺を囮にしやがって。ぶっ殺してやるからこっちに来い!」
「助けてやったんだからチャラってことにしてくれねえかなってヤッバもう起きて来やがったってなわけであばよオッサン!」
怪物の唸り声が大きくなってきたのを見て、木内は慌てて走り去っていく。ヒースもその場に残るわけにはいかず、唾を吐き捨てて逃走を再開した。
聞き耳を立てると、怪物は木内を追うことにしたようだ。ヒースの進む廊下は一本道だったので、木内の援護がなければ命が危なかったかもしれない。認めるのは業腹だが。
乱れた呼吸を整えながら、少しでも早く先を目指してジグザグに曲がる廊下を進んでいくと、向かい側の角から木内が姿を現わした。
「あっ……」
「貴様っ!」
「わー待った待った! そこに罠あるから! だから銃はやめて!」
問答無用で銃を突きつけたら、木内は頭を抱えてしゃがみ込みながら、端末を投げてよこした。床を滑ってきた画面を見ると、二人の間にある脇道に一ヶ所、たしかに罠のマークが表示されていた。
さらに、脇道が伸びる先には煌びやかにデコレーションされたGOOLの文字が。
「な? もうすぐゴールなんだよ。弾はもう一発しか残ってないんだろ? ほらほら、急がねえとバケモンがすぐそこまで来てるんだぜ」
「……チッ!」
ヒースは舌打ちして脇道の前まで歩いていくと、2発目を発砲して床のパネルを撃ち抜いた。
火花とともに罠が停止。それとほぼ同時、曲がり角から怪物が顔を見せた。木内が「ひゃー!」と悲鳴だか歓声だかを上げて駆け出して、ヒースも一拍遅れて後に続く。
ゴールは目前だが、背後から地震のような足音が追いかけてくる。生臭い吐息がうなじに当たっているような気さえした。ゴールはまだか。前を走る木内の背中が、ひどく邪魔だ。
(ここまで来たんだ。死にたくない。どうする、どうする……!?)
葛藤する。
どちらを選択するのが正しいのか、しかし悩んでいる時間などなく、ヒースは直感に従って引き金を引いた。
3発目の銃声。
それは狙い過たずに怪物の眉間を捉えて、野太い絶叫とともに巨体が転倒。その隙にヒースは廊下を駆け抜けた先の十字路までたどり着くと、木内に続いて左の道に飛び込んだ。
ガッシャ――ン!!
直後、天井から降ってきた鉄格子が激しい音を立てて地面に突き刺さった。ヒースと木内は呆然として横に並んだ極太の鉄棒を眺めていたが、追いついてきた怪物が鉄格子に防がれて襲って来れないのを見て、ふっと気が抜けたようにへたり込んだ。
「助かった、のか」
「みてえだな。……てかオッサン。たしか銃は2発しか入ってないって言ってなかったか」
「感謝しろ。最後の1発は、貴様に使うか最後まで悩んだんだ。だが、モンスターのエサを用意したところで、喰いつくより先に俺が襲われたら終わりだからな」
「ひっでー。助けてやったの忘れたのかよ」
「覚えているさ。その前に俺を利用したこともな。ここから出たらきちんと礼をしてやるから、覚悟しておけ」
生還できた安堵から軽口を言い合っていると、やがて何処からともなく覚えのある声が聞こえてきた。
『おっめでと~ございま~~す!! 二人そろってクリアしちゃうなんて、ボカァびっくりだよ。お互いに助け合って苦難を乗り越える姿、いやぁ美しいねぇ。
と、いうわけで! 見事生きて帰ってきたお二人には、それぞれ500万円をプレゼントしま~す。パチパチ拍手~!』
【END】
銃と地図 黒姫小旅 @kurohime_otabi
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