アニサカ家騒動顛末(3)

「大変です」


 書斎にノックもなく飛び込んできたリアに、ナギは眉を上げた。

 今日は、在宅勤務。銀髪碧眼の王宮最高位魔術師、ナギは、店番をしながら魔術研究に打ち込んでいた。


「ケイン先生が、アニサカ家に連れていかれたと、メイ先生から連絡が」


 ベスの指輪の相手が誰であるのか、リアはもちろん知っている。ベスはそうは言わないが、二人が一緒にいるところを見れば、彼女の気持ちは明らかだ。

 いつも優しく穏やかなベスだけれど、彼女の目の奥にはいつも、張り詰めたものがある。それが、ケイン先生といる時には、少し緩むように感じる。リアは二人を見るたびに、幸せな気持ちになる。

 でも、リアが相談されたのは、ケイン先生からもらった指輪を焼ききれないか、という話だった。


「ついうっかりはめてしまったら、取れなくなってしまったの。私の力では外せなくて。リアの炎獣に、焼いてもらえないかしら」


 必死の表情でベスは言うが、そんな大事なもの、とてもリアには焼くことはできない。

 何かのきっかけで外れるだろう。ベスは、手袋で指輪を隠している。アニサカ家の娘にとって、この問題がそう簡単なものではないことは、リアにも分かっていた。


「ベスのお父様は厳しい方で、下手にお話しすると、ケイン先生が危ないと、以前にベスが」

「……放っておきなさい」


 ナギの返答はにべもない。


「でも」

「大丈夫、ケインは、攻撃魔法だけなら私より強い」




「子捨ての血はいらん」


 その瞬間、赤毛の魔術師の姿は掻き消えた。


「親を侮辱するのは、反則だろ」


 喉元に突き付けられた刃に、アーノルドは身じろぎもできない。周囲を固めていた配下の魔術師たちも、一歩も動けず固まっている。


(なぜ水竜が動かない)


 脇に控えていた水竜は、静かに座ったままだ。

 その胸元に目をやり、アーノルドは驚愕に目を見張る。


逆鱗さかうろこが)


 水竜の胸元には、光るごく小さい精霊が止まっている。かわいらしく微笑むその手は、水竜の鱗が一枚だけはがれた小指の先ほどの場所にそっと当てられている。逆鱗さかうろこ。アーノルドの水竜の、唯一の弱点だった。

 水竜は、急所を押さえられ動かない。


「……まあ、俺のことはいいさ。この際だから、言わせてもらう」


 炎をまとった短剣をアーノルドの喉元に突き付けながら、ケインは目を眇める。


「あんたたち、心技体、って言葉、知ってんだろ。魔術を極めるなら、魔力や技巧の前に、まず精神だろ」


 ケインは短剣をおさめる。周囲の魔術師が動こうとするのを、アーノルドの手が制止した。


「お宅の娘さん、技・体は、もうこの国でもトップクラスであるのは間違いない。でも、彼女の心は、まだやわらかくて傷つきやすい。彼女の年齢としなら、当たり前のことだ」


 すう、と水竜の胸元の精霊が消える。


「見かけに騙されて、あんまり彼女に無理させるなよ」


 アーノルドの表情は、動かない。


「心配しなくても、あの子とどうこうする気はないよ。彼女の心がもう少し育つまで、俺が支えてやるつもりだった。あんたらには、できないようだったからな」


 ケインはニヤリと笑う。


「でもまあ、俺はここらで、手を引くよ」


 くるりと背を向け、扉に向かいケインは歩き出す。


(……学校はクビだろうな。まあいいか、あの人の何でも屋でも手伝えば)


 考えながら扉を開けると、そこにはベスの姿があった。



 彼女の目は、あの夜と同じだった。


(そんな顔するなよ)


 ずきりと胸が痛み、ケインは顔をしかめる。


「先生、これが、外れないのです」


 左手の薬指にはまった指輪を見せられ、ケインは驚愕に目を見張る。アーノルドが激怒するわけだ。



「気に入った」


その時、背後から大音量が響いた。

アーノルドが大声で笑っている。


「その実力、それを気取らせない技量。何より、その胆力」


 ケインが振り向くと、隻眼の魔術師は彼を見据える。


「アニサカ家の婿にふさわしい」


 後ろを振り返り、侍従に命じる。


「これから酒盛りだ。酒を持て」

「……いや、俺の話聞いてた?」


 ケインは呆れてつぶやく。手の平裏返りすぎだろ。


「俺は窮屈なのは苦手なんだ。婿なんて話は、お断りだよ」


 踵を返そうとすると、エリザベスの美しい瞳が、彼を射抜いた。


「先生。……この、指輪を、外したくありません」


 その目はまっすぐに、彼の瞳を捕えている。 

 この目。ケインは天を仰ぐ。

 降参だ。



 アニサカ家次代当主、エリザベス・アニサカと、王宮魔術師兼魔術学校主任教官ケイン・アシシュガの結婚式は、2度にわたって行われた。

 1度目は、国王のご出席もあった、公式のもの。その盛大さと花嫁の美しさは、王宮でもしばらく語り草になった。

 2度目は、内輪のみを招いたごく簡素なもの。それは、精霊の集う湖畔で行われた。




「それで、結局指輪が外れなかった理由は何なんだ」


 気のおけない仲間の前で、改めて指輪交換をした二人に、カイトは我慢しきれず尋ねる。

 なぜか主役の二人は真っ赤になった。


「……こいつらのせいだ」


 こいつら。ケインが視線をやる先には、ふわふわと揺れる動物の姿の精霊たちがいる。



 ベスが目を奪われたあの金の指輪は、ケインの母が残していった物だった。ところが、ケインはある時点でそれが指輪であるという意識すらなくなった。そして、ベスは一目でその指輪に魅入られた。


「精霊のまやかしだ。王宮魔術師が二人も、雁首揃えて精霊にたばかられるとは、世が世なら、魔術師の印は剥奪ものだな」


 なぜか愉快そうなナギの声。

 要は、湖畔の精霊たちが、二人の様子を見ていられないと、協力して指輪に魅了の魔力を込めたらしい。


「とはいえ、精霊の祝福も、呪いのようなものだ。お前たち自身の願望や想いが体現したものに過ぎない」

 

 ナギの指摘はいつでも容赦ない。ケインは顔に手を当ててうつむいている。

 精霊の後押しによって、ケインがあげたいと思っていた指輪はベスの手に渡り、ベスがはめたいと思っていた左手の薬指にがっちりとはまった、ということらしい。


(……お前、ナギにこうむってたのと同じ迷惑、ここの精霊にかけてたってわけだな)

 カイトはニヤニヤ笑いが止められない。



「結婚なんて柄じゃないが、もう腹をくくったさ。今度は、自分の子供で教育を楽しむよ」


 湖畔の草原。動物の姿をした精霊と黒い犬に囲まれて、無邪気に遊ぶベスとリア、そしてリアの息子を眺めながら、ケインは晴れ晴れとした笑顔を見せる。

 こいつは、ナギとは真逆で、執着することがなさ過ぎて、心配になったもんだが。

 カイトは麦の蒸留酒を飲みながら、風に向かい目を細める。

 

 湖畔には、優しい風が吹き抜ける。

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