アニサカ家騒動顛末(2)

 エリザベス・アニサカの左手の薬指に、指輪がはまっている。その噂は、静かに速やかに、魔術師界に広がった。

 彼女が後継者となっているアニサカ家は、王国の魔術師を統べる魔術師筆頭2家の内のひとつであり、厳格な家風で知られている。彼女自身も、若くして魔術師としての実力はすでに一目置かれる存在だ。2年ほど前、王宮最高位魔術師との婚約が破棄となっていたが、特に彼女の側に大きな落ち度があったとはされていない。いずれアニサカ家に選ばれた、彼女に見合った相手と結婚することになるであろうと、思われていた。

 今は手袋をはめられ人目につかないその左手に、婚約の発表もないままはめられている指輪は、狭い魔術師界では格好の噂の種になっていた。



 少年の掌の上の火球は、いびつな形をしている。でこぼこしたそれを、少年は顔を真っ赤にして押し縮める。しかし、火球はそのままくしゃりと潰れた。


 魔術師学校の実習室。2年生の期末試験の追試会場に、ケインはいた。

 火球の大きさを調整して、その温度、ひいては攻撃力の高さを高める。これは、攻撃魔法の基本中の基本の技術だ。比較的、生徒の試験の評価の穏やかなメイ教官でも、さすがにこれができない生徒を、合格させることはできない。

 少年、サヤギは、落第の危機に追い込まれていた。


「うーん、分かった。そしたらさ、砂時計の上半分をイメージしてみて」


 しばらく様子を見ていたケインは、サヤギに声をかける。

 サヤギの掌の上の火球は、円錐状に形を変える。


「砂が下に落ちてしまわないように、くびれた部分に栓をする。そして、上から砂をぐうっと押してごらん」


 炎の円錐の先端の輝きが強まり、赤から青へと徐々に色が変わっていく。


「そう。そのまま、とがった部分で使い魔を突きさすんだ」


 ケインが出した使い魔に向かい、サヤギの掌から火球が飛ぶ。それは、ふわふわと浮かぶ使い魔を刺し貫いた。


「よし、できたね」


 サヤギは頬を真っ赤にして荒い息をしている。自分が成したことに、興奮が抑えられない様子だ。


「この手技の根本の目的は、圧力を変えて火球の温度を上げることにある。別に、球体である必要はないんだよ。技を学ぶときはいつも、その本質がなんであるか、考えながら行うことだ。そうして、自分に合ったやり方で、技を自分のものにするんだよ」


 ポンと少年の頭に手を置き、ケインは微笑む。


「おめでとう。追試は、合格だ」


 少年の目が輝く。この子は伸びそうだな、ケインは思う。

 その時実習室に、ふいに人影が現れた。



「……不法侵入だよ」


 サヤギを背中に回し、ケインは目を眇める。

 黒ずくめの侵入者は、3人。顔を隠しているが、魔術師であることは間違いない。いずれもそれなりの実力がありそうだ。


「ケイン・アシシュガ。我々にご同行願いたい」

「……どこに行こうっていうの。さすがに、無礼なんじゃない」


 3人か。ケインはゆっくりと視線をめぐらす。やってやれないこともないかもしれないが、サヤギの安全も考えると、ここで大立ち回りをするのは得策ではない。3人からは、特に殺気は感じない。


「アニサカ家の屋敷へ、お越し願いたい」

「……分かったよ」


 何で普通に呼び出さないんだ、あの爺さん。ケインは顔をしかめる。

 少年に、メイ教官への伝言を頼んで、ケインは3人と、実習室を後にした。



 連れられて行ったアニサカ家の大広間で、ケインは現アニサカ家当主、アーノルド・アニサカと対面した。

 アーノルドは、押しも押されもしない王国魔術師界の重鎮である。15年前の戦闘で片目と片腕を失ってから、一線より引いてはいるが、その発言は今も厳然たる力を持っている。

 開口一番、アニサカ家当主は底冷えのするような声音でケインを問いただした。


「あの指輪はどういうつもりだ」

「指輪?」


 ケインは何のことかわからず眉を寄せる。


「お前は、儂の娘をたぶらかしたのか」

「……あの金具のことか」


 ふいに合点し、ケインはつぶやく。


「彼女が欲しがったから、与えただけだ。特別な意味はない」


 答えると、老人の顔色が変わり、髪が逆立った。


「お前は、娘を侮辱するのか」


 まさかベスがその指輪を左手の薬指にはめているとは思いもせずに、ケインは答える。


「したいから、しただけだろ。指輪くらいで、ごちゃごちゃ言うな。そろそろ娘を自由にしてやれよ」

「おのれ小僧」


 そうして、場面は冒頭に戻る。



(おい、マジかよ、りゅうて)


 全力で防御結界を張っても、攻撃されればひとたまりもないだろう。


(爺さん、愛情の方向、間違ってるよ)


 ここまで怒るということは、この父親は、娘がかわいいに違いない。だったらもっと褒めてやればいいのに。卒業試験で次点だった、と報告し、情けないとなじられたと話していたベスの、寂しい笑顔を思い出す。


 アニサカ家は伝統的に、水の属性の魔術を基本としている。今、召喚され老人の脇に控えているのは、水竜である。竜は、魔術師が使役する精霊の中でも最上級の階級で、これを従えるものは、現在の王国ではアーノルドしかいない。ケインも、実際に目にするのは初めてだった。

 水竜は銀色の鱗をきらめかせて静かにケインを見つめている。その虚無に近いまなざしは、本能的な恐怖を呼び起こす。


「お前のことは、調べさせてもらった」


 老人の苦々しい声に、我に返る。


「孤児だそうだな」


 ケインは表情を変えずに老人の顔を眺める。


 ケインの母親が、ケインを置いて恋人と出奔し、ケインが孤児院に入ったのは6歳の時のことだった。そのことに、ケインは特段恨みはない。親に売られる子供は多いが、彼の母親は、食うや食わずの貧しい暮らしでも、自分を6歳まで育ててくれた。男にはだらしなかったが、苦労はあっても子供に当たることもなく、ケインは卑屈になることなく育った。今、教官という仕事をしていて、それは得難いことであったと思っている。

 母親と暮らしていたころ、近所の悪ガキ仲間としてつるんでいたカイトは、ケインが孤児院に入ってからも度々家に誘ってくれた。10歳の時、そこでたまたま出会い、ケインの魔術の才能を見出してくれたのが、ナギだった。ケインはユシュツカ家の遠縁の家の養子となり、魔術師学校に入学した。いまでも彼は、自分の出自を隠してはいない。


「お前に娘はやらん」


 いや、娘はものじゃねえし。ケインは思う。でも、親父さんの言いたいことも、分かるよ。

 魔術師筆頭2家をはじめとして、伝統的な魔術の名家には、それぞれに確立された魔術理論と、秘伝の技があり、それを後世に継承する義務がある。

 教官として魔術師の卵に数知れず接してきたケインには、よく分かる。自分やリアのように自分の素質のみで魔術の道に入ったものと、そうした血筋の子供たちとでは、術の根本の構造が違う。

 この老人の頭を占めているのは、血統主義的な価値観と、娘が育ちの違う者と連れ添うことへの親心での心配と、半々といったところだろう。


(まあ、あの人みたいに、思いっきり好き放題やる人も、いるにはいるけど)


 銀髪碧眼の現王宮最高位魔術師の姿を思い出し、ケインは苦笑いする。死にかかっているんだからわがままを許せと、周りを黙らせて自由恋愛で結婚した。あのくらい突き抜けられたら、エリザベスも楽だろうにな、と考える。


「子捨ての血はいらん」


 その言葉に、ケインはすう、と息を吐いた。

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